伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2010/01/27 23:09:54|その他
春 隣
 
  一月もあと五日となってしまった。今日は暖かい三月の陽気だったらしい。だが、最近の寒さを殊に感じる自分を思う。エアコンが古くなりあまり利かないのだと思っていたら、どうも自分だけのようである。「そんなに寒くないよ、最近外へ出ないから解らないのだろう。いじけているからや」とメールが届いた。自分が歳をとった所為だと思うことにした。自立支援法によりデイサービスを受けている私、今までは用事があればデイを受けながら車いすで外に出かけられた。決まりに反してのことであろうが大目に見てくれていた。だが、昨年秋頃にデイの時間内はデイのスケジュール通りに行動をと指摘された。「郷に入れば郷に従え」である。耳の遠い爺婆と四時までは一緒にデイを楽しまなくてはならない。もしも、ひとり勝手に外出して事故にでも遭えば事業所にとって、強いては社協さんが困るわけである。自己責任において行動することは今の社会では認めてくれないらしい。外出しようとすれば、デイサービスを受けなければ良いのである。その為、日暮れが早い季節は散歩が出来なくなった。その為にストレスが溜まり体調も少しおかしく、俳句の素材を見つけることも少なくなった。しかしながら、デイを受けるメリットは身体を清潔にすることにより床ずれ防止、感染の予防であるから、辞めるわけには行かないのだ。障害者の社会参加がデイサービスを受けることではないと思っているが、それに甘んじることが命を長らえる為のものと合点することにした。デイを受けられることに感謝しなければと思いたい。春も隣である。日脚が伸びれば散歩にも出られる。足るを知り、不足に思う心を捨て、春を待つことにしよう。春は遠からじ、身ほとりに春を感じる心を持ちたい。
 
  気に入らぬ人許しけり春隣 
 
  柿の木の伐り口匂ふ春隣 
 
  雑木山紺に靄ひて春を待つ 
 
  高畦のふくらんで見ゆ春隣 
 
  楢山の夕べ煙りて春を待つ 
 
  小走りの鶫に春の近づけり
 
  喜寿傘寿米寿並んで春を待つ 
 
  玻璃二枚重ねて籠り春を待つ
 
  福耳の春待つ婆や遠き耳 
 
  足るを知り心安らぐ春隣 
 
  春隣り母への小言つつしめり
 
  母と見る春のとなりの雑木山 
 
  子供らに春はそこまで来ていると
 
 
  もうそこまで来ている春をじたばたせずに待つことにしょう。秘かに慕う人から優しくて心ときめく言葉をかけてもらえるような期待を持って春を待とう。







2010/01/20 23:31:56|その他
大寒
 
  今年に入って初めての更新に、私の今年一年を推測することができる。時間の流れに流されてゆくばかりである。俳句と言う瀬石に掴まりもするけれど、またすぐ流されてゆくのだ。それでいいと思うことにする。しかし、決して溺れてしまわないで居たい。新年も二十日経ってしまい、今日は一年で最も寒い日と言われる大寒であった。大寒と言えばすぐ富安風生の「大寒と敵のごとく対ひたり」の一句が口をついて出てくる。だが、今年の暖かくて穏和な大寒には喜んでいる反面、拍子抜けの感が無きにしもあらず。二日前の朝の冷えはマイナス四度と今年最低であったと言うのに……、あまりにも差が甚だしいではないか。気まぐれな気象、異常な気象であり、まるで私の精神状態を思わせるようだ。こんな私ですが、今年も何卒宜しくお願いします。更新しないでいる怠惰なものでも平均三十人ぐらいは覗いてくれている。ああ、ありがたい。昨日、寒念仏に各戸を回って来てくれた僧に頂いた紙に「ありがとうとおもう心が今日のしあわせ」と書かれてあった。常なら新聞広告と同様に紙屑となるのであるが、今年は何を思ったのか正面に貼った。毎日何度となくこの十七文字を読むことにしょうと。
 
  大寒の土間に赤き実散らばれり 
 
  大寒といふあたたかき峡日和
 
  大寒をぬくた過ぎると伊賀の人 
 
  大寒の埃被りし大南瓜
 
  大寒の日暮れ蒟蒻煮てをりぬ
 
  婆の腰曲がるや寒を言ふたびに
 
  呷りては身を貫けり寒の水
 
  寒晴や鴉が鳶にすり寄りて 
 
  ふところに峠を入れて寒の山  
 
  寒林の中より亡父の鉈の音 
 
  しつかりと眼を開けてゐる寒の鯉 
 
  百均の鋏買ひたり寒土用 
 
  俳句はなかなか出来ない。気に入った句が作れない。捨てる句ばかり作って疲れている自分が可哀想になる。しかし、辞めるわけにはいかない。辞める理由を考えるより続ける理由を考えて行きたい。







2009/12/31 22:27:10|その他
去年今年
 
 今年の大晦日は風の強い寒さ厳しい日になった。朝には雪がちらちらしていた。ここ何年も冬晴れの穏やかな大晦日が続いていた気がするが、私の記憶違いかな。今日は今年最後を車いすに乗って散歩した。常にお邪魔してご迷惑をかけている床屋へ寄って、一年間の礼を言った。そして、私の唯一行ける店(スーパー、コンビニなら良いが)である在所に一つの万屋に味噌を買いに寄り日頃の礼を言って帰る。そこで、訃を知る。私には深い縁のある人ではないが、同じ在所の人でデイサービスに来てくれていた人だ。人の死はいつやって来るかもしれないと悲しくなった。午後は平凡、窓を鳴らし過ぎる荒風を見ていた。一年を少し振りかえり、無事に年を越せることに感謝しようと思った。自分のどんなことよりも、母が恙無く生きてくれたことが何にも勝ると実感した。今、紅白歌合戦を見ながら口には出せないが感謝している。「母よ、よくぞ元気で生きてくれたな。ありがとう、来年もがんばって」と念じている。
 
  餌漁りすずめ数へ日使ひきる 
 
  数へ日を何も出来ずに車いす 
 
  通る人数へ日らしくなつて来し 
 
  風唸り雲あかねして年詰る
 
  大年の風に電線絶叫す
 
  風唸り雲あかねして年詰る
 
  逝く年の海老寝の母のちんまりと 
 
  逝く年や終と思える印を押す 
 
  逝く年と知つてか猫の毛繕ひ 
 
  母とふたりただ風を聞き年守る 
 
  人の死に嗚呼と溜息年詰る
 
  車いす風に抗ひ年惜しむ  
 
  虎の子は何かと自問去年今年
 
  夢のこと走り書きたる初便り 
 
  老い母の足気遣うて初詣
 
  元日の昼過ぎに愚痴もう出たり
 
  門松の竹の切つ先天刺せり
 
  門畑に南瓜ころがる初景色
 
  「去年今年つらぬく棒のごときもの」の名句があるが、一秒の変化が一年の変化、何を大袈裟に騒ぐのかと思いたい。何も変わらない、ひと続きである。そんな感慨を去年今年(こぞことし)という季語がある。何ひとつ変わらないんだと思えば楽、しかし、けじめと区切を自分の心にも付け、先へ進む精神を新しくしたい。
 しばくすれば、世の中どこもかも、誰もかれも「おめでとう!」と唱えるように言うであろう。少し早いが御慶を申し上げておこう。「明けましておめでとう。今年もよろしく」







2009/12/26 22:13:55|その他
数え日
 
 いよいよ今年も数え日となった。師走に入って一週間ごろに更新して以来今になってしまった。その間随分怠惰を重ねてしまったようだ。年賀状は書こう書こうと思いながら印刷を終えたのが先日である。何をするにも決断と実行の一致しない自分が情なくなる。忘年会も二つ済ました。毎月の雑用も一応終えて、やっと安堵したと思うと年も押し詰っていた。「もういくつ寝るとお正月」とお年寄りとのん気に歌って、凡々と過ごして来た自分が嫌でたまらない。 年賀状に添えた句は。「三が日すずめの親子むつびをり」という駄句であった。いろいろと考えたが良いのが出来ず、誰にでも理解してもらえる句にした。もう一句は「恵方とは車いすにて行ける道」、来年への希望を込めて作った。来年の恵方はどの方角だろうか。いずれにしろ、私には車いすで行ける方向でなければならない。来年も車いすで行けるところが私の恵方なのである。
 
  柚子風呂に火照る心地の麻痺の陰 
 
  風呂の柚子こつんと顎を打ちにけり 
 
  極月の猫の寝息の荒きかな
 
  手締めして果てたり組の年忘れ 
 
  川涸れて鷺みじろがぬ石の上 
 
  なにをして遊んで居るや懐手
 
  鷺の脚薄紅いろや冬の水
 
  極楽へ一緒に行こと日向ぼこ
 
  数へ日を風のしきりに唸りをり 
 
  年の瀬となり看護師の優しかり 
 
  亡き人に書いてしまへり年賀状 
 
  爺婆ら食ふた食はぬと聖夜菓子
 
  数へ日を猫とうたた寝老いし母
 
  母厭ふことに数へ日使ひきる 
 
  魚売りのごまめ配りし年の瀬よ 
 
  新聞紙に白菜包み年用意
 
  起き伏しの母子の一間掃納め
 
  年越しや机上に母の貼り薬
 
  大年の風のうなりて耳削げり 
 
  大年の風おらびたり泣きゐたり 
 
  腹の上に猫のせて母年守る 
 
  これも駄句あれもと捨てて年を守る 
 
  余すところ五日、ゆっくりと落ちついて過ごしたいと思っている。一年を回顧するとか言った大袈裟なものではなく、数え日を苛立つことなく過ごしたい。大掃除なども母には無理、正月の準備も無理、何も出来ない私は何も思わず何も言わずにいようと思っている。正月も平日もそう変わらないのだ。お正月には凧上げ、独楽まわしをして遊ぶことはない。母と猫と居るだけ、喧嘩しないように過ごしたい。母と二人で元旦には産土神へ初詣をしたいと思っている。一年無事に過ごせたことを母に感謝し、新年迎えられたことを感謝したい。今年最後の更新、読者の皆さんに読んでくれたことに感謝したい。健勝にて良いお年お迎え下さい。
     
     初夢や虎穴に入れぬ車いす   不治人







2009/12/07 20:55:09|その他
湯豆腐
 
  師走に入って一週間がああーぁ、と言う間に過ぎてしまい愕然としている私である。今日は大雪と言われ雪が降る時期とされているが、そんなに寒くなかったことを有難いと思っている。師走と言えば、誰もが心急かされる時期、私も人並みにあれこれと焦り気味である。思うほど出来ない自分が歯がゆくて仕方ないのだ。そして、毎年のように、年の瀬に否応なく流されてゆくのであろうと予測している。安否確認の唯一の手段となっている年賀状を書かねばならないと思いながら、未だ手つかずである。
 
  亡き人の当りに来たり缶焚火 
 
  冬ざれの岩の割れ目の濡れてをり 
 
  髭男の首だけ出せり牛蒡掘 
 
  短日やもの言うだけで嫌はれて 
 
  朴落葉いちまいのせし一輪車 
 
  鎌の刃の大きく欠けし枯蟷螂 
 
  冬蝿に情かけしと婆の言ふ 
 
  墓文字に嵌り込んだり冬の蝿 
 
  もう翅を閉ぢることなき冬のてふ 
 
  畑燻べの中へ消ゑたり冬の蝶 
 
  笹鳴きの奥に小溝の鳴りにけり 
 
  笹鳴や里山のみち人恋し 
 
  母と子に猪ひとにぎりの薬喰 
 
  顎だるくなるばかりとや薬喰 
 
  里山へ砂利道の照る枯野かな 
 
  川ひとつ道ひとつある枯野かな 
 
  振り向けばふと明るかり枇杷の花 
 
  枯野みち出て放心の白き犬 
 
  老猿の尻より冬ざれてゆくか 
 
  冬ざれの三和土にこぼる鷹の爪 
 
  冬ざれの野へ柴折戸の半びらき 
 
  牡丹焚き心のひまを埋めにけり 
 
  枯野見ていのちのはてをおもふなり 
 
  老いてなほはにかみ癖や龍の玉  
 
  俳句作りも惰性で作っているだけであり、そう誉められた句は作れていない。ゆっくりと心を落ち着けて俳誌でも読み耽ることが出来ずに、眼前の光景を一応句にしては自分をごまかしている愚かな自分がそこにいる。心を無にして、流れゆく日々に逆らわず素直な気持ちで俳句作りができれば、どんなに心が安らぐだろうか。しかしながら、健常者であっても、もっともっと心の荒んだ人も居られよう。私は私、足るを知り、老いた母が元気でなんとか頑張ってくれていることに感謝しなければならない。俳句作りが出来るだけでも有難いと感謝したいと思っている。極めて当たり前のことであるが、ようやく最近になってこんな句が無理せずに出来た。この一句、決して忘れてはならないと思っている。母子して湯豆腐に舌鼓を打つ、この幸せが長く続くことを心より念じつつ、湯気の向こうの母に「ありがとう」と呟いている。
 
     湯豆腐や母が恃みの
            
                       わがいのち     不治人