伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2009/10/29 8:50:42|その他
愚感
  先日はこんなコラムをわれわれの機関紙に掲載してもらった。思ったことを書くだけではあるが、やはり読んでくれる人が居てくれるか気になる。残念ながら誰からも何ひとつご意見を頂けないで居る。最初から期待してはいないが、反論のひとつぐらいは欲しいものだ。時々このような何にもならないことを自己満足で書いている。「愚感」と題して今までにもいろんな所へ書いては来たが、話が固いとあまり喜んでもらえないようだ。俳句ばかりではなく、今回初めてコラムを掲載してみました。
 
  「日の丸」は永遠!                  不治人
 
 こんな事を書くと若い人に笑われ、学校の先生にはお叱りを受けるだろう。過日は、二〇一六年のオリンピックを東京へ招致できなかった。招致の是非には賛否両論はあろうけれど、招致活動に使われた莫大な金が実に惜しい。失敗した原因がいろいろ言われているが、私は日本国民が一丸となっての招致を望んでいない様子が外国から見ても汲み取れたのではないかと思っている。日本国民は愛国心に欠け、まとまりがない気もする。それを言うと右翼的で胡散臭いと非難されるかもしれないが。「南米に初めてのオリンピックを」と国民一丸となったブラジルに決まったのは妥当と言えよう。オリンピックにおいて勝者が表彰される時、国歌が流れ国旗が掲揚される。あの時の感動は誰もが忘れられない。「君が代」は別にして、「日の丸」が掲揚される時の興奮は格別である。国旗は国を象徴し、尊厳を表すものとして大切にされなければならないのである。しかし、現在の日本ではどうだろう。かつて、各家庭でも正月、祭日には国旗を掲揚したが、今はそれを掲げる家が極めて少なくなったようだ。式典においても「日の丸」を掲げなくなった。これが時代の流れかと観念し何も言う気は無いが、これでいいのかと危惧する気持ちは強くなる一方であり、情ないというより悲しくなる。米国の国旗は星条旗、国歌の放題も「星条旗は永遠なれ」である。米国民の愛国心は極めて強い。それだけに国家も国民への配慮は手厚いものがある。それでは、日本人は「日の丸」をどう思っているのか。こんな素晴らしい国旗はどこの国にもない、どこの国より立派で堂々としていると思っているか。星がいくつ並んでいようとも、満月や三日月が煌煌と輝いていようとも、太陽ほど大きく輝いているものは宇宙の中には無いのである。火星や木星、金星などとは比べものにならない太陽だ。そんな太陽がデザインされたわが国の「日の丸」を素晴らしいと感じ、誇りに私は思ってきた。他国民が「日の丸」を焼いたり踏みにじったりしたら、凄く憤りを感じる。今の若い人、小中学生の皆さん、そんな暴挙が起こっても腹が立ちませんか、冷静に笑っていられますか、と私は問うてみたい。しかし、この前、あるテレビ番組を見ていたら、何かの式典に於いて壇上へ登るのに、掲揚された「日の丸」に一礼すらしなかった新閣僚が何人も居られた。全く無視する大臣も何人か居られた。今回だけだろうと思いながらも、その態度が大いに気になってしまった。唖然として後の言葉を無くし虚しさが込みあげた。世の中はどうあれ、私は心に「日の丸」を掲げ、大志を忘れず生きる日本人が増えて欲しいと願っている。日頃怠惰な私が、「日の丸」について少し熱くなりすぎた気もするが、これもまたただの愚感に過ぎないと言えよう。







2009/10/20 22:21:52|その他
夜長さに……
 
 今日は少し季節外れの黄砂が降ったようだ。異常気象の一つの現われであろう。十月も半ば過ぎ、いよいよ晩秋も後半となってきた。平穏と平凡な毎日を喜んで過ごしている自分に満足しているようだ。外出することもなく、デイサービスを受けられることに感謝している毎日である。先日、わが師が訪ねてくれて、まあ予定していたことではあるが充実したひと時を過ごすことが出来た。師の主宰する俳句雑誌、私も所属している結社誌である。その俳句結社が三十周年を迎えた。その記念号に掲載するためのミニ座談会をわが家で開いたのだ。「回顧と展望」ということなのだが、回顧は容易いが展望が難しい。誰しも将来は解らないから、うかうか物が言えない。私なんか特に将来のことは言えない。でも、師は元気であり実に頼もしいことを言われた。「保と俺は同じぐらいに死ぬかな」とふと漏らされた。「師と私は二十歳違うのに、うーん師は元気や、したたかやな。逞しいな。」と痛感したのであった。 秋の夜長、死と生を考える。今まで三十年間、俳句に関わって来られたことに感謝し、俳句を得たこと、俳句で良かったことを大いに喜んだ。回顧していると様々なことが目に浮かんで来た。そして、ああー、よくぞここまで生きて来られたと感慨深く、傍で聞いている母に、あなたのお蔭だと心の中で呟いていた。
 
 指立てて青きみかんのむかれをり 
 
 伊賀山に伊賀の風あり青蜜柑 
 
 夕冷えの募りし伊賀や柚子は黄に 
 
 柚子照りてそばへしたたか過ぐる日よ 
 
 青蜜柑の青に頬ずり喜べり  
 
 金柑のあまたの光り個の光り 
 
 檸檬生り風に磨かる伊賀の奥 
 
 葉いちまい無くてくわりんの三十個 
 
 弱き兄ありしと母や梅擬 
 
 粉灰立つ畑に芋虫首振れり 
 
 蟷螂の羽根ばらばらや石の上 
 
 構へたる身を揺らしたり大蟷螂 
 
 刈田焼く煙流れて黄砂ふる 
 
 蟷螂の顎にしたたる血汁かな 
 
 椋鳥の群れ渦となり紐となり 
 
 椋鳥の群れて入り日を包みこむ 
 
 鶲来る土間に錆びたるパイプ椅子 
 
 鵙鳴くや裸電球点すとき 
 
 穴惑ひ恨むやうなる目をしたり 
 
 全身の濡れてかがやく穴まどひ
 
 死ぬること師と語るなり長き夜
 
 回顧よりし難し展望蚯蚓鳴く
 
 われと師の長寿願ひし夜寒かな  
 
 更新を焦り、またまた駄句を並べてしまった。俳句を少しでも知ろうと思っておられる人、何かを求めて覗いて下さる人には申し訳ありません。こんな俳句には感心を持たないで下さい。決して真似はしないで下さい。秋の夜長、人恋しさに、寂しさを慰めるために作った俳句です。それにしても秋の夜は物悲しく、容易に死のことなどを考えてしまうものである。「生くること死ぬること秋深きこと」   私の昨年の秋の句である。







2009/10/11 20:01:18|その他
勝手神社の秋祭

 
 今日はわが村の里祭りの日である。行事の日が十月の第二日曜日になってから何年経つだろうか。昔から十月十日に決まっていた。体育の日の制定よりはるか昔からであった。そんな伝統的な祭りが今年も行われた。かくいう私も若いころに二年すなわち二回、「神事踊り」というものに関わりました。そんな祭りの列を生きて今日も見ることが出来た喜びは一入です。三重県でも勝手神社の「神事踊り」と言うと有名であり、山畑(やばた)と言う僅か百五十戸の在所で守り続けて来たことは大変なことである。 祭りと言うと夏の季語であり、秋に行われるそれは、秋祭り、在祭り、里祭りといわれる。俳句を読むにも祭りだけでは句にならない。何年も見て来た秋祭り、自分もかつて関わった祭りなれど、俳句にするのは難しく世に残す句はいまだに全く作れない。
 
  塩茹での零余子をあての祭り酒
 
 渡御を待つ女も高きに登りけり 
 
 神輿より子の弾かるる里祭 
 
 在祭り花火合図に渡御の発つ 
 
 渡御発ちしあとの御旅所あきつ群る
 
 里祭り子の弛み落つ豆しぼり
 
 秋嶺へ子供神輿の声放つ 
 
 穭田を馳せて先布令猿と馬 
 
 慰みにコスモスちぎり渡御を待つ
 
 零余子茹で黒豆茹でて産土神へ
 
 車いすに酒すすめらる里祭
 
 先導の籠馬に泣く子里祭 
 
 渡御を待つ赤子に止まる赤蜻蛉
 
 猿面と籠馬馳せる里祭 
 
 一張羅を汚して泣く子や在祭
 
 穭田に爺婆の出て渡御を見る 
 
 木の実落つ社務所の屋根を弾みをり
 
 木の実落つ祭り太鼓のひびく中
 
 在祭りなれど母と子秋風裡
 
 里祭りの夜なり母子の浅蜊汁
 
 里祭りのけふ訪ひくれし誰もなし
 
 秋祭りの今宵も母と諍ひぬ
 
 
  写真を撮ることができたらと今日はつくづく思った。面白くて楽しい写真を掲載することが出来るのにと情なくなった。絵が描けたら、写真がとれたらと思ってしまう。しかし、私には俳句がある。そう思い観念することにした。「俳句しかできない。いや俳句しかしない私なのだ」と改めて肝に銘じた。しかしながら、そんなに自慢できる句は作れない。月並み句、駄句になってしまったようだ。 読者の皆さんの中で、どんな祭りか知りたい方は、「勝手神社」か「神事踊り」で検索してみて下さい。







2009/10/08 11:04:39|その他
台風過
 
  台風一過の秋晴れにはならず、まだまだ台風の名残の風が吹いており返し雨とでも言うのか時雨ている伊賀の奥である。極めて大型の台風18号の襲来に備えて昨夜は常より早く寝た。一度目が覚めた時は激しい雨の音が聞こえていた。その後死んだように眠ったらしい。朝から問うてくれた人が凄い風やったなと言ってくれても、返答に困った。とにかく安堵、安堵と言ったところである。老いた母と障害者の二人暮らし、周囲の人に心配をかけている。何もなかったかと電話をくれる人もあり感謝をせねばと思った。それにしても風って地形によって大きく違うようだ。私の住むところは東に嶺が連なっており、嶺より吹き下ろす風は凄く強い。普段から雨降る前などは台風のような風がよく吹くのである。それが今回は庭の木の葉や小枝もほとんど散らばっていないのだ。なんか不思議な気がしている。被害がでたらと不安で仕方なかったが、過ぎてみれば何もなかった。本当に良かった。
 
 颱風のあとの糠雨目に染むる
 
 酒少し過ごし台風の去るを待つ 
 
 颱風過口開けて寝て笑はるる
 
 死ぬごとく寝て台風の通過待つ 
 
 熟寝より覚めれば颱風一過なり 
 
 野分あと女のまなこ優しかり  
 
 散らばれる木の葉の匂ふ野分あと
 
 颱風のあと諳んずる師の一句
 
 野分あと母は猫抱きうた唄ふ
 
 老い母の畑をめぐりぬ野分後
 
 軋む戸を開くる女や野分あと
 
 颱風過やうやく晴れて虹の出し
 
  俳句には台風と野分と言う季語がある。切羽つまれば良い句も出来るだろうが、なかなか台風などというものを句にするのは難しい。慰めに過ぎない。昔は野分(のわき)と言われていた。野の草を吹き分けるほどの風と言う意味である。野分と言うとどことなくおとなしい感じ、大きな被害が出るほど強いのが台風と言えよう。私の亡き師、澤木欣一の句に、「颱風一過女がすがる赤電話」というのがある。想像の域が限りなく広がる一句であり、私の好きな句の一つである。停電ぐらいは覚悟していた私、ベッド、エアーマット、エアコン、電話機、パソコンなど電気なければ無用の物であるから、おとなしく寝て居ようと思っていたが、大したことなく感謝して過ごす台風一過である。読者のみな様の中で被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げたい。







2009/09/30 23:40:13|その他
秋霖
 
  晴れや曇りの日が長く続き、「ひと雨欲しいな」と挨拶のようになっていたが、おとといから曇りだし雨になった。昨日は微量の雨、畑の表面だけで苗物や撒き物には何の足しにもならなかった。しかし、今日は一日中まとまった雨が降った。秋雨前線の停滞による恵みの雨となった。台風も二つ日本の方を向いているらしい。秋霖とか秋ついりとか言う秋の長雨になるのだろうか。人間は気儘、晴れるなら相当続いても愚痴を言わないが、雨の三日も降れば嫌になり、やかましく言うことだろう。私なども同じで散歩に三日も出られないと自然に見捨てられたような気分になる。シルバーウイークのことなど、もういつのことだったのかすっかり忘れてしまったような世間である。秋も深まり、早くも今日は九月尽、一年の四分の三が終わってしまったのである。昨日、友人が新米を取りに来た。近年すっかり弱った彼、耳が遠くなり大きな声で話してもなかなか聴いてもらえない。奥さんが付いているからいいが、自動車にも一人で乗らないように医者に言われているそうだ。そのために偶にしか訪ねて来てくれなくなり寂しくなった。私より八歳上、老ける年なのかなあと思うと辛くなる。人のことを心配している場合じゃないよ。私も将来を思えば心細くて仕方ない。秋の夜長、トイレへ行った母がちょっと長く戻らなかったら胸騒ぎがするようになった。ああ、嫌だ嫌だ!!何かといらぬことを思わず駄句でも作っていれば心は安らぐのだと自分に言い聞かした。
 
  人妻の臍見せくれし爽やかに
 
 自転車に子の立ち乗りや秋あかね
 
 唄つても唄つても晴れぬ秋曇り 
 
 亡き父を思ふときあり抜菜汁
 
 白壁と夕日と鴉と彼岸花  
 
 からす瓜の種の戎に似てゐたり  
 
 うつむきて歩く野良猫秋風裡 
 
 祭り鬼手草にしたる猫じやらし 
 
 草の絮雨降る前の風にとぶ 
 
 月出れば月に揺れ出す草の穂よ
 
 子等の声釣瓶落としのその先に 
 
 一輪車に南瓜載せたるままの土間  
 
 紫苑咲く高きところを風過ぐる
 
 伊賀の奥風は斜めや破芭蕉
 
 初鵙のひびく石段雨に照る 
 
 はらわたがもつも好きと秋刀魚買ふ 
 
 灯火親し猫の寝言を聴いてをり 
 
 うそ寒や砂糖の過ぎし玉子焼
 
 栗の虫出したる顔の光りをり 
 
 丹波栗二つに切りて匙で食む
 
 はたはたの飛ぶ力溜め命溜め 
 
 よろこべばきちきちばつたとびにけり 
 
 硝子越し物憂き顔や秋の雨 
 
 三日降れば三日の憂さや秋ついり
 
 秋の燈に透けしからだの守宮かな
 
 秋霖の窓の家守を見て飽かず
 
 蛍光灯のカバーの中に子供のヤモリが棲みついている。棲みつくというより昨夜から遊びに来ているのだが。よく見ていると小さな虫を捕って食べている。ヤモリは守宮とか家守と書き夏の季語である。コオロギに代わってヤモリが訪ねて来てくれた。誰かのブログに秋の虫が少なくなった。鳴き声が余り聞かれなくなったと書かれていたが、そう言えば、ここ三日私の部屋、あるいは厨では鳴いて居ない。消灯すれば、庭で鳴く虫の声が聞こえるだろう。しかし、なににせよ虫なども昔より少なくなっているのは間違いない。「おーい、お前はどう思う」頭上に居るヤモリに声をかけてみる。足元に寝ている猫のシロは寝息を立てて夢の中です。