盆が過ぎた今、生きていられることに感謝している。母と子のどちらが先に逝くかは誰にも解らない事である。母の兄弟姉妹はすでに亡し、父の兄弟姉妹の最後の叔父さんの初盆が修された。仏に供え物をすること、実家として金銭的なことは済ましたが、盆棚を組むことなど何一つ出来ない事が申し訳なかった。うからやからの盆、もうこの先は自分か母かであり、わが家の滅亡まではもう何年もないのだ。悲しいし虚しい、世間の人々はわが家のことを何と噂しているだろう。今現在私と関わってくれている人々はどんな情を持ってくれているだろうか。死んでから、どうのこうのと言ってくれても聞こえない。今優しく言葉を交わしてくれて居る人の意見が聞きたいものである。明日は解らないから。盆が過ぎたら次は正月、長寿の老人は私のような目先のことなど考えないのだろうか。
夕立の最も端が通りけり
桃太郎と言ふトマト切る老婆かな
空蝉の薄目に見つめられてをり
これほどに暑くて秋の立つといふ
けふよりは残暑サルビア焔立つ
あしたより遠が見ゆるや早稲の花
ほつれ毛にあそぶ秋風見えてをり
はつ秋や額に冷たし蠅のあし
秋蟬の顔より落ちて転れり
不甲斐なさ仏に詫びて盆三日
母と子を労ひくれし盆の僧
生きて居ることが自慢ぞ生身魂
忘れても笑つて済ます生身魂
暮れてより風が戸を打つ終戦忌
生身魂五黄の寅と申しけり
もう死ぬとすぐ申さるる生身魂
介護士に抱かれはにかむ生身魂
生身魂なんて百歳以上がいくらでも居られる高齢化のすすむ世の中では、死語となって当たり前だろう。いつまでも喜んで俳句を作っている俳人は馬鹿かもしれない。盆三日もなんとなく過ぎてしまった。何の変わりも無く、古い傷痕が悪くなり横伏せになっていた。デイの利用者さんは盆だからと減ることも無く、泊る人も常より多い。せめて盆ぐらいはご先祖を祀るのと同じくらい、それぞれの家を築いて来た親(長寿者)を大切にして欲しいと思う私である。しかし、家族は「不慣れな者が日々の忙しさの中で介護するよりも、お金を出して専門の介護を父母に施すことが本人にとっては良い事です。これが私の敬老、生身魂です」と言うでしょう。いろんなことを考えても詮無い事、しらふじの里を利用してくれているお年寄りが喜んでくれさえすればそれでいいと納得することにする。読んでもらわなくてもいい、生身魂についての愚感を掲載してみた。
生身魂
竹田の子守唄の二番に、盆がきたとてなにうれしかろ、帷子はなし帯はなしという歌詞があるが、私は盆を迎えるのが辛くてならなかった。盆が過ぎて涼しくなってもいくら寒くなっても着る物には不自由ないが、何一つ盆行事を修することが出来ないのが辛いのである。毎年、いくら暑くても、にわか雨に打たれても新盆の棚詣には車いすで廻った。今年はそれを断念してしまった自分が悔しくて情けなくなる。ご先祖には申し訳ないが、仏壇の供華、供物も人にお願いした。ただ、母子して棚経の僧の後ろで手を合わせるだけであった。僧の口から聞き覚えのある戒名が聞えて来たとき、胸がじんーと痛くなるのを覚えた。盆僧が去った後の仏壇の仄かな明りは、絶えようとしているわが家の近い将来を表しているようだった。 盆になると、生身魂七十と申し達者なり 正岡子規の句が頭に浮かぶ。句の解釈は、明治期の作、人生五十年くらいだったので、七十歳は相当な高齢。今ならば、九十歳ぐらいのイメージだったのではないか。しかも達者だというのだから、めでたいことである。生身魂と崇めるにふさわしい。盆は故人の霊を供養するだけでなく、生きている年長者に礼をつくす日でもあった。言ってみれば敬老の日の昔版だ。父母のいる人は、蓮の飯・刺鯖などを贈って祝ったのだ。このようにして祝う対象になる長寿の人、ないしは祝いの行事そのものを指して生身魂と言った。この子規の句、もう七十やと嘆くように言っていても、元気であることを喜んでいる作者の情に心惹かれると観賞して味わってみた。 しかし、いつの間にか、この風習がなくなったのは何故だろう。今は俳句に関わる者だけの語なのか。私は盆が来るたびにこの生身魂の俳句を作る。今はもうこの語は死語と化してしまったことを嘆きつつ。鈴木寿美子に、耳しいとなられ佳き顔生身魂がある。作者にしてみれば、生きている者こそ大事なのだ。ご先祖を祀ることも出来ず、未だに母親の世話になっている私が、こんなことを言えば叱られるかもしれないが、しらふじの里の利用者さん、七十なんて子供、百、九十が殆ど、皆さんは盆だけではなく一年中、生身魂なのである。家に帰ればどうかはこの際考えないようにしよう。母の世話一つ出来ない私だが、生身魂を日々尊敬し、可愛いく老いられた利用者さんと一緒に居られることを幸せに思いたい。そして、誰よりも尊敬し大切な母こそが私の生身魂である。
忘れても笑うて居れよ生身魂 不治人