伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2009/07/12 23:06:49|その他
多捨多作
 
  今日は月に一度の句会が我が家で行われた。当初私の家での句会は一日に決めてあった。こんなに遅くなったのは師の都合である。私がこんな身体ゆえに、どこへも行けない。俳句を始めても句会に参加できないのは可哀想、それなら家で皆に来てもらえばいいと句会がわが家で始まった。有難いことである。周囲の人々に感謝した。初めは本屋の畳の間で行われていた。平成十年、父が私のために離れ座敷を建設してくれて、一室を句会のための洋間にしてくれた。そこで何年句会が行われただろうか、平成十四年暮に父が逝き、平成十六年よりデイサービス事業が開始され、夜にお借りすることになったのである。都合により昼に句会をするならば日曜日しか借られない。そんな訳で今日になった。
 
  
   ひる顔と置かれ砥石と空缶と
 
  草擦つて行く青大将の音立てて 
 
  青柿のひとつ落ちふたつ落ち日ぐれ
 
  しとしととはらはらとくる半夏雨
 
  雨晴れの天へ蕊張る合歓の花
 
  孔雀飼ふ青嶺の村の小学校
 
  あめんばう大空へとび失せにけり
 
  芋焼酎名を赤とんぼと申すなり
 
  葭蔶より洩れ来る爺の軍歌かな
 
  総身を真つ赤に赤子泣く土用
 
  窓の雲あかね混じりやソーダ水
 
  足の爪磨くをんなやさるすべり
 
  胸白きすずめの歩く梅雨の底
  
  柴折戸の黒づむほどの半夏雨
 
  目が合うて動かずなりぬ青大将 
 
  雨雲の割れて日差すや雨蛙
 
 
  句会に出すために作った最近の句である。たかが十人の句会であるが、私には唯一の句会であり大切にしている。たったの七句、出句するだけであるが、多く作り多く捨てる。せっかく作ったのにと、捨てるのを惜しむ気持が湧いてくる。七句出して師に採ってもらえる句が二句もあれば大喜びをせねばならない。今回、「足の爪磨くをんなやさるすべり」「胸白きすずめの歩く梅雨の底」「柴折戸の黒づむほどの半夏雨」が好評であった。







2009/07/06 20:07:28|その他
七夕
  七月に入って早くも一週間が経ってしました。七月と言えば、一年の折り返しであり何となくその速さに虚しさがこみ上げる。怠り諌むる夏であり、これと言って変化のない日々である。恙無く生きていられたら、母が元気で居てくれれば何も言うことはない。それが何よりの喜びと思いながら、ついつい愚痴が出てしまう愚かな自分である。明日は七夕だが、俳句に関わっていると新暦ではピンとこない。俳句は旧暦なので八月七日が七夕祭である。デイサービスでは何日もかかって作った七夕飾り、一人一人が願いを込めて書いた短冊が風に揺れている。部屋に飾ってあった七夕竹、今日は庇の下へ出された。明日は天気が悪いとの予想、牽牛と織女の出合いはどうなるかな。真っ赤な短冊に私も願いを書いた。叶わざる願いと解っていても「郷に入れば……」で一人一枚のところを欲張って七〜八枚書いてもらった。その飾りが夕風に吹かれてシャラシャラと鳴っている。今夜は夕立がないことを願う私である。激しい夕立があれば、せっかくの七夕飾りが濡れてしまうだろう。
 
七夕や叶はぬ願ひしてみたる
 
われもまた命乞ひせり七夕祭
 
ひこ星のことを思へば泣けるなり
 
恙無き君で居てくれ星まつり
 
短冊の重みに撓ふ七夕竹
 
恋いろいろあると思へり星祭
 
ゆるされぬ願ひをひとつ七夕竹
 
デイサービス果て母子の家の七夕竹
 
七夕やちぎれ飛びたるわが一句
 
七夕の願ひが風にくるくるまひ
 
七夕の願ひに雨つぶ滲みをり
 
七夕竹倒るや願ひ多すぎて
 
 
  七夕の句では「七夕竹惜命の文字隠れなし」が私は好きである。石田波郷の命の句である。病んでいる波郷の気持ちが解る気がする。何年も俳句作りを続けていると七夕の句も毎年作ってきたのでネタ切れである。七夕に限らずどんな季語でも同じこと、もうネタはなくなってしまったようだ。健康ならば止めているかもしれない。しかし、止める理由を考えるより、続ける理由を考えようと思う。生きているかぎり止めないでいたい。







2009/06/28 12:26:27|その他
夏炉冬扇
 私の所属している俳句結社「山繭」は発足して30年を経過した。山繭(やままゆ)はいつまで繭のままでいるのと誰かに聞かれたことがあるが、私は美しい絹に包まれた繭でいつまでも居たいと願っている。俳句はいつまでも生新でありたい。30周年を記念してこの度平成17年から20年の作品の中から15句掲載の「山繭選集」を発刊することになり、この月末が提出の締切日。普段からだらしのない私は、自分の句の整理もままならず、こんな時に慌てて焦るのが常、すっかり忘れていて師にお叱りを乞うことがよくあった。今回は有難いことに「毎月の作品を書きだしておきましたよ」と句友が資料を届けてくれた。感謝、感謝である。今日はそれらの中から15句、自分の自信作を書いた。いや、所定の用紙には秘書の美恵さんに書いてもらう。美恵さんはお袋であり85歳、軽い認知症である。パソコンの生活になり、補助具を付けて字を書くことをしないため、いざとなれば書けない。こんな時には伏してお袋に頼み書いてもらっている。そばで文句を言わず、下手やなあ〜とかは言わないようにと思いながらついつい………。 この15句は350句から360句のなかから苦労して選んだ。30年俳句をしていても未だに己の句の巧拙が解らないのである。俳句ってなかなかですよ。
 
元日の夕べのすずめ汚れけり
 
人日の風唸りとも叫びとも
 
ゆふべには花見の菓子の湿りをり
 
雀隠れに見えてゐるなり恋雀
 
はくれんの花びら折れしところ錆び
 
誕生日じやが薯の花白きこと
 
天牛の妻恋ふ髭をしきり振る
 
青田吹く曲がりし風と直ぐの風
 
母とする墓の話や夜の秋
 
彼岸花ばかり見てゐて疲れたり
 
月食を待つやこほろぎ鳴きだして
 
辛さうに曲がつてゐたる唐辛子
 
生くること死ぬること秋深きこと
 
枯菊と芥は別に焚きにけり
 
鶏口と牛後語るや根深汁  
 
  これらの句を読者の皆さんはどう感じられますか。「ワケが解らんわ。どこが良いのか全く解らんわ。」というのが大半かと思われます。俳句なんて勝手なのです。何が良くて何が悪いと誰が言えるのでしょうね。そういう点が、「夏炉冬扇」。私は何をして来たのでしょう。でも、私はそんな無意味なところが好きかもしれません。読んでくれたあなた、優しいあなた、感想などなんでもいいです。コメント入れて。お願いします。







2009/06/21 19:07:09|その他
同窓会
 今日は父の日、私には全く関係がない。亡父の墓へも参らなかった。一日薄暗い曇り日、夕方になって晴れてきた。今年の梅雨は今のところ空梅雨である。日曜日なのでデイサービスは休み、静かでひっそりした峡の家である。昨日も降りそうで降らなかった。というより、同窓会に出席していたので屋外のことは解らないが、午前中はどんより曇っていた。同窓会の出席者は三十名、毎回減って行く。四十年振りに顔を見た人が三人ほど居た。なんとそれでも解るから怖い。一人だけ誰か解らなかった。しかし、何の違和感もなく中学三年生の時代に戻ることが出来、心の和む感動のひと時を得ることが出来た。二次会を終えて帰路に、伊賀市の上野では曇っていた。名阪国道も雨の気配はなし。ところがわが家に近くなると道路は濡れていた。山裾の地形がそうするようだ。六時前に帰宅、霧雨が飛んで風も吹いている。かねてから予定していた友人が彼女を連れて螢を見にくるというのに、こんな天候では螢は見られないだろうと落胆していた。六時半に到着、焼酎を飲んで暗くなるのを待った。そして、霧雨の中へ螢狩に。家の前の河、橋の上から見ると二三匹の螢が力強く飛んでいた。もうひとつ場所を変えて二三匹、全部で五六匹の螢を見ることが出来て喜びはしゃぐ彼女であった。二人で居たら螢なんてどうでもいいのだろうと私は思った。「螢より俺がお前に身を燃やす」だなと思った。
 
  空梅雨や婆に可愛い声の出て
 
  白き鬢伸びたる爺や羽抜鶏
 
  羽抜鶏夕日に向かひ起つてをり 
 
  梅雨籠り舌の訓練らりるれろ 
 
  生い立ちを話すや梅雨のどん底で 
 
  採り入れし玉葱転ぶ三和土かな 
 
  四十年ぶりのをんなや梅雨の底 
 
  友と酔ふ赤いも焼酎の四合瓶 
 
  焼酎や同年老けしと思ひたる 
 
  和服着て迎へむ幹事や夏館 
 
  同窓生の変はり様なり濃紫陽花 
 
  和服着てビールを注いでくれしかな 
 
 
  霧雨に螢の闇の濃くなれり
 
  霧雨の飛んで螢火にじみをり 
 
  螢見に風出て糠雨ふき飛んで 
 
  ほたる火の消えさうになりにはか雨 
 
  螢待つ若き男女に煙る雨
 
  霧雨に粒の大きな恋螢
 
  小雨ふり風まで出るや螢待つ 
 
  霧雨の額につめたき螢狩 
 
  螢火の不意に沈めり風の出て 
 
 凄く充実した日、満ち足りた日であった。多くの懐かしい人に会えた。雨にも風にも負けず命を燃やす螢にも会えた。親付きの同窓会も風変わりで私らしいと思った。笑われてもいい、お袋が元気で付いて行ってくれれば有難い。次回は還暦の年に会おうと言って別れた。お袋も居て欲しいと念ずる。私還暦、母米寿。生かされたい、生きていてほしい。







2009/06/10 20:49:28|その他
正月堂
 先日の日曜日に、障害者の友の会のメンバーが島ヶ原の正月堂を見て、やぶっちゃランドにて食事と勉強会をして来ました。年に一度の吟行会です。正月堂へは重度の障害者ではとても無理、車いすでは上がれないと断念したのですが、境内まで車で登ってよいとの、親切な和尚のご厚意でリフト付きの車二台で上がらせてもらった。時間の都合もあり、車から降りなかった。車から参詣、賽銭を供えてもらい正月堂を後にしました。車の中からでは何も見えなかったけれど、有名な正月堂を訪ねたことには変わりなかった。こうして吟行の真似ごとができることに感謝したいと心底思った。勉強会でみんなの句を拝見、なかなか目のつけどころが良く感心させられる句があった。私も作ってはみたが慣れない吟行句は実に難しい。
 
    はつ夏の風と楼門くぐりけり
   
    梅雨兆す仁王とまなこ合ひにけり
  
    滴れる山をそびらに正月堂
  
    幾青嶺越えて訪ひたり正月堂
 
  名刹へ向かふ坂道今年竹
 
  剥落の激し仁王や青葉寒
 
  猫埋めむ青葉若葉を敷きつめて
 
  青嶺見て御とぎ峠を指させり
 
  精米所の婆長生きや夏燕
 
  薫風や押さへて封書閉じゐたる
 
  鹿除けの布の吹かる青棚田
 
  花柚子や母の怒りはすぐ解けて
 
  竹皮を幹ゆさぶりてぬぎにけり
 
  首なくて太りすぎなり大毛虫  
 
 最近口ずさんでいる童謡に「夏は来ぬ」がある。卯の花の匂う……、たちばなの……とその光景が目に浮かんでくる。そんな歌詞の中に、「おこたりいさむる夏は来ぬ」がある。私は自分の怠りを思ってしまう。ああー、もう六月も十日、梅雨に入った。昨日、愛猫のコピーが死んだ。成仏して母と私を加護してくれることを祈りたい。