伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2012/10/14 22:43:40|その他
再会
  今日はわが鎮守の秋祭りであり、家の前にある御旅所から踊りの行列が出るのを母と見に出かけた。伊賀市の勝手神社の神事踊と検索すれば写真なども見られるだろう。祭りと言っても私には何も変わりはない。せめて今夜は焼酎の量を少し増やすぐらいかな。いや、それも無理かな。昨日は第七回伊賀市身体障害者スポーツ大会に参加してきた。450名の参加者、まあ盛会であったと言っておこう。パン食い競争と魚釣ゲームに出た。毎年の事だが参加できたことに感謝している。そして、一年ぶりに障害者、関係者と会えたことが嬉しかった。皆一様に「お母さんは元気か」と聞いてくれた。母の存在は今となっても大きいことを思い知らされた。そんな中でもう三年ほどになるだろうか、ふるさとを捨てざるを得なくなり、四日市へ行ったT君と再会できたことが良かった。昨年も会ったが、今年はなんとなく逞しくなったように見えた。彼は母親とヘルパーさんと三人で来ていた。母親は伊賀に彼の兄夫婦と住んでいる。偶に会う息子、一人で生活している息子の事が心配なのであろう。彼のことを思うと私は母と居られて本当に有難いとつくづく思った。彼はまだ若いから、「どうや、友達出来たか。訪問看護受けてたら若くて綺麗な看護師さんとねんごろになれへんか。一緒になってくれる人いやへんのか」とおっさんは言わなくていいことを話した。「来年は男のヘルパーじゃなく、いい娘を連れて来いや」と懲りずに言った。帰る時、「四日市市と伊賀市の福祉の格差を教えてほしいから、何かといい情報を知らせて」とお願いして別れた。
 
  秋高し仏頂面をしてをれず 
 
  木魚より跳び降りにけりちちろ虫 
 
  月太り香り濃くなる金木犀 
 
  水澄むや石段三つみな底へ 
 
  十月の芥抱へしあめんぼう
 
  十月の厨に小鉢増えにけり
 
  ころげ落つ秋の深みのかたつむり
 
  棗の実りんごの味と言はれれば
 
  がちやがちやや棚に並びし空の壜
 
  芋の葉の露をゆらして畑くすべ
 
  立干しの新藁倒れし時匂ふ
 
  コスモスの揺れを見てゐて口渇く
 
  飛ぶよりも崩れ落ちたる蒲の絮 
 
  水引の撓ひに残るよべの雨  
 
  深秋や婆ら躓きころぶなよ
 
  秋深し婆に聴きたる良き昔 
 
  日のあたる彼岸へ向かふ赤とんぼ
 
  死に近き人に止りしゐのこづち 
 
  うそ寒や死の話などさりげなく 
 
  里祭母あれ誰と聞くばかり 
 
  里祭の籠馬われに馴れ馴れし 
 
  猿面に声掛けらるる在祭  
 
  産土神の祭も過ぎ、いよいよ寒さを感じる頃である。先日のスポーツ大会には市長候補の二人が声を掛けてくれた。いずれも伊賀市を任すには心もとないが、有権者はどちらかを選らばねばならないのだから困る。おそらく誰もが思うだろう、どちらも力量不足だと。日毎秋は深まって行く、今は傷もないから原稿など書けば良いのだが、なかなかやる気が湧いて来ない。夜長を母と死の話などしながら過ごすのも良いかもしれない。







2012/09/22 9:40:55|その他
秋深し

 日に疎く過ごして居たらもう秋の彼岸である。「暑さも彼岸まで」で随分涼しく、暑さはもうこんなものやろうと日中の残暑にもそう声を荒げることも無くなった。深秋の心地よい風を一杯浴びて車いすを走らせたいものである。傷を治すのに躍起となっていた時の気分とは今は違い、ここ一週間は傷が治っているので気が随分楽である。先日の十三日に芭蕉祭学童の部応募俳句の選を終えてホッとしている。今年も務めることが出来た喜びに浸っているが、年々子供の俳句への気持が薄れて行くようで寂しい。昨日は近くの医院を受診して来た。前回が六月のはじめで、早くも三か月経っている。何年振りかの胸と腹のレントゲンを撮ってもらった。今に始まったことではないが、腹が張る感じが常にあり、見た目は実に大きな腹であり、出会う人が「その腹、かまへんのか、尋常ではないで」と心配してくれるのだ。今夜は三年ぶりに巨人が優勝を決めた。テレビを見ながら、ひとり歓声を上げ喜んだ。私の周りの阪神ファンに、どや顔を見せてやりたいが無理であり、喜びも半減するようだ。また、民主党党首選は野田さんが過半数を獲得して楽勝、まあ予想通りである。さて、昔からの支持政党自民党は安倍さんが勝てばいいなと思っている。自民党が野党になってからは極めて政治に興味関心が無くなってしまった。それは市政にまで及んでいる。
 
  さう易く忘らるものか花茗荷
 
  秋澄むもいのちの先は見えずなり 
 
  針持てば母は生き生き山の萩 
 
  年寄りの励むぬり絵や秋すだれ 
 
  秋蠅に見られて飯を食ひにけり
 
  稲雀垂れ穂に乗つて躍りをり 
 
  上り坂下り坂あり法師蟬 
 
  綾子忌や鶏頭ばかりが目に入りて 
 
  大納屋の煤け電燈大南瓜 
 
  むら雲の速き流れやきりぎりす 
 
  この森のこの楢の木の法師蟬 
 
  鶏頭に降り出して雨煙りけり 
 
  ころげ落つ秋の彼岸のかたつむり 
 
  手押車の三台つづく秋彼岸 
 
  深秋や年寄りに食すすみたる
 
  母子の日々は知らん間に過ぎて行き、怠惰な自分を戒めてばかりだ。「しらふじの里」は多機能型となり半年を経ようとしている。利益が得られているかどうかも解らないが、ショート利用者もなんとかあり、スタッフの多忙さも見えており一日が活気にあふれているようだ。母はデイの常連、なかなか性に合っているようで有難い、何よりも気に入って通所してくれているのが嬉しい。もちろん私も参加、年寄りに合わすのは難しく気怠さを感じながらも、郷に入ればであって、お年寄りの話を聞いて喜んでいる。同じことを会うたびに聞いてくるところは、母と同じである。母には言葉を荒げ怒ってしまうが、利用者さんには優しく何度も聞いてやり、応えてやっている。それなのに、皆の中でもついつい母には怒ってしまう愚かな自分が嫌になるのである。この愚かさはいつまで続くのだろうか。周りの人の対応を見たり聞いたりしていたら、私にも出来る筈なのだ。居なくなって悔むよりなんとかして今のうちにとしきりに思っている。母が居てくれるから夜もここに居られるのだと、感謝の念で胸が一杯になるときも度々あるのだが、腹立てて怒らせてしまうことも度々ある。これが平常心かな。







2012/08/19 21:11:29|その他
感謝
  残暑はなかなか厳しいが、朝夕は新涼の感があり心和ませることができる。日差しは強くても湿り気がなく風が爽やかである。伊勢参りの後は外出もなく尻の傷との戦いの日々であった。出来れば治り、治れば出来る、その繰り返しにうんざりとしている私だ。悲しいかな戦いとは言えない。降参しているしかないようだ。歳の所為で、治癒力も無くなってしまったのか。起きずに寝ておれば早く治るのだが………。兎角、辛抱のしどころである。 盆も過ぎ、仏にはただ詫びるだけ、自分の不甲斐無さを申し訳ないと毎年思って来た。今年、本屋改修後に仏壇を購入し祀っている。デイサービス利用者さんらは日々入れ替わり参ってくれており有難い。盆やと家で獲れた西瓜や瓜を供えてくれた。棚経に来てくれた和尚さんに、「利用者さんが鉦を叩いてくれております。何かと供えてくれました」と話すと、それは良いことですねと言ってくれた。ご先祖さまに詫びる気持ちは忘れませんが、私に出来る供養を解って欲しいと思っている。オリンピックも終わってしまった。興奮と感動を与えてくれたロンドン五輪、金、銀、銅とメダルの色に一喜一憂した国民であった。テレビ観戦していて、金よりも良いのが銀、金と同じなのが銅やと、実に上手い事を言っていた解説者に感心させられた。金獲得のプレッシャー、それは凄い事であろう。そのプレッシャーに勝つために、選手はあえて金を必ず獲得すると宣言するのであろう。三大回連続金の吉田、伊調らのレスリング選手には誰もが感動をさせられた。ところで、メダル獲得した人のコメント、それはみな一応に「応援してくれた周囲の人々のお陰です。応援してくれた人々に感謝の気持で一杯です」と答えられる。両親や先生、コーチのお陰なら解るけれど、一般人の応援はそんなに大きな力になるのだろうか、自分の血の滲む必死の練習、自分の想像を絶する努力はどうなっているのだろう。日本人、いや人間はこんなとき、慎ましやかに賢い事を言うのだなと私は思った。私が、何かにつけ周囲の人々のお陰だ。何よりも感謝していると言うのとは大きな違いがあるのではないか。こんなことを考える私はやはり変人かな。
 
  人妻の線香花火に浮かぶ膝
 
  背の高き女の大きサングラス 
 
  水あそび小犬洗うて終はりけり 
 
  夕涼や若き僧侶の深まなざし 
 
  ソーダ水虫養ひにしてゆふべ 
 
  ひかがみの白き女や花さびた 
 
  爺婆に小言の多き夏の果て 
 
  けふ大暑息整えて豆腐切る
 
  かなかなや明けに激しき雨の中 
 
  長崎を想へば鶏頭燃え上がる
 
  老人と大いに語れ終戦忌
 
  ねこじやらし穂の太きこと長きこと 
 
  裸子や見らるることを楽しめる 
 
  爽やかに噛んでみせたる金メダル 
 
  応援の頬の日の丸汗ひかる
 
  不甲斐なさ盆の仏に詫びてをり 
 
  ひぐらしの声に腹空く心地よさ 
 
  埃立て雀飛び出す残暑かな 
 
  生きて居ることが自慢ぞ生身魂 
 
  盆三日ことに賑はふ老いの家
 
  生身魂また怒らせてしまひけり  
 
  傷の完治の為に日々悩み落ち込んでいる。ストレスも溜まりそうである。母は私の介護に懸命で、力がなくなっても「車いすに乗せたろうか」と心配してくれている。しかし、「なぜや、寝てばかりやないか」と心配してくれるのは嬉しいが、傷を治す為にベッドに居ることをすっかり忘れているのだ。これはもう想定内のこと、いちいち腹を立てる私が愚か者なのだ。「しらふじの里」は、盆ほど盛況で泊まりも連日であった。盆の季語に「生身魂」と言うのがあるが、これはもう俳句の世界だけの事、「盆ぐらい生きて居る両親を大事したれよ」と叫びたいが、「そんな年寄りを泊める施設として提供しているのは誰や」と言われそうで悲しい。しかし、母にはどこへも行かさない私、生身魂として敬う盆であった。ケンカ出来ることは本当にいい事、仏よりも感謝したい。話が出来るだけで有難いのだ。傷を治すための得策は起きない事、この更新がやっと出来たのでホット安堵、明日から横になる時間を多くしょう。







2012/07/17 21:00:57|その他
伊勢参り

  今日梅雨が明けた。例年並みだろうか。今年の梅雨、初めは雨が多かったが、総じてそんなに多く降らなかったと思える。今は言われなくなったが「男梅雨」であった。大分、熊本、などの大雨の被害は他人事とは思えず、自分の住む土地のよろしさに感謝せずに居られなかった。十四日には念願の伊勢参りをして来た。還暦、耳順を記念しての外宮、内宮参拝。同行してくれた友人に感謝しながら、かねてからの思いを果たした喜びに浸ることが出来た。四十二歳の年に厄落としに参ってより十八年振りの外宮内宮、初老の年は友人の数も多く、石段を吊って上げてもらって参拝した。しかし、今回は石段の下から参拝、スロープがあったらなと思いながら。観光案内誌などを見ると、「石段があるが、参拝者にお願いして上げてもらえば良い」と書かれている。手押しの車いすならこと易いことだが、やはり重い電動車いすになると男四人が必要となり、そう簡単には行かない。相当気が大きい小生も石段の下から参拝し、賽銭はヘルパーさんに供えてもらった。「ここからでも神様は見てくれているよ」と呟いていた。祈願を受けるほどの事もなく御札を買って帰って来た。今回の改修工事の完成を祝し「しらふじの里」のスタッフが神棚を購入してくれた。ようやくその神棚を小生の部屋へ設置してもらったばかり、そこへ納めるのに欲しい御札なのであった。今年になり、神棚の事が気がかりで仕方なかったが、これで心が晴れ晴れとした気がした。伊勢参りの一週間前にいつもの所に床ずれが出来た。これはもう伊勢参りは断念せねばならないかと思ったが、スタッフが気にかけてくれ、自分も寝て治す努力をした為に完治まではいかないが随分良くなった。スタッフらの私への心配りに感謝せずにはおられない。しかし、また長時間車いすに乗っておれば傷は悪化するに決まっていた。七時間車いすに座り放し、玉砂利を鳴らしながら参道を行くときも汗が出るし、帰りの車中でも冷や汗が出て仕方なかった。これはアカン、傷が悪くなっているなと覚悟して帰宅。ベッドに寝るや先ず傷の確認をしてもらうと何も悪化していなかったのだ。本当に有難く嬉しかった。私にとって一大イベントであった伊勢参りを無事に終えた。
 
  樟の花はらりぱらぱら伊勢神宮 
 
  神鶏の掻き飛ばしたり夏落葉 
 
  神杉の苔あをあをと涼気過ぐ 
 
  青田風車窓を馳せる伊勢平野 
 
  内宮の暗き石階涼しかり 
 
  苔厚き外宮屋根や梅雨蒸せり 
 
  正殿の千木が突きたる梅雨の空 
 
  手水舎に寄れば涼しき風生まる 
 
  鰹木に夏木の洩れ日躍りをり 
 
  梅雨忘れ宇治橋渡る車いす
 
  宇治橋を悠々車いす涼し 
 
  玉砂利を鳴らせば涼気生まれたり 
 
  樟の間を抜くる神風梅雨湿り 
 
  神風に耳順の汗のひきにけり 
 
  梅雨暗し勾玉池の奥暗し 
 
  神のちやぼ夏の落葉を蹴散らせり 
 
  風死して正殿までの木下闇 
 
  神馬無き小屋の暗がり梅雨の末 
 
  内宮の朽葉の臭き木下闇 
 
  初蟬や天へ抜くるよ神の杉 
 
  杉檜樟の隠せり梅雨の空 
 
   「しらふじの里」も少し落ち着きを見せて来た気がする。スタッフも充実し、大分馴れて来たように見える。しかし、まだまだ勤務表作成にあたり四苦八苦している様子を目の当たりにすると心が沈む。母は然程変わりなく喜んでいる。忘れることに関しては呆れるばかりだが、機嫌よくデイを受け、スタッフらに可愛がってもらっている。デイが終わると家の周りの草引きに出掛ける。部屋の掃除など眼中になく、「誰も草は引いてくれへん、私がしやな」とやり甲斐と存在感を感じているようだ。機嫌良ければそれでいいが、私のことを忘れ暗くなるまで戻らないときがある。恥ずかしいが時間が経つと小便を洩らしてしまう私だ。そんな時はまた一戦を構えなければならない。自分は正しい、していることは良い事、滅多に謝らない母である。まあそんな母を頼りにして行かねばならないのは私の性である。こんな悲しい母子、傍から見たら情けなくも見えるだろうが、世の中もっともっと悲しい母子も居るだろう。この母子、見た目よりも、そう憐れむことはないのではなかろうか。しかし、目を離せない、放っておけない母子なのであることには真違いない。「しらふじの里」の皆さんに見守られ、お世話になり命を育んで行く母子、感謝の気持を忘れず明るく過ごしたい。母には感謝している。だからこそ頭の刺激になればと、ついついケンカを売ってしまうのだ。







2012/06/24 23:51:31|その他
梅雨に慣れて
  一ヶ月がどうしてこんなに早いのか、これは誰でも思うことか。デイサービスを受けに来ている八十歳から百歳の老人に聞いてみると、一様に「何にもしてへんのに早くて早くて」という声が返ってくる。わが母なども今日は何日の何曜日が解らないようだ。当然日の経つのは早い。今日は何をせねば、何日までに何を、締め切りは何日などと常に考えている私も日の経つのが早い。どういう人が日の経つのが遅くて辛いと言うのだろうか。六月も終わり近くなって来た、六十歳を一か月過ごしたが、何も変わりはない。今年の梅雨は台風が上陸したりして雨が多いが、そうジメジメした日も多くなく有難い。その台風も大したことなく過ぎて良かった。足の速い台風は潔くて感じが良い印象が強い。六月の半ば、大津にて昔の俳句結社の集まりがあった。2001年に主宰、沢木欣一が死去して翌年終刊になった「風」という結社誌で学んだ懐かしい人に会い感無量であった。二十余年ぶりに会うことが出来た句友、みんな私との出会いを喜んでくれた。結社が消滅して五回目の会であり、今回が最後で三重県の連中が発起人となって開催、私も発起人の一人として初めて出席であった。俳句の縁、俳句を通しての人との繋がりを大いに感謝した。当時六十歳の人はすっかり年老いて、私が出席したことを涙して喜んでくれた。掲載の一葉は沢木欣一、細見綾子夫婦。風の会の正面にあふれる生花と共に飾られてあったものである。弟子にとってはもはや神であり仏である。俳句を作り続けて行く以上は、一つの信仰のように崇拝して行く二人である。
 
  郭公の鳴く暁け方や金環食
 
  竹皮を右へひだりへ脱ぎにけり
 
  心地よき飢えほととぎす啼く夕べ
 
  老人に遠見る癖や麦の秋 
 
  淡海てふホテルの外の麦の秋 
 
  梅雨の底駆くるげじげじ団子虫 
 
  梅雨の底蛙泣くとも笑ふとも 
 
  梅雨深し女の言葉尖るなり 
 
  杖の音車いすの音梅雨じめり 
 
  網戸より年寄りの悲喜洩れ来たり 
 
  看護師の首の細さよ夏あざみ 
 
  雨晴れの日に金魚草泳ぎ出す 
 
  その中のひとりが梅雨も楽しみと 
 
  雨傘を広げれば落つかたつむり 
 
  でで虫のひとつふたつは可愛くて 
 
  人老いて忘れ易しや七変化 
 
 一葉に心熱くなり梅雨の底
 
   赤ん坊の肉ふはふはや雲の峰               
 
  小規模多機能型として三か月が過ぎようとしている「しらふじの里」も大きなトラブルもなく有難い。実際に働く人々にはなかなか厳しいところもあるらしいが、私には何も聞こえて来ない。母と恙なく感謝して生きている。何も不足はない、何一つ不自由はないと言えば嘘になるが、有難いことが多く日の経つのが早過ぎる。この更新もやっとその気になった。覗いてくれる人に申し訳ないが、アクセス数とコメントは毎日確認している。更新のないものを何度も見ると嫌になるだろうと心苦しくなる。しかし、更新がなければ、元気で平穏に過ごせていると思って頂ければ有難い。夜は静かである。夜遅くまで起きている癖の悪い私の隣に母は鼾をかいている。開けた口には入れ歯が今にも出て来そうであり、老いたなあーと思ってしまう。寝息が聞こえれば安心、時々静かになるときもあるから怖い。それでも用事があって呼べば起きてくれる。外は雨の音が断続的に、さあもう寝よう。母に頼んで小便を取ってもらうことにする。いつまでも母が頼りなのだ。