伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2011/02/13 21:35:34|その他
烏兎怱怱
 
 烏兎怱怱、二月は逃げると言われるとおり早や半ばとなってしまった。それにしても寒くて雪のよく降る今年の二月である。この時期は三寒四温と言われ温かい日もあるものだが、今年は寒波が次から次へとやって来ては車いすの私を出不精にしている。「冴え返り冴え返りつつ春半ば」の句を呟きながら寒々とした窓外を今日も見ていた。昨日は久しぶりの外出、市の身体障がい者連合会の第二回福祉大会に出席してきた。昨年も感じたことであるが、市の大会にしては小規模であった気がするのは私だけか。市の社協さんが協力してくれるものの、行政はいつからか協力してくれなくなった気がする。盛大ならば良いのかと聞かれれば返答に困る。中身が充実していれば良いと答えるだろうが、僅か一時間足らずの大会、なんとなく過ぎてしまった感じだった。ただ、今回私が推薦した地区の二人が表彰を受けられた事が唯一良かった。
 
 たはごとと聞き捨ててをりおでん酒
 
 霜柱踏めばぐらりと車いす
 
 ドレツシングよく振つて春待ちにけり
 
 死をおもふ余寒の酒となりにけり
 
 大根を提げて余寒の土こぼす  
 
 昨夜の豆踏み立春の声発す
 
 水たまり風にくぼむや梅のころ
 
 高畦のふくらむところ蕗のたう
 
 鶯餅首のあたりをつままるる 
 
 羽ばたきて黄粉こぼせり鶯餅 
 
 日脚伸ぶや回転いすに爺回る 
 
 春雪の夜は牛乳を煮零せり 
 
 土筆出づ朽ちし空缶ぶち破り 
 
 土手を焼く雲の重たき夕えらび 
 
 春雪の二寸の朝や静けくて 
 
 春雪のひと日を積もるつもりなり 
 
 早春の雪のあしたの無音かな 
 
 きさらぎの女の唇の荒れにけり
 
 かの人の気持ちだけてふバレンタイン
 
 バレンタイン秘するが華と思ふべし
 
 
 あの人はチョコレートをくれるかと、くじを引くような気持ちでいる人も多いだろう。私もその一人だ。世の中馬鹿な人が多く、チョコレート業界、あるいはそれに関わる人は笑いが止まらないかも。義理チョコが無くなったと聞き、やはりこの世の中、義理が廃れてしまったことは歴伝としているのだと思う。テレビで梅の開花を見ると早く春めくことを願う私である。







2011/01/30 22:44:38|その他
春を待つ
  今年は寒いですね〜なんて挨拶していて早や一月も終わりである。それにしても低温の日が続いている。連日、天気予報では三重県の平野部でも雪が降るだろうと言われているが、風花が舞うぐらいで予想に反して有難い。三重県と言えども伊賀ではないと思いながらも、朝起きて雪が降っていないとホッと安堵する。しかし、晴れていても風が冷たく外へ出る気がしない。寒中と言えどこかに春の兆しが、小さい春が生まれているはずである。それを見つけに車いすにて寒風の中を走ったものであるが、それも若い時のこと。今は「歳を考えて」と言われるであろう。
 
  盛り上がる黄身ゆれやまぬ寒卵 
 
 身を厭へ心厭へと寒見舞 
 
 寒晴へ背なの赤子の反身かな 
 
 目が乾き瞬き増えし寒の内 
 
 寒林に不意の一こゑ亡き祖父母
 
 風花や徐々にうきうきして来る  
 
 凍つる地に鳥の羽毛の揺れ止まず  
 
 つり銭を悴む手より渡さるる 
 
 横柄なこと母に言ひふぐと汁 
 
 根深汁回りながらに葱煮ゆる 
 
 大根の堅きが好きやおでん鍋 
 
 そのうちに虚勢崩るるおでん酒
 
 老い母の粗しやぶり吸ふ鮟鱇鍋 
 
 風花を落として流るあかね雲 
 
 豆腐の白湯気の白見て歳おもふ 
 
 踊りだす豆腐掬へり湯気の中 
 
 母口説き海鼠なんどを注文す 
 
 辞めるだの続けるだのと燗熱く 
 
 指図して叱られてゐる春隣 
 
 日の経つを早しと嘆き春を待つ 
 
 春を待つこころを易く知られたり 
 
 どことなく谷がむらさき春を待つ 
 
 旧正や雪花菜料理を食ひたくて  
 
 春隣り箪笥の向きを変へてみむ  
 
 背中擦る猫が三和土に春隣 
 
 この里に老いて己も春を待つ 
 
 踊るごとふる春の雪はるのゆき 
 
 蕗の芽の緑深めむ風の尖
 
 笑窪ほどの日溜まりに咲く福寿草 
 
 枝の先あからめ梅のつぼみをり 
 
 水たまり風にくぼむや梅のころ 
 
  厳寒だからこそ、春を待つ心が強くなるのは私だけだろうか。今日も一日ベッドより外の光景に目を遊ばせて過ごしてしまった。駄句ばかり作り自己満足していると笑われそうである。誰ひとり訪ねてくれる人もなく、母と猫と一日を過ごした。実に平凡、デイサービスの行われない日曜日は本当に静かである。この平穏を喜ぶことにしょうと観念している私であるが、何か物足りない。母は何もしないが元気で有難い。だが、私が何か言うと、横柄に思えるらしく怒りだす。私の言い方が悪いのであり、怒らすことを言うのだ。直そうと思うのだがなかなか素直になれない。春隣りであり、心を柔軟に母に接しなければならないと思った。何といっても母が頼りの身であるから。おとなしくして春を待ちたい。夜は冷え込んで来て、外は無音で雪催いの気配がする。







2011/01/16 17:12:13|その他
厳寒裡
 昨日は小正月、新年も早や半分過ぎてしまった。今年の正月は雪が多く寒い印象が強い。度々寒波が雪を連れてやって来た。昨日の予報でも、今日はウルトラ寒波が到来し大雪になるだろうと言われていた。ところが今日は確かに低温ではあるが大雪は無くホッとした。降っている所は大変だろうが、伊賀はたまに風花が舞うぐらいだった。雪は好きではない。寒いのも好きではない。正月から一度車いすにて散歩に出ただけ、今は引き籠りの気分に浸っている。今年は「行雲流水」の志で生きようと思った。淡々として自然の成り行きに任せて行動することに決めた。怠惰ではない。体たらく、自堕落でもない。行雲流水の生活やと言えば聞こえがいいかもしれない。なんとなく無理をしないでと自分に言い聞かしてしまうのだ。いずれにせよ、今年は新年から寒さに負けてしまったようだ。
 
  わが恵方欅の網に日の差して
 
  年頭や行雲流水のこころざし
 
  窓越しの深雪明りや寝正月
 
  人日の建て付け悪き戸を叩く
 
  抽斗の印鑑探す三日かな
 
  読み初の大歳時記に指切らる
 
  切りし爪遠くへ飛べる七日かな
 
  正月の果て人の果てありにけり
 
  小豆粥窓の雀と祝ひけり
 
  寒波くる女の髪を掻き乱し 
 
  ふる雪の奥を見つむるからす猫
 
  墓百基雪は斜めに降りかかる
 
  厳寒を来たり獅子鼻真赤にし
 
  麦の芽の列の曲がりを見てゐたり
 
  いま弾み出さうな龍の玉ひとつ
 
  愚痴言へぞ楽にならずや龍の玉
 
  雪くると風が叫ぶや女正月
 
  雪かけら呑んでどんどの火の猛る
 
  松過ぎや大雪予報はずれけり
 
  松過ぎの砂場に深き足の跡
 
  大寒の戸袋の釘浮きにけり 
 
  大寒を気丈頑固に生き給え  
 
  今夜あたり雪が降るような気配である。明日目を覚ますと雪が積もっているかもしれない。今日は晴れて良かった。母は私の伯母の三回忌に行ってくれており、留守番をしている。寒い時期、身ごしらえも大変な母、もう親戚の付き合いも無理かなと痛感した。存在感をもって欲しいと思ってのことだが、もう気の毒かなと思ってしまう。「そんなぐらい行くわ 車で送迎してくれるんやから」と呼ばれると気丈に答える母なのだ。私の介護だけしてもらえれば、傍に居てくれるだけで十二分、他に何も強いてはならないと改めて思った。そんな母、この厳寒の時期、風邪を引かずに頑張って欲しいと念じている。二十日は大寒、気丈、強情をもって厳寒を耐えて欲しいものである。







2011/01/01 14:34:35|その他
謹賀新年
  新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。伊賀は雪の去年今年でした。恒例の除夜の花火もどことなく沈んだ音であり、大晦日の冠雪に吸い込まれてしまったような音でいつもの響きがなかった気がします。元旦は良く晴れて初日が眩しく八センチぐらいの雪などすぐ融かしてしまうだろうと思っていたが、昼になってもわが窓から見える雪は融けそうもなく残っていた。そのため毎年欠かすことなく続けて来た産土神、菩提寺への初詣は止めることにした。神仏も私の身を理解してくれているだろう。とにかく明るく眩しく輝く、そして清く美しい元日である。
 
  数へ日の大いかづちの三度ほど
 
  芥火の起ちあがりたる大晦日 
 
  雷ひとつ不意に聞くなり年送る
 
  年の瀬を車いす止め見てゐたり
 
  雪と風荒々しくて小つごもり 
 
  逝く年のわが近影の肥えてをり 
 
  風が雪雪が風呼ぶ大晦日 
 
  母と子に大つごもりの雪しんしん 
 
  雪の降る気配に年を守りにけり 
 
  産土神の除夜の花火や雪に沁む
 
  こざかしいやうで可愛い嫁が君 
 
  大旦やはり母子と猫一匹  
 
  枯芭蕉初日に焦げし匂ひかな 
 
  沖縄の小貝を貼りし賀状かな  
 
  眉の辺に雪片つけて御慶述ぶ
 
  去年今年二寸の雪に鎮もりて
 
  病む友と死の話など初電話
 
  卯の年や赤き実零る雪の庭 
 
  窓外は深雪あかりの恵方みち 
 
  雪中に潜り込みたる初すずめ 
 
  郵便受けの雪を払ひて賀状待つ
 
  卯年立つ白兎が駆くる深雪原
 
 
  卯の年である。あまり跳ねても困るが、少しでも心が跳ねるような嬉しいことがあって欲しいと願いたい。ほんの少しでいいし、些細なことでいい。母が頼りの私、自分のことはただ平凡に生きて居られれば申し分がない。何も望まなくてもいいが、母にはなんとしても元気で頑張って欲しい。年から言えば、頼りにすること自体が無謀なこととよく理解している私ですが、どうしても非常になれません。読んで下さる方々のご健勝とご多幸を祈念致しております。私の日々、今年も一年間綱渡りをしているのと同じです。常に危機感を忘れずに、それでも笑顔を忘れずに周囲の人々の優しさと励ましに支えられ生きて行きたいと思います。どうか、綱から落ちた時には私から遠ざからないで下さい。ただ寝たっきりの老人になっても忘れないで下さい。年頭や死ぬより生くること大事







2010/12/26 19:41:52|その他
年の暮
  年の暮 年の暮、年の瀬という印象は年々なくなってきたのはなぜだろう。あなたはどうですか。人それぞれと思いますが、私は年の暮れに至っても駄句ばかり作っております。こんな句は真剣に俳句を志す人には推奨できません。ブログを更新せねばという焦りから急いで作ったものです。しかし、俳句なんてものは勝手なもので、「それがどうした」と読んだ人が感じてくれれば悲しいけれどそれでいいのです。今日は寒く雪がちらついていました。全国高校駅伝の上野工業をテレビで応援していました。年用意も別に何もしません。ただ母が息災で居てくれれば良し。母子が無事に生きて行ければ何ひとつ不服はありません。
 
 よつこいしよ言うて婆歩く年の暮 
 
 病院へ小便もって行く師走  
 
 余所事を言うてばかりの師走婆 
 
 それほどに惜しむ年でもないといふ 
 
 かつぎ来し椅子に載りたる師走びと 
 
 日がゆれて芥火ゆるる年の暮 
 
 下駄箱の上の財布や年の暮 
 
 舗装路の罅そのままに年を越す 
 
 戸袋の穴に風鳴り年を越す 
 
 裸燈の切れたるままに年暮るる 
 
 虫の這ふ白菜もらふ大晦日 
 
 ハンドベルに耳くすぐられクリスマス 
 
 膝小僧抱へし男のクリスマス 
 
 クリスマス昼は猪汁夜は味噌汁 
 
 山門よりクリスマスソング洩れ来たる 
 
 寒波来る夕暮れの雲しろがねに 
 
 冬の蠅見れば口元ぬぐひをり 
 
 断捨離は無縁の母や年の暮 
 
 数へ日の庭にひねもす鳥の来て 
 
 数へ日や指を切るなり本捲り 
 
 爪鼻毛切つてもらひし年の暮 
 
 日々の嶺翼広げし年の暮 
 
 庇よりすずめ覗くや年の暮 
 
 野の果てに重機穴掘る年の暮 
 
 畑隅に大きな穴や年の暮 
 
 卓上に薬ころげし年の暮 
 
 行く年の芥に句屑ひとつ足す 
 
 山門より音洩る僧の年用意 
 
 丸まりし母の背を見て年送る 
 
 嵩減りしうたねの母と年守る 
 
  突然、友人より電話が来る。「年賀状の整理をしていたら、保くんのことが気になって」と電話をくれたのである。また、沖縄よりも俳句関係者から電話があった。私も捨てたものでもない。私は思う、私も持っていると。私を励まし、助けてくれる人が沢山いるということを改めて思った。母子して無縁社会の厳しさの中を助け合って生きて行きたい。周囲の人々の温情に助けられ見守られて無事に越冬したいと願っている。読んでくれた人々に感謝し、皆さんのご健勝とご多幸を祈念しています。