伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2013/10/12 22:27:00|俳句
芭蕉祭
  今日は伊賀市芭蕉祭の日であり、いろいろなイベントが行われた。献詠俳句に応募され、特選・入選になられた人々は華やかな表彰式に出席されたことであろう。おめでとうと心よりお祝い申し上げたい。私も特選を頂き喜んだこともあったが、はるか昔のことになってしまった。招待状は頂いてあるが、参加しても何も役に立てないから毎年遠慮させてもらっている。一度も出席したことがない。出席したいと言えば芭蕉翁顕彰会が車を用意してくれるだろうが、俳句の選でもさせてもらえるのなら良いが、ただ芭蕉祭に参列するのならご遠慮したい。車代が気になるのだ。  昨日は市内のK小学校の校内芭蕉祭に招かれた。今年の芭蕉祭の入選作品の講評と俳句作りについての話を少しさせてもらって来た。招かれることは嬉しく、全校生徒二百名を前に至福の時間を過ごさせてもらったのだ。こんな身の私に出来る社会への恩返しやと思っている。「芭蕉さん、芭蕉さん」とさん付けで呼べる存在、伊賀の子にとっての芭蕉は身近におられる親しい人なのである。
 
なつやすみこどもがいっぱいはいしゃさん   一年
はかまいりあめだまひとつおいてくる       〃
ぷりんとにあせのしずくがおちてくる        〃
おばあちゃんことしもきたよくさかりに       〃
練習がおわて麦茶いっきのみ           三年
打ち上げの花びがうつる波の上         四年
湯の山の索道とまる赤とんぼ             六年
 
   これがこの学校の今年の入選句、まあまあ子供らしい素直な句、よく見て作っておられる。日頃は競うということをあまりしない学校にあって、クラスから一人選ばれるのは俳句ぐらいだろう。入選した子の嬉しそうな顔、自分の事のように喜び友達に拍手を送る同級生の姿が印象深かった。そして、一年生が四人も入選、今年私が俳句の作り方を話に行かせてもらったこともあり、私の喜びが誰よりも大きかった。そしてもう一つ、担任の教師が「子供たちによく解るように話してくれたので、子供たちが俳句に興味をもった感じがしました」と、またまた嬉しいことを言ってくれた。俳句なんて「夏炉冬扇」と思うことにしている私だが、まあそんなに卑下することもないと思うことにした。伊賀市は芭蕉より忍者が有名である気がしてならない。俳句に関わっていてカラフルな忍者の衣装を付けた観光客や連れている犬が忍者服を付けているのを見ると少し悲しくなる。もっともっと俳句への認識を市民が深めてくれることを願いたい。子供たちが健気に頑張っているだから。それから、伊賀市内の高校に俳句実作部なるものがなぜ出来ないのかと最近つくづく思う私である。  深秋、今年の不安定な陽気に若者も年寄りも戸惑っている。今、傷が治っている私、気分よく充実した日々を過ごしたいものだ。







2013/09/16 20:07:00|俳句
秋深し
  九月も半ば、残暑のことばかりが気になっていたが漸く秋らしくなって来たと思っていた矢先台風18号が上陸、大雨の被害をあちこちに残して過ぎ去った。被害のあった地域の人々にお見舞い申し上げたい。最近、車いすで散歩することもめっきり少なくなり、季節を感受することが出来なくなってしまっていた。そして、季に疎くなっている自分が情けない。疎いというより麻痺してしまったようで、俳句に関わる者として腹立たしくなる。そんな私が十二日に伊賀市芭蕉祭顕詠俳句児童の部の選句会に行ってきた。今年は中学、高校生の作品を選んだ。高校生の応募句数は五百句余り、中学生が一学年三千句足らずの計八千句余りと年々減少している。俳句人気の低下というより少子化の影響であろう。一学年、特選三句と入選五十句を目処に、休憩は昼食時だけで、8時30分から5時までぶっ通しで五人の選者が共選した。その日まで傷を治すのに寝てばかり居た身には極めてハードだった。本人は使命感に支えられ苦痛もそんなに気にならなかったが、付き添ってくれたボランティアさんが心配してくれたらしい。 中学生と言うのに作品のレベルは低く、小学生と然程変わらなく戸惑った。季語が二つある句がほとんどで、選をする側には捨てやすくて楽であった。佳作が多くても難儀だが、最終五十句を選ぶのはなかなかの作業、五人の選者が一つになって成せる業である。毎年、嘆いている私だが、この嘆きを先生に訴えたい。夏休みの宿題を全うしてくれてありがとう。俳句のことは知らないから、目を通すことなくそのまま応募しておくと言う先生が多いようだ。そのことに至極腹を立ててしまう私である。季語、誰にでも解ることと思うが、現実はそうじゃないようだ。先生が取りまとめてくれるとき、「この句には季語が二つあるよ」と指導してくれたら、子供たちは先生にもっと好感を持ち尊敬するのではないかと考えてしまう。自分が俳句指導に行った小学生の子が中学生になっての作品に接する時、自分は何を指導して来たのかとつくづく情けなくなる。特選にでもなれば気分は最高だが。とにもかくにも、選句させてもらえたことに感謝したい。
 
  この安堵大事にするや韮の花
 
  登り坂あれば下り坂法師蟬
 
 
 雁渡し床ずれに塗る練り薬
 
  地に座して出合酒汲む残暑かな
 
  戸を叩く峡の夜風や芋茎和 
 
  不細工な南瓜転がる土間の口
 
  けふ白露また綾子忌と思ふなり
 
  がちやがちやや今宵の月の赤きこと
 
  鈴虫のこやつは髭を振るばかり 
 
  露けしや空缶の水透きゐたる
 
  花韮や斜めに見えて雨の脚 
 
  昼酒を欲しくなるころ鳥渡る
 
  鶏頭に降り出して雨煙りけり
 
  深秋の葉を転げ落つかたつむり
 
  手ぬぐひを首に巻く子や豊の秋 
 
  曼朱沙華幼きころもこの道を 
 
  コスモスの白やもつともよく揺れて 
 
  老人の日の母少し怒らせむ
 
  敬老の日の暴風雨の中へ母     
 
  伊賀地方にも被害はあり避難勧告の出た地域もあったが、わが周辺には大した被害無く台風が行ってくれて有難く、涼しさが身に染みる。台風一過の秋晴れ、今日は一天空塵一つ無く晴れて爽やか。十五日はわが在所の敬老会、母は喜んで出かけた。十六日ならば中止になっていただろう。全く敬老精神に反した台風だった。 母は達者、老人会出席者の女性の高齢順では五、六番とか。偶に珍しい人と会うのも刺激になっていいだろう。帰った母にいろいろ聞いたところ、ほとんど忘れ教えてもらえず。母よ、忘れてもええから俺のことは忘れないでくれ。世を拗ね、世話になっている母に文句を言う私、そんな私に神は傷の治りを遅くしているのかもしれない。遅くというよりまた悪化、今までと違うところが傷になりそうで不安な日々だ。 傷がどうのこうのと言うことしか知らない自分のお粗末さを思わずにはおられない。何一つ悪いことをしていないのに浸水の被害、竜巻や突風の被害に遭った人の苦悩を思えば、自分の甘さが嫌になる。浸水し泥に汚れた住まいを片づける人の姿に涙が出た。深夜竜巻に襲われ、天井が一瞬にして無くなってしまった現場に立ち、「目を覚ましたら屋根も天井も無かった。命があって良かったわ」、淡々と潔く話す老人の態度に感動させられた。あのように動じない強靭な精神を学び胸が熱くなった。







2013/08/18 14:43:57|その他
盆過ぎて
  盆が過ぎた今、生きていられることに感謝している。母と子のどちらが先に逝くかは誰にも解らない事である。母の兄弟姉妹はすでに亡し、父の兄弟姉妹の最後の叔父さんの初盆が修された。仏に供え物をすること、実家として金銭的なことは済ましたが、盆棚を組むことなど何一つ出来ない事が申し訳なかった。うからやからの盆、もうこの先は自分か母かであり、わが家の滅亡まではもう何年もないのだ。悲しいし虚しい、世間の人々はわが家のことを何と噂しているだろう。今現在私と関わってくれている人々はどんな情を持ってくれているだろうか。死んでから、どうのこうのと言ってくれても聞こえない。今優しく言葉を交わしてくれて居る人の意見が聞きたいものである。明日は解らないから。盆が過ぎたら次は正月、長寿の老人は私のような目先のことなど考えないのだろうか。
 
  夕立の最も端が通りけり
 
  桃太郎と言ふトマト切る老婆かな 
 
  空蝉の薄目に見つめられてをり
 
  これほどに暑くて秋の立つといふ
 
  けふよりは残暑サルビア焔立つ
 
  あしたより遠が見ゆるや早稲の花
  
  ほつれ毛にあそぶ秋風見えてをり 
 
  はつ秋や額に冷たし蠅のあし 
 
  秋蟬の顔より落ちて転れり 
 
  不甲斐なさ仏に詫びて盆三日 
 
  母と子を労ひくれし盆の僧 
 
  生きて居ることが自慢ぞ生身魂 
 
  忘れても笑つて済ます生身魂 
 
  暮れてより風が戸を打つ終戦忌 
 
  生身魂五黄の寅と申しけり 
 
  もう死ぬとすぐ申さるる生身魂 
 
  介護士に抱かれはにかむ生身魂
 
  生身魂なんて百歳以上がいくらでも居られる高齢化のすすむ世の中では、死語となって当たり前だろう。いつまでも喜んで俳句を作っている俳人は馬鹿かもしれない。盆三日もなんとなく過ぎてしまった。何の変わりも無く、古い傷痕が悪くなり横伏せになっていた。デイの利用者さんは盆だからと減ることも無く、泊る人も常より多い。せめて盆ぐらいはご先祖を祀るのと同じくらい、それぞれの家を築いて来た親(長寿者)を大切にして欲しいと思う私である。しかし、家族は「不慣れな者が日々の忙しさの中で介護するよりも、お金を出して専門の介護を父母に施すことが本人にとっては良い事です。これが私の敬老、生身魂です」と言うでしょう。いろんなことを考えても詮無い事、しらふじの里を利用してくれているお年寄りが喜んでくれさえすればそれでいいと納得することにする。読んでもらわなくてもいい、生身魂についての愚感を掲載してみた。
 
                                生身魂  
  竹田の子守唄の二番に、盆がきたとてなにうれしかろ、帷子はなし帯はなしという歌詞があるが、私は盆を迎えるのが辛くてならなかった。盆が過ぎて涼しくなってもいくら寒くなっても着る物には不自由ないが、何一つ盆行事を修することが出来ないのが辛いのである。毎年、いくら暑くても、にわか雨に打たれても新盆の棚詣には車いすで廻った。今年はそれを断念してしまった自分が悔しくて情けなくなる。ご先祖には申し訳ないが、仏壇の供華、供物も人にお願いした。ただ、母子して棚経の僧の後ろで手を合わせるだけであった。僧の口から聞き覚えのある戒名が聞えて来たとき、胸がじんーと痛くなるのを覚えた。盆僧が去った後の仏壇の仄かな明りは、絶えようとしているわが家の近い将来を表しているようだった。 盆になると、生身魂七十と申し達者なり 正岡子規の句が頭に浮かぶ。句の解釈は、明治期の作、人生五十年くらいだったので、七十歳は相当な高齢。今ならば、九十歳ぐらいのイメージだったのではないか。しかも達者だというのだから、めでたいことである。生身魂と崇めるにふさわしい。盆は故人の霊を供養するだけでなく、生きている年長者に礼をつくす日でもあった。言ってみれば敬老の日の昔版だ。父母のいる人は、蓮の飯・刺鯖などを贈って祝ったのだ。このようにして祝う対象になる長寿の人、ないしは祝いの行事そのものを指して生身魂と言った。この子規の句、もう七十やと嘆くように言っていても、元気であることを喜んでいる作者の情に心惹かれると観賞して味わってみた。 しかし、いつの間にか、この風習がなくなったのは何故だろう。今は俳句に関わる者だけの語なのか。私は盆が来るたびにこの生身魂の俳句を作る。今はもうこの語は死語と化してしまったことを嘆きつつ。鈴木寿美子に、耳しいとなられ佳き顔生身魂がある。作者にしてみれば、生きている者こそ大事なのだ。ご先祖を祀ることも出来ず、未だに母親の世話になっている私が、こんなことを言えば叱られるかもしれないが、しらふじの里の利用者さん、七十なんて子供、百、九十が殆ど、皆さんは盆だけではなく一年中、生身魂なのである。家に帰ればどうかはこの際考えないようにしよう。母の世話一つ出来ない私だが、生身魂を日々尊敬し、可愛いく老いられた利用者さんと一緒に居られることを幸せに思いたい。そして、誰よりも尊敬し大切な母こそが私の生身魂である。
                  忘れても笑うて居れよ生身魂  不治人







2013/08/01 22:12:04|その他
晩夏
  なんの抵抗もなく八月を迎えなければならないようだ。そして、なんの良策もなく傷(床ずれの初期)が出来れば治す、治ればまた出来るという生活を続けている。治ってもまた出来るだろうと諦められるようになり、傷と仲良くまた糖尿病とも仲良くして生きようと思えるようになった。土用も半ばすぎれば涼気が立つと言われているが、八月も猛暑は続くだろう。デイサービスを受けているお年寄りは暑さにもめげずと言うより元来暑さには強い。エアコンを付けると寒いと言う人もいる。熱中症にならないように水分を摂るよう勧められ、部屋は涼しく快適に過ごせる私の周りのお年寄りは本当に幸せである。一部の人だが、若いころから辛抱し気丈に生きて来られたのに、何かと不足が出て来るようだ。これも慣れからであろう。立秋も間も無くやってくる。今年の残暑はどうだろうか。異常気象だからどうなるか解らないが、早く涼しくなって欲しいものである。ゲリラ豪雨などと言う最近の語、どこで記録的な雨がふるかもしれないようだ。最近の豪雨災害の報道を見聞きしていると気の毒でならない。被害を受けた人は何も悪い事をしていないのになぜこんな目にと思うだろう。雷雨も昔と違うし、雨の降る地域も違って来た。尾鷲なんかは雨が降って当たり前だったが、今年は記録的な少雨らしい。
 
梅雨明くと大きなあくびしてゐたり 
 
雲の峰崩るや赤子の泣き声に
 
夏痩せて老人の首弛みをり 
 
よれよれの縁しわしわの夏帽子 
 
ミツキーの柄のすててこ穿いてみむ 
 
暑き日に耐えるは老いの力なり 
 
夕立の最も端が通りけり 
 
空瓶にぼうふり躍る三昧場
 
訪ねれば婆蠅叩きうしろ手に 
 
あめんばう休んでをれば流さるる 
 
蟬の羽化はじまるや月弾み出て 
 
苦瓜の花ほつほつと灯るごと
 
まだ何か出て来るやうな蟬の穴
 
藍の皿藍の茶碗や涼しくて  
 
草茂り地球だんだん熱くなる 
 
風絶えて七月尽の草木蒸す 
 
かなかなや易く機嫌の直る母 
 
草間より埃の匂ふ晩夏かな  
 
  母は息災で有難い。昨日も薬が切れたので受診し、前回の血液検査の結果用紙をもらって来た。その結果の良好な事にはまたまた感嘆させられた。私の血糖値、尿酸値などの高さを思うと悔しくなる。俳句作りが進まず悔しく、何に付けても思う通りにならないことが悔しくなる日々だが、息災が何よりと幸せに思う。三重県の参議院議員も自民党に、贔屓の巨人も安心して見ていられる。そして、「しらふじの里」は利用者も大きく減らず順調、反面世話になっているスタッフさんの疲れが見えて来て気の毒である。お年寄りは痩せており、ベッドから車いすへの乗せ降ろしは楽に思えるが、毎日何回も繰り返せば、腰に無理が生じてくるようだ。そのことについては何も出来ないが、せめて労いの言葉をかけてやりたいと思っている。異常気象でもいつの間にか稲は花を咲かせ穂を出している。







2013/06/30 15:14:48|その他
螢狩

  何と言うことか、更新より一ヶ月が経ってしまった。誕生日の情(抱負らしきもの)を書いて一ヶ月、もちろん思うように生きてはいない。傷も出来ては治り、また出来てである。血糖値も先日久しぶりに測ったら163と低いことはない。糖尿病であることを受け入れ仲良く付き合って行くことにする。傷とも仲良く付き合って気楽に過ごしたいと思う反面、周りの人々が案じてくれるのを思うとそう楽天的ではいられない。感謝して治す努力をしなければ。血糖値を下げる効果ありと言うので「桑の葉」のエキスが入った青汁を飲み始めた。飲み始めてより半月、150が163に。それじゃあかんやろう、高くなっているのだ。まあ長い目で見ることにしょうと思う。十日前、歯が傷み出し二年近くご無沙汰していた歯科へ行く。気分は若くても身体はだんだん………。梅雨入りが早かったからもう鬱陶しい雨はうんざり。そして平年並みの梅雨明け、その後は猛暑となるとしたらこれからが正念場である。先日は名古屋から友達が螢を見に来てくれた。十匹ぐらい飛び交っているだけだが喜んでくれた。螢の句は難しい。もう言い尽くされてしまったようで、余程発想を変え、見る角度を変えなければならないだろう。闇の中であるから対照させる物がないようだ。生まれて十ヶ月の子が螢を見てどんな顔を、どんな仕草をするか暗くて見えない。毎年一度は見る螢だが、年ごとに印象は違う。もちろんいずれも儚く、己の命と照らし合わせると一層虚しく見える。思いを寄せる人と見る螢、そんな年もあったような気もする。
 
 忍冬やずつと母子で生きてきて 
 
 梅雨めくや服薬ひとつ増やしたる 
 
 無季の句を肯定してゐる梅雨籠 
 
 梅雨の底蛙泣くとも笑ふとも 
 
 その中のひとりが梅雨も楽しみと 
 
 梅雨深し女の言葉尖るなり 
 
 梅雨深しをんなに白き肘二つ 
 
 母と子に梅雨暗くなり寒くなり
 
 蟻の道墓地へ大きく曲りをり             
 
 蟻来れば踏みつぶさずにおれぬ婆           
 
 道反れて考える蟻居りにけり             
 
 胡坐かく入道雲を見てゐたり 
 
 看護師の首の細さよ夏あざみ 
 
 母怒る夏至の暮色の果てるまで 
 
 かたつむり休んではまた休んだり 
 
 雨蛙痒しとまなこ拭ひけり 
 
 金魚みな腹の大きい齢かな 
 
 ひとつの子源氏螢を握りしめ 
 
 湯上りのをんなと螢見に出たり 
 
 車いすひとりは怖き螢狩 
 
 濃き闇へ濃き闇へとぶ恋螢
 
 螢狩麻痺の手闇へ差し出して
 
  早く傷を治して小学校へ話をしに行かなくてはならない。傷があれば痛みが脂汗となり出て来て辛いけれど、汗掻くぐらい辛抱できる。子供らに話を聴いてもらうことは私の使命やと思っている。何も出来ない私に出来ること、これもひとつの恩返しやと思っている。毎年呼んでくれる学校があり嬉しい。しかし、いくつかの学校の同級生の校長が三月で退職してしまったので、これからは呼んで貰えることが少なくなるだろう。梅雨の時期は車いすで散策することが少なく、暑くなれば息苦しくて車いすに乗ることが少なくなる。どうしても齢を思わずにはおられない。よわい自分に他ならない。母は変わりなく元気で居てくれ何より有難い。何度も同じことを聞くので、「もうええ」と言うと結構怒る。反応は極めて良い。何度でも同じ事を聞くことを忘れているのは私であるのだ。最近、私の方が怒りっぽくなったようだ。