伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2013/02/14 20:49:37|その他
浅春
  今日はバレンタインデー、世の人々はチョコレートを貰った、あげたとかで浮かれているようだ。そのチョコレートにも本命、義理、友などがあるようだ。かく言う私も何チョコでも良いから、貰えば嬉しいものである。しかし、貰えば返さねばならないから喜んでばかりはおられない。平和な日本ではあるが、北朝鮮の核実験、領土問題による中国、韓国の反日感情の高ぶり、あるいはPM2.5の影響などを考えると、バレンタイン商戦での経済効果だけを喜んではおられない。そして、グワム島で想像も出来ない事件が起きて、日本人の死が話題になっている。 前回のブログでは大寒に入っても今の平穏に感謝しようという内容であった。その日にいつものところに傷が出来たようで、その後三週間ほど傷を治すのに躍起、車いすには一日45分ぐらい乗せてもらい昼食を食べるだけの日々であった。私が長時間車いすに乗り、あるいはベッドにて長時間起きていて作ってしまったであろう傷を心配してくれて、治すために懸命になってくれるスタッフの情に感謝の気持で一杯になった。寝てばかりやとストレスが溜まるからと、お茶やコーヒーを持って来てくれる優しいスタッフさんに感謝したい。年頭の抱負は一言報恩、心より「ありがとう」と言わなければと思いながら、寝ていると全く何も出来ないために腹を立ててしまった私に、「あなたが作った傷ですよ。治すために寝てもらっているのにストレスを溜めスタッフに当り散らしても困ります」と言われて眼が覚めた。ああ〜、まだまだ愚かで甘いと思うと同時に、何ごとをも不足に思ってはならないと改めて肝に銘じたのであった。昨日やっと二から三時間、車いすに乗ることが許された。またすぐ悪くなるかもしれない、もう傷は作りませんとは断言できない。決して油断はしないが、十分に気を付け慎重に行動せねばならないと実感している。
 
  力抜くことありにけり冬木立 
 
  寒晴や反り返り泣く赤ん坊 
 
  風花にはなやぎ女遠ざかる 
 
  床ずれに伏して睦月の果てにけり 
 
  どことなく谷がむらさき春を待つ 
 
  枕辺に淡き薬香や春近し
 
  寒明けの水なめらかや薬飲む 
 
  福豆を買はず怠惰に徹しけり  
 
  寒の明猫のむくろを取にゆく
 
  立春の卓に一個の赤たまご
 
  脚ひとつ短き椅子や浅き春
 
  掃除機の立つてゐるなり春の部屋  
 
  溜息をつくためにあり春の椅子 
 
  春寒やこころの添はぬ稿ありて   
 
  そんな私に反して母は元気でデイサービスを毎日喜んで受けていた。立春の前日か、三日二晩帰って来なかった愛猫「シロ」が隣の垣根の裾で死んでいるから取りに来てくれと電話があった。平成十六年五月生まれのシロ、九年の命を全うした。可愛がっていた母が悲しがると案じられたが、その心配はなかった。一昨年の十月から母と私は仮住の生活に、以来「シロ」は家から追われた。どこで寝ていたのかは知らないが餌だけは帰って来て食べていた。生まれてより母に抱かれて寝ていたのにある日突然家に入れて貰えなくなったのだから可愛そうであった。野良猫にいじめられ辛い目をさせたと日々思っていた。鳴いて帰ると膝を病んでいても胃を病んでいても餌をやっていた母が思い出される。自分の事も出来ない母子、猫の世話など出来るはずがないからもう猫は飼えない。もっと寂しがり私を困らせるだろうと思っていたが、母は至って冷静で良かった。たかが猫であるが、死ぬことは寂しい。 日毎春めいては行くが、まだ浅春、まだ余寒、春寒、冴え返る日もあろう。インフルエザが流行していると聞くと不安で仕方ないが、母と二人元気で居られることを祈りたい。







2013/01/21 18:20:48|その他
大寒
  今日は大寒、二十四節気のひとつで、一年で最も寒い頃とされている。新年を迎えたと思っていたらなんともう二十日である。今年の抱負は「安穏無事」、「一言報恩」と四字熟語を挙げてみた。その上に一言「足るを知る」を付けて一年を謙虚に過ごしたいと願っている。今日は障害者友の会の例会であった。同病者が大寒の日に元気な顔を合わすことが出来て良かった。何も格別な感慨はいらない。普通でいいのだ。昨年と同じ顔をして、相変わらず下手な俳句を持ち寄り、指導力の乏しい私がなんの面白味も無い話をする。そんな平常に感謝することにした。
 
  成人となるこころざし寒極む 
 
  地震のこと思へば深む寒の靄 
 
  絵双六拝みて婆の賽をふる 
 
  雪中の鳥の眼真つ赤なり 
 
  ふる雪の奥を見つむる烏猫 
 
  大寒や小石に猫のつまづきて 
 
  あくまでも雪は斜めや墓百基 
 
  寒波くる女の髪を掻き乱し 
 
  粉雪の積もるつもりで降りにけり 
 
  年寄りとこの雪積もる積もらぬと 
 
  世に疎く降る粉雪に急かさるる 
 
  雪はげしどうしても思ひだせぬこと 
 
  大寒に向かふ赤子の拳かな 
 
  大寒や鉄瓶の湯のなめらかに 
 
  寒鯉にいつまで続く黙の刻  
 
  寒の水目高の水に足しにけり 
 
  寒卵姿勢正して割りにけり 
 
  大寒の水を呷りて何とする 
 
  新年も予想通りの早さで日は過ぎた。なんでだろうとか、困るとか思わないようにした。なにごとにも感謝の心で居れば気が楽だ。年末に母が病んだことを思い出すと、今日この頃の平穏を喜びたい。デイサービスでは新春恒例の初茶会が催され、美味しいお茶を頂いた。今年は同級生が茶を点てに来てくれて、本格的なお点前を味わえた喜びは大きい。「大寒と敵のごとく向ひたり」という風生の有名な句があるが、何も無理して大寒に向かうことはいらない。暖かい部屋で心静かに落ち着いておればいいのだ。







2013/01/03 18:23:35|その他
賀正

 なんとか越年することが出来て今はホッとしております。昨年末、二十二日に母が咳風邪にて受診しました。二三日前から夜間に激しく咳が出たので咳止め液と風邪薬を出してもらい食後三回服用するや、嘔吐、吐き気、胃液が出る状態になり、薬が飲めず食事も水分も摂取できず苦しみました。二十四日救急診療を受け点滴、その後も食べられず数え日となっても病み続け、二十七日から大晦日まで点滴の処置を受けたのでした。胃弱な母ではありましたが最近は三度しっかりと食べていたし、胃を病んでも二日も食べずにおれば快復したのですが、今回はなぜかと周囲の人が案じてくれ親戚の人のお世話になりました。お陰でやっと年が明けてより少しずつ食べられるようになり喜んでいます。 母が病むと私は………、年賀状のプリントも出来ず、何も出来ない年末でした。生唾、胃液を吐いて苦しそうにしていた二日間以外は、しんどそうにしながらも夜間私の介護をしてくれたことに感謝しています。元旦にやっと年賀状をプリントしてもらい二日に投函、年が明けて出すのが本当の挨拶やと負け惜しみを言っています。こんな時、スタッフはじめ夜勤の人にはご迷惑をかける母子ですが、小規模多機能型にして良かったと思って居ります。大晦日は焼酎を常の倍飲んだために、紅白歌合戦も全く知らずに寝てしまいました。気が付くと村の鎮守のカウントダウンの花火の音が響いていました。何年も年を守って来ましたが、紅白歌合戦を全く見なかったことは初めとのことでした。「昨年の紅白歌合戦はどっちが勝ちましたか」なんて聞くのは実に恥ずかしいですね。
 
  歳晩や胃を病む母に胸騒ぎ
 
  虎落笛激つや吐き気治まらず
 
  逝く年の母を気遣ひ疲れたり
 
  年の瀬を流さるやうに眠る母
 
  先づ母の顔見て年の改まる 
 
  初雀ベッドの母に影躍る 
 
  母の胃の癒ゆる兆しや初日浴び 
 
  病む母に熱き雑煮の届けらる 
 
  唇に血を滲ませ母の寝正
 
  母の粥われもいただき三ヶ日
 
  三ヶ日穏やかなるや母癒えよ
 
 
  昨年後半に細やかな母の祝、あれが悪かったのかその後母が転倒、そして胃を病む年の瀬となりました。昨年の一月半ばに、胃腸風邪にて救急車で搬送されノロウイルスの疑いありと言われたことを今思い出して身が縮まる気がしてきます。米寿という節目を越えた母、もうそんなに頼りにできないと思い悲しくなる私です。鼾をかいていたかと思うとしばらく息が止まっている時、もしやと不安になります。夜中にトイレに行って長く戻って来ないと胸騒ぎがして叫びたくなります。新年を迎えてもなんとなく不安な気持ちはどうすることも出来ません。しかし、そんなに心配ばかりしているとストレスが溜まり尻に傷ができます。「蛇が出そうで蚊もでぬ」ですね。不足に思わず日々感謝して生きることにします。母を気遣いながらも年を越し、早くも三ヶ日が過ぎた喜びは大きいのです。今年もよろしくお願いします。私のつまらない愚痴のようなブログ、更新もままなりませんが、覗いて見て下さい。皆様のご健康とご多幸を祈念致しております。







2012/12/12 22:29:55|その他
極月半ば
  師走に入ってからの日の経つのがまたまた早く、何も出来ないで居る言い訳を考えている昨今である。今日は今年の漢字一字が「金」に決まった。ロンドンオリンピックでの史上最多の38個のメダル獲得、山中教授のノーベル賞受賞、金環日食を象徴しての理由からだ。調べてみると2000年も、シドニーオリンピックで日本が金を多く獲得、朝鮮と韓国の金、金首脳会談の実現、500円硬貨、2000円札の登場などの理由で「金」になっている。なんか今年は予想外、同じ漢字は選ばれないと思っていたから、二度目の「金」にはあまりパッとしない気がする私である。今日で母が膝を病んでより一月が経った。七日に受診、このまま補装具を付けて二週間ぐらい経ったらレントゲンを撮りに行くことになっている。母は「こんな重たくて痛いもの、もう付けへん」と外してしまい、平気で歩いている。装具の事ではもう何度も言い合いをした。まあ仕方ない。一か月経ったからまあいいやろうと私は言うことを止めた。いくら説得しても通じない。怒らすだけである。骨折を機に認知症が進み、寝てしまったと言う例もよくあるのだ。毎日、スタッフさんに迷惑を掛けていることは辛いことであるが、「もう治った、医者はお金を取ろうと長引かすんや、自分のことは自分で解る」と言う母の主張を尊重したいと思っている。しかし、スタッフさんや看護師さんの言うことは聞いてくれているので有難い。「これ以上認知がすすめばどうする、満六十五歳までに母親が一緒に居られなくなったらどうする」と言われるのが何によりも辛く苦しく私を不安にする。健康な者なら親が認知症になれば、もう早く死んでくれと願う子も居るらしい。だが、私の場合は違う。母に世話にならねばならないのだ。一時はどうなるかと思った。母を入院させ、私は施設へという選択をも一時考えた。その時のことを思えば、喜ばねばならない。今度撮るレントゲンが悪くないことを祈りたい。 
 
  小春日や卒寿白寿に労はられ 
 
  老人の瞳の照りや小春空 
 
  膝病みし母の嘆きやもがり笛 
 
  世に疎く日に疎きかな師走入 
 
  婆は皆入れ歯鳴らせり小六月
 
  老いが好きふろふき大根と白粥と 
 
  沈みたる鳰浮くまでや寂しくて 
 
  足の装具重し重しと師走くる 
 
  冬めくと爪噛む癖のをんなかな 
 
  朔風を来てあたたかき老いの家 
 
  冬旱目高の水の蒼きかな 
 
  墨の濃き喪中葉書や冬ひでり
 
  水引の先の跳ねたる小春かな
 
  省略の法を問はるや暮早し
 
  死ぬ死ぬと脅かす母や虎落笛
 
  芦枯れて蛇籠のどこもかも破るる
 
  老い母に言ひ負かさるる霜夜かな
 
  落日をゆつくり見たる十二月
 
  まだまだこの米寿の母に世話になろうと思うことは悪い事かもしれない。しかし、私には無くてはならない母、なんとか膝が治って今までのように居て欲しい。今度受診すれば、よくなっていることをひたすら祈りたい。今年もあと二十日を切ってしまった。じたばたしてもどうにもならないが、私なりに時の流れに抗ってみることにする。「しらふじの里」も泊りを必要とする人が多く、母の養生をスタッフさんに助けてもらえたことも良かった。小規模多機能型にしてもらえて良かったと思える。







2012/11/17 19:14:00|その他
時雨時
  今日はしぐれ忌であった。芭蕉は1695年没だから、今年は319回忌である。一般の人なら百回忌まで、いや五十回忌が関の山であろう。そう思うと芭蕉はなんと偉大な人であろうか。「今日は芭蕉さんの命日です」とデイサービス利用者さんに話したが、あまり興味なさそうであった。 昨日は伊賀市長選挙があった。悪天、夕方には雷も鳴った。市民に変化を促す雷と雨風であったかもしれない。汚点を残して退任した前市長が後継を託した人が落選、元アナウンサーが予想外と言うと失礼だが、大差をつけて当選。選挙は水物とつくづく感じた。私と一つ先輩、上野高校同窓会が推薦している人と、元市職員、退職後は芭蕉翁顕彰会の理事として何ども顔を会している人との一騎打ちだ。どちらを押してもと………苦しんだ。まあ、いずれに投票したかは推測にお任せしょう。私は郵便投票、どんな天候でも問題はない。ところが、あの風雨の中、我が「しらふじの里」の利用者さん、百歳のおばあさんが投票に行かれた。これには頭が下がると共に、その意思に敬意を表した。30歳〜50歳の人たちが平気で棄権するのだ。それを考えると腹が立って仕方なかったし、百歳のお婆さんが自分で記載し、翌日、この人に投票しましたと言ったのには驚いた。
 
  空き箱の重ね置かるる十一月 
 
  しぐれ忌や身のほどの句を携へて
 
  時雨忌の頃の伊賀なり煤け空
 
  しぐれ忌や茶の実椿の実の爆ぜて
 
  しぐれ忌へ夕餉の蕪煮て来しと
 
  枯葎ところどころに朱色の実
 
  靴と靴叩き仕舞へり冬旱
 
  枯野人赤き包みを抱へ行く
 
  冬ざれの野原挟んで家二軒
 
  小春日の食卓を這ふ青き虫
 
  しぐれ忌の頃には当然にして時雨がよく降る。伊賀の煤けた空の色を私は好きである。今日も夕方には雷鳴が轟いた。何もない平穏を喜んでいる。
 
  これが11月12日に更新しょうと思い書いた文章である。今日までこれが更新出来ずにいた。実は、その翌日の朝に母が転倒して膝を強打、平穏が一瞬にして変わる。整形外科受診、レントゲンを撮るも血が溜まっておりよく映らず、翌日市民病院にてCTを撮ると膝半月板がひび割れているとの診断であった。手術、ギブスは無用だが副木を1か月して、その後リハビリと医師に言われる。その一瞬から母の世話にはなれない私の衝撃は非常に大きい。母も己の事態、治療が理解できず、今まで通りにトイレへ行く、ひび割れした右足を地に付けず浮かさねばならないのに私の言うことなど全く聞かず介護士を困らせている。痛みがあるはずだがトイレへ行こうとする。言われたことをすぐ忘れる母に成すすべは、さあ、これからどうなるやら。短期記憶障害であり、転んだことも忘れているようだ。スタッフの言うことも聞かず、すぐ怒り、「死んだ方がましや」と言うのを聞くことは実に辛い。転倒後も私を介護してくれようと思っているようだ。「一月辛抱して、早く治して俺の世話してくれ」と繰り返し話すのだが全く通じない。時雨も風も無情、母子にまた一つの試練が。今日、やっとパソコンが開けられたので………。
 
 夜の更けて枯野の風の枕元
 
 夜にしぐれ朝にしぐれて風の伊賀