伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2009/02/23 22:09:18|その他
自然に見舞われて
 散歩に出かけて山茱萸(さんしゆゆ)の花を見つけて嬉しくなった。この時期に咲く花は小粒で目立たぬ花が多い気がする。蠟梅(ろうばい)、まんさくの花、どれも薄い黄色、それでいて眩しく輝いているようでもある。そして、まだ少し寒い風の先に触れて震えているようである。山茱萸を見ると、「庭のさんしゅゆの木………」ではじまるひえつき節を思い出す私である。たしか宮崎県の民謡だったと思う。小さい花と言えば犬ふぐりも小粒で可愛い。咲き群れるとその水色は濃くなり、海の色、青空の色に思える私である。山の色も日ごと煙るようにぼやけて見える。黄砂や霞、靄などによることもあるが、木の芽が吹き出してボーとかすんで見えるのであり、それを山笑うと言う。自分の心は変化せず、毎日何も変わらないと嘆いているが、自然は日ごと変化していく。そして、優しく声をかけてくれるのであり、自然に見舞われている自分なのだと思う。明日はまた違う何かを見つけられるかな。
 
  犬ふぐりときには海の色思ふ
  蠟梅のうすき光りと薄き影
  暗いなと爺婆話すつちぐもり
  耳遠き婆こゑ大きや山笑ふ
  日のひかり放しふるへりクロツカス
 宿題は九九の練習春夕焼
  古庭の隅の小暗し花山茱萸
 
 クロッカスの濃い黄色の輝きが目に残って消えない。あるいは春の夕焼けの茜色の淡さに心が和んだ。日が長くなってゆくと子供らの声がよく聞こえてくる。ひと雨ごとに春めいてゆく。季節の変化を察知できる幸せを思わずにおられない。







2009/02/20 18:56:09|その他
早春の伊賀
 伊賀ではこの時期厄落としのために滋賀県の田村神社と多賀神社に参る。毎年伊賀にはなくても田村さんには雪が積もっていると言われてきた。今年も十七日に友人が参って来たよと土産をくれた。今年はどうだっただろうか。雪のことを聞き忘れた。一度も参ったことのない両神社であるが、三年後生きておれば還暦を迎える私、息災であればなんとかして詣でたいと思っている。 
 今日は風の凄く荒い朝方であったが、午後からは雨に混じり黄砂が飛んでいたような気がする日であった。隣の畑の隅に蕗の薹が出ているのが見えた。まだ残る寒さ厳しいが、春の草は青々としてきている。デイサービスの風呂の窓から見えるしら梅、今年は沢山の花をつけているようで嬉しくなる。今日も咲きすすむ梅に心和ますことができた。赤子の湯浴みのような我が入浴、ワーカーさんの手がやさしく感じられて、感謝の気持ちで一杯になる。全身麻痺の私には首からしたの感覚がないため、湯のあたたかさが解らない。悲しい、虚しい、ワーカーさんの手の感触なども皆無であり情けない。それでも嬉しい。感謝感謝。心より感謝。こんな駄句であっても作っておれば、生きていることへの感謝の気持ちが湧いてくる。それだけでも意味があるとひとり満足している。不足に思って生きるより良いと思う。
 
       風荒るるふぐり落としに出づる朝
     厄詣りの土産は鶉の醬油焼き 
     蕗味噌や母の気丈の苦味かな 
     見惚れたり積もるつもりの春の雪 
     春草を食みたる犬の優しき眼 
     草芳し翁行き来のこの辺り   
     荒風に明けて日の暮れ黄砂降る 
     梅見よと湯舟の窓を拭きし人
     雲重く垂れて小暗き梅三分
   梅に雨人の情けの深さかな
  
 







2009/02/16 22:33:27|その他
物臭道心につかれて
 物臭道心にとりつかれて何年になるだろう。怠惰な私が、今、世の中のブームとなっているブログなるものを始めてみた。続けて行けないのは解っている。なぜならば、隠遁という言葉が好きな私には、日記を公開するのには抵抗がある。そして、毎日が全く平凡、外出も少なく変化がない。これと言った生き方などもなければ、世の中のことにも疎い。そんな私だが、俳句作りは毎日とはいかないが頻繁に作ってはいる。そこでその日に作った俳句を掲載することにしてみたい。ひとりよがりの自分で満足するだけの俳句、自慰のようなものになるかもしれない。それでいいと思うことにする。春めいた日が続いたかと思うと一転小雪のちらつく今日の伊賀であった。春一番が吹き、紅梅としら梅が咲き競っている。猫の恋はまもなく終わりそうである。
 
 紅梅のひらくと物臭道心言ふ 
 冴え返るものに崩れし畑の畝 
 散らばつて戻らぬ雀春一番  
 また母が煮物焦がして冴え返る 
 紅梅に空の青さと深さかな  
 わが足元に居て恋猫となれぬ猫 
 風尖るバレンタインの日暮れかな 
 
 こんな句を作るのもなかなか苦労する。やはり、誰かに見てもらおうと思うと力が入ってしまう。毎日は無理であるが、心が変化すれば句も作れるだろう。







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