更新を気にしている内に、世の中はゴールデンウイークに入ってしまった。今年の四月は雨の多い月で桜が咲いてより雨の降る寒い日が続いた。それで早く咲いた桜も長持ちしたようであったが、外へ出て桜の下で憩うことはなかった。雨が続く内に木の芽が解れ、知らぬ間に若葉の季節になっていた。毎日が休日のような私、ゴールデンウイークも変化が全くない。峰々は若葉に満ち早や牡丹が咲き崩れ、立夏を待たずに早くからすっかり夏である。話題と言えば、ネパール地震が悲惨であり、ミラノでは万博が開催された。食がテーマとかで伊賀市からも出店されるとか。イギリスのウイリアム王子に第二子になる女児が誕生され、シャーロック・エリザベス・ダイアナと命名された。世界の話題もいろいろあるが、私についての話題は情けないがほとんど無い。ただ平凡に感謝して過ごせることに満足しいる。
先日、テレビのニュースを見ていたらミラノ万博へ伊賀市も出展することが放映されていた。出展期間は6月末の3日間。「伊賀流忍者の精神と食文化」をテーマに、忍者ショーの披露や地域名産の和菓子、伊賀酒、漬物の他、伊賀焼と伊賀くみひもによる食器類を展示し、世界に情報発信するということだ。市民にとって嬉しいことである。最近、伊賀市においての忍者関係の情報がよく紹介されている。伊賀市を訪ねて忍者になろう。衣装を付けて忍者気分を楽しもうと宣伝、外国人などは大喜びだろう。衣装を付けられた犬が、私には辛そうに歩いているように見える。犬に聞いてみないと解らないが、少し悲しくなった。俳句に関わっていると芭蕉の伊賀市ではなく忍者の伊賀市が定着してしまうのを危惧する。まあ、私の様に芭蕉を崇拝し慕い、芭蕉の俳句を愛する者はほんの一部の市民であって、市長をはじめ多く人々が経済効果、町の活性化のために芭蕉より忍者を良しとするのは当然と観念せざるを得ない。だから、一人つぶやくだけだが、それにしても何となく軽く、価値観の相違ということで済ましてしまって良いものかと思ってしまうのだ。
下萌えて少女の脚の細長き
世の中に土筆の群れて眠たかり
勿体無いが婆の口癖四月馬鹿
雨の日を籠るや貝母の花を見て
花の雨白身魚をてんぷらに
しら藤の絡まり解けぬ房と房
つつじ野へ一本細き砂利の道
カレー食ふ辛さに春を惜しみけり
闘犬の幟はためく若葉風
橋渡る瀬より吹き上ぐ風薫る
蝮草束の間に空暗くなる
草木の匂ひあふるる聖五月
青空の濡れてゐるなり大でまり
大牡丹真向かひにして火照る顔
虚ろなる五月の空を見るをんな
はつなつの風にあづけし額髪
今日は子供の日であるが、私の周りは年寄りばかりである。それも平均九十歳ぐらいと高齢者ばかりなのだ。最近子供の姿を見ることが少なくなった。「しらふじの里」へ遊び来る子も無くなってしまった。かつての、年寄りと子供が一緒に居る微笑ましい光景が懐かしい。わが母はそう変化なく息災で居てくれる。先日、母の血液検査結果表を見て、印が総て正常値の欄に付されているのに感心させられた。願わくば、これ以上忘れることが酷くならないで欲しいものである。これからも母あっての私なのだ。友が送ってくれた花の写真を添えた。