暖かい師走であることよ。ペルー人の友達が「海水の温度が高くなる現象をエルニーニョというが、そのエル二ーニョは男の子で悪さをする子のことだよ」と話してくれた。ペルーでは暖冬(異常気象)はこのエルニーニョが悪さをしているというそうだ。それにしても近年に無い暖かさだ。お年寄りや障害者には有難いことだが、暖かくても風邪を引く。気分が緩んでいるのだろう。胃腸風邪だろうかと思われる下痢に二、三日悩まされた私、原因が解らず、熱も出ず咳もなかった。胃がすこぶる快調、何でも食べられて気分も良い。しかし、デイサービスの利用者には接近せずに部に居た。今回は軽く済んでホッとしている。暖かいと細菌やウイルスまで喜んで、風邪まで大流行するかもしれない気がする。こんなつまらない私の師走の日々もあと十日となり、急に虚しくなって来た。今年を回顧して次の駄句を作った。「呵呵大笑一度も出来ず年暮れむ」
落葉掃き旋風ひとつと遊びをり
割箸の音立て割るる冬日和
蔵の戸の音のひびきや枇杷の花
金網の錆びし匂ひの初時雨
耳削がれ泣きし嫗や虎落笛
朱き実の転がる先に冬至の日
山茶花の白かがやかすだけの風
日に透けて琥珀いろなり冬紅葉
どの家にも咲き詰まらなき石蕗の花
風呂吹きやこれが三和土に寝し奴か
先行くと坂の上に消ゆ枯野人
北風吹けば北に向かへり車いす
その先に日の窪みあり冬すみれ
墓石跳びあそぶ鴉や冬うらら
粕汁に舌焼きテロを語りをり
仰ぐれば天網と化す冬けやき
大根や一尺風に磨かれて
養鶏の丘に群れたる冬の鳶
風と雲北へ向くなり花八つ手
年賀状は積んだままだし、雑用も多く残っている。もう胃腸風邪などと言う手に負えない奴は御免して欲しいものだ。そして、御免して欲しいことがもう一つある。それは母の物忘れで、やはり進行しているようで、今さっきの事が記憶に無いのだ。一度読んでくれた手紙を、今初めて読んだかの様にまた読んでくれる。それが三度や四度ではない。「もう聞かしてもらったから捨てて」と言っても捨てることはしない。郵便物ひとつ封を切ることが出来ない私、傍に居る母は気を付けて開けて呉れ読んで聞かせてくれる。それはもう有難くて感謝せねばならない。私がしてやらなければ何も出来ないのや。すべてがそうだ。そうだから懸命に生きている母かもしれない。目的があり存在感がある母なのだ。「すぐ忘れるのやから、何回聞いても優しく教えてくれたらええんや」とよく言われるけれど、なかなかそうはゆかず、まだまだ言葉を荒げて叱ってしまう愚かな私である。この先どうなるのか考えれば決して笑えない。「お前は誰や」と面と向かって言われる日が来るのだろうか。しかしながら、一日、元気で何も変わりなくデイサービスを受けて帰宅、その夜に脳出血で亡くなられるという人も身近に居るのである。そんなことがあると思うと、忘れる母に腹は立ててはいられない。このまま少しでも長く居て欲しいのだから。夜中に母を起こして導尿してもらわねばならない私、この母が居なければと思うと恐ろしくなる。来年の目標は母と二人、「呵呵大笑」出来るような日々にしたいと思う年の瀬である。