私は高校卒業後、公僕という語に心を動かされ、人の役に立ちたいとの思いから町役場に勤めた。育んでくれた地域の人々の役に立ちたいと若いころから思っていた。それは、幼い頃に自分が生後僅かでこの伊賀の地へ来たことを知リ得たことが原点になっていたのかもしれない。ところが、こんな身になり自分のことさえ出来なくなってから、よけいにその思いは強くなった。なぜならば人のお世話になるだけではなく、何か恩返しがしたいと無性に思うからである。だが、私などがそれを言うと、「わが事も全く出来ず、人の世話になっていながら何を偉そうに。偽善的な思い上がりもほどほどにしろ」と叱られ嘲笑されるだろう。しかし、人の世話になり生かされる自分であるからこそ、些細なことで恩返しをしたいと思うのである。今後ももっともっとお世話になりたいから。ふと昔読んだ釈迦の話を思い出す。地獄を歩いていた釈迦に、地獄に落ちた人々が「何か食べ物をくれ」と叫んだ。釈迦は大皿に食べ物を盛り、人々の前に置きこう言った。「食べても良いが、手掴みはいけない。この箸を使って食べよ」と。その箸は重くて長かった。釈迦が居なくなると人々は箸を持って食べ物を掴んでも口へ入れることが出来なかった。箸の下の方を持っても駄目、結局御馳走を前に食べることが全く出来なかった。人々が泣いていると、一人の老人が、箸で掴んだ食べ物を自分の口ではなく、目の前の人の口へ入れたのだ。食べさせてもらった人はもっと食べたいから食べ物を他人の口へ入れる。自分が食べようとしていたときには口に入らなかった食べ物が、人に食べさせることによって自分の口に入る。人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることになるという話だ。私はこの話のように人に食べさせることすらできない。人の為に何かをすることは、所詮、自分への見返りを期待してのことと思われようが、見返りに相当することは普段から身に余るほど受けている私である。世話になる喜びを誰よりも感謝しているからこそ、何かの役に立てる喜びを得たいと素直に思うようになった。不自由無く、人の世話にならなくてもよい人には理解してもらえない情であるが、これからもこの気持ちを大事に育んで行きたい。私のこんな思いはただ愚感に他ならないのだろう。「人の役に立ちたいなどとおこがましいぞ、老いた母親に未だに世話ばかりかけているくせして」そんな声が聞こえてくる。ああ、母に私は何をどう恩返しすれば良いのでしょう。それを思うと胸苦しくなる。年々腰が曲がり、嵩が減ってゆく母の姿にふと涙が出そうになるのをこらえきれない己の加齢を思わずにはおられない。母の腰をあんなにも深く曲げたのは私の親不孝の重さだと痛感している。母よ!堪忍して欲しい。感謝、感謝、感謝と唱えるごとく呟く昨今である。
こんなコラムをある小さな機関紙に書いた。年をとったものだと悲しくなる。何か書けと言われて、母に日頃の感謝を書こうとおもったのである。素直な気持ちであり、年をとると恥ずかしさもマヒするのかもしれない。
ものの芽に深くかがまり母おはす
白き胸母に見えたり初つばめ
屈まりて土が恋しと母の言ふ
燕来て母の歩みを掠めたり
居ねむりし母口あくや春ゆふべ
俳句で母を詠むと叱られることが多い、甘くなると指摘されるのだ。しかし。私はこれからも生きている限り母を詠んでいきたい。母への感謝と思っている。
チーリップその名親指姫といふ
酒欲しくなるや土筆の玉子閉ぢ
初つばめ女のピアス掠めとぶ
ひと房の揺れを見せずにあせび満つ
これらの句は今さっき作ったものである。今は便利になり、メールで写真を送ってくれることがある。「チューリップが咲きました、小さい品種ですがとても可愛いよ」と。チューリップよりあなたの心が可愛い。親指姫がまたいいではないか。ツバメが彼岸にやってきた。活発な女の弾むピアスをかすめるように飛ぶ。人に親しい鳥である。そして、彼女は私に親しい。馬酔木の花が満開、風が絶えてひと房とて動かない。静かで心癒される夕べであった。