山ざくら今年の桜は色が薄く密ではなく疎で、満開になっても隙間が多くあり、枝の先にはもう葉が芽吹いているのであった。そんな印象の桜でしたが、今年も生きて桜を見られた事に感謝したい。四月も半ば、選挙の結果は意外と面白く、なんでこんなに得票数があるのと驚かせる人も居た。当選者はそのうち肩で風を切り、頭が高くなるであろう。プロ野球は私の贔屓する巨人の開幕ダッシュに気を良くしている。 昨日は珍しく日曜日なのに車いすで外へ出た。乗せ降ろしをしてくれるスタッフが居てくれることに感謝している。もう母にはそれだけの力が無く無理であるが、まだまだ出来ると口は達者だ。その気分だけでも有り難く、傍に居てくれることに感謝している。そんな母、デイサービスが終わるのを待ちかねて草を引きに庭や畑へ出て行く、まるで自分に定められた仕事のように。
春愁や少し長めの猫の顔
すかんぽや鼻先赤き畑をんな
弥生野に大きく窪むひとところ
花冷えや修正液の濃く匂ふ
春炬燵亡父が来たり酒提げて
上げられて草の絮つく種俵
大風の後のさくらの傷深し
この土手の墓地へつづけり桜狩
花の雲鳥の一むれ隠したり
ごみ箱の蓋に落花の積もりけり
山桜泣く子の声の抜け来たり
母を連れ母に連れられ桜見に
しんがりの鳥のやうやく雲に入る
嶺晴れて浮かぶをちこち山ざくら
春暁の地震に目覚めし動悸かな
柿の芽の日毎膨らむいのちかな
寝転ぶにほど良き丈の蓬かな
もの忘れ団子のことも花のことも
脇見せて雀の恋の激しかり
前略と拝啓を迷ふ花ぐもり
草引きの母の背中に蝶とまる
傷が無い今を頑張ってせねばならないことをしておこうと思いながら、性分か癖かなかなか出来ないでいる。俳句も月並句、駄句ばかりで物を見て作らない自分が嫌になる。しかし、愚痴は言わない。日々を不足に思うことはあっても、誰よりも生きられることに感謝している。毎日デイサービスを受けて年寄りと一緒に居ることを喜んでいるように、周囲の人から見られているかもしれない。この前、自分が編集している機関誌に拙文を投稿した。しかし、読んでくれた人も居ないようで落ち込んでいるのだ。そこで懲りずにアップしてみた。私の甘えた考えをどう思われるか知りたいのである。
私のデイサービス
不冶人
私は中途半端なデイサービス利用者、年寄りと言うにはまだ少し若い。しかし、身体は誰よりも不自由で、九十歳、百歳のお年寄りよりも動けないし多くの介護が必要である。そんな私でも、デイサービスを受けることが社会参加ではなく、社会復帰しなければならないと日頃から思っている。お年寄りの仲間に入れてもらい、同じメニューで毎日を過ごすのは不本意でならないが、長く車いすに乗っていると圧迫された部分が小さな傷、やがては床ずれとなる傷が出来るのである。それを防止する為に身を清潔にしておかねばならず、毎日の入浴と規則正しい生活が不可欠なのである。そんな日々、介護されるお年寄りの様々な情、性格、性分、癖、気質などを、そして介護士の情、性格などを目の当たりにしている。心が和むこと、痛むこと、悲しくなること、嬉しくなること、感心することなどが日常茶飯あふれており退屈しないのである。人と人のドラマを見ているようだ。そして、介護に奮闘の日々、時にはその難しさと厳しさ奥の深さを思い知らされ、嘆き悩まれておられる介護士が可哀そうになる。いい関係は他人以上、身内未満で、介護士は決して家族にはなりえないらしい。でも困っている人に他人事ではいられないようだ。また、お年寄りの性格を変えるくらいなら、猫に社交ダンスを教えるほうが簡単、どんなひねくれたお婆さんも頑固なお爺さんも、そうなるだけの生活歴がちゃんとあり、お年寄りの個性に介護士が合わせる方がはるかに簡単だと何かに書いてあった。介護という語は、世話をする側とされる側のお互いの気持ちの交流を考えて介助と看護を組み合わせて作ったという説がある。かねてより郷に入っては郷に従えと観念して来た。お年寄りの話を聞かせてもらい、お年寄りに可愛がられたいと思ってデイサービスを受けて来た。お年寄りを父母と思って過ごしている私なのだ。レクリエーション、体操、ゲームなど何をさせてもお年寄りの真似が出来ず歯がゆい限りであるが、そんなことは今更何とも思わない。しかし、時々これで良いのか、自分のしていることが嫌になり、スタッフさんに迷惑を掛けてしまう時があり申し訳ない。冷静で客観的な関わりより、共に泣いたり笑ったりする共感的関係を求めてしまう時があるようだ。これは良くないことだが、スタッフさんは、そんな私の気儘を優しく聞いてくれ、時には厳しく叱ってくれるのであり、感謝の気持で一杯である。冒頭でデイサービスは社会参加ではないと書いたが、考えてみると私の生活、私の暮し、活動する場がデイサービスであり、存在を誇示する大切なところなのである。感謝することに慣れると、ありがとうの言葉が少なくなるのが人の常であるが、私は感謝の気持を更新させるデイサービスにしたい。