伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2015/09/15 22:46:10|その他
身に沁みる秋風

  急に秋めいて残暑が知らぬ間に無くなっていた気がします。更新がまたまた遅れ今になってしまいました。何も忙しい目をしていないのに。台風18号も伊賀からは遠く反れてホッとしました。鳥羽などは大雨の被害があったようです。そして、茨城、栃木、宮城と水害が発生しました。特別大雨警報発令という語も最近多く使われるようになりました。怖いです。その点伊賀は今のところ大した自然災害が無く有難いと感謝しています。箱根山の噴火騒ぎが話題になっていたが、突然阿蘇山が噴火して驚かされました。地震は毎日どこかで発生しています。いつ何が起こるか解りません。真面目に一生懸命生きているのに、何も悪いことをしていないのに被害に遭うのは実に悲しく納得できないことでしょうね。しかし、被災者は「家は毀れ流されてしまいましたが命があって良かったです」と答えておられるのを聞くと胸が痛くなります。そして、宮城の人だったか、「津波の後三年でやっと平穏な生活に戻れたのにまた水害で………、もうお金が無い」と泣いておられたのが頭から離れません。いつ自分の身にも起こりうる自然災害、亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げたいです。
 
 醤油壜の底の汚れや秋ついり 
 
 戸袋の節穴鳴らす芋あらし
 
 倒伏の早稲田に渦を巻くところ
 
 みな底を石の転がる秋出水
 
 水中をすばやき魚や涼あらた 
 
 くず籠の破れ貌出すきりぎりす
 
 溶くるほど透けて冬瓜煮上がりぬ 
 
 起こされて顔の破れし大案山子 
 
 橋の上のひとり消えたり秋の風 
 
 虫食ひし鬼灯の珠見えてをり
 
 肌合の良き伊賀焼や秋明菊 
 
 花葛の群がり荒るる村境 
 
 薬飲む白湯美味きかな秋海棠 
 
 里芋の茎をせんばと言ひし伊賀 
 
 鰯雲仰ぎて猫のよろけたり
 
 硝子器に抜き菜のサラダ綾子の忌
 
 うす闇に活けて真白きさねかづら  
 
  今月の十日には、芭蕉祭顕詠俳句の選、今年は小学四年生から六年生の作品を選んで来ました。一学年、およそ三〇〇〇句の中から特選三句と入選五十句を五人で選ぶのでした。毎年、子供らしい感性に驚嘆、そんな句に出会えるのを楽しみに選句するのですが、なかなか作者の気持と触れ合うことが出来ませんでした。「かき氷一気に食べたら頭いた」という様な内容の句が実に多く、夏休みと花火など季語が二つ入っている句が数多ありました。学童の俳句指導をさせてもらっている手前、心の無い句、季語重なりの句や無季の句が多いことを嘆かずにはおられないのです。「なんでやろう、四年より五年、そして六年と段々悪くなるのは」と呟いてしまい、悲しくなりました。しかし、寡作ばかりであれば選句がもっと長時間かかります。選者にとっては有難いことと笑って済ます事にしておきます。子供たちの国語力はかなり低下しており、俳句への関心も希薄になっています。 関心が無いと言えば、いろいろな世論調査の結果で「わからい。どちらとも言えない」という項目が多数を占めることが多い。そもそも無関心な人に回答を求める点がおかしい。安保法案についても解らない人がまだ多い。訳が解らず「戦争法案、憲法違反法案」と反対する人が多いことが不思議です。いよいよ成立か廃案か決まります。果たしてどうなることか。いずれにしても戦争を肯定する日本人は一人もいないと私は思っている。そして、この法案の重要性が解るし、愛国者の私ですが十七日に強行採決されるのは少し抵抗があります。 







2015/08/13 22:47:02|その他
盆三日
  昔から盆三日と言って十三日、十四日、十五日と盆の行事が行われた。子供の頃、祖母や母が様々な仏事を忙しく熟して居たことを思い出す。迎え火を焚き仏具を洗い、いろいろな供え物を用意した。三日間の仏の食事も何かとその土地によって違っているようだ。しかし、年々簡素化され廃れて行く。わが家などは殆ど何も行っていない。ただ溝萩を挿して、ボタ餅とコロ粒(小さな団子)、果物を供え棚経の僧を迎えるのである。その買い物も人のお世話になって。三日間、仏と同じ物を食べたことを思いだす。それが意外と美味かったことを覚えている。柿の葉などを器にして仏の飲食を供えるという、まるで飯事のようなことをしていたことも思い出される。 今年は昨日十二日の午前中に和尚が棚経に来てくれた。母と僧の後ろで神妙にしいていた。これで盆が済んだ気がしてホッとした。初盆の家への棚参りは昨日人に頼んだので気が楽である。母は五年前に菩提寺へ入ってくれた和尚に今年も初めて会ったような挨拶をして辛かった。しかし、私よりましでちゃんと礼を言い御布施を渡してくれた。デイサービスを受けているお年寄りの殆どは仏事など頭中に無いようだ。それを思えば有難いことであり、多忙なワーカーを煩わさなくて済み喜んでいる。
 
  庭手入れして盆の僧迎へけり
 
  盆僧の光るつむりのありがたし
 
  鬼灯のふたつ点りし小仏壇
 
  過去帳読む声生き生きと盆の僧
  
  盆三日暑い暑いと過ぎにけり
 
  盆三日日暮れは草を引く嫗
 
  仏との早き飲食盆三日
  
  戸袋へ雀飛び込む敗戦忌
 
  盆が来る前に広島、長崎の原爆忌があり盆の十五日は終戦(敗戦)記念日である。今年は安保法制が国会で成立されるか否かと騒がれている為か、あるいは戦後七十年という節目の為か戦争への関心が高まっている。安保法案への私自身賛否ははっきりしているが、国民は様々である。しかし、世論調査を見ると、関心が無いとか、わからないがなんと多いことかと落胆させられる。だが、安保法案の文言が難しくて解らないだろう。中学生でも理解できるような文章なら良いのだが。いずれにせよ、すぐ戦争になるというのは極論である。この先どうなるのだろうか。また、安倍総理大臣談話がどんな内容になるか興味深い。村山談話、小泉談話とは違う安倍総理の談話を期待したい。七十年を経ても常にお詫びし続けなければならないのか、この先永遠に。歴史的事実は否定せず国民すべてが謙虚に反省して、国際的恒久平和の為に生きて行く日本国民であれば良いのではないか。







2015/07/08 23:53:21|その他
七夕
  今日は七夕である。更新してより一ヶ月が瞬く間に過ぎてしまい、常の虚しさが襲い来る。七夕祭も生憎の天候であり星合も見られない。天の川なんてもういつから見ていないだろうか。車いすで夜間外へ出る機会は滅多になく、今年は螢を見に行くこともなかった。「おこたりいさむる………」の毎日と言えよう。「しらふじの里」でも願い事を利用者が書いて飾ってある。ところが、七夕竹を伐って来なかったらしく、やはり見栄えがせず淋しい感じがしてならない。しかし、それが雨の七夕に似合っているかもしれない。「母が長寿で私の抱き続けて来た大きな夢を叶えて欲しい」などと無謀な願いを短冊に書いた。七月に入り、今年統合された小学校へ障害者としての話をして来た。昨年行った学校だが名前が変っていた。昨年は13人ほどの五年生に、今年は統合された五年生17人に話を聞いてもらった。統合された後のこの生徒数には驚かされた。毎年のことだが、みんな真剣に聞いてくれて嬉しかった。私にはこの人数がお似合いかもしれないと思った。
 
  母と子の一部屋明りしゃらの花 
 
  一輌の電車四葩を煽りけり  
 
  欄干の苔舐めてをり昼螢 
 
  乱鶯の伊賀谷渡り山渡り 
 
  沢蟹の闘ひや目を吊り上げて 
 
  藻の花の咲くやいくつか泡浮かべ 
 
  演じ手のかひなの汗や紙芝居 
 
  くちびるに触れて曇れりさくらんぼ 
 
  雨蛙鳴く夜や酒の酔ひ易し 
 
  斑猫の振り返るなり父の墓 
 
  向日葵の芯に力のみなぎれり 
 
  いと易く忘れ涼しき顔の母 
 
  神の池契る真鯉の影涼し 
 
  七夕の願ひは母のことに尽く 
 
  星合ひの空を眺めむ人が欲し 
 
  惜命の七夕飾り雨に濡れ  
 
  今日も雨、梅雨末期の豪雨が危惧される。梅雨の暗い底にあって、なでしこジャパンが準優勝と健闘したことが明るい話題だ。明日は母校へ俳句指導に行かせてもらえる。三年生が相手であり理解してもらえるか不安である。たかが俳句ではあるが、子供さんの柔軟な頭に俳句が良い印象を与えるか難しい点だ。とにかく、与えてもらえた機会、今国語力が低下していると言われている子供たちに俳句という極めて短かい詩を好きになって欲しいと思う。一人に一句作ってもらい見せてもらうことになっているが、どんな句と会えるか楽しみである。







2015/06/04 23:09:00|その他
時鳥

 最近、ほととぎすの鳴き声を聞かない日はない。晴れの日も雨の日も風の日も、わが家の前山に生息しているらしく飛びながら忙しく激しく鳴いているのだ。朝から夜まで、夜更けに目覚めると鳴いており朝四時頃にも鳴いている。テッペンタテタカとかトッキョキョカキョクなどと聞きなすホトトギスであり、時鳥とか不如帰、あるいは杜鵑と書くようだ。信長、秀吉、家康の「鳴かぬなら………」が、そして嵐雪の「目に青葉………初鰹」の句が脳裏に浮かぶ人が多いだろう。それよりも私は杉田久女の「谺して山ほととぎすほしいまま」の一句を諳んじながらの日々である。早くも六月であり、やはり更新してより1ヶ月が経ってしまった。覗いてくれる人には大変申し訳無い。その間に「つつじ祭」、「障害者友の会の吟行会」などの行事があり参加した。つつじ祭は選者として投句箱の傍に師と据わって居た。指導することもあまりなかったが出会う人が私の身を厭うてくれることが有り難く、沢山の人々に会えて自分の存在を少しは誇示出来て嬉しかった。三十一日には障害者とボランティアさんとの一五名で隣村の「さるびの温泉」へ。青葉若葉の重なる山道を俳句を作りながら山の湯へ向かった。会員十名の小さな会の年に一度の大イベントを無事終えてホットしている。その前に、六十三歳の誕生日を元気で迎えた。この歳になれば誕生日は全く気にならない。しかし、「しらふじの里」の利用者さんに、スタッフの手作りケーキを食べながら誕生日の歌を唄って祝ってもらった。九十歳から百三歳のお婆さんに祝ってもらった私は大いに感動したが、お婆さんらに若さと精気を吸い取られているような気がしたのだった。
 
 和太鼓の響きに零る山つつじ
 
 山つつじ今年ほむらのいろ極む
 
 もちつつじ乳白色としろ色と  
 
 時鳥に何んと応えむ畑の人 
 
 夕まぐれ忙しく飛んでほととぎす 
 
 ほととぎす今中天を鳴き過ぐる
 
 切通し頻りに啼けりほととぎす 
 
 芍薬の白を極めむ誕生日
 
 誕日やじやが芋の花揺れ止まず
 
 芍薬はわが誕日を待てず咲く 
 
 木天蓼の花に声上ぐ峠みち 
 
 山の湯へ車窓はなべて青嶺なり 
 
 川に沿ひ青嶺に向か湯の宿へ 
 
 青嶺村猿蓑峠見上げたり
 
 梅雨入りを思はす暗さ雨の憂さ    
 
 ほととぎすが今夜も鳴いている。この鳥は托卵(たくらん)する習性がある鳥で有名で自分で子育てはしない。郭公などの巣に子供を産むという。何も知らないで他の鳥が抱いて孵らせるのだ。そんなことを聞くと、しきりと鳴く時鳥は誰かに何か断りを、あるいは何か言い訳をしているように聞こえてくるのだ。そして、怠け癖のついている私には叱られているように聞こえてならないのだ。還暦を迎えてより二年が経ってしまい三年目に、余った年とは言えひたすら感謝して生きたい。母はやはり覚えが悪くなって行くようだ。叱ったらあかん、ボロカスいうたらあかんと自分に言い聞かしている。梅雨入りも真近い伊賀である。日々見ている青嶺が実に美しく、心が大いに癒される気がする。雨が似合う紫陽花が咲き初めた。  茶の道に長けた友達よりいろいろな花をもらったが、その名前が解らなくて恥ずかしいのだ。







2015/05/05 19:40:00|その他
憂き連休

  更新を気にしている内に、世の中はゴールデンウイークに入ってしまった。今年の四月は雨の多い月で桜が咲いてより雨の降る寒い日が続いた。それで早く咲いた桜も長持ちしたようであったが、外へ出て桜の下で憩うことはなかった。雨が続く内に木の芽が解れ、知らぬ間に若葉の季節になっていた。毎日が休日のような私、ゴールデンウイークも変化が全くない。峰々は若葉に満ち早や牡丹が咲き崩れ、立夏を待たずに早くからすっかり夏である。話題と言えば、ネパール地震が悲惨であり、ミラノでは万博が開催された。食がテーマとかで伊賀市からも出店されるとか。イギリスのウイリアム王子に第二子になる女児が誕生され、シャーロック・エリザベス・ダイアナと命名された。世界の話題もいろいろあるが、私についての話題は情けないがほとんど無い。ただ平凡に感謝して過ごせることに満足しいる。
 先日、テレビのニュースを見ていたらミラノ万博へ伊賀市も出展することが放映されていた。出展期間は6月末の3日間。「伊賀流忍者の精神と食文化」をテーマに、忍者ショーの披露や地域名産の和菓子、伊賀酒、漬物の他、伊賀焼と伊賀くみひもによる食器類を展示し、世界に情報発信するということだ。市民にとって嬉しいことである。最近、伊賀市においての忍者関係の情報がよく紹介されている。伊賀市を訪ねて忍者になろう。衣装を付けて忍者気分を楽しもうと宣伝、外国人などは大喜びだろう。衣装を付けられた犬が、私には辛そうに歩いているように見える。犬に聞いてみないと解らないが、少し悲しくなった。俳句に関わっていると芭蕉の伊賀市ではなく忍者の伊賀市が定着してしまうのを危惧する。まあ、私の様に芭蕉を崇拝し慕い、芭蕉の俳句を愛する者はほんの一部の市民であって、市長をはじめ多く人々が経済効果、町の活性化のために芭蕉より忍者を良しとするのは当然と観念せざるを得ない。だから、一人つぶやくだけだが、それにしても何となく軽く、価値観の相違ということで済ましてしまって良いものかと思ってしまうのだ。
 
  下萌えて少女の脚の細長き
 
  世の中に土筆の群れて眠たかり
 
  勿体無いが婆の口癖四月馬鹿
 
  雨の日を籠るや貝母の花を見て
 
  花の雨白身魚をてんぷらに
 
  しら藤の絡まり解けぬ房と房 
 
  つつじ野へ一本細き砂利の道
 
  カレー食ふ辛さに春を惜しみけり 
 
  闘犬の幟はためく若葉風 
 
  橋渡る瀬より吹き上ぐ風薫る
 
  蝮草束の間に空暗くなる 
 
  草木の匂ひあふるる聖五月 
 
  青空の濡れてゐるなり大でまり
 
  大牡丹真向かひにして火照る顔 
 
  虚ろなる五月の空を見るをんな
 
  はつなつの風にあづけし額髪 
 
  今日は子供の日であるが、私の周りは年寄りばかりである。それも平均九十歳ぐらいと高齢者ばかりなのだ。最近子供の姿を見ることが少なくなった。「しらふじの里」へ遊び来る子も無くなってしまった。かつての、年寄りと子供が一緒に居る微笑ましい光景が懐かしい。わが母はそう変化なく息災で居てくれる。先日、母の血液検査結果表を見て、印が総て正常値の欄に付されているのに感心させられた。願わくば、これ以上忘れることが酷くならないで欲しいものである。これからも母あっての私なのだ。友が送ってくれた花の写真を添えた。