伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2015/11/13 22:10:47|俳句
しぐれ忌
 昨日は十一月十二日であり、伊賀市柘植町山出の萬寿寺では芭蕉忌(翁忌)が修された。今年は割合と暖かく時雨れることもなかった。芭蕉忌にしては珍しい。毎年、地元の人々が思考をこらし、コーラスや講演会などで忌日を盛り上げたと聞いている。芭蕉は一六九四年に亡くなられ今年は三二一回忌である。私も何年か前に翁寺(萬寿寺)へ車いすにて馳せ参じたこともあった。本堂へ吊ってあげてもらったことを今も鮮明に覚えている。ここ何年は我が家にてお年寄りに芭蕉忌であることを伝えているだけである。しかし、先日七日には例年通りの「しぐれ忌俳句大会」があり選者の末席に加えて頂いた。 今日はデイサービスの利用者さんと一緒にわが町の霊山寺の大イチョウを見に行って来たが、まだ天辺だけが黄葉しているだけであった。和尚さんに聞くと、この銀杏の樹齢は三百年ぐらいかなと教えてくれた。三百年の間、この山服から伊賀町を見守って来た銀杏なのだ。芭蕉はこの寺を知っているかもしれないが、この銀杏は見ていないのだろう。そんなことを考えると実に面白い。
 
  風にいろ雲にいろあり翁の忌
 
  里の子のしぐれ忌修す芭蕉劇
 
  時雨忌は翁の好きなこんにやく食む 
 
  芭蕉忌のころの山路を箒売り  
 
  うつろひに敏き伊賀びと翁の忌  
 
  風の向きどちらともなき翁の忌 
 
  しぐれ忌の近付く伊賀の嶺優し 
 
  草の穂の風待ってゐる翁みち 
 
  草木は雨滴光らせ翁の忌 
 
  一斉に茶の実爆ぜたり翁みち 
 
  樋鳴らしはしやぐ雀や翁の忌 
 
  風に色月に香のあり翁の忌 
 
  蒟蒻のさしみ一皿翁の忌   
 
  しぐれ忌法要の様子がケーブルテレビで放映されていたが、もうひとつ盛り上がりが無いような気がしてならない。伊賀市になっても未だに芭蕉は柘植で生まれたか上野で生まれたかと聞かれることがある。「伊賀市です」と言うと楽なのに、旧伊賀町に住む私は「柘植で生まれて上野へ出た」と言ってしまう。そして、旧上野市の人は「上野で生まれた」と言うだろう。これが良くないのだ。俳句に関わる伊賀人が思いを一つに芭蕉さんを尊敬し崇拝して行こう。市長さんは忍者衣装を付けて生き生きと弾んでおられるが、芭蕉の衣装でもテレビに出てもらおうよ。国際的に忍者は人気沸騰だが、俳句ではダメかな。この際私は思う。芭蕉煎餅、芭蕉最中を食べ、芭蕉うどんを啜ろう。芭蕉酒を吞もう、当ては猪の芭蕉揚げ。芭蕉漬けを添えて、芭蕉米を食べよう。「芭蕉は忍者」という大河ドラマはどうだろうか。しかし、どう考えても犬に芭蕉の衣装は着せられませんか。こんなことを考えること、これもふる里を思うことであり、地方再生につながるのではないか。俳句は夏炉冬扇であってはならない。




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コメントありがとう
俳句は夏炉冬扇なんです。それでいいんです。ぺんぺん草さんが俳句への情を大切にしたいです。これからも続けて下さい。よろしくお願いします。お元気で。
不治人  (2015/11/20 22:51:07) [コメント削除]

難しいこと良くご存知ですね!
山出の満寿寺の芭蕉忌ですか?毎年話を聞くだけです。仲間いるなかで、これだけ知っている人はいないでしょう…誰か仲間いましたか?兎に角ご貴殿は熱心で物知りです。我々はまだ、貴殿の言う夏炉冬扇で、ありそうですなぁ~…?
ぺんぺん草1  (2015/11/19 16:56:30) [コメント削除]

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