伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2010/12/06 9:17:09|その他
忘年会
  昨日は忘年会のはしごをした。十時から重度身障者友の会、三時からは句会と私には関わりの大きい会である。その忘年会が同じ日になるとは珍しい。先の障害者の会の方を早めに終えて、我が家での忘年句会に臨んだ。障害者の会はビール一缶、句会の方も師だけが飲まれるだけで、ビール一缶と日本酒五勺ぐらい飲んだだけであり、なんとなく物足りなかった。そんなに飲める自分ではないが、少しも酔わなかったので寂しかった。昔は二日酔いするに決まっていたものである。混酒してゲロすることも度々あった。これでもう忘年会は終わりか。一年にあった辛かったことを忘れるにはあまりにも安易すぎる気がしてならない私である。しかし、何がそんなに苦しかったのかと聞かれると困る。平穏に感謝したい。
 
  塀の上を渡る野良猫日の短
 
  短日や投網のごとき大欅
 
  両側が茶の花のみち眠くなる
 
  花つはや微熱の首の重たくて
 
  菜より落つ土美しき十二月
 
  遠山の匂ひや落葉の吹き溜まり
 
  三毛猫のやうな少女や冬うらら
 
  綿虫に雲低くくなり重くなり
 
  振り向けば鳥のの来てをり枇杷の花 
 
  冬ざれの三和土にこぼる鷹の爪 
 
  鳥鳴いて教へてくれし枇杷の花 
 
  つぶやきは愚痴にあらずや枇杷の花 
 
  平凡はおろそかならず青木の実
 
  嶺の紺そびらに柊咲きあふる 
 
  靴べらでげじげじを打つ日の短 
 
  爺婆の会話ちぐはぐ日の短 
 
  遠目利く杣のおとめや石蕗日和 
 
  短日や間違い電話に走りでて 
 
  日にいくつ訃を知らさるる十二月 
 
  枯菊を焚くや結ひ縄火種とす 
 
  書き出しの一行成らず日の短 
 
  枯菊を焚き捨てにして忌参りへ 
 
  ひと握り枯菊焚くをためらへり 
 
  血の滲むごとく枯鶏頭に雨
 
七句目までが句会の投句であり、師に指摘される点もなく、叱られることもなく句会を終えた。一年間、師にはいろいろご指摘頂き自分の力量不足を実感させられてきた。今回、「遠山の匂ひや落葉の吹き溜まり」の句と「菜より落つ土美しき十二月」の二句をちょっとだけ褒めてくれた。終わりよければすべてよしだ。そんなに苦しくもなく、怠惰に俳句作りをしてきた自分だけに、今年を忘れることもなさそうなのだ。有難く感謝する忘年会であった。







2010/11/21 22:51:56|その他
三人の会
 
  伊賀の山々の紅葉はようやく美しくなってきました。雑木の黄葉がことに美しい私の在所です。今日は稀にみる小春日和、玉のような小春日和を賜って私の一大イベントの「三人の会」が「しらふじの里」をお借りして開催されました。昨年は新型インフルエンザ騒ぎのために会うのを自粛しました。二年ぶりの再会に三人は喜び合いました。三人が生きて会えればそれだけでいい。周りの人々に迷惑をかけずにそっと密やかに会おうということで、ゲストは無しにしました。言葉は交わせません。会話は成立しません。でも会えた喜びは伝わりました。本当に嬉しかったです。 藤井さんはALS、小林さんは筋ジストロフィーの難病で、人工呼吸器を常時付けしゃべることが出来ません。もちろん食べることも飲むこともできなない二人です。平成十七年が第一回、今年で五回目の三人の会でした。しらふじの里の平野所長、ワーカーの甲野さんと大西さんにはお世話になりました。母と私では何一つもてなしができません。一時過ぎから三時半過ぎまで、決まったテーマもなく思うことを話しました。介護される二人の奥さんはとても明るくて、苛酷な日々の介護の苦労話などを聞かせてくれました。小林さん藤井さんは目だけを動かして話を聞いてくれておりました。障害の種類は違うけれど三人とも精一杯生きています。周りの人々の助けに感謝しながら、命を誰よりも大切にしています。私は三人の会は命の会であると改めて思いました。今日の有意義なひと時を喜び、今後の励みにして生きて行こうと思いました。
 
    呼吸器の音小春日の風の中
 
   再会はまこと稀なる小春日ぞ
 







2010/11/14 19:20:09|その他
立冬が過ぎてても
  昨日一昨日と黄砂が降って山は白くに濁って見えた。その山の紅葉も随分遅れているようだ。立冬を過ぎても落葉する木々が少なく、身近にある柿紅葉もまだ薄く、欅の葉もいっぱい残っている。釣瓶落としの日に初冬の季節感を感じながら日曜日も暮れようとしている。今日は風が無く穏やかな日であったが、この時期特有の小春日和ではなかった。神社では七五三参りも行われたことだろう。私の日々はいたって平凡、訪ねてくれる人もなく、母と猫一匹との侘しい一日であった。デイサービスの行われている賑やかさも良いが、この侘しい感じもまた乙なものと言えよう。今日から大相撲九州場所が始まった。またに日本の力士の不甲斐なさに舌打ちせねばならないのかな。先日、今年の流行語大賞の六十語がノミネートされ来月一日の発表が待たれる。何が流行語じゃ、そんなに意義あることとは思われないが、訳の解らない語が多くて、自分がいかに世に疎いかと思わずにはおられない。「〜なう」「イクメン」「AKB48」「ととのいました」「3D」「ゲゲゲの〜」「2位じゃダメなんですか」「待機老人」「名ばかり老人」」「無縁社会」などがあります、他にもいろいろありますが、意味が解らないとどうしょうもありませんね。「〜なう」はツイッターで使われる語、そのツイッターとは何なんかと情けなくなります。今やブログよりツイッターなのです。ああ〜解らん。「今、うんこしてるなう。今、カレー食ってるなう。」と使うのかな。「なう」はnowです。六十の語を合点が行くまで調べるには時間がかかりすぎます。
 
  早紅葉のいまだ緑の風寒し
 
 早紅葉を抜け来る風の尖痛し
 
 匂ふごと十一月の黄砂かな
 
 車いすつるべ落としに軋むかな
 
 七五三黄砂に宮の森しづか
 
 素つぴんの君を見てゐる小春日よ
 
 冬帽を目深に退院告げに来し 
 
 卒寿なる三人の婆の冬帽子 
 
 童顔の髭の男の冬帽子 
 
 追ひ越され父と思へり冬帽子 
 
 冬帽を被れば無口になれるかも
 
  帽子を被って車いすで散歩することも少なくなっつた私である。いくら風が強くても散歩に出たものであるが、加齢かな、出掛けることが極めて少なくなり悲しい。日々の俳句作りも疎かになり怠惰な自分を許している。このブログの更新もなかなかできなくて気分が重い。読んでくれている人に陳謝したい。母の様子は変化無し、相変わらず忘れの名人である。先日、友人の母親が酷い認知症になられ入院された。そのこを思うと、母の物忘れなどは我慢できるようになった。まだまだケンカは絶えないが、そのボルテージは低くなった。







2010/10/24 17:01:33|その他
こころ冷まじ
 上野天神祭の時期が来ると伊賀はめっき肌寒くなる。しかし、この時期の寒さは人によって感じ方が異なり、どう言えばよいか悩む。晩秋の寒さにも、やや寒、うそ寒、肌寒、朝寒、夜寒、冷まじ、そぞろ寒などの語があり、その区別はなかなか難しい。冷まじ(すさまじ)は「さむざむしい、ひえびえする」の意で秋の季語になっている。凄まじいとは大分違うようだ。とにかく、私なんかは心が冷まじと使いたい。天神祭に一度も行ったことが無く、だんじり(山車)も鬼行列も実際に見たことがない。子供の頃にサーカスを見た記憶のみが残っているだけだ。三年も上野の高校に行っていながら、どうしてだろうと自分でも不思議になる。先日は障害者の親睦会に参加してきた。無理を言って母に付き添ってもらっての参加だったが母はどう思っていただろうか。私としては親孝行の真似事と思っている。何もしてもらわないが、いわゆる医療行為であるところの導尿(カテーテル使用)を一回してもらった。私にとっては重要なこと、飲めば小便が出るのである。母もその為に同行しているとの認識が強いようだ。自分の存在感を誇示してもらえれば気分もしっかりしてくれるであろう。
 
  飛ぶよりも崩れ落ちたり蒲の絮 
 
  水引の撓ひて雨の強くなり 
 
  小鳥来る能登より干物届く日よ 
 
  小鳥来る日や婆の声空へ抜け  
 
  熟るるほど軽く見ゆるよ烏瓜 
 
  水澄むや谷に出口と入口と 
 
  花石蕗や沓脱石の青びかり 
 
  鹿の群れ風を起こして馳せにけり 
 
  すぐ怒る母老いしかな秋の雨 
 
  逢ひに来てくれねば逢へぬ秋の雨 
 
  食へるかと母の採り来し毒きのこ 
 
  蓼の花ふるはせ蟹の歩くらし 
 
  雨後の日に大きく撓ふ水引草 
 
  口呵呵とひらく通草を卓上に 
 
  風の出てやがて夕闇すすき原 
 
  草の穂の撓ひて続く山日和 
 
  木瓜の実や個人情報どうこうと 
 
  唐辛子尖のわづかに折れ曲がり 
 
  絨毯に母のこぼせる零余子かな 
 
  看取ること生きる力に菜虫取り 
 
  校庭の桜もみぢを拾ふ子よ
 
 楽しんで来たプロ野球も、中日のクライマックスシリーズ勝利、わが巨人の不甲斐なさを目の当たりにして今季を終えた。本拠地ではないにしろ、敵の大将の胴上げをテレビで見るのは情けないものであった。日本シリーズは冷めた気分で観戦出来よう。冷めたと言えば先日、例年呼んでもらっている小学校へ俳句指導に行ってきた。常のごとく学校周辺を歩いて俳句を作る授業である。低学年なら先生の言うことも聞かずに遊んだり、走り回ったりする子がいる反面、「これは季語ですか」と問いに来る子、「こんな句を作った」と見せに来る子が多く子供らしさを感じ嬉しくなったものだ。ところが六年生となると、冷めたものであり、作った句を見せに来る子も少なく、おとなしくただ参加しているという感じを受けた。挨拶もあまりせず、会話も少なく、俳句への関心がないようである。子供らしさがなく、覇気がない感じがした。私への気遣いはどうでもよいが、肝心の俳句までが冷めているのは何より悲しい。感動させられる句、驚かされる句が全くなかった。これが現代の子供、期待する私が愚かなのであろう。







2010/10/10 22:14:57|その他
里祭り

 
  昨日は一日雨、一時は激しく降ったらしい。私は十時から三時前まで夢ドームで行われた市の障害者連合会のスポーツ大会に参加していたために雨は見ていない。ドームの天井に響く雨音の大きさから、その激しさを感じてはいたが。大会ではいろんな人に会うことが出来て良かった。母にも無理を言って付いて行ってもらえた。会えた人の中で、三か月近く連絡がつかなかったT君の元気な姿を見ることが出来、話が出来て良かった。彼は私と同じ頚損者(私より少し軽度)であり、事故当時からの友人である。私より十四、五歳若く五、六年後で事故に遭ったと記憶している。そんな彼は私を兄のように何かと聞いてくれた。その度に満足な答えが出せなかった気がする。今年の晩春に介護してもらっていたお母さんが倒れられ、彼に試練の時が来た。私には何も役に立てなかったし、その後のお母さんの状態を聞くすべもなかった。軽く済んだと聞いたのでホッと安堵、以前のように母に世話を受ける生活に戻っていると思っていた。しかし、十日ほど前に転居を知らせるメールが届いた。どうして伊賀市を離れたのか、何があったのか。心配で仕方なく、メールしたが帰っては来なかった。施設入所を余儀なくされたのかと思ったりしていた。そんな彼と会えたのであった。話の内容は次回にしよう。
 
渡御待つや沢蟹爪をふり上げて
 
酒提げし在の祭りの世話をんな
 
草の絮発たせて祭鬼馳せる 
 
穭田を祭り籠馬通りぬけ
 
先導の籠馬に泣く祭りの子 
 
干し藁の匂ふ沿道在まつり 
 
秋雨にしたたか打たる渡御の花
 
御旅所に踊りの花着き鵙猛る 
 
駐在の酒臭きかな里祭り
 
解けたる子の靴紐や穴惑ひ
 
神木を降りて来るなり穴まどひ
 
明るさと暗さのありぬ芒の穂
 
隣りの子どこへ嫁せしや深む秋 
 
味噌の出来話す媼や秋ついり
 
秋声や曇り硝子の向かふより
 
月太り何浮き立つやそばの花
 
仏壇の扉に血膨れし秋の蚊よ
 
秋桜束ねて風を束ねをり
 
鬱といふ漢字の書けて天高し
 
鳥渡るキリキリ軋む車いす  
 
風の日のよく弾みたる木の実かな  
 
  今日はわが在所の秋祭りの日、あいにくの雨だが朝だけで上がった。渡御が出来ると喜んだが御旅所を発つ寸前にザーと一雨あった。カッコ踊りの花が濡れてしまったらしい。この踊りはかなり昔から継承されて来たものであり、その歴史や謂れを私は知らない。祭りとて誰も来ない淋しいものであった。母と子の口喧嘩の絶えない一日、それにしても、祭りの俳句は難しい。まあ、どんな句を作るのも容易ではないが。先日ある友人から「ブログ見せてもらっているけれど、俳句って難しくて何も訳が分からない。気に入った句を解説してくれるといいのですが」と言われた。確かに不親切であると私も思う。読む人に理解してもらうために、今後は一句でも自句自解してみようと思っているが、解説を施すほど難しい句は私にはないかもしれない。パソコンが壊れて消えた住所録、アドレス帳を作ることができないでいる。来年の年賀状はどうなるか。メールも極めて来なくなった。私のアドレスはそのままの筈だが、来ないというのはみじめなことであり淋しいことである。