伊賀ではこの時期厄落としのために滋賀県の田村神社と多賀神社に参る。毎年伊賀にはなくても田村さんには雪が積もっていると言われてきた。今年も十七日に友人が参って来たよと土産をくれた。今年はどうだっただろうか。雪のことを聞き忘れた。一度も参ったことのない両神社であるが、三年後生きておれば還暦を迎える私、息災であればなんとかして詣でたいと思っている。
今日は風の凄く荒い朝方であったが、午後からは雨に混じり黄砂が飛んでいたような気がする日であった。隣の畑の隅に蕗の薹が出ているのが見えた。まだ残る寒さ厳しいが、春の草は青々としてきている。デイサービスの風呂の窓から見えるしら梅、今年は沢山の花をつけているようで嬉しくなる。今日も咲きすすむ梅に心和ますことができた。赤子の湯浴みのような我が入浴、ワーカーさんの手がやさしく感じられて、感謝の気持ちで一杯になる。全身麻痺の私には首からしたの感覚がないため、湯のあたたかさが解らない。悲しい、虚しい、ワーカーさんの手の感触なども皆無であり情けない。それでも嬉しい。感謝感謝。心より感謝。こんな駄句であっても作っておれば、生きていることへの感謝の気持ちが湧いてくる。それだけでも意味があるとひとり満足している。不足に思って生きるより良いと思う。
風荒るるふぐり落としに出づる朝
厄詣りの土産は鶉の醬油焼き
蕗味噌や母の気丈の苦味かな
見惚れたり積もるつもりの春の雪
春草を食みたる犬の優しき眼
草芳し翁行き来のこの辺り
荒風に明けて日の暮れ黄砂降る
梅見よと湯舟の窓を拭きし人
雲重く垂れて小暗き梅三分
梅に雨人の情けの深さかな