母が入院した。四月四日は記念すべき日、私にとって大きな試練が始まった日である。四月になってもまだ寒く、霜の降るような今朝の寒さであった。今朝になり母は私の排泄の処置をちゃんと済まし、洗濯物を干して入院していった。これには参りました。気丈な母を見た思いがしました。昨日までは「えらいえらい」と、息苦しく寝ていることの多い母でした。そんな母が入院して明日4月5日に手術を受けます。簡単な手術と聞いていましたが、全身麻酔、開腹手術と聞かされ愕然としております。手術が無事済むことと、一日も速い快復を祈りたいです。 母が入院と決めて、次の短文を書きました。自分の迷う心をごまかすような文章で恥ずかしくなります。しかし、これが私の試練の序の口と認識しています。
愚感
悟りについてこんな話がある。『Kさんが高校三年生のとき、看護師になろうか、なるまいか、と迷った。なぜ迷ったかというと、「人間が人間を愛するということはどういうことなのか」 それがわからなかったからだ。わからないままで看護師になっても仕方がないのではないかと思った。そんなある日、ある養護施設を訪ね、そこでひとつの事件に出会った。機能訓練室に入ると、五十歳を越したかと思われる看護師が、足の不自由な子に歩行訓練をさせていた。ところが、この子がなかなか歩かないで看護師をてこずらせる、一歩出せたのにつぎの足を出そうとしない、なんとしても言うことをきかないのだ。そのうちその子は何を思ったか、近くにあった積木を取って看護師に投げつけると、看護師の額が切れてまっ赤な血が流れた。その子は、こわくなって逃げようとして、瞬間二、三歩あるいたというのだ。するとその看護師は駆け寄って、「よかったね、歩けたね」と言って腕の中に抱きしめたそうである。これを見ていたKさんは、この時「あの看護師のようになろう」と決心し、迷わずその道をとったというのである』と言うのだ。 お釈迦さまは明けの明星を見てお悟りを開かれた。霊雲和尚は桃の花をみて悟りを開いた。香厳和尚は掃除をしているときに瓦のかけらが青竹にあたった音を聞いて悟りを開いた。芭蕉は蛙が古池に飛び込む音を聞いて悟りを開いた。悟りは突然に開けるものらしい。私は日頃の平穏の中にあって、もし母を頼りに出来なくなったときにはどうするか、日々迷い悩み続けている。そうなった時のことを想定し、施設入所を体験しておかなければならないとも思っていた。しかし、「そんないつとも解らないことに悩んでも仕方ない。なるようになるさ」と言う周囲の人も多い。「なるようになるさ」と思うのも一つの悟りである。そんな私に突然母の入院という試練の時が来た。二週間程度の入院で済むものの私の身の振り方が問題になり、施設入所、ショートステイが考えられた。しかし、周囲の人や親戚の人が、「短期間のこと、施設入所なんて考えるな。安心していていい」と言ってくれ自宅に居られる道を選択することが出来たのである。私には守ってくれ、世話してくれる人が居てくれることを改めて思い嬉しく、何より感謝して生きたいと思った。一変した時だけの悟りであっては、結局悟りの錯覚にすぎないかもしれないが、私はこの期間を修業と思い懸命に生きたい。母の病が大事でなく済みそうなのが何よりの救いである。さあ、この機会に私は何をどう悟れるだろうか。
日々の俳句作りもままならず、私なりに不安で落ち込んでいる。当然にして俳句は駄句ばかりで恥ずかしい。
倒木の泥をこぼして芽を吹けり
茎立つと母入院を決めにけり
春暁や動悸止まずに目の覚めて
悲しくて三色菫見てゐたり
谷底の風底の猩々袴かな
入院の母に嘘言ふり万愚節
入院の準備の母や燕くる
さくら貝ひとつ置かれし違ひ棚
山笑ふ婆の穿きたるスニーカー
宵の酒過ごすや土筆の卵とぢ
つくねんと入院待つ母土筆摘む
チユーリップの様な唇三姉妹
畝立てるほど陽炎の濃くなりぬ
養生と歩き過ぎたり万愚節
花だより聞こえ来る頃母入院
老い母の入院の日の弥生寒
燕来てゐると言うのに母入院
麻酔から醒めるのに少し時間がかかり心配したけれど、無事に済みホット安堵している。快復するまでに時間がかかりそうであり、年も年だから、もう重たい物は持てないだろうとの医師の説明だったとか。もちろん私の介護は無理だと言われた。辛い話であるが年からして当然のことと思う。ただ一日も早く退院して私の傍に居てくれるようになって欲しいと祈る。入院の前日、母が作ってくれた土筆の卵とじが実に美味かった。