今日はしぐれ忌であった。芭蕉は1695年没だから、今年は319回忌である。一般の人なら百回忌まで、いや五十回忌が関の山であろう。そう思うと芭蕉はなんと偉大な人であろうか。「今日は芭蕉さんの命日です」とデイサービス利用者さんに話したが、あまり興味なさそうであった。 昨日は伊賀市長選挙があった。悪天、夕方には雷も鳴った。市民に変化を促す雷と雨風であったかもしれない。汚点を残して退任した前市長が後継を託した人が落選、元アナウンサーが予想外と言うと失礼だが、大差をつけて当選。選挙は水物とつくづく感じた。私と一つ先輩、上野高校同窓会が推薦している人と、元市職員、退職後は芭蕉翁顕彰会の理事として何ども顔を会している人との一騎打ちだ。どちらを押してもと………苦しんだ。まあ、いずれに投票したかは推測にお任せしょう。私は郵便投票、どんな天候でも問題はない。ところが、あの風雨の中、我が「しらふじの里」の利用者さん、百歳のおばあさんが投票に行かれた。これには頭が下がると共に、その意思に敬意を表した。30歳〜50歳の人たちが平気で棄権するのだ。それを考えると腹が立って仕方なかったし、百歳のお婆さんが自分で記載し、翌日、この人に投票しましたと言ったのには驚いた。
空き箱の重ね置かるる十一月
しぐれ忌や身のほどの句を携へて
時雨忌の頃の伊賀なり煤け空
しぐれ忌や茶の実椿の実の爆ぜて
しぐれ忌へ夕餉の蕪煮て来しと
枯葎ところどころに朱色の実
靴と靴叩き仕舞へり冬旱
枯野人赤き包みを抱へ行く
冬ざれの野原挟んで家二軒
小春日の食卓を這ふ青き虫
しぐれ忌の頃には当然にして時雨がよく降る。伊賀の煤けた空の色を私は好きである。今日も夕方には雷鳴が轟いた。何もない平穏を喜んでいる。
これが11月12日に更新しょうと思い書いた文章である。今日までこれが更新出来ずにいた。実は、その翌日の朝に母が転倒して膝を強打、平穏が一瞬にして変わる。整形外科受診、レントゲンを撮るも血が溜まっておりよく映らず、翌日市民病院にてCTを撮ると膝半月板がひび割れているとの診断であった。手術、ギブスは無用だが副木を1か月して、その後リハビリと医師に言われる。その一瞬から母の世話にはなれない私の衝撃は非常に大きい。母も己の事態、治療が理解できず、今まで通りにトイレへ行く、ひび割れした右足を地に付けず浮かさねばならないのに私の言うことなど全く聞かず介護士を困らせている。痛みがあるはずだがトイレへ行こうとする。言われたことをすぐ忘れる母に成すすべは、さあ、これからどうなるやら。短期記憶障害であり、転んだことも忘れているようだ。スタッフの言うことも聞かず、すぐ怒り、「死んだ方がましや」と言うのを聞くことは実に辛い。転倒後も私を介護してくれようと思っているようだ。「一月辛抱して、早く治して俺の世話してくれ」と繰り返し話すのだが全く通じない。時雨も風も無情、母子にまた一つの試練が。今日、やっとパソコンが開けられたので………。
夜の更けて枯野の風の枕元
夜にしぐれ朝にしぐれて風の伊賀