伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2014/10/10 20:22:00|その他
芭蕉翁生誕370年
  台風18号の通過は伊賀人にとってホッと安堵したことであったが、続いて来ている19号の進路予想図を見ているとまともに伊賀直撃のようで怖くなる。もう少し偏西風が強く方向を右に変えてくれると有難い。12日はわが在所の里祭であるが、雨はどうだろうか。天変地異、自然の驚異は恐ろしい。何も悪いことをせず真面目に平凡に生きて居る者にも容赦なく無慈悲なものである。前回の更新より早くもひと月、その間平穏に母子は生きさせてもらった。やらないでおこうと思いながら、ケンカしながら90歳に世話になって来た。傷がなかなか治らないため、車いすに乗ることも少なくなった。せっかくの秋も深まって行くばかり。前回は芭蕉祭顕詠俳句学童の部の選考の日であった。過ぎれば早いもので、私たちが選んだ句の作者が、明後日は表彰される芭蕉祭であるが台風の影響はどうだろうか。今年は芭蕉翁生誕370年記念事業として様々な催しが開催されている。俳句に関わる一人として、意義ある好事業ばかりであり頭が下がる思いであり「芭蕉翁生誕370年記念事業実行委員会」の皆様に心より感謝したい。そこで一つ愚感を書いてみたくなった。実は私の手元にこんな面白い俳句の募集要項(チラシ)が届いた。それは、『芭蕉翁生誕370年記念事業「はいく大募集!」』、投句箱設置場所が31か所。締め切りは10月31日。問い合わせ先は、伊賀市企画振興部文化交流課。題は自由、未発表の作品。発表は記念品の発送をもって発表と詳細が記されてある。さあここで何か抜けていませんか。誰が選考するのか、どんな俳句募集においても選者名が記されているものだ。「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」募集要項を見ても、選者ではないが審査員が明記されている。こんな俳句募集は40年近く俳句に関わって来たけれど手にしたのは初めてである。そして、発表は記念品の発送をもってとは笑ってしまった。まるで懸賞かクイズの抽選のようだ。「芭蕉翁生誕370年にちなみ、俳句作りの楽しさを実感していただく俳句を募集しております。皆様のご投句をお待ちしております」と書かれあるところが少し情けないのだ。「俳句作りの楽しさも変って来たぞ」と芭蕉翁の声が聞こえそうだ。こんな俳句募集、今まで例がなく本当に珍しいことなのだ。主催者が笑われないかと心配になるのは私だけだろうか。
 
  三つ目の橋のたもとの初紅葉
 
  みなぞこの蟹の爪振る秋の水
 
  草じらみ猫の額にぎつしりと
 
  手ぬぐひを首に巻く子や豊の秋
 
  いつからか巻き上げてあり秋簾 
 
  鈴虫の翅立てしまま死んでをり
 
  ひと握り零余子遺して嫗逝く
 
  とろとろに煮えて冬瓜透けてをり
 
  心臓の薬と木の実ポケットに 
 
  焼く魚の尾の燃え上がる初嵐 
 
  穂袋の透くる早稲田や月夕べ
 
  大根蒔く嫗や肘を尖らせて  
 
  堰滑る水捲れたり雁わたし 
 
  木の股にでで虫のゐて秋高し
 
  穴に入る蛇のまばたきせし思ひ 
 
  しんがりの胸光らせり渡り鳥 
 
  色褪せて大鶏頭の凭れ合ふ
 
  秋うらら縁に垂れ目の猫ねまる 
 
  間延びして聞こゆ伊賀弁虫の夜 
 
  馬追の跳ねるかたちに皮脱げり
 
  母と子の黙の一刻地虫鳴く 
 
  百歳の箸を持つ手の爽やかに 
 
  雨しきり頻り妻乞ふきりぎりす
 
  大没日揺らしてうねる椋の群
 
  不具の子を遺し逝けぬと残る虫
 
  月蝕のゆふべ秋冷つのりけり  
   
   市が企画することに私がとやかくは言わないでおこう。こういう俳句募集もあって良いのかな。どんな俳句が集まるだろうか。私は自分の日々を私の俳句作りに縋り精一杯生かされたい。俳句なんて市民の何割が支持してくれているのだろうか。その昔、芭蕉さんも伊賀の人々から良しと思われなかったのは真実なのだ。芭蕉さんを良く思わないのは俳句を良く思わなかったのだろう。なぜ、もっと早くから認めてあげなかったか。今現在、伊賀市民の中に、「私は俳句が嫌いや、芭蕉が嫌いや」と正直に思っている人は沢山居られると思う。そんな人に俳句作りの効用を話して行きたい。今回掲載の句は我ながら少しはましやと思う俳句である。読者の皆さんの感想が聞きたい。







2014/09/13 23:16:19|その他
はいとぴあ
  先日は「しぐれ忌顕詠俳句.学童の部」の選考会に出席して来た。八時半より五時までハイトピア五階の一室に缶詰めになって、傷が悪くなってもこれだけは勤めなければと頑張って来た。ハイトピアとは俳聖松尾芭蕉のふるさとで俳句の都「俳都」と理想郷の「ユートピア」を組み合せたもので、伊賀市の新しい顔として、伊賀らしさ、親しみやすさを表現しているそうだ。俳句の選をするのに最も相応しい場所と言えよう。今年は大凡であるが、保育園700句、一年生2300句、二年生2300句、三年生2400句の中から、それぞれに特選3句と入選50句を、五人で八時間をほとんど休憩もなく必死で選んだ。全国からの応募だが、やはり市内の学校が大半であった。子供たちの作品は素直であり多くの佳作があった反面、どうにもならない作品も多く虚しさを覚えた。保育園と、小学生も低学年の作品だけに将来性を思いながら選句した。
 
  草の灰汁シャツに黒ずむ晩夏かな
 
  日の暮れの風頬にくる広島忌
 
  新涼の風束となり切通し 
 
  雨止んで草立ち上がる敗戦忌 
 
  生身魂亀飼ひゐると申しけり
 
  がちやがちやと今宵夜更ししてゐたり
 
  捨てることもっての他や敬老日
 
  仲秋や土間の暗みに石の臼
 
  水戸落に星のちらばる落し水 
 
  自然薯のいま三尺を掘られたり 
 
  蕗の葉に包み零余子を拾ひけり 
 
  これはまた大き種茄子いたち色 
 
  味噌汁の熱きが好きや秋海棠 
 
  今年また鶏頭に三尺離れ見む 
 
  古木活け藤の実ひとつ活けてあり 
 
  燃え上がる燻べの中の栗の毬
 
  卵産む蟷螂の眼を潤ませて 
 
  猫の眼を細めてちちろ聞いてをり 
 
  過去帳を母と見入るや虫しぐれ 
 
  玄関の陶狸掠めて燕去る 
 
  とさか撫ぜ婆鶏頭の種を採る 
 
  車いす谷の窪みや渡り鳥 
 
  となめせしまま膝に来る赤とんぼ 
 
  伊賀の風唸り癖つき虫しぐれ 
 
  学童の選に関わっていて思うことは、芭蕉の郷里に生まれ俳句を作れる喜びを子供たちに感じて欲しいということだ。もっと俳句への情熱をもって欲しいのであり、小学生から中学生が俳句に親しみ、そして高校生になり本格的に俳句を作って欲しいと願うのは私だけか。忍者の伊賀市も悪くはないでしょうが、それ以上に俳句の伊賀市として発展して欲しいのである。俳句に関わりのない人、俳句が嫌いな人にも芭蕉という俳聖を誇りに思って欲しい。市役所の四十九町への移転が決定した今、跡地には芭蕉記念館が建ち、ハイトピアと上野城が隣接する環境が俳都に相応しいのではないだろうか。新しい芭蕉記念館を目にすることが出来るかは定かではないが、その日を楽しみにしたい。もうしばらく芭蕉さんを神と崇め信仰して行きたい。







2014/08/08 20:18:03|その他
立秋
  今日はわが菩提寺の施餓鬼法要であった。梅雨の底にてなんとか生きていると書いてより早くも施餓鬼である。そして、もう盆がそこまで来ている。施餓鬼も盆も私にはあってない様なもの、供養料をお供えしてあったので隣人が塔婆を持って帰ってくれた。それをわが家の仏前へ、わが家の先祖代々の供養である。それで施餓鬼は終わりだ。盆の行事も人任せ、これでよくも罰が当たらない母子なのだろう。前回のブログより傷は一向に良くならず仲良くして来た。完治することなく生活する上において情けない限り、傷が無ければどれだけ気分が良いことだろう。でも、傷があるとスタッフは優しく大事にしてくれるが、車いすに乗れないのが悲しい。俳句作りが全く出来ないのである。そんな愚痴ばかりの生活でも過ぎるのは早く今日は立秋なのだ。立秋と聞くとなんとなく気が安らぐ。しかし、残暑はまだまだ厳しいだろう。盆、敗戦忌、夏の選抜高校野球、わが町では市役所建設地を決定する住民投票が行われる。さあ、どちらに決まるか興味が湧く、どちらになっても郡部に住む者には然程変わらない。旧上野市に住む者が歩いて行ける所に市役所があれば良いに決まっている。いずれにせよ、話をまとめる者にカリスマ性が不足しているように思える。50パーセントの投票がなければ無効とか。無効の時の経費はどうなるのか。その昔、選挙に関わったことのある私、四〇年前、総務課にいた私、選挙事務一日と残業、開票事務などで2〜3万円ぐらいの小使が入ったのを覚えている。今回、50パーセントの投票率が無く無効となれば、選挙関係者の手当は市に返還するとかして、さすが伊賀人!まだ公僕としての精神が生きていると感嘆させて欲しいと私は思う。
 
  黒豆と椎茸煮たる海の日よ 
 
  月の出を待ちてはじまる蟬の羽化 
 
  老人の杖先つぶれ広島忌  
 
  まだ何か出て来るやうな蟬の穴 
 
  かぜの渦かぜの筋見せ大青田
 
  夕菅や父の記憶のうつすらと
 
  よだち果てゆつくり草の立ち直る 
 
  ラーメンのカツプに金魚もらひけり 
 
  ためらひてなほためらひて切るマンゴー 
 
  向日葵の芯見てをれば腹減りぬ 
 
  襟首に黒子のをんなサングラス 
 
  蚊遣香目にしむと世を拗ねてをり 
 
  雷近くなると女の優しくて 
 
  仕出し屋の股間につかふ渋うちは 
 
  喜怒哀楽忘れ上手や花茗荷
 
  焼酎に酔うていささか世を拗ねる 
 
  竜巻の注意報出し晩夏かな 
 
  夏負けの子の抱く熊の縫ひぐるみ 
 
  原爆忌けふも竜巻注意報 
 
  車椅子に乗らなければ自然と接することが出来ず納得出来る俳句は作れない。所詮無理なんだ。こんな体でジタバタしても。身の程を知り前向きな気持ちを断念すれば楽なんだが。ブログなんて止めれば気が楽であろうが、覗いてくれる人のことを思えば気になって、申し訳なくて仕方ありません。ごめんなさい。嫌にならないで下さい。見守って下さい。







2014/06/22 18:12:00|その他
梅雨のぞん底

 何と言う怠惰であろうか、この更新が随分滞ってしまったことか。いくら嘆いても詮無いことだが、情けないというより悔しい。怠け癖は慣れてしまえば気ならないもの。いやそんなことはない。自分のブログのアクセス数はこまめに確認していたのだ。そして、更新出来ない現状を仕方ない一言でやり過ごして来た。傷の悪化でパソコンをするためにベッドで起きることが制限された。五月から六月とあれあれと思って居る間に日が過ぎたようだ。五月は特に腰の辺りの床ずれを周囲の人らの心配が頂点になり、いろいろ悩んだ末に四日市小山田温泉記念病院整形外来を受診した。折しもわが六十二歳の誕生日であった。そして、六月には地区の運動会、同年の有志と花菖蒲を見に行ったりした。傷を治すために躍起となりながら、大分良くなってもまた外出、当然傷が悪化するというくり返しの日々であった。歳の所為で皮膚の再生力、総じての治癒力が低下したのだと諦めれば良いのかもしれない。四十年前に私の床ずれを手術によって治してくれた医師を探り当て受診することが出来たことは感慨一入であったが、傷を診て「このままでいい、何もしなくていいですよ。清潔にさえしておれば。」と薬ひとつ出して貰えずに帰って来ました。入院も覚悟し受診に臨んだ私は気抜けしてしまった。周囲の人々の心配を払拭することが出来なかった。これからも、傷との付き合いが続くのであろう。
 
  美しき女の鎖骨なつはじめ
 
  手を吸ひに鯉来るといふ初夏よ 
 
  何いろと問へばむらさき聖五月
 
  のら猫の貌をあづけし初夏の風 
 
  味噌の味変はりし頃や花山椒 
 
  ぼうたんの芯をまさぐる男子かな
 
  牡丹みな蕊をあらはに果てにけり 
 
  母の日の母を泣かして外に出たり 
 
  雷ひとつ夜のみどりを匂はせて 
 
  胸もとの広きをんなやソーダー水 
 
  昼顔の咲く刻床ずれに薬塗る 
 
  梅雨入りや昼より痒し耳の奥
 
  似顔絵の眼に睨まるる梅雨の闇
 
  わが正面どつかと梅雨の虹かかる 
 
  梅雨の底げぢげぢとゐる団子虫
 
  焼酎やゆふづつを見てみねを見て 
 
  東西に南北に駆けほととぎす 
 
  大梅雨や女言葉を尖らせて 
 
  郭公やおそろし母の物忘れ
 
  いと易く忘れし母や遠郭公  
 
  もちろん昨句にも身が入らず、五、六月の句会はまともな句が作れなかった。落ち着きが無く、外へ出て自然と触れ合うことが無くなった。俳句に関しては実作、選句とも拙くて情けない。最近頓に思うようになった。しかしながら、家に居られて気儘に平凡に生きられることに感謝したい。今の傷なんて、床ずれに苛まれた当時のことを思うと大したことはない。されども、日々介護を受けて居る周りの人々の心配を無くすことが出来れば良いことだと思い日々我慢している。母は徐々にと言うか、かなりと言うか記憶障害は進んでいるかもしれないが、まだまだ夜間は世話になっている私である。尋ねて来てくれた人と機嫌よく話していたというのに、一時間しない内に忘れている。来たハガキなんかを読んでくれるたが、そのハガキが傍にあり目に入るとまた読んでくれるのだ。何度繰り返されるだろうか。相手にならないで居ると怒るし、なかなか対応が難しいのだ。梅雨の底にて母と二人感謝して生きばならない。







2014/05/02 18:41:11|その他
惜春愁
  桜が咲いたと浮き浮きしていたら、いつのまにか急に若葉が萌え出て、いつもみている嶺々の美しさに感動しています。わがブロク、古臭くて見るのが嫌になるでしょう。「なんやねん、同じ俳句やんか。新しいのをよう作らんのか」と笑われているようで辛いです。申し訳ない。更新しようと常に思っていましたが今になってしまいました。言い訳も、いい格好もしません。怠惰なる自分を反省するばかりです。そこで、少し言い訳をしておきます。どうしても傷のことを言い訳にしてしまいます。ずーと傷が完治しのません。過保護にし過ぎると言われそうですが、周りの人の心配が有難く早く完治させたいと焦らずにはおられない毎日です。今日五月一日は近くの医院を受診しました。今までは市の事業としての移送サービス(病院への受診に限り)、それは伊賀市社会福祉協議会に委託されていました。その事業がこの三月で廃止になりました。さあ、どうしよう。市(社協)が移行を進める民間の移送サービス事業所には私が必要とするリフト付きワゴン車を所有する事業所は二か所しかありません。そして、そこを利用すれば相当な経費が必要で、今までの事業にての利用料金の三倍以上にもなります。こういう現状は当事者でなければ解りません。そこで私と助言者の奨めで、私が自分の乗る車を持つ事にして、その車をボランティアさん(無償)に運転してもらって通院や一般外出に利用することにしました。その手始めとして今日は病院へ連れて行ってもらいました。さあ、今後この私たちが立ち上げようとしている事業が世間に共感を呼び、弱者の助けになり利用者が増えることを願いたい。これを読んでも、なんか訳わからんはと思う健常者が多くおられるでしょう。儚い抵抗かもしれません。行政の施策に文句をいっている訳だから、補助金などは貰えないだろうが、障害者が自ら移動する足を確保したいと思ったのです。これも自立、前向きに生きようとする重度障害者の生き方です。果たして、意志に共感し無償にて運転してくれる人が、この世知辛い世の中に居られるかが最大の問題です。
 
  傷深き俎板干せり桜どき 
 
  喜寿米寿卒寿白寿とさくら観に
 
  橋の下まで明るかり桜どき
 
  花冷えを極め臍より足裏まで
 
  花疲れ今宵枕のやはらかく
 
  楤の芽の青空へ出て切られをり 
 
  パンジーや窓にハンカチ貼って干す 
 
  豆三粒包めるほどの柿若葉
 
  朧月添ひし火星の大きかり
 
  婆ら選る芹の山積みいかにせむ 
 
  夕月を跳ね上げ嶺の山ざくら 
 
  嶺晴れて浮かぶをちこち山ざくら 
 
  春水に濡れし女の肘光る 
 
  鳥渡る空の窪んでゐるところ 
 
  味噌嫌ひ木の芽嫌ひの女かな 
 
  柿の芽のほぐれに雀頬擦れり 
 
  ぼうたんに屈む女の腰太し
 
  風の傷み雨の傷みの大牡丹 
 
  緋牡丹の芯嗅いでみむ嫗かな 
 
  緋牡丹の綻ぶ芯の暗さかな
 
  水面打つしぶきの光り夕つばめ 
 
 畑士女の黒髪掠めむ恋つばめ
 
 婆の顔写る一年生のランドセル 
 
 風船を持てば飛びさう百の婆 
 
 茶碗蒸好きな亡き師や若葉寒 
 
  昨年も傷がどうのこうのと書いています。もういい加減に小さな傷のことは黙っておこう。これじゃ同じことを言う母を叱っていられない。連休も変化はないし、母の状態も安定しています。感謝して生きます。しかし、日に一度は何度も同じことを聞く、覚えられない母には腹を立ててしまい口論になりますね。何度聞かれても、今初めて聞いたごとくに応えてやれる自分には絶対になれません。「アホになってしもうて覚えられへん私に聞かれたら、何度でも優しく教えてくれたらええんや。ボロカスに言わんでもええんや。何も自分では出来へん者が偉そうに言うな」と母は怒るとよく言います。その通りなんです。よーく解っていますがなかなか出来ません。いつになったら何度でも応えてやれるようになれるのでしょうか。