伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2009/05/30 18:30:32|その他
誕生日の翌日
  昨日は私の誕生日であった。日記を付けていない私、誕生日の感慨ぐらいは記しておくべきであろうと思う。昨日を振り返ってみると平凡な日、毎日と左程変わらなかったと思う。しかし、満57歳という中途半端な誕生日にしては8人ほどの人から「おめでとう」と言って頂いた。物忘れの酷い母から、目が覚めるや「今日はお前の誕生日やな」と言われた。その後、メールで2、3人から祝ってもらう。夕方、旧知の友(女性)3人が祝いに来てくれた。ああー、なんと有難いことか。そして、言って欲しい人からもひと言「誕生日おめでとう」と。今更誕生日などと思いながら、口では拗ねたことを言ってはいるが、やはりこんな不自由な身体になって37年も生き延びられたのは幸せの極みである。周りの人々の御蔭と感謝のみである。不足や愚痴、文句など全くない。夜は自祝、焼酎を飲み過ぎて常より長くうたた寝をしてしまった。      
 
  はなびらの先のみに風あやめ咲く  
  霧雨のやがて煙雨や桐の花  
  朝焼けに浮かびて白きかきつばた 
  麦秋や猫がねずみを抛り上げ 
  花桐や幼な顔なる畑をんな 
  小溝鳴るところ煙るや白菖蒲 
  首なくて太りすぎるや大毛虫
  むらさきのところありけり大蚯蚓 
  でで虫の角ちぢめるや息吹けば
  麦秋や手を振る女腋美し 
  横伏せに寝て聞いてをりほととぎす 
  墓山へ忙しく飛べりほととぎす
  竹皮を遠くまで脱ぎちらしけり 
  庚申の祠朽ちたりえごの花 
  霧雨の飛んで響けり栃の花
  花柚子や母の怒りに触れるまい  
  どくだみを茂らせ糊口を凌ぐ家  
  忍冬に蜂の来てゐる誕生日
  柿の花美しと思ふ誕生日 
  渋柿の花あふれをり誕生日 
  誕生日やみつよついつつ朴ひらく   
 
  年々に、否日々老生化してゆく身、加齢加齢と言われ、おっさん、おじやんと呼ばれても、心は若く気分はチョイ悪親父で生きて行きたいと願う。そして、体は老いても心で作る俳句の世界は決して老いてはならない。一層若い句を作る努力をせねばならないと肝に銘じた。鳴かず飛ばずの作句活動ではあるが、初心に返り、平穏に俳句作りが出来ることに何よりも感謝せねばと思った。誕生日の俳句など毎年作っており、当然駄句ばかりである。







2009/05/22 21:52:04|その他
私にも影響
 早くも五月終盤になってしまった。新型インフルエンザが大阪、兵庫、滋賀、東京、京都と感染者が出て、日々騒ぎが大きくなってゆくようだ。話題を独り占めした感じのインフルエンザ、政治経済の話題も少し控え目になってしまっているようだ。感染者の出ていない三重に住む私にも大きく影響してきた。この24日に友人二人と一年に一度再開する予定であった。私の生活において一大イベントであり、三月から準備していたのだが延期することになった。至極残念無念だが、ベストの決断と言えよう。友のひとりは滋賀県在住、車を運転してきてくれるのが大阪府在住となれば当然のことと納得できよう。個人の家なら問題はないが、私の家の隣のデイサービスの事業所を借りる段取りになっていたのだから当然な判断と言えよう。それにしても、憎いインフルエンザ、今後どこまで感染が広がっていくのだろう。俳句どころではないが、たとえインフルエンザが万延しても自然は何も変わらない。よもや私までは感染しないだろうよ。
 
  水撒きの肘滴るや夕薄暑
  尖る肘美し女や新樹光
  くちびるの厚き女やさくらんぼ 
  つまんではゆらしてみたりさくらんぼ
  芍薬の匂ひに飢えのつのりけり
  アイリスを上から下から見てゐたり
  駿河より水見色てふ新茶来る
  ハンカチで作れさうなり花菖蒲
  雨音のあるかなしかや白あやめ 
  母子住む庭の芍薬痩せてをり
  黄菖蒲のほぐるる蕾点りたり
  杜若濡れて大きく見えにけり
  亡き人は御人よしなり豆の飯
  花桐や夕べ濃くなる嶺々のいろ
  えにしだの黄の流されて雨上がる 
  桐咲くや峡に藁屋根無くなりて  
 
  ひと月前より尻の奥まったところに小さな傷が発生、私の油断からと指摘されているが、なかなか治らない。デイサービスを受ける日には看護師さんに「見て肛門」と言って傷を覗いてもらう。そんな日課が続いている。なんとなく気分が沈みがちであり、俳句作りにも身が入らない。しかし、母が元気で、口ケンカしていられる今に感謝したい。







2009/05/10 18:39:17|その他
母の日とつつじ祭
  今日はわが町の「つつじ祭」であった。五月の第二日曜日に決まっている。この時期、気候が不安定で雨や曇りの日が多く、地形的にも降れば強風を伴う場合が多かった。母の日には相応しくない荒れ模様の日が度々あった覚えがある。母は怖い、よく荒れるという気がしてくる。もう何年、商工会さんより仰せ付かっての「つつじ祭り俳句大会」の選者をさせてもらってきただろうか。選のためには現場を見ておかなければと言うことで、車を用意して頂き参加させてもらっている。「車代まで費やして不自由な人に選句してもらわなくていいものを………」と言われていないかと不安になる。最近、私の私的ではない外出にも何かと制約(経費、制度面)が課せられて辛い思いを少ししている。まあ、しかし、経費がかかるために駄目になればそれはそれでいい。体力的にも衰えてゆくから。とにかく、今年も母に付き添ってもらってつつじを見てきた。母の日に八十半ばになる老母に「一回の導尿(医療行為)」をしてもらうがために付き添ってもらう。母の存在が大きい、母に感謝せずにはおられないのだ。こんな母の日の対処もあっていい。それでも何度かは「何をしてんのや、早よせんか。それは違うやろ」と母をボロカスに言ってしまう困った自分、認知できない己がいつもそこに居る。母を認知症と言えない。とにかく、今年も平穏な私にとっては有難い、感謝の一日であった。いろんな人に会えて良かった。
 
 人の丈はるかに越ゆる山つつじ
 母の日の母連れ出せり県境目
 いちまいの青空の下緋のつつじ
 つつじ野に出でて躑躅と書いてをり
 雄蕊だけ目立つつつじとなつてをり
 母の腰ふかく折れるよつつじ原
 緋のつつじ褪せてゐるなり母と見て
 置かれたる汽車つつじ野の端の端
 老松は枯れ山つつじ老いにけり
 和太鼓の地にとよもせりつつじ原
 つつじ野へトラツクに積まれ大太鼓
 山つつじ燃えかすとなり散りにけり
 つつじ野へ漕ぎだし往生の車いす
 草矢打つ仕草を記者にしてみせむ
 草矢打つ子供見かけぬ野山かな
 伊賀野より甲賀へ草矢打ちにけり
 矢にせむと緑の深き草を選る
 草矢打つ遊びははるかとなりにけり
 君の胸にやさしく草矢放ちたし
 草矢打つ君のこころを射止めむと 
 
 毎年、つつじの季題は決まっているが、もうひとつ毎年変わる季題がある。今年は「草矢」であった。草矢を知らない子供はむろんだが、大人が居ることに驚かされた。相当な年輩でも知らない人がいる。選者を務めていてもつつじ、草矢の俳句は上手く作れない。駄句ばかりである。







2009/05/03 19:15:10|その他
私の句会
 憲法記念日と日曜が重なった今年である。週間予報では四日から五日は曇るけれど大した崩れはないと言っていたが、徐々に予報がずれて来ている。今朝の予報では四日から雨らしい。今日は一日曇りがちであった。世間はゴールデンウイーク、豚インフルエンザの騒ぎもそう大きくならずに良かった。私にはゴールデンウイークは無い。常と同じ日々であり、どこへ行くあてもなく、訪ねてくれる人もない。介護を受けている老母が元気でさえ居てくれれば毎日が黄金週間である。今日はわが家で句会があった。僅か十人の句会であるが、私の師匠も欠かさず出席してくれる。「まだまだお前には任せておけない」との配慮かと思われよう。指導者としてはまだまだであると思われよう。しかし、それは違うらしい。師と私の戦いの場、唯一、師と俳句を競い確認し合う場ということである。師は月に二十以上の句会をこなしておられる。わが家の句会一つぐらいに参加しなくてもどうということはないはずだ。だから、私が師と席を同じにして出来る句会はただ一つである。どこへも行けない私には、師との真剣勝負の場である。叱咤されることしきりである。今日は次の七句を出句した。私は師の句を五〜六句採った。そして、常は一〜二句だが、今日は五句採って頂いた。だが、採ってもらっても後で「この句は美しすぎる。どこかにあるような句や。これは上手く出来すぎや」などと不評を付け加えられる。
 
  少女らの駆けて五月の風になる
 ババロアに薄荷の葉乗せ五月来ぬ
 にはたづみ覗き子雀後ずさり 
 蠅たかる介護疲れの婆の顔
 粥掬ふ銀の小匙や柿若葉
 鉄気水沁み出る余花の切り通し 
 日のしづく風にこぼせり白牡丹   
 
 どの句が選ばれたか解るでしょうか。あとになって読むと大した句ではなく恥ずかしい限りです。俳句って時間が経つと傷む刺身のようです。句会には出句数が決められており、出せなかった句もいくつかあった。
 
 山菜採りのをんな憩へり余花の宮
 少年と少女寄り添ふ余花の宮
 豆飯や見栄張りし父思ひだす 
 爺の耳婆の耳大き五月来る
 山寺の庇五月の空へ反り
 八十八夜鮎の形の菓子もらふ
 人恋し五月の風に甘えたし
 卵白を泡立てゐるや柿若葉  
 
  こころざし気宇壮大や松の芯 
  春惜しむ命をうたふ青年と
 
 昨年を回顧した二句を最後に掲載した。この気持ちを大事にしたい。







2009/04/26 15:56:56|その他
しら藤
  もうすっかり初夏の装いと書いてより一週間、それから急に寒くなり急いで咲いた藤や牡丹桜が寒くて強い風に吹かれている。牡丹も黄金の蕊をちぢ込めているようだ。なんやこの寒さはと人は誰も不思議に思っている。我が家のしら藤が満開であり、昨日の強風に揺さぶられていた。隣の牡丹桜も固まりのまま千切れて転がっている。どこどこの何々が見頃ですと聞いても、こう肌寒いと見に行く気が薄れる。
 
  そら青きほどしら藤の白きこと
  しら藤の大粒の花ひとつひとつ
  荒風に捲りあげらる藤の房
  熊蜂の大いなる尻藤に触れ
  しら藤を揺らせる羽音熊ん蜂
  憂き人よしら藤を見にそこらまで
  憂き人のごとくに揺るる藤の房
  藤の風君の項を撫ぜて過ぐ
  その髪に触れたし藤の風となり
 
  昨今の寒さを異常気象やと言ってしまえばそれまでである。世の中も異状なことが多い。わが巨人の好調さもそのひとつであろう。巨人が強いと不景気のこともあまり報じられなくなった気がする。現内閣の不評もあまり言われなくなった。やはり、野球は巨人が強くなければならないのかなとひとり思っている。有名な草g剛くん、(くんと書かねば若い女性ファンに叱られそうだから)が裸になって公然わいせつの現行犯で逮捕されたが、騒ぎ過ぎであり謝罪すれば済むことであろう。一年ぐらい謹慎すれば許されていいだろう。もっと悪いことを公然としている人がいよう。裸になっただけ、それも夜の暗い中で、実際に剛くんのチンを見た人が居るのかな。世の中、事なかれ。いろんなことが起こるから面白い。季節も順調に変わっていかないから話題になるのだ。暦通り、二十四節季通りに順調に進んで行けば面白くない。