先日、伊賀市上野のフレックスホテルにて、私の所属する「山繭」(宮田正和主宰)が創刊三十周年記念大会を開催した。出席者、来賓を含め百五十名の大会であった。私もその末席に加えて頂いて来た。同人として何も結社の役に立てませんが、まあ存在感を誇示するために参加したのです。しかし、自分で納得してのことですが、皆が「よく来てくれました、元気そうで何より。会えて良かった、嬉しい」と喜んでくれた。特に沖縄の方々が喜んでくれて何より嬉しく思った。五年毎に決まった数の俳句を会員が出して、「山繭選集」を発刊している。今回、「山繭創刊三十周年、通巻三百五十号祈念選集」が刊行された。次に掲載したのが私の十五句の中の二句である。
生くること死ぬること秋深きこと
鶏口と牛後語るや根深汁
「何のことや、どういう思いや解らん。難しいこと言うて」と思われる句もあるかと思います。意見など聞かして欲しいです。山繭の色、淡い緑の一冊を残すことができたことに感謝している。閉会の辞を仰せ付かった私、「先生、おめでとうございます。今日の先生はいつもより一層輝いています。山繭の三十年は私の俳句の歴史です。山繭に育てられてきたのだ。不肖の弟子、何もお役に立てませんが、先生のご健勝を誰より祈念したいです」と、ぎこちなく閉会の辞を。先生が輝いていると言うと、一同大笑い。先生は昔から禿げておられる。三重県の金子兜太と言われているのだ。そんな師の息災を願う日、付き添ってくれた母の長寿を願う日だった。大勢の人々と会うことが出来て嬉しい日、生きて居る実感、俳句に関わって居て良かったと改めて感じる日でした。
母の炊いてくれた熱い根深汁を啜りながら私の三十年を思い起こし、何年かは決して解らないこれからを思うことにしたい。俳句の世界では牛後になりがちであり、もうそうなっているだろう。しかし、どこへも自由に行けない私には鶏口と思われる俳句の姿勢を貫いて行きたい。せめて気持ちはそうありたい。死を考えてみたり、将来のことを思ってみたり、気分は落ち込んでばかりだ。