伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2010/03/26 18:15:00|その他
壷中天
 
  彼岸が明けても不安定な天候が続いている。津市で二三日前に桜の開花が伝えられたが、伊賀の桜はまだ固い。雨がよく降り、風が冷たい。天気に関わりがないだろうが、母の腰痛が一向に良くならない。それで私の気分も落ち込んでいる。桜が咲いて陽気がよくなれば母の腰も治ってくれるだろうと、今はじっと我慢をしようと思っている。さて、先日総合俳句雑誌月刊「俳句界」四月号に私の作品が掲載された。所属する俳句結社「山繭」の作家として師より推薦されての原稿依頼であった。久しぶりの総合誌に作品が掲載されてホッとしている。作品の巧拙は読んだ人の評価によるが、自分ではよく頑張ったと思っている。一月に春の句を作ることはなかなか難しい。実感が伴わないと句になり難い。多くの中から選んだ十五句であり、回想を繰り返し作った句もある。全く自信はない、読んで頂いた人の評価を期待したい。
 
      壷中天
 
  出し穴の口を回つてゐる地虫
 
  頬を突く風の切つ先雉のこゑ
 
  幼子のひとりあそびや名草の芽
 
  すかんぽに真直ぐの雨と斜の雨
 
  浮き雲を笑ひ飛ばせり向かひ山
 
  桜東風机上を転ぶ色鉛筆
 
  花びととなるや喪服を抛り捨て
 
  来し風のどこか違ふよ飛花落花
 
  青饅や割りしばかりの箸匂ふ
 
  爺の置く斧の刃蒼し山ざくら
 
  枝揺すり誘ひをかけむ鳥の恋
 
  はくれんにはくれんの影ありにけり
 
  水の際気負ひてゐたり雪の果て
 
  向かひ風より追ひ風に春惜しむ
 
  壷中天覗いてをれば亀鳴けり
 
  壺の中に生きる私の心は春本番を待っている。俳句の世界だけでも自由に心を遊ばせることを喜びたい。俳句の背景のような過ごしやすい陽気に早くなって、心も穏やかになって欲しいと願わずにはおられない。







2010/03/21 12:44:50|その他
春分の日
  今日は彼岸の中日である。春分の日と言う方が良いかもしれない。今年も寒い彼岸の入りだった。彼岸とだけ言えば春の彼岸のことである。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、今年は彼岸に入っても寒く、この先も寒さが少しは残るようだ。それに雨がなんとも多い。異常気象を思わずにはおられない。しかし、昨夜の春雷には驚嘆、夜の地震などは知らずに寝ている私だが、昨夜は熟睡していても飛び起きた。雨もかなり激しく降っていたようだ。前線が過ぎた今朝は風が強いが雨が上がり暖かい、春眠を思う存分にむさぼった。目を覚ますと世の中は霞か靄か、それとも黄砂か。よく見てみると黄砂だった。強風に飛ぶ黄砂、ギラギラとして光景が異様に見える。日が蝕まれたような鈍い光である。昨日、初蝶と出合うことが出来て喜んでいたが、あの蝶はどうしているだろうと思う。昨年も確か黄蝶であった覚えがある。白蝶でも黄蝶でも別にかまないが。あの黄蝶は今日どこへ行っただろうか。初蝶と言えば、今年は初燕をまだ見かけない。二三日前から、もう来ているかなと目を凝らして散歩していたが、まだ燕に会えない。好きな人に逢えないような寂しさに苛まれる私である。
 
  腰痛の老母の背なへ黄砂ふる
 
  初蝶や黄の蝶それも番ひかな 
 
  初蝶と大きな声を出しにけり
 
  大欅赤くけぶれり入り彼岸 
 
  風の先尖り痛しと彼岸入り
 
  尿のあと猫春霰に叩かれし 
 
  うぐひすの声のあとさき風の音 
 
  山茱萸の黄を明るくす嶺の雨 
 
  人に別れありけり鳥の帰りけり
 
  水温む浮かぶ藁しべかがやかせ
 
  料峭や頁を繰りし指の傷
 
  人はみな老いて気弱や母子草
 
  囀りのはげしさに腹空きにけり
 
  白き雨けぶる夕餉の木の芽和
 
  木の芽和へ子供手当を語り合ふ
 
  不景気の世に蟻の出て躓けり
 
  田にあふれ田の畦越へて土筆生ふ
 
  降ろされて二尺弾めり杉の苗
 
  流れ木の泥被りたり芽吹き時
 
  鷹鳩と化して梢を鳴らす木々
 
  木蓮の天辺を風過ぎてをり 
 
  風唸り猩々袴紅潮す 
 
  焼酎は芋がよろしや蕗の味噌 
 
  膝小僧丸き女やチューリップ 
 
  髪のいろ変へしと女春愁ひ 
 
 老い母に植ゑし柿の木芽吹きけり 
 
 山茱萸やそびらに紺の嶺遠し 
 
 春陰や朽ちたる杭に鵙のゐて 
 
 卒業歌思へば恩師みな亡くて
 
  倒されて埋められてなほ茎立てり 
 
 茎立ちや横に斜めに直立に 
 
 茎立ちや雨は風はと容赦なく  
 
 婆の鍬柄のぬけにけり山笑ふ 
 
 飽きることなく椿落ち椿咲く 
 
 蒲公英の絮の塊ころげをり 
 
 この次の風に蒲公英絮放つ 
 
 青饅や母子暮らしの気弱癖 
 
 目刺焼く煙に猫の逃げにけり 
 
 退屈な床屋の爺や楓の芽 
 
 春泥を来てあたたかき茶を飲めり 
 
 中年の隠れたばこや目借どき 
 
 水草生ふ長雨の果て煙りたる 
 
 霧雨と煙雨の違ひ水草生ふ  
 
  駄句の山である。こんな句を並べて読者の皆様の大切な時間を費やすのは申し訳ないことと思う。肩に力を入れず句にしたもので一読頂けば満足である。俳句はこんな甘いものではない。はじめたこのブログをやっと更新できたと言う自己満足に他ありません。母の腰痛がもう一週間続いている。まだこれ以上腰が曲がる前兆の腰痛かと思うと、母が頼りの日々が不安で仕方がない。何かと世話になる回数を少なくしなければ、極力辛抱せねばと思ってしまうだ。「痛い、痛い」と悲痛な声を発しながら介護してくれている母に、感謝しなければならないと改めて肝に銘じている。 午後からはスッキリと空気が澄み、黄砂はどこへ飛ばされてしまったのかと思う。
 







2010/03/07 17:37:32|その他
啓蟄(けいちつ)
  三月ももう七日である。昨日は啓蟄(けいちつ)、二十四節季の一つで春暖かくなると、いろいろな虫が穴から這い出しくるという日である。様々な動物も冬眠から醒めると言われている。虫たちも雨に濡れて驚いているかもしれない。風邪をひくなと言ってやりたい。ここ数日の雨模様には気分が沈みがちである。それでも、二月から三月へ、アッと言う間に過ぎてしまった。その間、総合誌への俳句を作るのに躍起となっていたように思う。わずか12句の作品を考えるのに往生してしまった。やはり、総合誌となると読者も多く軽率な句は出せない。佳作でなければと思ってしまうから焦るのであるが。やっと目途がついた。また、二月の末にある句集の鑑賞をせよと師に仰せ付かった。一冊の句集を読み鑑賞し、評することはなかなか至難である。自分の心惹かれた句について書けば良いのだが、四百字詰め原稿用紙10枚ぐらいの量は結構時間を費やすものである。締め切りが十日とゆっくりしていられない。まあなんとかなりそうであり、ちょっと気分転換のつもりでこれを更新することにした。俳句はあまり力みのないものであり、気楽に作ったものである。
 
  雛の日や男の漬けし菜をもらふ
 
  啓蟄のかめ虫臭き箪笥かな
 
  啓蟄や菜虫に女声上ぐる
 
  ふところに婆の仕舞ひし紙雛 
 
  桃の日や堆きもの土竜みち 
 
  しらじらと青みさしたり雛の顔 
 
  耳の日やわが耳うすく生まれつき 
 
  耳の日や長寿の四人大き耳
 
  雛の日の朝のごはんに生たまご
 
  髪を撫ぜくちびるに触れ雛仕舞ふ  
 
  水音のしてきて霞晴れにけり
 
  食卓の卵の揺るる春の雷
 
  うさぎ抱く少女を包む春夕焼
 
  手で揉んで乳吸ふ赤子山笑ふ
 
  浮き雲を笑ひ飛ばせり向かひ山
 
  楢山にささやきにけり春の星
 
  春眠の中に入り来て猫鳴けり
 
  野遊びの婆を呼んでも応へなし  
 
  昨日は市の障害者福祉大会に参加してきた。伊賀市になり一つの障害者連合会になって初めての福祉大会であった。市にしては会場も小さく、出席者も少ないと思ったのは私だけか。大会の後は村松智広氏の講演を一時間聴いてきた。人権の講演を聴いたのは初めであり、その笑いを交えた話し方に感化された。こういう類の話は固くなり心を開けて気軽に聴くことができないものだが、彼の話は上手く、ところどころ泪が出て来そうになるところもあった。私は人権とか差別について興味がないのではない。今までそういう講演を聴く機会がなかっただけである。啓蟄の日にいい話を聴いたと喜んでいる。 梅が満開、やはり暖冬傾向は年々強くなっていくようだ。桜の開花も早いだろう。少し早いが、俳句は先取りを良しとするから、春酣の句を掲載してみます。これらの句を読んで春への思いを募らせて頂きたい。
 
  靄深き野のひとところ蕨狩
 
  卵白の泡もりあがる養花天
 
  水音のしてきて霞晴れにけり
 
  ひと谷は十戸たらずや養花天
 
  はくれんに杣の空澄む暗きほど
 
  桜どきさいたさいたと大正女
 
  燕来てより空を見る癖つきぬ
 
  くちびるに止まる落花を舐めてをり
 
  溜池の薄く濁るや花曇り
 
  卵白の泡盛り上がる養花天
 
  散らばりし雀弾めり花曇り
 
  しきり地をつつく雀や花曇り
 
  岨晴れて宙へ伸びたり郁子の花 
 
 
  「暑さ寒さも彼岸まで」と言われ、「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という句もある。まだまだこの雨が上がれば春本番になるとは限らない。東大寺のお水取りが始る頃には寒さもぶり返すかもしれない。花粉症の方はお気の毒です。読者の皆さま、春の風邪をめされぬように気をつけて下さい。







2010/02/20 9:13:14|その他
如月
 
  二月は逃げると誰が言ったのか、早くも半ばを過きでしまった。あと十日となってしまい、過ぎてしまった日を惜しんでいる。立春後は割合と寒くて、遅々として春めかない陽気に苛立ちさえ覚えていた。オリンピックが開催され、連日日本選手の活躍に一喜一憂している。政治の話題もオリンピックの陰に隠れてしるようだ。そのオリンピックは雪上、氷上の戦いであり転倒することが多々あり明暗がはっきりしていて面白い。先日も日本選手にメダルを獲得して欲しいと、後から滑った外国の選手を見ていてテレビに向かって「転けよ!転けよ!」と呟いてしまった。こんな応援は悪いと思いながら……。同じ金メダルでも、転倒したら骨折、最悪死ぬ場合もある種目とカーリングというのを比べるとどうだろう。カーリングの選手に叱られるかもしれないが、金は金なのであろうか。どう考えても、氷上で四回転するのと箒かブラシのようなもので氷を擦っているのを見ていると変な気分になる私である。 本格的春の訪れを待って何日も経ってしまった。角川書店より俳句十五句の依頼が久しぶりに来た。三月初めが締め切りであり春本番の句を作ろうと苦戦している。如月は陰暦二月の異称である。「如月やふりつむ雪をまのあたり」万太郎の句があるが、まだまだ雪が降る季節である。もう少し籠ることが賢いかもしれない。そんな私にしきりと鳴きわめく恋の猫、赤子のような声はやめてくれと言いたい。時々我が家の猫を誘いに来るうかれ猫が居るが、恋することも知らず窓の外を見ているだけである。そんな愛猫を見ていると、「私も恋は知らないのだよ」と言ってやりたくなってしまう。如月、着物を着重ねる意からきた語、早く春着になれて肩の凝らない日を待ちたい。
 
  如月やけふも豆腐の売り切れて
 
  空耳に聞くきさらぎの鳥の声
 
  如月や猫の寝息が枕元
 
  かの子よりバレンタインの菓子貰ふ
 
  硝子戸ににじむ手形や地虫出づ
 
  楢山にささやきにけり春の星
 
  春眠の中に入り来て猫鳴けり
 
  恋猫の濡れし眼に見つめらる
 
  うかれ猫うかれぬ猫に張られたり
 
  石に罅地に罅入るや雉のこゑ
 
  暁の雨一気に晴るや雉啼いて
 
  病みて芯強くなりしや蜆汁
 
 鯉はねて産土神の梅匂ひけり
 
 春月の水たるるごと上がりけり
 
 地虫出づ猫の聞き耳立ててをり
 
 風唸りうすらひに罅走らせる
 
 枝弾み枝移りせり鳥の恋
 
 中年の夫婦の梅見犬つれて
 
 野梅咲き出して溝川の鳴りにけり
 
 恋知らぬ猫三日月を見つめをり
 
 何取りにここへ来たかと春の昼
 
 車いすにゆばり飛ばすなうかれ猫   
 
 竹皮に包みし土産厄落とし 
 
 梅満開青空を引き寄せてをり 
 
 頬杖の爺眠りだす梅日和 
 
 雨の糸くぐり行くなり猫の恋
 
  バレンタインデーに小中学生の二人から手作りのチョコレートを貰った。誰からでも、どんなものでも貰うことは嬉しい。貰いたいかの人からは今年も貰えなかった。もう少し残る寒さを我慢すれば暖かい春本番がやってくる。おとなしく不足を言わずにおれば、自然は誰にでも快適で優しい心の和む春を与えてくれるのだ。平凡を喜び、日々の息災を感謝したい。それにしても駄句ばかりである。日々の俳句作りの充実に繋がればと、昨年の二月にこのブログを始めてより一年で8300回のアクセスがあった。同じ人が読んでくれているのであろうが、句の充実は出来ていない。読者に俳句の魅力を伝えるにはまだまだ力量不足と言えよう。







2010/02/08 9:32:28|その他
浅き春
 
 節分が過ぎ寒が明けた。例年の如くに何も変わったことなく、誰が訪ねてくれることもなく日が経ってしまった。待っていた春の訪れではあるが、まだまだ暦の上だけのことであり、これからの寒さが身にこたえるようだ。しかし、俳句をやってきた者にとり立春は一つの大きな境目であり、春の句を作りはじめるのである。立春大吉、何か嬉しく喜べることがあることを期待して生きることにしたい。節分には買った豆を少し撒き、年の数を食べた。鰯も巻き寿司も食べなかった。世間で騒がれている恵方巻きなるものはあまり好きではない。母が巻いてくれないからではないが、なんとなくこじ付けの縁起かつぎに思えるのだ。鬼やらいは母が小声で私の部屋だけにした。柊も挿さなかったが自分の心中に棲みつく鬼を追い出せた気がする。それだけで十分だと思っている。
 
            胸中の鬼いささかの豆打たる
 
  陰伐りの木の香に春の兆しかな
 
  寒明けの少年尖る喉ぼとけ
 
  使ひ捨て懐炉背中に同病者
 
  風花の中に重たきひとかけら 
 
  小石打つ鍬の音春の隣りかな
 
  雑貨屋のよろひ戸錆びて春立ちぬ
 
  歯の穴に舌転ばせて日脚伸ぶ
 
  日脚伸ぶひとつ向かうの橋渡る
 
  春立つ日小さな春と答へけり 
 
  日脚伸ぶ土龍威しの軽き音に
 
  立春の大屋根歩くからす猫
 
  産土神の絵馬風に鳴り日脚伸ぶ  
 
  句跨りの俳句作りて日脚伸ぶ 
 
  でこぼこの土間に塵浮く春の雷 
 
  受験子の言葉尖つて来たりけり 
 
  恋猫に風轟々と過ぎにけり 
 
  恋猫に恋を伝授の媼かな 
 
  早春の楢に檪に靄ひくる
 
  春めくと雑木の俳句作りたし
 
  薄氷の割れて重なるところあり
 
 
 春とは名ばかりでもない。梅の蕾が膨らみ、もう蕗の薹が出ているらしいと人づてに聞く。しだれ紅梅の名所である津の神社のことが新聞に掲載されていた。昨日の句会である会員が、「もう筍を掘ってきて食べたよ」と言っていたのには驚いた。これからは残る寒さを話題にしながら、日毎春めくのを楽しみに、余寒と冴返る日にに一憂しながら平凡に生きたい。春になってしまうよりも、春浅しの感が好きな気がする。