私の所属しているのは「山繭」という全国的な結社である。俳誌も月刊誌であり、年々充実している。その俳誌に今回、「冬麗」(とうれい)と題して、特別作品を掲載して頂いた。「山繭」誌は今年創刊三十周年を迎える。私の句歴も三十年を過ぎたわけである。そんな俳誌に特別な思いで「特別作品」を掲載してもらえた喜びは実に大きい。ここにきて、もう一度初心に返りたいと思った。今まで何度も何度も初心に返ろうと肝に銘じて来たのである。そして今回、今までになく思いを新たにし、心を改めて句作したのであった。冒険もした、挑戦もした。これが私の変化の契機になればと願っている。これらの十二句、日ごろ私が指導している俳句作法とは大分異なるが、こういう俳句もあるということである。しかし、基本、元は写生であり、これからも即物具象に徹してゆく努力をしてゆきたいと思う。たかが、地方で発刊さている俳句雑誌に作品か掲載されただけであるけど、全国的な総合俳句雑誌に大きな活字で作品が掲載されたのではないが何か嬉しくてならない。
自分の所属結社誌が届いても、毎号そう感動もないのだが、今月号は予期していなかったし、日頃厳しい師だけに無理と諦めていただけに非常に嬉しいのである。
冬麗
酔ひざめに聞くは蚯蚓か耳鳴りか
亡き人立つ草の錦のひとところ
草の絮飛ぶ日や母に叱られて
干し柿を抓みしうつけごころかな
ひと隅に死が見えてくる花野かな
この中のたれが逝くかと縁小春
枯野人ムンクの叫びに似てゐたり
窓越しの枯木見てをり飢えてをり
世に疎く浅く生きむと根深汁
つぶれたる杭の頭や虎落笛
不格好に生くるも良しとおでん酒
冬ざるるもののひとつに飯茶碗
これらの句を読んでの忌憚のない感想がほしい私である。俳句に関わっている人でなければ理解してもらえないけれど、俳句を読んだ感想を聞かしてもらうことは大変嬉しいことである。たとえそれが厳しい意見、批判で会っても。だが、何よりも嬉しいことは共感である。一人でもいい、一句でも感動してもらえたら有り難い。