今年の大晦日は風の強い寒さ厳しい日になった。朝には雪がちらちらしていた。ここ何年も冬晴れの穏やかな大晦日が続いていた気がするが、私の記憶違いかな。今日は今年最後を車いすに乗って散歩した。常にお邪魔してご迷惑をかけている床屋へ寄って、一年間の礼を言った。そして、私の唯一行ける店(スーパー、コンビニなら良いが)である在所に一つの万屋に味噌を買いに寄り日頃の礼を言って帰る。そこで、訃を知る。私には深い縁のある人ではないが、同じ在所の人でデイサービスに来てくれていた人だ。人の死はいつやって来るかもしれないと悲しくなった。午後は平凡、窓を鳴らし過ぎる荒風を見ていた。一年を少し振りかえり、無事に年を越せることに感謝しようと思った。自分のどんなことよりも、母が恙無く生きてくれたことが何にも勝ると実感した。今、紅白歌合戦を見ながら口には出せないが感謝している。「母よ、よくぞ元気で生きてくれたな。ありがとう、来年もがんばって」と念じている。
餌漁りすずめ数へ日使ひきる
数へ日を何も出来ずに車いす
通る人数へ日らしくなつて来し
風唸り雲あかねして年詰る
大年の風に電線絶叫す
風唸り雲あかねして年詰る
逝く年の海老寝の母のちんまりと
逝く年や終と思える印を押す
逝く年と知つてか猫の毛繕ひ
母とふたりただ風を聞き年守る
人の死に嗚呼と溜息年詰る
車いす風に抗ひ年惜しむ
虎の子は何かと自問去年今年
夢のこと走り書きたる初便り
老い母の足気遣うて初詣
元日の昼過ぎに愚痴もう出たり
門松の竹の切つ先天刺せり
門畑に南瓜ころがる初景色
「去年今年つらぬく棒のごときもの」の名句があるが、一秒の変化が一年の変化、何を大袈裟に騒ぐのかと思いたい。何も変わらない、ひと続きである。そんな感慨を去年今年(こぞことし)という季語がある。何ひとつ変わらないんだと思えば楽、しかし、けじめと区切を自分の心にも付け、先へ進む精神を新しくしたい。
しばくすれば、世の中どこもかも、誰もかれも「おめでとう!」と唱えるように言うであろう。少し早いが御慶を申し上げておこう。「明けましておめでとう。今年もよろしく」