伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2009/09/20 14:23:50|その他
シルバーウイーク
 
  秋の夜長をこれと言って何もせず過ごして来てしまった。今日から秋の彼岸に入る。気象異常で台風も接近はしても上陸はない。雨も例年より少ないと言われている。それでも曼珠沙華はちゃんと咲きだした。美しく可憐な花である。手腐り花とか死びと花とか言われ、あまり好かれない花だが私は年とともに好きになってきた。白いそれもまたまた美しく魅力的だ。そして明日が敬老の日である。今年は二十二日が国民の祝日となり、ゴールデンウイークに対してシルバーウイークと言われる連休となった。毎日が連休のような私には関心のないことであるが、国民の祝日と国民の祝日に挟まれた日が国民の休日と言うらしい。祝日にしろ休日にしろ、「国民の」とはなんとなくおもしろい。国民に決まっているのではないか。そして、「休日」もおもしろい。振替休日は解るが。休みは休日に違いはないが。おらが在所では今日が敬老会、母は招待され出席している。私は留守番である。五から六時間ぐらいなら留守番ぐらい出来る。猫よりはましである。しかし、飲まず食わずの大きな試練であり修業の一つと言えよう。そう覚悟していたら先ほど隣のおばさんが巻き寿司と赤飯を食べさせに来てくれた。予期せぬことであり有難たし。朝より十七日の重度障害者の例会の俳句の整理をしていた。皆、元気で出席してくれた。Mさんも出席、句を作って持って来てくれた。そして、「先生、……、」俳句についての質問をしてくれるのであるが、何と言ってくれているのか小訳が解らないのだ。何度も繰り返してくれるのだが。そして、聞こえにくくなっておられるので私の言うことが聞こえないようで気の毒である。辛くなるようではダメだが、とりあえずその場はメールしてもらえれば何でも応えますからと、傍の人に書いてもらって読んでもらった。ぶだう、漢字は葡萄。ひらがなで書けば「ぶだう」が若い人には抵抗があるだろう。マスカットは季語にあるが巨峰はない。その点がおかしい。皆、よく見て、食べてみて作っておられるようだ。あまり厳しいことを言っても詮ないことだ。しかし、わが師なら「俳句は楽しくすればいいものではない。心を込めて作ればいいものでもない。やはり巧くなければならない」と叱るだろう。
 
 木洩れ日に光るぶだうは黒ダイヤ  美智子 
 
 押し合うて隙なく葡萄房なせる      澄 冶
 
 ハーモニカ吹くがごとくに葡萄食ぶ   徹 
 
 酸いブドウ甘かったよと嘘をつき     陽 子
 
 剥きくれし葡萄に染まる太き指     加代子
 
 ひと粒のぶだうのぬくみ味はひぬ   千鶴子 
 
 粒毎に南無阿弥陀仏葡萄食ふ    直 義
 
 一房の重き葡萄のありがたき      久 美
 
 夕影のひときは長き葡萄棚       登 美
 
 手に垂るるぶだうの汁をすすりけり   玲 子
 
 人寄るやぶだうのごとき一房に     久 次 
 
 黒髪をすきつと束ね葡萄食む      靖 代
 
 黒ぶだう膝で挟んでそつと食む     美 好
 
 肩借りて出来る楽しみ葡萄狩      修 司
 
 杖離し足のふらつく葡萄狩         久美子
 
 群青の空見上ぐれば葡萄熟る     和 代
 
 葡萄洗ふ妻腫れ物にさはるやうに    正 一 
 
 ぶだう食ふひと粒ごとに気が鎮む    保
 
  シルバーウイークは頑張って俳句でも作ろうかな。どこへ行くこともなくデイサービスを有難く受けることにしょう。シルバーウイークと言うとお年寄りを尊敬する習慣のような錯覚を受けるのは私だけかな。常のことだがデイを一緒に受けているお年寄りを今週は特に大切にしょうと思う。もちろん、母に腹を立てないようにしょう。何も怒らすことを言わないでおこう。
 
 葡萄の房ひと粒ごとに燈の映ゆる          
 
  皮剥きし葡萄を匙で掬ひ食ふ         
 
  ぶだう剥きくれし女の荒れし指
 
  葡萄食む皮に包んで種を出す
 
  ぶだう食む濡れしひとみを吸ふごとく
 
  曼珠沙華畦にからすと黒猫と
 
  言い足らぬことも大事と蚯蚓鳴く
 
  酔ひざめに聴くは蚯蚓の鳴く声か
 
  がちやがちややひとの嫌ふこと言はずおけ
 
  鈴虫の髭で好きよと書いて鳴く
 
  舌打ちをして馬追いのなに不足
 
  打たれたる曼珠沙華踏みにじられて







2009/09/10 20:01:49|その他
芭蕉祭顕詠募集俳句学童の部選者の一人として行って来ました
 
  今朝は今年最も温度が低かったようだ。涼しくて気分の引き締まる気がした。八時に家を出て、伊賀市中央公民館へ。伊賀市芭蕉祭顕詠俳句、学童の部の選句のために行って来た。選者五名が一組になり三組で供選をするのであった。私の組は小学生高学年(四年〜六年)の全国から応募のあった作品中から、特選三句、入選五十句を選んだ。 選は楽しく、ハガキ大の指定の応募用紙に二句書かれている。ヘルパーさんの御世話になり句を選んで行き、一学年百句前後を選び出し、それを五人で協議しながら決める。至福の時ではあるが、やはり緊張し、慎重にならねばならない。類想句、類似句、そして何よりも注意せねばならないのは盗作である。どこかに載っていた句を何気なく写して応募する子供さんが偶に居られる。子供したこと悪気はないと、それが最も怖い。私も何年か前に、その迷惑をこうむっている。パソコンの時代、データベースに入力し、同じ句がないか調べることをしているが、数が莫大で特選句のみになってしまうらしい。悪意はなく、犯罪でもないわけであり、本人の意思にゆだねるしかなく、モラルを考えて欲しいと思う。選者の力量を試されているようで恐ろしい。純粋無垢な学童、俳句への思い、しいては芭蕉さんへ御供えするという情を忘れないで欲しい。 八時間缶詰状態、昼飯もゆっきり出来ず選句活動に徹した。尻に傷が出来ないかなと不安になりながら、五時過ぎに帰宅した。帰ると、いつもデイサービスを受けているスタッフの皆さんが帰られる時間、「御帰り、お疲れ様」と言ってくれた。何にも増して嬉しい。母も迎えに来てくれた。しっかり留守番してくれたのだ。今日の印象、年々変わっていく学童の俳句への思い。これを書けば稿が尽きない。「ああー、子供の感性って凄い。大人には決して真似出来ないな。」と思えなかったことは悲しい。芭蕉は、「俳諧は三歳の童に習へ」と。
 
  錠剤のひとつ転がり九月くる
 
  母と子に秋の燈ひとつ部屋ひとつ 
 
  鰯雲芝生に赤き椅子置かれ
 
  赤のまま昔このみち飴買ひに
 
  鬼灯を鳴らすや口をとがらせて
 
  無住寺になると決まるや蚯蚓鳴く
 
  鶏頭の斬られ肉片飛ばしたり
 
  燈火親し母と戒名考えむ
 
  畑に雨欲しとがちやがちや鳴いてをり
 
  がちやがちやの前と後ろにがちやがちや
 
  言ひ足らぬわれにがちやがちや小煩き
 
  鶏頭の首を切られて起つてをり
 
  秋は確かに深まります。その分悲しく、人恋しくなります。秘かに思うあの人から、一言で言いですから、優しい励ましの言葉と情を掛けてもらいたいものだ。







2009/09/04 19:46:57|その他
変化(チェンジ)
  いつの間にか九月になってしまった。自民が下野したことも、民主党が政権を取ったことも、世に疎い私には然程大きな問題ではない。政治と言うか選挙権を得てから三十七年、自由民主党を支持してきた私である。が、こうなると何でも良くなった、どうでも良くなった。八十五歳の母と障害者の私が暮し良ければなんでもいい。無党派ではなく無関心派である。私自身、事故により重度の障害者になったときは、下野し隠遁生活に入ったと思ったものである。望ましいのは自民党と民主党の二大政党になり、米国のように国民投票で総理大臣を選ぶのがベストであると思う。民主党のお手並み拝見と行こう。自民党の政治家は、この屈辱をバネにひたすら謙虚に成るべきだ。そんな歴史的に大きな変化が起こった日本ではあるが、依然とインフルエンザは流行し、景気もそう回復していない。そんな中で、贔屓のわが巨人軍が拳闘、マジック順調に減らしている。すんなり優勝してクライマックスシリーズを迎えたいものだ。私の日々は変わらず、ただ無常に過ぎて行った。七月、八月と何が変わったと言えるのだろうか。九月も変わらずにすぎるだろう。しかし、この変わりないごとが幸せなのだと思うようになった。これこそ悟りの一つだと思える。
 
    嘴鳴らす二百十日の大鴉 
 
   窓十枚二百十日のあかね雲 
 
   九月来る雨の匂ひの背戸の口 
 
   燈火親し母と戒名考えむ 
  
    人なべてやさしき里や稲の花  
  
    赤まんま熟寝のあとを野に出れば 
  
    赤のまま乙女より手に渡さるる
  
    この畷通り嫁せしと赤のまま 
  
    鶏頭の内部は熱く燃えてをり 
  
    鶏頭の影に濃淡ありにけり  
  
    鶏頭は鶏頭として立つてをり 
  
    鶏頭を切れば血潮の飛ぶやうで 
  
    世に疎く風船かづらの揺るるごと 
  
    われ母の不安の種や草じらみ 
  
    雨縫うて九月のてふの飛び交へり 
  
    あぶれ蚊に腿をさされし女かな 
  
    綾子忌と聞かば涼風心打つ 
  
    九月の子白きてのひら振つてをり 
  
    蔓に足捕らるる婆や九月来る 
  
    大蟷螂月のおもてを飛びにけり 
  
    ふるさとの歌を唄へば法師蟬 
  
    梨包丁載せたる盆の曇りけり 
  
    震災忌胡瓜の長けて鼬いろ 
  
    蓑虫のよろこんでをり揺れてをり 
  
    みの虫の蓑より出でし黒き顔 
  
    蓑虫の揺れをり指で揺らしをり 
  
    震災忌下校の子らの疲れ気味 
  
    草叢に錆びし自転車震災忌   
 
  思いのまま、巧拙を忘れ俳句を作ってみました。これができるだけでも感謝すべきである。夕食には少しの焼酎を飲んで酔う。酔うてうたた寝をすることが常、怠惰な自分を情なく思いながら、血圧が低くなり、耳鳴りと手のしびれ、めまいに悩まされる。何もせずに寝てしまうことが毎晩であり、いいかげん自分が嫌になる。そんないい加減な私ではあるが、自然は優しく、俳句が支えてくれる。有難う。感謝感謝。







2009/08/27 20:59:46|その他
法師蟬
 今日は月に一度の重度障害者友の会の定例会であった。来月の兼題「葡萄」の例句の説明とひと月かけて作って来てくれた「法師蟬」の俳句を見せてもらった。月に一度顔を見ることで、皆、元気で居てくれたと嬉しくなる。俳句なんて二の次であり顔を合わすことに意義があり、自分も出席できたと感謝するのである。異なる障害ではあるが、それぞれに苦労があり悩みもある。今日はおよそ半年ぶりのS子さんが出席してくれた。梗塞か血栓かよく知らないが、三度目の発病で入院されリハビリを頑張られ、最近家庭復帰されたという。これは凄い治癒力、恐ろしいほどの復活である。言語障害、運動障害は大分酷くなっている。おまけに耳が聞こえにくくなっておられるようで、その点が私には気になった。しかし、意思は極めて前向き、パソコンも活用され俳句を書いて来てくれた。俳句が彼女の気力を高めてくれたと思わないが、普通の人なら俳句どころではないはずだ。自分だったら、「もうええわ。もうあかん」と何もかも否定してしまうのでないだろうか。S子さん、貴女のしたたかさに私は大きな感動と勇気をもらいました。「先生」と叫ぶように言ってくれた声が耳から離れない。泪を堪えるのに苦労した。 次に掲載したのが今日のそれぞれの一句である。
 
  里山を包み込んだり法師蟬    美佐緒 
 
  せせらぎに足浸せるや法師蟬   美智子 
 
  なんで鳴く盆はすんだよ法師蟬  健 二
 
  法師蟬山を駆けたる幼き日      徹 
 
  法師蟬よろしき伴侶捜しをり    陽 子
 
  飛行機の輝る矢となるや法師蟬  加代子
 
  くり返し経読む如く法師蟬      千鶴子 
 
  法師蟬己が翳りの中で鳴き     直 義
 
  法師蟬麦藁帽子と虫かごと     久 美
 
  家の裏ここが好きなり法師蟬    登 美 
 
  カーテンを透かしすかせる法師蝉  靖 代
 
  法師蟬リハビリ室で聞いてをり   美 好
 
  手を借りて歩く山道法師蟬     修 司
 
  朝風に声あたらしき法師蟬     久美子
 
  法師蟬巨木の奥の闇深し      和 代
 
  まどろみのいつしか熟寝法師蟬  正 一  
 
  この会、初めて二十年ぐらいになるだろうか、その点ははっきりしない。いずれにせよ、相当長く俳句を作っておられる人が多いわけだ、中には絵画にも力を入れておられる人も居られる。まあ、私に言わせれば、二足の草鞋はどうかなと思わないでもないが、絵画には私も惹かれる。からして何も言わないでおこう。俳句より絵画の方が数倍、否何十倍動力が必要なのだ。
 
  落ち込んで居られないねと赤まんま 
 
  野川出て蟹のあそべる桜蓼 
 
  赤のまま昔このみち飴買ひに 
 
  犬ころに見えてくるなり猫じやらし 
 
  芥場に電池ひとつとちちろ虫
 
  そうかそうかと納得するや猫じやらし 
 
  唐辛子や少子化の国軽くなる 
 
  時が欲しほしいほしいと法師蟬
 
  胸の上に来て鳴きにけりきりぎりす 
 
  人妻を好きになること爽やかに 
 
  風爽やか猫の立てたる尾の先に
 
  爽やかに泥煙立て神の鯉 
 
  爽やかな声に甘へを募らせり 
 
  昂ぶりて来て風起こる法師蟬
 
  蕎麦の花咲く伊賀谷の嶺明り
 
  人妻のくるぶしに飛ぶ鳳仙花  
  
 
 思いもかけぬ新涼、残暑を覚悟していたのにという安堵の中で、こんな駄句を作ってみた。何も誉められた句ではない。今日の例会で出会った俳句と比べれば、なんとも心のこもらない慣れに任した句であり、読む人の心を打たないかもしれない。その昔わが師が、「保は最近、障害者の俳句指導を始めたようだが、やはり、レベルの低い初心者の中で俳句をしていると、どうしてもレベルが低下してくるようだ。」と叱咤された覚えがある。俳句とはそういうものだと指摘された。それ以来、友の会の皆さんへの指導を厳しくしてきたつもりである。希有壮大を目標にして俳句作りを続けてきたけれど、この辺で心を無にして己を見つめなおしてみたい。







2009/08/19 21:39:40|その他
俳句の日
 
 今日は俳句の日です。読者のみなさん、このゴロ合わせをご存知ですか。どこでも行っていることだと思いますが、わが伊賀市も子供さんたちを対象に俳句の勉強会を実施して十六年経つとか。そんな俳句の日の、子供俳句教室に指導者の一人として行ってきました。上野城などで行われるのですが、今年は上野高校の明治校舎で行われた。横光利一が学んだ明治校舎と中庭を散策しての俳句作りである。電動車いすの私が自由に移動できる場所ではなく、バリアフリーということを嫌というほど感じました。子供たちには満足な指導が出来なかったことをお詫びしたい。しかし、他の四人の先生が頑張ってくれて有難いと思った。私の感慨は一入、四十年ぶりの母校であり、当時走り回った校舎の廊下を車いすで走った。父親が呼び出され叱られた校長室が当時のまま残っている。横光利一が学んだ校舎であるとともに、北村保が学んだ校舎なのだ。懐かしさと感動で、なかなか俳句は作れない。そんな中でも一生懸命作られた子供たちの感性に頭が下がる。残暑は厳しいけれど、秋の風が清々しく私の心を吹き抜けて行った。夏休みではあるが登校している女学生の姿に、憧れの彼女と片言交わしたあの青春の日がよみがえる気がして、心が熱くなった。
 
横光の校舎は明治風は秋 
 
天井の高き校舎や涼あらた 
 
廊下鳴る白亜の校舎に昼ちちろ 
 
新涼や白き校舎の窓大き 
 
新涼や利一の手紙展示され 
 
涼あらた明治校舎の白き壁 
 
こども等と秋めく校舎訪ひにけり 
 
初嵐明治の校舎抜けてをり 
 
秋暑し白亜の校舎褪せてをり 
 
横光の写真吹き抜く秋の風 
 
秋暑し校舎の白木朽ちてをり
 
母校訪ふわれ秋蟬に迎へらる
 
 俳句に関わって来たからこそ四十年ぶりに母校を訪うことが出来たのであり、俳句に感謝せねばならない。そして、今日の俳句教室を開催してくれた市の課長が同級生であり、懐かしく話が弾んだ。私のような障害者を車まで手配してくれて間に合わせてくれる事に感謝したい。俳句は冷静に作らねばいい句ができない。今回は自分が感動してしまい何も見えなかったようで、俳句ができないのだ。とにかく、参加してくれた七十名の子供さんの中の一人でもいい、私の下手な話でも聞くことで、俳句が好きになってくれれば嬉しい。