伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2013/05/29 15:52:10|その他
誕生日
  例年より早く昨日梅雨に入った。今年の梅雨は短いとか、まとまって雨が降るとか予測されているが果たしてどうなるだろうか。そして、梅雨明け後は猛暑とか。いずれにせよ被害がなく過ごしたいものだ。今日は私の誕生日である。外は風荒く小雨が飛んでいるが、偶に日も差してそんなに悪天候ではない明るい日であり気分はいい。もちろん誕生日を祝いに来てくれる人も居ないが、ゆっくりと心和ませてこれを書いている。今日はデイサービスを休んだ。私は介護保険制度ではなく、廃止された自立支援法の後の措置法によるサービスを受けて居る。それによればデイサービスは月25回が上限、実費を払うほどのこともなく月に一から二回は休まねばならない。多機能型となり、介護保健制度による母は毎日デイサービスを受けられるようだ。私たち障害者が待つ障害者新法はどんなものでいつ出来るのか。安倍内閣にはわれわれのような弱者のことは国益にはならないからと見向きされないのか。いや、憲法改正を念頭においている安倍首相、障害者の為になる世界から注目される画期的な新法を作ってくれであろうと期待したい。一年なんて本当に早いもの。還暦や六十代に入ったと思っていたらもう六十一歳、ああ〜老けたなあと思うことが増えてきたのは歪めない。テレビを見ていて、自分と同じぐらいの歳の俳優、歌手、芸能人などと何かと比べてしまうのは私だけか。還暦は祝いだと言われたが、人生の一つの節目には変わりなく何か不都合が、身体のどこかに歪みがくるかと案じたが無事に恙なく生きることが出来た。これからの一年も平穏に平常心で生きたいものである。誕生日の俳句は難しい。誕生日と前書きを付けられるならば、もう少し人を感動させられる奥の深い句が出来るかもしれないが、表に誕生日と入れると月並句になってしまうようだ。
 
  梅雨入りやわが誕生日を明日にして  
 
  誕生日の夜や芍薬の香の満ちて
 
  梅雨の蝶いつぴきでゐる誕生日 
 
  誕生日の夜や芍薬の迫りくる 
 
  強風によろけし雀誕生日 
 
  甘藷咲く巨人贔屓の誕生日 
 
  芍薬を嗅がせてもらふ誕生日 
 
  ひとり居や誕生日の風薫らせて
 
  誕生日を祝ぎすぐに去る梅雨揚羽 
 
  人妻の祝ぎの言葉や青葉闇
 
  一匹となりし目高や誕生日 
 
  梅雨の蝶見失ひたり誕生日 
 
  薔薇よりも芍薬が良し誕生日 
 
  じやが芋の花も好きなり誕生日
 
  誕生日も梅雨寒の日もすぐに往く
 
  こんな駄句ばかり多くならべられると読み手には迷惑で嫌気がさすだろう。俳句特有の季節感が喪失されてしまうのだ。感慨深い誕生日のはずだが、年々「今更誕生日だからどうや」と、その意識が薄れて行くのは当然だ。今年はゆっくり一人で静かに自分を見つめることが出来た。今夜は一人祝杯をと思うが、それすら自重せねばならないのか。前回の血液検査でヘモグロビンa1cの数値が急に悪くなり、昨日貰って来た結果も思わしくなかった。その上に尿酸値が高くて、アルコールに気を付けねばと言われた。いよいよ糖尿病が進んでいるようだ。母は機嫌よくデイサービスを受けて居る。薬も欠かさず飲み、スタッフさんに毎日健康を気遣ってもらっている。そんな母を見てると嬉しくなる。母の血液検査の結果表を見ると数値が全て正常値のゾーンに並んでいるのだ。デイにて記憶力ゲームをするとほとんど覚えられない母であるが、記憶と血液の正常とは関係ないらしい。同じことを何度も聞いてくるが、三回を五回まで我慢して答えてやろうと常に思っていのだが、なかなかそれが難しい。「すぐ忘れるアホやから、何度でも優しく教えてくれたらええんや、そんなに怒らなくてもええやろ」と母は言う。もっともであり母の言う通りだが………。







2013/05/11 20:27:40|その他
若葉から青葉へ

 漸く初夏の風が心地よく感じられるようになった。日々見る峰々が若葉から青葉へ濃くなって行く。若葉と青葉が混ざり木々それぞれの色を誇張し合って最も美しい時期だ。その峰に点在する余花が一際目を引く。藤の花が散り、牡丹が咲き始めた。わが拙いブログの更新も凡そ一ヶ月ぶりとなりいつものことながら情けない。しかし、一ヶ月で更新出来て有難い、出来ることに大いに感謝すべきなのだ。 今年の白藤は昨年剪定をしてもらえなかったので咲くだけ咲いた。花の数は十年にして最高であり青空へ盛り上がり、縦横に伸びては喜々と揺れていた。花期も長く利用者さんらにも堪能してもらえた。日はつれなく過ぎて行き季節は移って行く。私のことなど無視、無愛想である。まるで気の強い女のようである。前回は市議会選挙後であったが、その議員さんらも選挙戦において首が痛くなるほど頭を下げたことを忘れ、肩で切る薫風の心地良さに浸っておられることでしょう。開幕ダッシュのわが巨人軍も疲れが出て、無様な試合をここへ来て見せている。まあ、プロらしく捨て試合と認識し見事に負けていると思えば気分が楽でいい。気分が悪いのは私だ。あれから常の場所に常の傷が出来、十日間ぐらいで治った。そして四、五日今度は反対側に発生、もう焦らないぞ。仲良くお付き合いさせてもらうことにして気を取り直した。
 
   長寿よし笑顔なほよし春うらゝ 
 
   虎杖の油炒めを酒の当て
 
   目の玉の動くと思ふ螢烏賊 
 
   年寄りは可愛く在れよチユーリツプ 
 
   ひばり野の果てにありけり火葬場
 
   脇見せて雀の恋の激しかり 
 
   耳鳴りの奥処に浅蜊鳴きにけり 
 
   靴脱ぎしところ探すや亀鳴きぬ 
 
   雨の日を白藤点るごときかな 
 
   空へ空へ白藤の花盛り上がる 
 
   護憲派の声の小さき春炬燵 
 
   惜春や頭語に悩み手紙書く
 
   改憲派意気上がりたり夏は来る 
 
   柿若葉部屋の鏡にあふれをり 
 
   福耳と白髪の婆らみどりの日 
 
   はつなつや今も鉛筆舐める婆 
 
    カレー煮る匂ひに安堵子供の日
 
   手にのせて切りし豆腐や柿若葉 
 
   横たはる女の鎖骨夏来る
 
   牡丹見るうなじ毛深きをんなかな
  
   なんといふ声を発すや毛虫出て
 
   若葉から青葉へ夜の樹木かな
 
  世の中は何かと話題に困らないが、いずれもそう易く解決するものではない。アべノミクスの効果は引き続いて好調、円安が進んで株が高くなっている。それから、飲み屋にて、あるいは酒の席で憲法九条が酒の肴になったのは昔からであったが、今になり憲法改正論議が話題になって来たことに興味が湧く。護憲、改憲いずれにしても国民が興味をもち、若い者が憲法について考えることは良い事である。ちなみに私は改憲派である。護憲派の人で、九条を改正すれば徴兵制復活なんて言うが、そんなことはないと私は思う。周りの人で憲法改正について話し合う人も居ない。居てもゆっくり論議する暇がない。とにかく、「いつですか、今でしょう」とコマーシャルでも聞こえて来るではないか。母は恙なく居てくれる。忘れることは辛いけれど、忘れることは楽である。覚えようとしないでいい。老いることを、病むことを、悲しむひとを忘れて欲しい。そんな気持ちで母の寝息を聞いている。ああ、有難し。







2013/04/15 18:35:05|その他
山ざくら

 山ざくら今年の桜は色が薄く密ではなく疎で、満開になっても隙間が多くあり、枝の先にはもう葉が芽吹いているのであった。そんな印象の桜でしたが、今年も生きて桜を見られた事に感謝したい。四月も半ば、選挙の結果は意外と面白く、なんでこんなに得票数があるのと驚かせる人も居た。当選者はそのうち肩で風を切り、頭が高くなるであろう。プロ野球は私の贔屓する巨人の開幕ダッシュに気を良くしている。 昨日は珍しく日曜日なのに車いすで外へ出た。乗せ降ろしをしてくれるスタッフが居てくれることに感謝している。もう母にはそれだけの力が無く無理であるが、まだまだ出来ると口は達者だ。その気分だけでも有り難く、傍に居てくれることに感謝している。そんな母、デイサービスが終わるのを待ちかねて草を引きに庭や畑へ出て行く、まるで自分に定められた仕事のように。
 
  春愁や少し長めの猫の顔
 
  すかんぽや鼻先赤き畑をんな
 
  弥生野に大きく窪むひとところ
 
  花冷えや修正液の濃く匂ふ
 
  春炬燵亡父が来たり酒提げて 
 
  上げられて草の絮つく種俵 
 
  大風の後のさくらの傷深し
 
  この土手の墓地へつづけり桜狩 
 
  花の雲鳥の一むれ隠したり
 
  ごみ箱の蓋に落花の積もりけり 
 
  山桜泣く子の声の抜け来たり 
 
  母を連れ母に連れられ桜見に 
 
  しんがりの鳥のやうやく雲に入る 
 
  嶺晴れて浮かぶをちこち山ざくら 
 
  春暁の地震に目覚めし動悸かな 
 
  柿の芽の日毎膨らむいのちかな
 
  寝転ぶにほど良き丈の蓬かな 
 
  もの忘れ団子のことも花のことも 
 
  脇見せて雀の恋の激しかり  
 
  前略と拝啓を迷ふ花ぐもり 
 
  草引きの母の背中に蝶とまる  
 
  傷が無い今を頑張ってせねばならないことをしておこうと思いながら、性分か癖かなかなか出来ないでいる。俳句も月並句、駄句ばかりで物を見て作らない自分が嫌になる。しかし、愚痴は言わない。日々を不足に思うことはあっても、誰よりも生きられることに感謝している。毎日デイサービスを受けて年寄りと一緒に居ることを喜んでいるように、周囲の人から見られているかもしれない。この前、自分が編集している機関誌に拙文を投稿した。しかし、読んでくれた人も居ないようで落ち込んでいるのだ。そこで懲りずにアップしてみた。私の甘えた考えをどう思われるか知りたいのである。
 
 
    私のデイサービス     
                                     不冶人                       
  私は中途半端なデイサービス利用者、年寄りと言うにはまだ少し若い。しかし、身体は誰よりも不自由で、九十歳、百歳のお年寄りよりも動けないし多くの介護が必要である。そんな私でも、デイサービスを受けることが社会参加ではなく、社会復帰しなければならないと日頃から思っている。お年寄りの仲間に入れてもらい、同じメニューで毎日を過ごすのは不本意でならないが、長く車いすに乗っていると圧迫された部分が小さな傷、やがては床ずれとなる傷が出来るのである。それを防止する為に身を清潔にしておかねばならず、毎日の入浴と規則正しい生活が不可欠なのである。そんな日々、介護されるお年寄りの様々な情、性格、性分、癖、気質などを、そして介護士の情、性格などを目の当たりにしている。心が和むこと、痛むこと、悲しくなること、嬉しくなること、感心することなどが日常茶飯あふれており退屈しないのである。人と人のドラマを見ているようだ。そして、介護に奮闘の日々、時にはその難しさと厳しさ奥の深さを思い知らされ、嘆き悩まれておられる介護士が可哀そうになる。いい関係は他人以上、身内未満で、介護士は決して家族にはなりえないらしい。でも困っている人に他人事ではいられないようだ。また、お年寄りの性格を変えるくらいなら、猫に社交ダンスを教えるほうが簡単、どんなひねくれたお婆さんも頑固なお爺さんも、そうなるだけの生活歴がちゃんとあり、お年寄りの個性に介護士が合わせる方がはるかに簡単だと何かに書いてあった。介護という語は、世話をする側とされる側のお互いの気持ちの交流を考えて介助と看護を組み合わせて作ったという説がある。かねてより郷に入っては郷に従えと観念して来た。お年寄りの話を聞かせてもらい、お年寄りに可愛がられたいと思ってデイサービスを受けて来た。お年寄りを父母と思って過ごしている私なのだ。レクリエーション、体操、ゲームなど何をさせてもお年寄りの真似が出来ず歯がゆい限りであるが、そんなことは今更何とも思わない。しかし、時々これで良いのか、自分のしていることが嫌になり、スタッフさんに迷惑を掛けてしまう時があり申し訳ない。冷静で客観的な関わりより、共に泣いたり笑ったりする共感的関係を求めてしまう時があるようだ。これは良くないことだが、スタッフさんは、そんな私の気儘を優しく聞いてくれ、時には厳しく叱ってくれるのであり、感謝の気持で一杯である。冒頭でデイサービスは社会参加ではないと書いたが、考えてみると私の生活、私の暮し、活動する場がデイサービスであり、存在を誇示する大切なところなのである。感謝することに慣れると、ありがとうの言葉が少なくなるのが人の常であるが、私は感謝の気持を更新させるデイサービスにしたい。







2013/03/23 20:49:00|その他
選挙と桜
  三月を過ごして、今年ほど様々な花の咲く遅速を感じたことはなかった。俳句に関わり、季節に重きをおいた俳句作りを怠惰ながらも続けている者として驚いている。梅の開花が遅れ、桜の開花が東京などでは記録的に早いようだ。果たして伊賀はどうだろうか。チューリップやたんぽぽなども遅いようだ。山茱萸(さんしゅうゆ)、連翹(れんぎょう)、蘇苞(ずおう)なども遅れている気がする。早いのは沈丁花、馬酔木ぐらいかな。否、それは伊賀だけのこと、私が寒さに負けて、あるいは傷が出来ていた為に外へ出ずに、デイサービスと言う温床に引き籠っていたから、季節の移り変わりに疎くなり、草花や風雲との存門も疎かになっていたに過ぎないかもしれない。未だに鶯の声を聞いていない。先日、彼岸に入ったのでお寺へお供えを持って行った。久しぶりに見る在所のおばさんに、「虫と一緒で彼岸になったのでやっと出て来ました」と話をした。久しぶりに見る在所の光景は何も変わっていなかった。市議会選挙の真っ最中にしては静かで穏やかな春日和を満喫しながら墓地より帰る。その途中でひとりの候補者と会った。ああ〜えらい人に会ったと咄嗟に思った。車から降りてくるなり、「出直します、一からやり直します」と頭を米搗きバッタのようにして言うのだ。そして、手を合わせて何度何度も拝むのであった。その姿を目の当たりにして可哀そうに思えて仕方なかった。政治家業などもうやめとけば良いのに、違う道があるだろうにと。しかし、人間はときには過ちを起こすもの、その非を認め謝罪し禊をすれば許されても良いのではないだろうか。頭からその人を無視してはならないと、ふと思えて来て悲しくなった。さあ、この選挙が禊になるだろうか注目する。投票するかしないは別にして、その結果を見守ろうと思った。
 
 
  紅梅や遅れしだけの深さあり 
 
  すかんぽや鼻の先だけ赤き婆 
 
  鉄屑の錆の飛び散る花なづな 
 
  そつ気なくもの言ふ女春の塵 
 
  春耕のゆるやかに弧を描きをり 
 
  シヤボン玉弾けて赤子泣きにけり 
 
  沈丁の香の軽くなり雨晴るる  
 
  何するでなく土筆摘むと言ふ嫗 
 
  雨音に震へぺんぺん草咲けり 
 
  牡丹餅で焼酎を呑む彼岸明 
 
  大凡が煙りてゐたり春の山
 
  遠山も里山も春かすみけり 
 
  息子の死知らぬ百歳彼岸明く
 
  逆縁を知らぬ百歳春闌  
 
  改築の記念の桜咲きにけり
 
  今日は気温の割には肌寒く感じる日、風が冷たく戸外へ出ることを躊躇った。明日で彼岸が明けると言うのに少し寒さが戻ったようだ。そんな窓の外を見ると燕が飛び交っており、蝶々が喜々と飛んでいた。春は選抜からと高校野球が始まり、荒れる春場所も二日を残し白鵬の優勝決定。私はその夕方に郵便投票を済ました。郵便投票制度のおかげで、苦労せず選挙権を公使できることに感謝しながら。投票用紙を請求する際、投票して返送する際の返信用封筒には宛先も記載され、切手まで貼ってくれてあるのだ。障害者への配慮を喜びたい。今回の選挙で伊賀市がどれだけ変化するか、大いに楽しみである。美しく艶やかな桜が見られる人は良いが、悲しく褪せた桜を見なければならない10人は気の毒である。伊賀の桜、その蕾はまだまだ硬く、例年の開花時期と変わらないだろうと私は予測している。母は元気で有難い。利用者が持ち込む風邪を貰わないで欲しいと願っている。私は傷の無い今を喜びたい。しかし、感染し易い私の身体の陰に予期せぬことが起こっている。早く沈静して欲しいものだ。「 しらふじの里」は多機能型となり一年が経過、スタッフは益々多忙で勤務は極めてヘビーローテーション、心身の疲れが案じられてならない。しかし、改築祝いに頂いた川津桜を見ると、その将来はきっと充実しスタッフの心にもゆとりが出来るだろうと信じたい。







2013/03/10 20:59:49|その他
春半ば
  バレンタインデーの日に更新してより早やひと月、二月はまさに逃げる月だった。傷が治って喜んでいたら27日の夕べに傷が出来ているのを知る。朝、入浴後は出来てなかったのに………。何も悪いこと、無理はしていないのに何てこった。近くの医院を受診、三時間車いすに乗り、休憩の後デイへ。尻を四時間ほど圧迫させているだけで傷が発生するのだ。3月1日に市内の小学校へ行くことが心配になるも、どうしても行かねば、ある種の使命感が湧いて来てならなかった。子供たちが待ってくれていると、汗ばむのは仕方なく傷に良くないに決まっていたが無事に終えることが出来て嬉しかった。その後、「しらふじの里」を借りての句会、それは桃の日であった。そして、啓蟄を過ぎると急に温かくなり、梅や桜の便りが聞えて来ると無性に外へ出たい思いが募りだしたが出られず。その後はベッドにて傷の治癒に専念、早くも弥生半ばとなってしまった。今日で震災から丸二年が経ち、復興の進み具合が懸念されているようだ。荒んだ画像を見るたび胸を傷め、人の絆に感涙し胸を熱くしてきた。三年目の復興にあたり政治の決断と行動が一層問われるだろう。
 
  靴帽子春はどちらを気にします
 
  春なれや紐で吊る服干してをり 
 
  はこべらや熟睡あとの眠気なる 
 
  生き物の泡浮かびくる春の川 
 
  啓蟄の風出て雲の流れけり 
 
  日溜まりは土の匂ひや花なづな 
 
  三月や楢よりくぬぎ煙りゐて
 
  紙雛と目高の餌や窓の桟
 
  うぐひすや錦糸卵をちらす寿司
 
  ときどきは凭れ合うたり紙の雛
 
  桃の日や胸の真白き雀どち
 
  我よりも先に出てゐる地虫かな
 
  汚れては傷付きにけりうかれ猫 
 
  つちふる日捗らぬ稿の一つあり
 
  弥生野へ弾み弾けし園児かな 
 
  護憲派の声の小さき春炬燵 
 
  市内の小学校へ俳句指導に行ったときに会った全盲の子のことが今も印象に残っている。一年生36名、2クラス一緒に聞いてくれた。一年生の子供さんへの俳句指導は難しく、おとなしく聞いてくれないだろうと思うも、高校の同級生である校長の頼みは断れず喜んで行かしてもらった。心配は見事にはずれ、落ち着きのある一年生で話をよく聞いてくれる態度に驚かされた。私の話の後で作ってくれた俳句はそれなりであったのが少し無念だったが。全盲の子が通学している話は校長より聞いてあり、帰りに握手をしながら「俳句を好きになってや、電動車椅子ってこんなんやで、触ってみて」と話した。義眼を光らせて、興味深そうに車いすの前から横を触り、方向を変えるレバーを握って動かしていた。この子が居るからこの一年生は纏まりがあるんだなと思った。また、担任の先生の父親がこれまた高校の同級生であった。3月で退職する校長に労いの言葉をかけて帰った。傷には悪くなったかもしれないが、自分の存在を少し誇示出来たという充実感が実に心地よかった。常の事だが、世の中への恩返しの真似が出来た喜びに浸れた。一週間経てば春の彼岸である。傷を治して梅と桜、諸々の花を愛でたいと思う。花粉、春塵、春埃、黄砂、PM2.5と戸外にはいろいろ飛んでおり、大きな鼻の穴を持っている私には外へ出るのは要注意かも。しかし、そんなハイカラな今風の症状は見られない。周りの人は花粉症やと鼻水、くしゃみ、目のかゆみが酷くて可愛そうになる。鈍感で粗雑な者には縁の無い病気かと思っていたら、テレビで猿がくしゃみをしながら痒い目を擦っているのを見て思った。猿よ、お前も……、お前はそんなに繊細なのか。傷を治して弥生半ばを恙なく生きたい、読者のろみなさんと共に。母よ、今より悪くなるなよ。母子して、周りの人に可愛がられて生きて行こう。