伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2017/07/26 21:39:51|その他
梅雨が明けても
  伊賀はようやく梅雨が明けて本格的な夏になりました。昨日は近くの小学校五年生に俳句指導に行って来ました。夏休み前になると俳句指導に来て欲しいと言ってくれる。有り難いことです。私もこの時ばかりは存在感を実感することが出来ます。何かで社会に役立つことになれば嬉しいのです。年々少なくなり今年は二校だけで少し寂しかったです。子供たちは喜んでくれ、一緒に俳句について考えてくれます。わずかな時間で俳句が上達するわけがありませんが、子供たちは喜んでくれます。「俳句が嫌いな人」と聞くと三十人のうち七、八人が手を挙げました。子供は正直で、大人なら俳句指導に来ている人の手前、嫌いとは言わないでしょうね。梅雨は明けても私はスッキリしません。「梅雨開けて婆らに笑顔増えにけり」なんて句でお年寄りを励ましているものの、わが心は沈みがちです。贔屓の巨人今シーズンはもう諦めたし、大相撲は自分の推す力士がことごとく大敗、俳句作りも捗らず、介護保険のサービスが始まりましたが何も変化はありません。車いすを乗り生じる尻の傷も治ることはないようです。母は七日に誕生日を迎え、満九十三歳になりました。生年月日は覚えていても、自分の年が言えないようで、九十の端が解らないらしいです。
 
 九十の端忘るや大土用
 
 梅雨明けの近し葉の照り雲の照り
 
 柿の葉のことにてらてら梅雨明くる
 
 山の湯へにいにい蟬に誘はれて
 
 猿野てふ青嶺の坂を上り下り
 
 卒寿越へ笑顔で大暑過ごしけり 
 
  今日は年に一度の重度障害者の吟行会に「さるびの温泉」へ出かけてきました。社協職員さんとボランティアさんのお陰で続けていける会であり、感謝の気持ちが満ち溢れていました。障害者への補助も縮小される昨今、存続していられることを大いに感謝する吟行会(親睦会)でした。




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元気です
元気ですが、年を取りましたよ。満六十五歳、介護保険制度です。負担が大きくなりました。母上さま86歳、お会いした当時の顔が浮かんできます。そうですか、息子の名前も忘れるのでしょうか。悲しくて辛いことですね。私はまだ母と会話できることに感謝します。五月末にパソコンを新しくしました。ご無沙汰して申し訳ありません。ではまた。
不治人  (2017/07/30 18:21:22) [コメント削除]

私の母
お元気ですか?久し振りです。私の母(86)は昨年の12月まで一人で暮らしていましたが、痴呆が進行し1月に施設に入りました。私は月一度の面会に行っておりますが、全ての記憶がなくなりつつあるようです。やはり話し相手がいないと自分の殻に閉じこもってしまうようで、鬱も入っています。症状としては食事をとらないのと1日中寝ているような感じです。北村くん、お母さんは話しかけられることで、意識、無意識を超えた所で、少しでも記憶のバランスを保とうとしているのではないのでしょうか。現在私の母は、夢の中にいるようです。夢の中の話でもいいから聞きたいと思います。
curiakin [WEB] (2017/07/28 10:20:13) [コメント削除]

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