伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2016/02/05 23:27:57|その他
春立つ
  昨日は立春であった。今年は穏やかな日和で春立つことを実感出来た。このまま春めくとは思われないが、異常気象であれば嬉しい。おとといは節分、寒明けであった。節分の行事も何一つ出来ない母子になってしまったなと悲しくてならない。豆や鰯などを買うことは私でも出来るが、それを母に使いこなしてもらうことが辛い。ただ、恵方巻きとやらを半本貰って食べたことぐらいが節分に行ったことかな。諦めと言おうか我慢と言おうか。出来ない事を気にしないことが易く出来るようになったのも悟りである。何かと欲望の多い健康な人ならば心の中に棲み付く鬼を追い払わなければならないだろう。私の駄句に「胸中の鬼いさそさかの豆打たる」があるが、今の私、心の中にはもう鬼は棲んでいな。節分も恙なく過ぎて春を迎えられた事を大いに喜ぶことにしよう。
 
 風と日のどこかやはらか春隣 
 
 そこらまで春来てゐると魚売り
  
 年の豆鬼打ち豆の無き今年
 
 待春や粗煮の眼玉しやぶりゐて 
 
 風邪癒えて百四歳の春近し 
 
 寒明くや家のどこかの鳴つてをり 
 
 寒明くと婆らの腰の軽くなり
 
 節分や百歳に福あふれたる
 
 春なれや大人にもあり悪ふざけ 
 
 春を言ふその後先に寒さ言ふ 
 
 春なれや婆大きめの靴履いて 
 
 峠より春連れて来し魚売り 
 
 浅春の風に剥がれし松の皮 
 
 味噌汁に火傷をしたり冴え返り
 
 きさらぎの藪の奥より水の音   
 
  二月は逃げると言われる。ベッキーの恋愛騒ぎから、清原の覚醒剤所持での逮捕事件と世間は騒がしいが、たかが個人の恋愛や一犯罪である。そのうちパンダが交尾でもしたら、忘れられてしまうだろう。テレビを見ていてもあまり感動させられる番組はない。ドラマにも興味がなくバラエティーで一時凌ぎの満足をしている。今に始まったことでもないが、コマーシャルに出てくるタレントの名前が出て来ない。人の名前が出て来ないのは歳の所為と実感する昨今である。日が永くなりつつ春めいて行くのを喜びながら母を大事にして平穏に生きたい。







2016/01/13 23:19:21|その他
新春
 新年あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。年末年始、何と穏やかな天気でしょうか。なんとなく不安な気持になるのは私だけだろうか。風邪を引くこともなく母子して無事に越年出来たことに感謝しています。早や正月も半ば過ぎてしまいますが、ああ〜今年もこうして日が経ってしまうのかと実感しております。今年の賀状に添えた駄句は「初日浴ぶ明鏡止水のここちかな」でした。この気持ちを持ち続けて行きたいです。母に対してもこの精神でいたいと無理かもしれないけれど思っています。二日には一年振りの同年七人と会い、十日は初句会でした。順調に平成二十八年申年が始まりました。申年はどんな年になるでしょうか。猿にまつわる故事は「猿に烏帽子」「猿の尻笑い」「猿知恵」などいろいろあります。自分のことを棚に上げひとを笑ったり、見掛けばかりで中身が伴わなかったりすることや、慣れたこと得意なことでも失敗をする軽率な人を言う場合が多いようでござる。そんな中でも、猿が井戸に映った月を取ろうとして水におぼれたという「猿猴(えんこう)が月を取る」という故事を忘れず今年を生きたいです。猿猴は猿類の総称、「猿猴が月」とも言われます。そんな賀状の返しにある人から、「それもいいじゃないですか」と書いてくれてありました。大望は持てないけれど夢は持ち続けたいと思う私です。
 
  読初は懐石膳のおしな書き 
 
  わが恵方四方八方澄みきつて 
 
  鼻水をすすりて婆の御慶かな 
 
  うろ覚えなる駅の名や夢はじめ
 
  初春や胡蝶結びの昆布巻
 
  双六や百歳の早や抜きん出て
 
  背の黒子数へられたり初湯殿
 
  寒の水呷れば脳をつらぬけり
 
  衣桁より屏風へ渡る嫁が君
 
  風に鳴る檜の洞や初やしろ 
 
  老人の皺の深かさや寒の入り
 
  喉ぼとけ躍らせ寒九の水呷る 
 
  大寒や折れし心の支へ棒 
 
  それはそう簡単には叶わぬ夢であっても、諦めれば終わりです。それを励みにして生きていくことも良いのではないでしょうか。私の日々は極めて平凡ですが、それが何よりの喜びですと日頃謙虚なことを言っていますが、それが素直な気持になってしまいました。何も欲はありません。一番に望むこと、願うことは母の息災です。母にどれだけ世話をかけているか考えれば、もっともっと大事にしなければなりません。正月だけでも母に優しくしたいです。







2015/12/20 23:02:01|その他
年の瀬

 暖かい師走であることよ。ペルー人の友達が「海水の温度が高くなる現象をエルニーニョというが、そのエル二ーニョは男の子で悪さをする子のことだよ」と話してくれた。ペルーでは暖冬(異常気象)はこのエルニーニョが悪さをしているというそうだ。それにしても近年に無い暖かさだ。お年寄りや障害者には有難いことだが、暖かくても風邪を引く。気分が緩んでいるのだろう。胃腸風邪だろうかと思われる下痢に二、三日悩まされた私、原因が解らず、熱も出ず咳もなかった。胃がすこぶる快調、何でも食べられて気分も良い。しかし、デイサービスの利用者には接近せずに部に居た。今回は軽く済んでホッとしている。暖かいと細菌やウイルスまで喜んで、風邪まで大流行するかもしれない気がする。こんなつまらない私の師走の日々もあと十日となり、急に虚しくなって来た。今年を回顧して次の駄句を作った。「呵呵大笑一度も出来ず年暮れむ」
 
  落葉掃き旋風ひとつと遊びをり 
 
  割箸の音立て割るる冬日和 
 
  蔵の戸の音のひびきや枇杷の花 
 
  金網の錆びし匂ひの初時雨 
 
  耳削がれ泣きし嫗や虎落笛 
 
  朱き実の転がる先に冬至の日 
 
  山茶花の白かがやかすだけの風 
 
  日に透けて琥珀いろなり冬紅葉 
 
  どの家にも咲き詰まらなき石蕗の花 
 
  風呂吹きやこれが三和土に寝し奴か
 
  先行くと坂の上に消ゆ枯野人 
 
  北風吹けば北に向かへり車いす
 
  その先に日の窪みあり冬すみれ
 
  墓石跳びあそぶ鴉や冬うらら
 
  粕汁に舌焼きテロを語りをり
 
  仰ぐれば天網と化す冬けやき
 
  大根や一尺風に磨かれて 
 
  養鶏の丘に群れたる冬の鳶 
 
  風と雲北へ向くなり花八つ手 
 
  年賀状は積んだままだし、雑用も多く残っている。もう胃腸風邪などと言う手に負えない奴は御免して欲しいものだ。そして、御免して欲しいことがもう一つある。それは母の物忘れで、やはり進行しているようで、今さっきの事が記憶に無いのだ。一度読んでくれた手紙を、今初めて読んだかの様にまた読んでくれる。それが三度や四度ではない。「もう聞かしてもらったから捨てて」と言っても捨てることはしない。郵便物ひとつ封を切ることが出来ない私、傍に居る母は気を付けて開けて呉れ読んで聞かせてくれる。それはもう有難くて感謝せねばならない。私がしてやらなければ何も出来ないのや。すべてがそうだ。そうだから懸命に生きている母かもしれない。目的があり存在感がある母なのだ。「すぐ忘れるのやから、何回聞いても優しく教えてくれたらええんや」とよく言われるけれど、なかなかそうはゆかず、まだまだ言葉を荒げて叱ってしまう愚かな私である。この先どうなるのか考えれば決して笑えない。「お前は誰や」と面と向かって言われる日が来るのだろうか。しかしながら、一日、元気で何も変わりなくデイサービスを受けて帰宅、その夜に脳出血で亡くなられるという人も身近に居るのである。そんなことがあると思うと、忘れる母に腹は立ててはいられない。このまま少しでも長く居て欲しいのだから。夜中に母を起こして導尿してもらわねばならない私、この母が居なければと思うと恐ろしくなる。来年の目標は母と二人、「呵呵大笑」出来るような日々にしたいと思う年の瀬である。







2015/11/13 22:10:47|俳句
しぐれ忌
 昨日は十一月十二日であり、伊賀市柘植町山出の萬寿寺では芭蕉忌(翁忌)が修された。今年は割合と暖かく時雨れることもなかった。芭蕉忌にしては珍しい。毎年、地元の人々が思考をこらし、コーラスや講演会などで忌日を盛り上げたと聞いている。芭蕉は一六九四年に亡くなられ今年は三二一回忌である。私も何年か前に翁寺(萬寿寺)へ車いすにて馳せ参じたこともあった。本堂へ吊ってあげてもらったことを今も鮮明に覚えている。ここ何年は我が家にてお年寄りに芭蕉忌であることを伝えているだけである。しかし、先日七日には例年通りの「しぐれ忌俳句大会」があり選者の末席に加えて頂いた。 今日はデイサービスの利用者さんと一緒にわが町の霊山寺の大イチョウを見に行って来たが、まだ天辺だけが黄葉しているだけであった。和尚さんに聞くと、この銀杏の樹齢は三百年ぐらいかなと教えてくれた。三百年の間、この山服から伊賀町を見守って来た銀杏なのだ。芭蕉はこの寺を知っているかもしれないが、この銀杏は見ていないのだろう。そんなことを考えると実に面白い。
 
  風にいろ雲にいろあり翁の忌
 
  里の子のしぐれ忌修す芭蕉劇
 
  時雨忌は翁の好きなこんにやく食む 
 
  芭蕉忌のころの山路を箒売り  
 
  うつろひに敏き伊賀びと翁の忌  
 
  風の向きどちらともなき翁の忌 
 
  しぐれ忌の近付く伊賀の嶺優し 
 
  草の穂の風待ってゐる翁みち 
 
  草木は雨滴光らせ翁の忌 
 
  一斉に茶の実爆ぜたり翁みち 
 
  樋鳴らしはしやぐ雀や翁の忌 
 
  風に色月に香のあり翁の忌 
 
  蒟蒻のさしみ一皿翁の忌   
 
  しぐれ忌法要の様子がケーブルテレビで放映されていたが、もうひとつ盛り上がりが無いような気がしてならない。伊賀市になっても未だに芭蕉は柘植で生まれたか上野で生まれたかと聞かれることがある。「伊賀市です」と言うと楽なのに、旧伊賀町に住む私は「柘植で生まれて上野へ出た」と言ってしまう。そして、旧上野市の人は「上野で生まれた」と言うだろう。これが良くないのだ。俳句に関わる伊賀人が思いを一つに芭蕉さんを尊敬し崇拝して行こう。市長さんは忍者衣装を付けて生き生きと弾んでおられるが、芭蕉の衣装でもテレビに出てもらおうよ。国際的に忍者は人気沸騰だが、俳句ではダメかな。この際私は思う。芭蕉煎餅、芭蕉最中を食べ、芭蕉うどんを啜ろう。芭蕉酒を吞もう、当ては猪の芭蕉揚げ。芭蕉漬けを添えて、芭蕉米を食べよう。「芭蕉は忍者」という大河ドラマはどうだろうか。しかし、どう考えても犬に芭蕉の衣装は着せられませんか。こんなことを考えること、これもふる里を思うことであり、地方再生につながるのではないか。俳句は夏炉冬扇であってはならない。







2015/10/13 19:23:04|俳句
里祭り
 昨日はわが産土神の秋祭りであった。昼前にはひと時雨あり、祭りの鞨鼓(カッコ)踊りが出来るか危ぶまれたが、一雨で上がり無事に踊りが行われたので良かった。デイサービスの利用者さんらの仲間に入れてもらい氏神さまへ踊りを見に出掛けた。地域の人びとはみな心安く、「出て来たか、元気で何よりや」と声をかけてくれた。地域に根ざし、地域の人々に馴染深い施設であることが感じられて嬉しくなった。百五十戸の在所で一社を祀り維持していくことはなかなか大変なことであるが、氏子の一人として誇りに思えてならない。私も十九歳と二十歳の二回だけ踊子として務めたことを思い出して胸が熱くなった。出会う人は一様に優しく声を掛けてくれ、有難いと思うと共に一層感謝せねばならないと痛感した。光景には深秋が満ちあふれ、秋風が心地よく身に沁みる午後の一時であった。
 
 鶏頭に雨滴の光る渡御の道   
 
 里祭藁の匂ひの風吹けり
 
 藤の実を揺らす鞨鼓の響きかな 
 
 御旅所の屋根弾みたる木の実かな 
 
 雨止み間子供神輿の急ぎ脚 
 
 穭田を籠馬馳せる里祭 
 
 先導の籠馬に散る秋ざくら 
 
 祭笛響き一位の実の熟るる
 
 真菰竹馳走に里の祭かな
 
 木の実落つ鞨鼓踊りの笛の音に
 
 風少しコスモスに見え祭果つ
 
 子供神輿老いの館へ練り込めり 
 
 御旅所に踊り待つ子や木の実手に    
 
 今日は伊賀市芭蕉祭である。私は毎年参加させてもらっていない。応募して特選でも頂いて、表彰してもらいに行きたいなと思う。しかし、負け惜しみであるが、「後進に道を………」の気持なのだ。今更応募なんて出来ない。角川賞をもらった後、師より「もうどこへも出さなくてええ」と言われたことを覚えている。とは言うものの胸に花を付けてもらい表彰されるのも悪くないだろうと思ったりする。いずれにせよ、俳句に関わっている私には芭蕉祭は少し気になることだ。子供らの選句をさせてもらっている以上、入選者の感想が聞きたく、また入選したことがその子の今後にどう影響するか知りたい気がするのだ。たかが俳句、たまたま一句が入選したからと言って何ら影響は無いだろうに。