伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2015/03/14 23:15:54|その他
春は曙
  弥生三月も半ばを過ぎてしまった。場所によっては、土筆も蕗の薹も早やくも長けている。一本あるだけのわが家の紅梅は満開、梅は五六分か。月ヶ瀬の梅は三分とか聞くと伊賀は寒いなと思ってしまう。今日でお水取りが終わる。そして、今日はホワイトデーである。私もお返しのクッキーを用意した。しかし、お返しを渡すのがなかなか難かしい。くれた人とくれない人が居るためにコソコソとせねばならない。しかし、そこに楽しさと面白さがあると言えよう。義理チョコとは言え貰うことは嬉しく、貰えば返す義理があるのだ。ああ、それにしても私の日々は平凡で変化はない。世間では県知事選・県会議員選が近付き、なにかと騒がしくなって来たようである。選挙となると、今まで全く音沙汰無のなかった人が突然訪ねてくれる。「ちょっとも顔見せんと、こんな事で来て申し訳ないです」と、よく解っているではないかと思ってしまう私である。そして、投票すると決めては居なくても、「解ってますよ。頑張ってや、当選したら何かとお世話なります」と言ってしまうのである。当選しても何も役に立ってくれないだろうと諦めながら。国政に携わる政治屋さんも品がなくなりつつある。国益なんて本当に考えておられるのだろうか。野党は与党の批判をすることが仕事か。新しい大臣をいじめることが嬉しいらしい。言葉尻、失言を探し、こことばかりに責め退陣を迫る。大臣だけに終わらず政務次官にまで。路チュを批判し、揚句には入院先での喫煙にまで普及してくるのである。まるで校則に違反した生徒のようだ。そして、それを採りあげるマスコミ、いちいち謝罪する議員、情けなくて笑って仕舞う。「恥を知れ」と小さな声で言いたいのだ。真から国を愁い国の為に命を懸ける真の政治家も沢山おられるのだろうに。
 
 土芳しけんけんをして靴を履く 
 
 雨の日は月瀬の梅の話など 
 
 爺ふたり芭蕉と曽良の春野かな 
 
 雛の日の錦糸玉子や藍の皿 
 
 梅ほぐる樋の破れ洩る雨の音 
 
 なぜこんな所より出し春の水 
 
 雛菓子をつまみ語るやテロのこと 
 
 春の野や猫背を少し伸ばし出む 
 
 地虫出づ日の天井を見て病めり 
 
 山茱萸のひと枝触るる床ばしら 
 
 啓蟄や婆はなかなか意固地なる
 
 啓蟄や紐のごと出るマヨネーズ
 
 蕗のたう見つけるだけで帰りけり
 
 がまぐちの口金錆びし霾曇り 
 
 料峭や病む師が鬼のかく乱と 
 
 岩海苔の空壜に挿すつくづくし 
 
 野梅咲き月の明るき雑木山
 
 春雨の傘挿し上げて別れけり
 
 朝すずめおどけし春の雪一寸 
 
 春雷や婆の頬杖はずれたる
 
 風に日に雲に紅梅咲き初めむ
 
 息一杯吐きて梅の香吸うてをり 
 
 春眠や海老寝の母の小さくて 
 
 春はあけぼの母は鼾を掻いてをり  
 
  これは私の独り言に過ぎない。もちろん俳句も独りごとのようなものである。間もなく彼岸、本格的な春の到来にまたまた気が緩みそうだ。春はあけぼの、春眠の母の寝息を聴いていてつくづく思う。春眠暁を覚えずと言われるが、母をぐっすり寝かしてやらずに、「何して、あれして、これして」とこき使う私、申し訳なくなる。今さっきのことが覚えられない母を、未だに頼りにしているのだ。我儘な私はこれ以上進まないで欲しいと祈らずにはおられない。最後に、前回書いた死体遺棄事件の続報に接しておこう。あまり話題にならないが、遺棄した母親の胃の中には何も入って居なかったとか、衰弱死させたわけで実に情けない。どんな理由があれ、わが住む市内に起こった事例に至極憤りを感じる私である。当事者よりもその周囲の人々に。







2015/02/15 23:33:00|その他
春光り
  春は名のみという早春譜、立春を過ぎてより何度も寒波が到来し、春めく気分があまり感じられない。もう蕗の薹が出ているかな、鶯はまだか、金縷梅は蝋梅は山茱萸はなどと本格的な春をまるで吉報を待つごとく待っているのである。まだそんな純心さがあったのかとおかしくなりながら過ごす私の昨今である。しかし、確実に春めいている。外へ出て見れば春が溢れているだろう。イスラム国に拘束された湯川さん、後藤さんの殺害事件の話も今は何も言われなくなった。悲しいことである。「安倍よ」なんて名指ししてこれからどうなることかと心配したけれど、今のところ何も起こって居ない。日本人をターゲットにしたテロが起こらない事を願いたい。安倍総理が恥を掻いただけで済めばいいし、ああ良かったと安堵することが出来ればいいが。これは世界的規模の話題であったが、先日地元の伊賀市の50歳の女姓が死体遺棄で逮捕された事件に驚嘆させられた。なんで遺棄なんかするのか解らない。警察の調べでは死亡してより遺棄、「死体を捨てたことに間違いありません」と容疑者が供述しているとか。自分の住む町での事件だけにショックが大きい。相談する人が居なかったのか、半年前から寝たきりの母親を介護するのに行政や社協が何も関与していなかったのかと思ってしまう。何もかも一人で処理し公的介護などは受けていなかったのか、民生委員の把握がなかったのかなどといろいろと勝手なことを憶測してしまうのだ。自分の住む伊賀市だけに当然関心が増すと共に、これから世間の話題になろう。頭の良い50歳、それも薬剤師をしていると聞くと死亡してからの遺棄は納得できない。介護疲れからの殺害の後の遺棄なら解るけれど。今後真相が解ってくるだろう。
 
 春立つや母が蝦蟇口閉める音
 
 蝋梅の枝を撓めて活けてあり
 
 内祝の朱のふろしきや梅蕾む 
 
 へんくつな婆ばかりなり春日向 
 
 夫のこと話す婆らと春日向 
 
 春遅々と登りきつたる坂の道 
 
 恋猫の首根噛まれて眼をつぶる 
 
 どんぶりのなるとの紅の春めきぬ  
 
 赤ん坊の拳の中の春ひかり 
 
 早春の茜散らばるにはたづみ 
 
 早春の窓に折鶴貼りにけり 
 
 月に添ふひとつ大粒春の星 
 
 浅春やうすくれなゐの色紙書く 
 
  もし母が突然死亡したりすれば、あるいは家の周りで転倒した時私には何も出来ないと考え家をデイサービスに提供したのだ。世の中のこういう事例に接するときに改めて自分の判断が正解だったと思うのだ。母は今日も息災にてデイサービスに行っていた。傷を治すために寝て居ることが多い私であるが、心は早春の野山を走り回っている。芭蕉は俳句を詠む時は、「見た物の光りが消えないうちに句に書き留めよ」と言ったとか、それを思えば私がベッド上で作っている句は新鮮さの無い、すでに腐敗しているものであるかもしれない。傷のことを考えず思う存分車いすに乗りたいと思っている。佳作が出来ないのは傷があるから、車いすにの乗れないことを口実にせず本物の俳句を作らねばと肝に銘じた。 俳句の種になればと、久しぶりにお伺いをした優しい人からの写メールを掲載しました。嬉しいですね。







2015/01/29 23:22:00|その他
待春愁

  心新たに迎えた一月も早や過ぎようとしている。今年になってこんなアホなことを思った。それは、今年が平成27年であり、私が生まれたのが昭和27年である。今年生まれた人と私は63年違うだけなのに、今年は平成27年と聞くとなぜか年号が違うということから、私だけの印象、誰もが思わないかもしれないが、生まれた時代が異なると思ってしまうのだ。そして、年号が違う事実を悲しく受け入れて、ああ〜年やなあと思ってしまうのだ。一月、傷がある私を土芳さんが呼んでくれた。1月18日は服部土芳忌であり、俳句大会の選者をさせてもらった。午前中の法要には欠席、俳句大会だけに参加、芭蕉の弟子の忌日を修する意味を痛感し、こころが大いに満たされた。傷があるからと寝て居るわけには行かず、私の怠け心を粉飾してくれた。そして、24日は私の所属する「山繭」の賀詞交換俳句大会、今年も無事に参加出来て感謝している。句友の中には体を壊された人などが居られたが、久しぶりに会えたことを喜んでくれる人ばかりだった。60人足らずと少ない参加者ではあったが、有意義なひと時であった。八時間ほど車いすに連続で乗っていたら、当然にして傷が悪化しその後はベッド上の時間が多くなった。
 
  寒晴れに鳶の輪大き土芳の忌 
 
  土芳忌と聞けば野梅のつぼみ初む  
 
  土芳忌やあはれ鴉のこゑ低き 
 
  一ばかり出て追ひつけぬ絵双六 
 
  雪二尺雀のまなこ真つ赤なり  
 
  寒波くる女の髪を掻き乱し 
 
  大寒や鉄瓶の湯気なめらかに 
 
  寒波来と網目密なり大欅
 
  笹鳴きを聞きに庚申塚の前
 
  我を見る寒鴉まなこをうるませて
 
  大寒やくれなゐ極む大樹の芽
 
  日当たりの土匂ひけり龍の玉
 
  屈まりて女影する冬すみれ
 
  寒極みぎんなん美味し茶碗蒸
 
  日向ぼこ話が弾むよ年寄りと
 
  ひとり去りひとりが来たり日向ぼこ  
 
  ここ何日、後藤さんの安否が気になる。政府は何をしているのだろうか。自国の力の無さを嘆く人や政府の人々の努力不足を言う人、あるいはそんな危険な所へ行く無謀さを非難する人などそれぞれである。安倍総理が「集団的自衛権の行使、テロ撲滅を徹底する」などと表明するから反感を受けたのやと言う人なども居て思うことはいろいろである。私は後藤さんの意志を尊重、前もって自己責任による行動とビデオで残しておられるのだから、どうなっても本望だろう。子供ではなく立派な大人の自ら臨んだ行動であるのだ。警察官が詢職するのと同じであると思えば気が楽である。ジャーナリストの死にざまとして見事ではないか。 春はそこまで来ているがインフルエンザが流行っているので外出が怖い昨今。母と子、平凡に感謝して過ごしたい。忘れることが酷く、否定すれば怒ることが多くなった母のことが不安ではあるが、もう慣れて来た私である。しかし、あえて否定して刺激を与えることも親孝行かもしれない。そんな私には、待春の心の隅にある愁いをどうすることも出来ない。







2015/01/05 22:42:00|その他
初春を寿ぎ
  あけましておめでとうございます。更新をせねばせねばと師走に入ってより毎日思っていながら、年が明けてしまいました。なんという怠惰、こんな自分が情けなくなります。しかし、母子して大した風邪を引くこともなく年を越せたことを喜びたいです。ブログをチェックしていて、更新していないのに覗いてくれている人がおられることを申し訳なく思いました。くだらない内容なのに、感心をもってくれる人には心よりお詫びしたいです。本年も何卒よろしくお願い致します。我慢して覗いてみてくれる奇特な人に感謝、感謝です。みなさまのご健康とご多幸を祈念申し上げます。順調な人も躓き転ぶ人も今年を睦み合い仲良く生きて行きましょう。今年の抱負は人と争わず人を喜ばしたい。羊年にちなんで素直にそう思います。もちろん母にも対処して行きたいと思います。羊のような優しい心で生きることにしたいです。むろん目標ではなく抱負ですから、決意であって結果を出さなくて良いから楽に書けます。二日には恒例になっている有志による同年会に参加して、高校時代に一時タイムスリップして来ました。過ぎてしまったことは忘れ、新年は新年の心で生きて行こうと思っています。
 
  初詣行きも帰りも裏通り 
 
  初社恩師に逢うて泪ぐむ
 
  煤逃げの猫に鳴かれてゐたりけり
 
  咳をして欠伸してゐて年を守る
 
  夕暮れに白湯欲しくなる二日かな
 
  味気なきおのが一句や初句会
 
  黒豆に金箔をふりかけてあり
 
  今年からは駄句をやたらに並べ、読者にご迷惑をお掛けすることは止めます。あまりにも俳句が軽くなりすぎる気がしてなりません。そして、傷のことももう書きません。傷がどうのこうのと書いても誰もおもしろくありませんからね。正月は寝正月でした。二日から三日は箱根駅伝をテレビ観戦、青山学院大学の優勝に感動しました。走ることが好きだけで走っては居ません、優勝する為にも走ってはいません。ただ走ることを楽しんで居ました。今年は私も俳句作りをただ楽しみたいです。 







2014/11/05 23:30:11|その他
もう立冬
  明日はもう立冬か、今年の秋は秋らしくなかった気がするのは私だけか。十月は秋晴れの日が少なかったようだ。今年のプロ野球はソフトバンクの日本一で幕を閉じた。わが巨人軍の不甲斐なさ、その巨人を四タテして日本シリーズへ出た阪神の不甲斐なさ。もう笑って居るしかなかった。やはり、野球は巨人が強くなければいけない。野球の話をする人も少なく、傷を治すことに専念している間に十一月になってしまった。文化の日は地元の紅葉祭に招待され投句箱の傍に居た。風が強く人出も少ない感じがするとともに投句される大人も子供も少なかった。さあ、どんな佳作に出会えるだろうか、期待はしないが意外性の句を待ちたい。今日、五日は柘植小学校の校内しぐれ忌に招待された。今年は市の芭蕉祭においてすべての学年が入選、一年と四年が特選とか。校長さんが自分ことのように喜んでおられたことが印象に残っている。柘植小では芭蕉委員会が活躍、芭蕉の劇を毎年してくれる。今年も「おくのほそ道」の劇を演じてくれた。金作さんから始まり大阪で死ぬまでを短時間で面白く、最後には「芭蕉音頭」で締めくくった。「芭蕉さん、芭蕉さん、金作さん、金作さん」と子供たちは親しく呼ぶ。自分たちの大祖父でもあるかのように心安く。充実した一時間だった。
 
 ここからは隣り村なり草の花 
 
 地下足袋に入りて出て来ず残る虫 
 
 赤い羽根付けて生垣刈りにけり 
 
 子より先逝かなと婆が薬採り
 
 この谷を越へて嫁せしと赤のまま
 
 老い母の句稿整理のよなべかな
 
 草の絮飛ばして来たり箒売り 
 
 神の名は手力男や木の実降る
 
 長椅子の真中朽ちたり秋の果 
 
 半日をつるみつづけり残る蠅 
 
 蔓引けば天空へ跳ねからす瓜 
 
 母の柿今年も生らず紅葉せむ 
 
 風の音紅葉未だと知らせをり 
 
 雹害の痕ひとつある林檎買ふ  
 
 枝折戸の開け閉め匂ふ秋の草   
 
 山茶花に雨山茶花に雲と風 
 
 花石蕗や師の大ぶりの句碑思ふ 
 
 ほの暗きところに枇杷の蕾かな
 
 大枯野戻る右翼の街宣車 
 
  今年の紅葉は例年より多少早いようだ。雑木紅葉が美しく、中でも漆紅葉が際立っていた。紅葉と言うと秋の季語だが、伊賀では冬にならなければ紅葉しなくなってしまった。中でも楓は冬紅葉、十一月末頃が最も美しい。先日、突然三十七年振りに御世話になった看護師さんが訪ねてくれた。私と同じ年で、事故して二年目に二十二歳の彼女と会った。三年間お世話になり二十五歳で結婚して退職、それ以来の再回であった。当時の病院生活や医師、看護師そして患者のことが思い出された。楽しいひと時を過ごすことが出来た。また、「しらふじの里」でお手伝いさせて欲しいと言って帰った。再会というものは、年の所為かしみじみとして心が潤う気がする私である。