今日は月に一度の重度障害者友の会の定例会であった。来月の兼題「葡萄」の例句の説明とひと月かけて作って来てくれた「法師蟬」の俳句を見せてもらった。月に一度顔を見ることで、皆、元気で居てくれたと嬉しくなる。俳句なんて二の次であり顔を合わすことに意義があり、自分も出席できたと感謝するのである。異なる障害ではあるが、それぞれに苦労があり悩みもある。今日はおよそ半年ぶりのS子さんが出席してくれた。梗塞か血栓かよく知らないが、三度目の発病で入院されリハビリを頑張られ、最近家庭復帰されたという。これは凄い治癒力、恐ろしいほどの復活である。言語障害、運動障害は大分酷くなっている。おまけに耳が聞こえにくくなっておられるようで、その点が私には気になった。しかし、意思は極めて前向き、パソコンも活用され俳句を書いて来てくれた。俳句が彼女の気力を高めてくれたと思わないが、普通の人なら俳句どころではないはずだ。自分だったら、「もうええわ。もうあかん」と何もかも否定してしまうのでないだろうか。S子さん、貴女のしたたかさに私は大きな感動と勇気をもらいました。「先生」と叫ぶように言ってくれた声が耳から離れない。泪を堪えるのに苦労した。 次に掲載したのが今日のそれぞれの一句である。
里山を包み込んだり法師蟬 美佐緒
せせらぎに足浸せるや法師蟬 美智子
なんで鳴く盆はすんだよ法師蟬 健 二
法師蟬山を駆けたる幼き日 徹
法師蟬よろしき伴侶捜しをり 陽 子
飛行機の輝る矢となるや法師蟬 加代子
くり返し経読む如く法師蟬 千鶴子
法師蟬己が翳りの中で鳴き 直 義
法師蟬麦藁帽子と虫かごと 久 美
家の裏ここが好きなり法師蟬 登 美
カーテンを透かしすかせる法師蝉 靖 代
法師蟬リハビリ室で聞いてをり 美 好
手を借りて歩く山道法師蟬 修 司
朝風に声あたらしき法師蟬 久美子
法師蟬巨木の奥の闇深し 和 代
まどろみのいつしか熟寝法師蟬 正 一
この会、初めて二十年ぐらいになるだろうか、その点ははっきりしない。いずれにせよ、相当長く俳句を作っておられる人が多いわけだ、中には絵画にも力を入れておられる人も居られる。まあ、私に言わせれば、二足の草鞋はどうかなと思わないでもないが、絵画には私も惹かれる。からして何も言わないでおこう。俳句より絵画の方が数倍、否何十倍動力が必要なのだ。
落ち込んで居られないねと赤まんま
野川出て蟹のあそべる桜蓼
赤のまま昔このみち飴買ひに
犬ころに見えてくるなり猫じやらし
芥場に電池ひとつとちちろ虫
そうかそうかと納得するや猫じやらし
唐辛子や少子化の国軽くなる
時が欲しほしいほしいと法師蟬
胸の上に来て鳴きにけりきりぎりす
人妻を好きになること爽やかに
風爽やか猫の立てたる尾の先に
爽やかに泥煙立て神の鯉
爽やかな声に甘へを募らせり
昂ぶりて来て風起こる法師蟬
蕎麦の花咲く伊賀谷の嶺明り
人妻のくるぶしに飛ぶ鳳仙花
思いもかけぬ新涼、残暑を覚悟していたのにという安堵の中で、こんな駄句を作ってみた。何も誉められた句ではない。今日の例会で出会った俳句と比べれば、なんとも心のこもらない慣れに任した句であり、読む人の心を打たないかもしれない。その昔わが師が、「保は最近、障害者の俳句指導を始めたようだが、やはり、レベルの低い初心者の中で俳句をしていると、どうしてもレベルが低下してくるようだ。」と叱咤された覚えがある。俳句とはそういうものだと指摘された。それ以来、友の会の皆さんへの指導を厳しくしてきたつもりである。希有壮大を目標にして俳句作りを続けてきたけれど、この辺で心を無にして己を見つめなおしてみたい。