憲法記念日と日曜が重なった今年である。週間予報では四日から五日は曇るけれど大した崩れはないと言っていたが、徐々に予報がずれて来ている。今朝の予報では四日から雨らしい。今日は一日曇りがちであった。世間はゴールデンウイーク、豚インフルエンザの騒ぎもそう大きくならずに良かった。私にはゴールデンウイークは無い。常と同じ日々であり、どこへ行くあてもなく、訪ねてくれる人もない。介護を受けている老母が元気でさえ居てくれれば毎日が黄金週間である。今日はわが家で句会があった。僅か十人の句会であるが、私の師匠も欠かさず出席してくれる。「まだまだお前には任せておけない」との配慮かと思われよう。指導者としてはまだまだであると思われよう。しかし、それは違うらしい。師と私の戦いの場、唯一、師と俳句を競い確認し合う場ということである。師は月に二十以上の句会をこなしておられる。わが家の句会一つぐらいに参加しなくてもどうということはないはずだ。だから、私が師と席を同じにして出来る句会はただ一つである。どこへも行けない私には、師との真剣勝負の場である。叱咤されることしきりである。今日は次の七句を出句した。私は師の句を五〜六句採った。そして、常は一〜二句だが、今日は五句採って頂いた。だが、採ってもらっても後で「この句は美しすぎる。どこかにあるような句や。これは上手く出来すぎや」などと不評を付け加えられる。
少女らの駆けて五月の風になる
ババロアに薄荷の葉乗せ五月来ぬ
にはたづみ覗き子雀後ずさり
蠅たかる介護疲れの婆の顔
粥掬ふ銀の小匙や柿若葉
鉄気水沁み出る余花の切り通し
日のしづく風にこぼせり白牡丹
どの句が選ばれたか解るでしょうか。あとになって読むと大した句ではなく恥ずかしい限りです。俳句って時間が経つと傷む刺身のようです。句会には出句数が決められており、出せなかった句もいくつかあった。
山菜採りのをんな憩へり余花の宮
少年と少女寄り添ふ余花の宮
豆飯や見栄張りし父思ひだす
爺の耳婆の耳大き五月来る
山寺の庇五月の空へ反り
八十八夜鮎の形の菓子もらふ
人恋し五月の風に甘えたし
卵白を泡立てゐるや柿若葉
こころざし気宇壮大や松の芯
春惜しむ命をうたふ青年と
昨年を回顧した二句を最後に掲載した。この気持ちを大事にしたい。