伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2014/03/22 21:55:05|その他
春分の日
  やっと更新出来ました。もう春惜しむ頃となり、月日の流れに今更のように感嘆させられます。更新しなけりゃ、更新しなけりゃと自分のブログを見て来ました。毎日何人かの人が覗いてくれていることを認識しながら今になりました。変化の少ない私の日々、こんなに記することがないとは情けなくなります。外出は病院へ行くだけであり、ほとんど家に籠っていました。車いすで散歩することも無かった。今年の三月は寒く、その上に傷が治らずにベッドに寝ることを余儀なくされたのです。気が弱くなり、寒さに負けてしまっている自分が惨めでした。若い若いと己に言い聞かしているのですが、体が付いて行けません。年末に散髪してから、今月の20日まで在所の道を車いすで走らなかったです。いくら寒くても車いすで産土神や鎮守へ参ったことを思い出します。 先日スシローへ連れて行ってもらいました。行く前から20皿を目標に出かけました。さあ、幾皿食べられたでしょうか。どこへ行くと言うこともなく、唯一回転寿司を食べに行くことを喜んでいる自分が悲しくなりますが、それでも行けることに感謝したいと思います。16皿まで食べてもまだ余裕あり、これなら行けそうと蛤の赤出しを飲んで占めにしました。
 
  百二歳春来て唄う叱られて 
 
  婆十人二十に余る紙の雛 
 
  無図痒し足の裏なり弥生くる 
 
  男なら泣くなと言ひたし卒業子 
 
  芭蕉より土芳が好きや春の草 
 
  雛飾る卒寿米寿と喜寿白寿 
 
  春草やまだ小雀の膝の丈
 
  男らの駆けだし畦を焼き始む 
 
  大野火の猛りて魚の走りだす 
 
  ひと坪の畑打つ女音軽し
 
  枝を張りはじめし木々や弥生寒 
 
  今日雨水朝より咽の痒きかな
 
  人死なばすぐ忘らるや春の星
 
  両の手に包む余寒の湯呑かな 
 
  梅つぼむ友の訃報の届く日を 
 
  はこべらや寝足りし婆の大欠伸  
 
  啓蟄や床ずれ話す同病者 
 
  春水と言えば藁しべ流れ来る 
 
  地虫はや杭の頭に出てゐたり 
 
  冴え返り冴え返りては雪また雪
 
  頬杖の不意に外れて初音かな
 
  人形は一重まぶたや杉花粉 
 
  素つ気なくもの言ふ女春の塵  
 
  春耕のゆるやかに弧を描きをり  
 
  沈丁の香の軽くなり雨晴るる 
 
  飯台の上の土筆や何とする 
 
  牡丹餅と焼酎を買ふ彼岸入り 
 
  大凡が煙りてゐたり春の山
 
  永き日を楽しんでゐる鴉二羽 
 
  妻盗られ啼く春猫の腑抜け顔 
 
  春分の朝のみぞれにこゑ発す   
 
  今年の彼岸は寒いでした。春分の日は雨から霙、雪や霰が降る異常さに驚かされました。外を散歩しないゆえに俳句の佳作は出来ませんが、駄句なら並べらべられます。後で捨てる句ばかりかもしれませんが、読んでくれる人らには慰めにしてくれれば有難いです。母は相変わらず息災で居てくれます。先日、介護保険の更新があり、認定調査を受けました。その後主治医の診察も受けました。もの忘れは多少進行しているかもしれないけれど、身体の方は変わりないようです。2年前は肛門脱の手術を受けた後で急きょ要介護3に変更してもらった経緯があります。今回はまた要介護2になりそうで、しらふじの里にとっては収入が減るだろう。でも、良くなったということで喜ぶべきなであろう。調査員が来てくれたことも全く覚えていない母なれど。随分私も丸くなりました。そして、回りの若い人らには良く言われるようになりました。「保さんも同じことを何度もよく言うな、美惠さんのことを言うておられへんよ」と。そう言えば母とケンカしたときには必ず、「お前やって私の年になったら忘れてしまうやろう」と母が言います。私はそれに対して、「私は決して忘れません、他の事は何もかも忘れるかもしれませんが世話になった母のことは絶対に忘れません」と自信のない情でその場をごまかすのです。ああ〜、つまらないブログになりました。







2014/02/16 18:36:00|その他
ホワイトバレンタインディ

  今年のバレンタインの日は伊賀では十九年ぶりの大雪であった。十三日の深夜から降り、十四日の朝の積雪は十センチほどであったが一日中降り続き夜もまだ降ったのであった。チョコレートどころではない、朝刊も届かなかった。新聞はどうでも良いがバレンタインのチョコレートを貰う予定が狂ったのは辛かった。それでも、今年は一つだけ隣のお姉さんに頂いただけだった。雪は美しく心が洗われるような気分、精神が浄化される気がするのは私だけか。しかし、長く融けずに残りいつまでも庭の隅に動物のごとく汚れて残っているのを見るのは嫌である。屋根の雪が滑り落ちるときに樋を壊してしまう被害を、また修繕費がかかる。頭が痛い。先日、税務署より確定申告書用紙が初めて届いた。 雪に籠って居る間に二月も半ばが過ぎてしまった。このブログも一ヶ月振りとは極めて怠惰である。雪を見に出られないだろうと、友人が写メールを送ってくれた。「かまくらと雪だるまを子供と作ったよ」と。もう一人からは「ふなっしーが出たよ」と。このフナッシーは雪で作られたものであるが、一見着ぐるみと私は思ってしまった。こうした思いやりが何により嬉しいもの、チョコレート、より喜ぶ私であった。いずれにせよ傷が治らず落ち込でいる私の心を暗くした大雪であった気がする。ところで、ソチ五輪はと言えばそこそこ感動して観戦しているが、ライブで映像が見られないのが物足りない。深夜まで見ることが無理で朝のニュースを楽しみにしている。沙羅ちゃん、愛子ちゃんの四位が心に残っている。金が確実に獲れるという前評判が高い選手のプレッシャーを考えると気の毒で仕方ない。
 
  風花のひるがへるとき膨らめり 
 
  寒晴れへ負はれ反り身の赤子泣く
 
  寒の水目高の水に足しにけり
 
  寒波果て力抜きたり大けやき
 
  待春のこころに朝の山気かな
 
  卒寿婆頬杖ついて春を待つ 
 
  寒明けの真鯉の大き泡吐けり
 
  嚥下良くなりし体操春立てり
 
  立春や蔵の大戸の閉まる音
 
  浅春の風に剥がれし松の皮
 
  ちぐはぐな婆の会話や春うれひ
 
  二ン月の畷に穴と窪みあり
 
  月に添ふ二つ三つ四つ春の星 
 
  人死ねばすぐ忘らるや春の星  
 
  十九年振りの大雪バレンタイン 
 
  菓子よりも雪のバレンタインデイ 
 
  かまくらの写メール届く雪籠り
 
  春の雪二日飽きずに雪雪雪
 
  降り積もり融けて春雪三日かな
 
  春雪に潜り怠惰のこころ増す
 
  いつになく眼澄みをりうかれ猫
 
  二月は逃げると言われる。車いすで外へ出る日が一日もなかった。一月も同じであった。立春が過ぎたのだから蕗の薹も出ていよう、梅もほころんでいよう。そんな春を見附に車いすで散歩したくてうずうずしたものだが、今はうずうずして来ない。何かがおかしくなったようだ。感受性、好奇心などまで麻痺して来たのだろうか。そして、怠惰に陥るというウイルスに侵されて久しい気がするのだ。ウイルスと言えば私の周りにインフルエンザに感染して休んでいる人がいる。母に、そして私に感染しないことを感謝したい。今年も五十日が過ぎたが、母が居てくれて有難いと思わない日は一日たりとも無かった。「ああ、母が居てくれて事無きを得た」と安堵することが多くなった。しきりに音を立て融けて行く雪を見ていて、卒寿の母を頼りにせねばならない自分を今更ながら不憫に思った。







2014/01/16 18:22:44|俳句
正月

 新年も早や二十日になろうとしている。平穏な正月を迎えられたことを喜んでいる内に。割と暖かい天気が続き何もしなくても日が経ってしまった。元旦の産土神への初詣も三年前から行かなくなった。やはり、母が私の衣服の着脱が出来なくなった為に思った時に車いすに乗せてもらえなくなったからだ。とは言うものの本当は自分が怠惰になっただけの事、母の所為にするのは卑怯である。二日は友人との食事会に行く。五日は初句会、そして今年初めての風邪を引く、今年は随分賢くなったようだ。咳、痰の風邪は本当に珍しいこと、一週間ほど治らなかったのにも驚いた。なんとなく弱ったなと齢を感じてしまった。十三日は新年俳句大会に参加して俳句が出来ること、俳句の縁を大いに喜び楽しんで来た。昨年からの床ずれと言えば大袈裟だが、それに似た傷が治ったり出来たりしている。正月も出来ており治す努力をして来た。小正月を過ぎても治らない。また一年、傷がどうのこうのと悩みは尽きないのだろう。
 
  元朝をこころ細さに啼くからす
 
  元日の昼餉の膳に蠅ひとつ
 
  淑気満つ陶のたぬきの大乳房 
 
  元日の昼餉の膳に蠅ひとつ 
 
  元日の西日差しゐる金魚鉢 
 
  正月の夢や綾子が手毬つく 
 
  肌白きこと誉めらるる初湯殿 
 
  食積の蓋盛り上げむ慈姑の芽 
 
  初便り良寛に似し友の文字 
 
  初夢やいいところまでいつたのに 
 
  読初は登校拒否の子の俳句 
 
  文鳥のこゑの洩れ来る初電話 
 
  振り出しに戻さるもよし絵双六 
 
  人日や塞翁が馬の話して
 
  覚めし時顔のつめたき大旦
 
  しぶき飛ぶ小溝に沿へり初詣 
 
  てのひらに載るほど小さき鏡餅 
 
  篝火の燃え尽く頃を初社 
 
  喰積のちよろぎ鳴らして食みにけり
 
  唇の荒れて三日のゆふべかな 
 
  大根のシチユーが嬉し四日かな 
 
  何気なくてのひらを見る寒の入り
 
  野に始め畑の煙の地を這へり 
 
  初山河野川挟んで家二軒
 
  風花のときどき粉となりにけり  
 
  小豆粥焦がせし母を思ひだす 
 
  今年は午年、いろいろなことわざがあるけれど私は次の二つが気入っている。「万事塞翁が馬」「牛も千里、馬も千里」、この昂ぶらない心、平常心が私の人生、身丈で感謝して生きようと思う素直な情である。喜びも悲しみも、ほどほどが良い。「目出度さもちゆう位なりおらが春」、一茶の句が頭に浮かぶ。読んで下さる優しい人、今年も何卒よろしくお願い申し上げます。つまらないことを書き、月並み句ばかりを並べて自己満足している感じの投稿であることをご容赦願いたい。







2013/12/15 16:25:03|その他
泄瀉に浸かり
  今年も残り十五日に、デイサービスの利用者さんは「もういくつ寝たらお正月」と唄っているが聞こえて来るが、何もその心が伝わらない。年寄りは子供に返ると言われ、認知症になることを二度童などと言われたが、平均九十歳になる利用者さんらは正月なんて来て欲しくないと言う感じである。そういう私も正月敬遠派である。今年の漢字一字は「輪」に決まったが、私はあまり共鳴出来ない。オリンピック招致はそんなに喜べなかったからだ。なぜならば、あと七年元気で居られるか、生きて居てもテレビ観戦のみだからとネガティブな考えになってしまうからだろう。ネガティブと言えば四日前から胃腸風邪の猛威に侵されてこれは最悪と大いに苦しんだ。今日十五日治ったようでホットしている。ノロでなくて良かったと思えば良いのだが、あの下痢の症状は正に非常であり、介護してもらうワーカーさんに頭が下がる思いであった。ゲリラ豪雨という語があるが、それはゲリラ下痢と言いたかった。健康な人ならムカツキ、胃腸が痛いのだろうが私には痛みは全くないから平然としていられた。その場に当たったワーカーさんに移らないかと心配しながら、申し訳なさで胸が一杯になった。私が発症する前に母が感染して点滴を受けた。昨年末の事があるからと嘔吐した後にすぐ医師に往診して頂いたのだ。三日間の点滴治療の効果あり母は軽度で済んで喜んでいる私である。しかし、菌を貰うものか、移ってなるものかと沢山食べて抵抗している私に、点滴をしながら医師は、「母親と息子さんを離さねばダメです」と言って帰られた。それが発症する二日前のこと、母を別の部屋へ移すと夜中に探し歩くだろうとスタッフさんらも配慮してくれそのままにしていた。絶対に移るものかと暗示をかけていてもダメだった。結果、母よりも重症、点滴を受けに通院したとき医師には「先生の言うことを聞かずに大変申し訳ありませんでした」と平謝りをして来たのだった。更新した前回から一ヶ月になる。その間いろんなことがあった。わが所属する俳句会の全国大会に、重度障害者友の会の吟行会に、そしてわが家での句会の忘年会に参加出来たが、今回は興味薄の胃腸風邪のことに終始してしまい申し訳なく、読者さまにお詫びしたい。ちなみに、下痢のことを泄瀉(せっしゃ)、瀉痢、瀉下、水瀉などと言う。
 
  屑籠を買うたり勤労感謝の日
 
  水底の亀を見てゐる師走かな 
 
  どことなく師走の貌の陶たぬき
 
  真正面見てゐる陶狸冬うらら 
 
  佛間より綿虫ひとつ現はるる 
 
  遠くまで見ゆる日和の帰り花
 
  千代紙を切り裂く婆や冬の鵙
 
  冬めくと爪噛む癖のをんなかな 
 
  かまきりの枯れて貌出す郵便受
 
  脱衣場の化粧壜舐め冬の蠅
 
  九絵食ひに行くと師走の女かな 
 
  大根の畝より五寸肩出せり 
 
  極月や目高の水の赤錆びて 
 
  下痢の身の股間にひびくもがり笛
 
  風邪の身や水様便に流さるる
 
  木枯しやいよよ泄瀉の激しくて
 
  水瀉拭きくれし介護士大マスク
 
  今回の危機を脱してホット安堵、これで年の瀬を母と元気で過ごせるだろうと思うと嬉しい。賀状を書いたり歳暮の手配など雑用を済まさねばならない。母と子が今回受けた温情に感謝して一日一日を大切に過ごしたい。お世話になったワーカーに感染せずに済んで胸を撫ぜ降ろしている。それにしても母の忘れが激しくなってきたのが怖い。八時間ほど唇が腫れあがるほど胃液を吐き続けたこと、脂汗を掻き苦しく喘いでいたことを、点滴を三日続けたことを二日もすれば忘れているのには恐れ入ってしまう。呆れて笑っているしかないのだろう。







2013/11/16 23:29:02|俳句
冬はじめ
  いつの間にか立冬も過ぎ、日毎冬めいて来たようだ。このブログの更新も今日しょう明日はしょうと思うだけで、一ヶ月が易く過ぎてしまったのである。覗いてくれる人に申し訳ない気がしてならない。前回は伊賀市芭蕉祭の日に更新している。その後、傷が出来て寝る日が多かったが十一月になり地元の小学校の校内しぐれ忌に、また伊賀町のしぐれ忌俳句大会に選者として末席に。先日は、「しらふじの里」を地元の小学生三年生が見学、少し私の話を聞いてもらった。三年生だけに理解のほどは定かではない。 しぐれ忌俳句大会には東京より神野彩希氏が講演に来てくれた。彼女は(こうのさき)1983年生まれの俳人。松山東見高校時代に放送部に所属、俳句甲子園を取材したことをきっかけに俳句をはじめた。2001年、第四回俳句甲子園にて団体優勝、「カンバスの余白八月十五日」が最優秀句に選ばれる。同年第一句集『星の地図』を刊行。2004年4月より2010年3月までNHK「俳句王国」の司会を担当。2013年より、NHK俳句の初心者向けコーナー「俳句さく咲く!」の選者を務める。前掲句のほか、よく知られている句に「起立礼着席青葉風過ぎた」「寂しいと言い私を蔦にせよ」などがある。若くて可愛い子、高校生の俳句や有名俳人の若いころの作品などについての講演であった。私にも挨拶してくれたが、私が角川賞をもらったことなど全く知らない様子だった。俳句を十七歳ではじめてより十三年目、今や大活躍の若手俳人がしぐれ忌俳句大会を盛り上げてくれた。こんな若い子が俳句を作っている。芭蕉の故郷と誇示している伊賀にも、若い俳人が育って欲しいと思った。私が指導している伊賀の小学生の中から将来の実力俳人が生まれてくれることを願わずにおられなかった。
 
  塵取りに蜂の巣ひとつ冬に入る
 
  立冬や朝より右の肩凝りて 
 
  石蕗の黄のひかり滴る真昼どき 
 
  武蔵野へ転居の知らせ十一月 
 
  空箱を畳み重ねて十一月
 
  自転車の突つ込んであり枯葎
 
  八つ手咲き沓脱石に青みさす 
 
  冬ざれや川に沿ひたる畦壊えて
 
  昼月を見て来しといふ枯野人
 
  綿虫のひとつ仏間へ入りけり
 
  草木はささめき合へる翁の忌
 
  しぐれ忌の頃小学生の芭蕉劇   
 
  蝶が喜々と飛ぶ小春日の心地良さを年寄りと喜び、山茶花の花びらを輝かす寒風を年寄りと寒がりながら日々を過ごしている。これが平穏と心より喜んでいる。年寄りとの話題は限られており、私の話など年寄りには興味ないだろうから、年寄りに合う話をしている。そして、年寄りの話には共鳴させられることが多く大いに興味が湧く私である。だが、かく言う私も年寄りの内に入るようで、若いスタッフに古臭いといつも笑われている。傷を治すのに寝ているとデイ利用者さんらは病かと心配してくれる。小規模多機能事業所となり二十二、三人の大家族の中に私もいるような気持ちで日々過ごしている。伊賀に木枯らし一号はまだ吹かない。紅葉も黄葉もまだまだのようだ。初霜は、初氷は、年々に季にも世にも疎くなって行くようで辛い。そんな日々だが母は変わりなく息災でいてくれることに何より感謝したい。