台風18号の通過は伊賀人にとってホッと安堵したことであったが、続いて来ている19号の進路予想図を見ているとまともに伊賀直撃のようで怖くなる。もう少し偏西風が強く方向を右に変えてくれると有難い。12日はわが在所の里祭であるが、雨はどうだろうか。天変地異、自然の驚異は恐ろしい。何も悪いことをせず真面目に平凡に生きて居る者にも容赦なく無慈悲なものである。前回の更新より早くもひと月、その間平穏に母子は生きさせてもらった。やらないでおこうと思いながら、ケンカしながら90歳に世話になって来た。傷がなかなか治らないため、車いすに乗ることも少なくなった。せっかくの秋も深まって行くばかり。前回は芭蕉祭顕詠俳句学童の部の選考の日であった。過ぎれば早いもので、私たちが選んだ句の作者が、明後日は表彰される芭蕉祭であるが台風の影響はどうだろうか。今年は芭蕉翁生誕370年記念事業として様々な催しが開催されている。俳句に関わる一人として、意義ある好事業ばかりであり頭が下がる思いであり「芭蕉翁生誕370年記念事業実行委員会」の皆様に心より感謝したい。そこで一つ愚感を書いてみたくなった。実は私の手元にこんな面白い俳句の募集要項(チラシ)が届いた。それは、『芭蕉翁生誕370年記念事業「はいく大募集!」』、投句箱設置場所が31か所。締め切りは10月31日。問い合わせ先は、伊賀市企画振興部文化交流課。題は自由、未発表の作品。発表は記念品の発送をもって発表と詳細が記されてある。さあここで何か抜けていませんか。誰が選考するのか、どんな俳句募集においても選者名が記されているものだ。「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」募集要項を見ても、選者ではないが審査員が明記されている。こんな俳句募集は40年近く俳句に関わって来たけれど手にしたのは初めてである。そして、発表は記念品の発送をもってとは笑ってしまった。まるで懸賞かクイズの抽選のようだ。「芭蕉翁生誕370年にちなみ、俳句作りの楽しさを実感していただく俳句を募集しております。皆様のご投句をお待ちしております」と書かれあるところが少し情けないのだ。「俳句作りの楽しさも変って来たぞ」と芭蕉翁の声が聞こえそうだ。こんな俳句募集、今まで例がなく本当に珍しいことなのだ。主催者が笑われないかと心配になるのは私だけだろうか。
三つ目の橋のたもとの初紅葉
みなぞこの蟹の爪振る秋の水
草じらみ猫の額にぎつしりと
手ぬぐひを首に巻く子や豊の秋
いつからか巻き上げてあり秋簾
鈴虫の翅立てしまま死んでをり
ひと握り零余子遺して嫗逝く
とろとろに煮えて冬瓜透けてをり
心臓の薬と木の実ポケットに
焼く魚の尾の燃え上がる初嵐
穂袋の透くる早稲田や月夕べ
大根蒔く嫗や肘を尖らせて
堰滑る水捲れたり雁わたし
木の股にでで虫のゐて秋高し
穴に入る蛇のまばたきせし思ひ
しんがりの胸光らせり渡り鳥
色褪せて大鶏頭の凭れ合ふ
秋うらら縁に垂れ目の猫ねまる
間延びして聞こゆ伊賀弁虫の夜
馬追の跳ねるかたちに皮脱げり
母と子の黙の一刻地虫鳴く
百歳の箸を持つ手の爽やかに
雨しきり頻り妻乞ふきりぎりす
大没日揺らしてうねる椋の群
不具の子を遺し逝けぬと残る虫
月蝕のゆふべ秋冷つのりけり
市が企画することに私がとやかくは言わないでおこう。こういう俳句募集もあって良いのかな。どんな俳句が集まるだろうか。私は自分の日々を私の俳句作りに縋り精一杯生かされたい。俳句なんて市民の何割が支持してくれているのだろうか。その昔、芭蕉さんも伊賀の人々から良しと思われなかったのは真実なのだ。芭蕉さんを良く思わないのは俳句を良く思わなかったのだろう。なぜ、もっと早くから認めてあげなかったか。今現在、伊賀市民の中に、「私は俳句が嫌いや、芭蕉が嫌いや」と正直に思っている人は沢山居られると思う。そんな人に俳句作りの効用を話して行きたい。今回掲載の句は我ながら少しはましやと思う俳句である。読者の皆さんの感想が聞きたい。