伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2010/05/25 9:44:56|その他
嵐の吟行会

 
 吟行会「重度障がい者友の会」の吟行会が二十三日の日曜日に行われた。それは滅多にない荒天、台風のような風と雨の一日であり、森林公園での吟行は断念せざるを得なかった。森林公園なら何か当季の花が見られるだろうとかねてより決めてあったが、あの風雨には出掛ける気にもならなかった。車中から見える景色を素材にした句を携えて会場のサンピアへの道を走った。一時間ばかりの勉強会、それぞれの句を見せて頂き、少し添削したり鑑賞したりした。あまりにも強い雨風に俳句作りの意欲も喪失、こう大荒れであれば吟行への未練も全くなくなっていた。普通の日なら忘れてしまうが、今日の日は決して忘れられないものになりましたと慰め合っていた。一年に一度の吟行会を嵐にも負けずに一応終えたことにホッとしている。健常者でも引き籠りの人が大勢居られると聞く、われわれは重度の障がい者なれども決して引き篭ってはいない。ボランティア、運転車さんのご協力があってのことであると感謝の気持ちで一杯であるが、あんな大荒れの日でも出て来て、笑顔で会える友の存在を大切にしたいと思っている。俳句がそんな心の繋がりに一役かっているようで嬉しくなる私である。
 
 疾風に青葉若葉の千切れ飛ぶ 
 
 轟々と風の駈けたり若葉山 
 
 暴風に樫の若葉の空へとぶ 
 
 ことごとく風にちぎれし花あやめ  
 
 突風を掠めて飛べり親つばめ
 
 風と雨青葉若葉に雨と風 
 
 乱れ飛ぶ若葉と青葉雨と風 
 
 突風や早苗田の水あふれ出て 
 
 暴風に芍薬の蕾砕けたり
 
 
  このブログへの訪問者の回数が一万を越えた。読んでくれている人の延べ人数であり、いつも度々開いてくれている奇特な人が居られることに感謝したいと思う。日記となれば楽であるが、俳句を駄句ではあっても幾つか掲載するのは難儀であった。今後も俳句依存症の私は、独りよがりの句と、気の抜けた月並み句と笑われても俳句を並べて行こうと思っている。







2010/05/17 22:15:46|その他
燕が来た
  寒い五月、天気の悪い五月やと嘆きながら過ぎてしまった。早くも五月の後半である。毎日がゴールデンウイークだと虚勢を張っていた私の連休も平凡に過ぎ、サプライズなんて全くなかった。母の日には、毎年のこと開催される町のつつじ祭りに母と出かけることが出来、多くの人に会うことが出来て良かった。総じて平穏な日々であった。若葉が青葉に、青葉と若葉が入り混じり鮮やかな姿の日々の嶺に心を癒すことが出来た。山住みの私は今頃の滴り初めた山々が最も好きである。母か腰痛のことを言わなくなり有難い。深く曲った腰をかばいながらも懸命に介護をしてくれていることに感謝し、時には口喧嘩をしながら過ごして来た。毎月の原稿もようやく書き終えてホッと安堵している。何も変化はないが、先日の夕方に燕の巣作りを見つけた。我が家の玄関にもう半分出来ており、壊そうかと母が言ったが作らせてやろうということになった。もう何年も来なかった燕、何年か前に私の表札の上にベタと泥を塗りつけて小さな巣を作ったことがある。来てほしいと思っても来てくれない家もあるのだ。何かいいことを運んで来てくれるかなと巣作りを許した。猫のシロが悪さをしても知らないぞと言い聞かせて。洗濯物を汚すと、デイサービスのスタッフさんからは苦情がくるからもしれない。春の彼岸に来た燕、恋をして巣作りをするのであるが、今頃になって巣作りに励む燕は二回目の卵を産むのだろうか。いわゆる二番子である。とにかく、忙しく飛び交い巣を作る燕に心和まされる母子である。
 
 
 出るは出るは祭りのごとし松の芯
 
 花冷えや重機の錆の匂ひくる
 
 たんぽぽの絮群れて飛び一つ飛ぶ  
 
 塵取りに溜めて燃えたる緋の牡丹 
 
 日々に見て日々に八重なす山若葉
 
 窓に乾す白き布巾に緑さす 
 
 樫の葉のなべて反り身に落ちてをり
 
 母の日の己に買へり焼き栄螺 
 
 大風に芭蕉巻葉のまま折れむ
 
 少年の草矢少女を射止めむと
 
 美しきをんなの肘や風五月 
 
 姉いもといづれあやめや聖五月 
 
 婆口説くいまさら何が母の日と
 
 朝風に芭蕉巻葉をとかせたり
 
 忍冬や泡生まれつぐ鉄気水
 
 かきつばた揺れて大きく見えてをり
 
 ゆふぐれの水にねばりや花うばら
 
 雨気の風あやめは白を極めたり 
 
 我ながらお人よしなり捩り花 
 
 膝の上で下着たたみて蕗茹でむ
 
 母と子の日々に加はる夏つばめ
 
 憂きわれに声かけてくれ夏燕
 
 薫風に乾きやすくて燕の巣
 
 松落葉ひとつ貼りつく燕の巣  
 
 
  燕についての説話をひとつ書いておこう。「昔々、燕と雀は姉妹であった。あるとき親の死に目に際して、雀はなりふり構わず駆けつけたので間に合った。しかし燕は紅をさしたりして着飾っていたので親の死に目に間に合わなかった。以来、神様は親孝行の雀には五穀を食べて暮らせるようにしたが、燕には虫しか食べられないようにした」というのである。なんとなく燕が可哀想になってくる話である。親不孝なら私も燕には負けない。この先、親不孝の報いにどんな試練がくるのであろうか。 写メールで送ってもらったものを掲載した。同じ花が私の畑隅にも咲いている。可愛い花であり、送ってくれた人の情を思ってしまう。何の花だろうか。







2010/04/29 18:15:21|その他
昭和の日
 
  ようやく春らしい天候となってきた。昨日今日と青空が眩しい日である。散歩に出かけるとあちこちに風の跡が残されていた。折れた木々や瓦の抜け落ちた屋根などが目に付いた。まるで台風の跡のようだ。我が家の屋根瓦も飛ばされ、その被害は大きい。昨日さっそく屋根屋に直してもらった。あの夜の風は尋常ではなかった。母と二人で居て、もし何か飛んできたら、硝子が割れたらなどと不安で眠れなかった。雨戸を閉めることもし辛い母であり、何も無理は頼めなかった。今日は昭和の日である。平成になり早くも二十二年、昭和も遠くなりにけりと言った感じだ。それだけ年老いて行く自分、それに増して老いて行く母であり、思えばなんともしがたい悲しさと空しさに苛まれる。そんな私に風はやはり冷たかった。
 
  大正の母よ気丈に昭和の日
 
  ふた昔経ちし昭和と思ふ日ぞ
 
  昭和の日暮るるや満月弾み出て
 
  望月の匂ふがごとき昭和の日
 
  青空のままに昭和の日暮かな 
 
  世間では今日からゴールデンウィークに入る。私は昨年も同じことを書いたように思うが、「私は毎日がゴールデンウィークである」と。この思いはもう何年も変わらない。どこへも行けない者の負け惜しみに他ならないが、そんな気持ちになれただけでも良しとすべきである。GWが終われば「母の日」がやってくる。母の腰痛も少しは楽になったが、その分腰が深く曲がり動きにくくなってきた。母の日には毎年柘植の余野公園での「つじ祭」に付いて行ってもらうのであるが今年はどうだろう。母の日とて、贈り物も何の労いの言葉も感謝の気持ちをも表すことができない私である。次に掲載した拙い文章は、先日私たちの機関紙(重度障害者友の会)へ投稿したものである。恥ずかしくて実名ではなく不治人で書いた。未だ誰ひとりも読んだよと言ってくれる人は居ないし、何も期待はしていないが、これが私の常日頃の心条である。しかしながら、ついつい腹を立てて悪たれ口をついてしまうのである。呟きのようなもの、今更何をと笑われるだろう。今日もその機関紙が机の上にそっと置いてある。いつか母の眼に止まるだろう。
 
                    親不孝                              
 今更何を言うと笑わないで下さい。私の親不幸は三十七年も続いています。不幸の量を知る計りはありませんが、それは相当な量であり、母にはなんと言って詫びれば良いか解りません。いくら詫びてもどうにもならないし、なんの償いにもならないと思うけれど、申し訳ないと謝罪し、今までの労苦に感謝の気持ちを伝えなければと思っています。世の中で私ほどの親不孝をしてきた者も珍しいと自分でも実感しています。その度合いが、母の腰の曲がり様なのです。曲がってしまった腰はもう元には戻りません。「年だから曲ってくるわさ」と母は諦めたように何気なく寂しそうに言いますが、あの腰をあんなに曲げてしまった張本人は私なのです。今日まで一日足りとも休むこと無く介護をしてくれたことが重荷となった。その親不孝の重みに耐えられずに深く大きく曲がってしまったのです。 母は、一ケ月前からまた酷い腰痛に悩まされました。四年ぐらい前にも腰が曲がる予兆として酷い腰痛に襲われ医者通いをしました。その時は腰が曲がってしまうと痛みが嘘のように無くなりました。今回も医者にかかっても一向に状態は思わしくなく、ひたすら痛みに耐えた母でした。動くたび私に聞かれないように声を殺して「あ〜痛い、痛い」と洩らすのを聞いている私、それこそ針の筵に座らされたようで辛かった。しかし、激痛に耐えながらも私の介護を続けてくれようとする母を動かさずにじっとさせてやれない自分に腹が立って仕方無く、「ごめんな、痛い目をさせてすまんな」と心の中で呟くことしかできません。頼むことを半分、三分の一にし、我慢しようと思いましたが、ついつい「痛いのに動かんと、じっとしていろ。何にもして貰わんでええわ」と声を荒げてしまう私でした。そして、そのしばらくあとにもうアレしてコレしてと母を動かしてしまうのでした。辛抱の足らない自分が情けなくなりました。そんな私に母は、「すまんな〜動かんと、堪忍して〜や。しばらく休んだらするから」と、本当に気丈であり根性がある母のことばに思わず涙が込みあげました一ケ月苦しみ続けた果てに痛みは大分和らぎました。その変わりに以前より一段と曲がり、背骨が尖って見えるようになりました。もうすぐ額が地につくほどです。もう決して無理はさせられませんが、これからもそんな母がまだまだ頼りの私であり、丸くなり嵩の減った姿を見る度に申し訳なさと罪の意識に苛まれます。感謝と労いの言葉、そして詫びる言葉が胸いっぱいに溜まっています。いつになったら面と向かって話せるのだろうか。







2010/04/24 0:07:59|その他
有頂天
 
  今年の桜は不順な天候のうちに果ててしまい、ゆっくりと桜を楽しむこともなく四月も終盤になってしまった。なおも寒い曇りがちの日が続いている。今日は角川書店の「俳句」五月号が届いた。久しぶりに総合誌に掲載された自分の作品を見て感慨一入と言いたいが、自分の作品に自信がなくあまり喜びが湧いて来ない。読者がどう感じるかはどうでも良いが、師の感想が問題である。師がどう評価してくれるかが気がかりでならない。三十年も俳句を作って来ても、未だに自分の句に自信がないとは情ない限りである。恐らく師より厳しい評が頂けるであろう。常の句より少し冒険してみたし、読者の気を惹こうと思ったのが悪かったかもしれない。
     
           有頂天
 
  初雲雀揚がるあがるよ有頂天 
 
  しんがりの帰雁見送る壷中より
 
  いづかたへ弥生の水の逸りゆく
 
  あたたかくなればと約し逝きし人
 
  青饅やこの世に疎く季に敏し
 
  よく揺るる梢より桜ひらきけり 
 
  郷に入れば花見の酒を慎めり
 
  親の背を見て歩きをり雀の子
 
  青みさす押切りの刃や嶺ざくら
 
  飛花は月落花は水を過りけり
 
  にはとりの仰ぎてゐたり百千鳥
 
  足るを知ることの大義や葱坊主  
 
  自分一人で有頂天になっていても俳句は駄目である。心を自由に遊ばせることができると喜んでばかりはおられない。俳句は物を見て作れ、即物具象の写生に徹するべしと思っていながら、観念の句を作って喜んでしまうようだ。平常心を忘れてはならないと常に考えているつもりなのだが、何年ぶりかの出版社からの原稿依頼に有頂天になってしまったようだ。師の反応に不安がつのり、不安定な昨今の気候の様な私である。師の忌憚のないご指摘を、心を無にして受ける覚悟をしている。







2010/04/09 21:59:59|その他
花満ちて

   伊賀は今が桜の盛りである。「三日見ぬ間のさくらかな」と言われるように一日で二三分から満開になった。今年の桜はなんとなく白い感じがしている私である。寒さに耐えて咲いただけにきっと美しく、長く咲いていてくれるだろうと思っていた。だが、満開になってもまだまだ花には厳しい冷え込んだ日と嵐のような強風の日であり、私には見に行けない。山桜も咲き出した。いよいよ花爛漫であり、もっともっと心が浮き立つのが普通であろうが、私は極めて心が鎮まる日々だ。母の腰痛が、私の尻の傷が良くならないことがその原因であると納得している。それにしても、桜の俳句がなかなか作れない。美しく華やかなものを句にすることは苦手であるようだ。花に嵐、人生と同じであり今日は雨が降らないだけまだ良いが、風が唸り声を上げて花を揺らしている。いくら風が強くても満ちるまではなかなか花は散らない。風が全くなくても満ちたあとは潔く散るのだ。  咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 虚子  まさにその通りだと、この一句がこの時期しきり口を突いて出る。
 
春愁ひ爪をしきりに噛む鴉
木魚の音の洩れくる初桜
さくら二分風の素通りしてゆきぬ
茶碗蒸よろこぶ婆やさくら時
花冷えや重機の錆の匂ひくる
冷えつづくことしの花の白きこと
産土神の絵馬揺らしけり花の風
ひとひらも散ることのなきこの桜 
雑木山煙り静もる花の雲
無住寺に僧来たりけりさくら時 
遅れたる枝の激しく紅潮す 
月痩せてゆくなり桜満ちにけり  
花冷えの一日肩の凝りにけり 
花冷えや女の紅を濃くしたり 
みどり濃きことしの桜の花芯かな   
ひよどりの教へてくれし桜二分 
鎮守より見てゐる寺のさくらかな 
花冷えや鍋の豆腐の震へをる 
隣村より僧着任すさくら時 
飴玉を婆くれにけり花の寺 
やはらかくもの言ふ媼花の下 
おくれ毛を風に揺らせて桜見る  
耳元に熱き吐息や花の下 
母の腰癒える兆しや花盛り
 
腰痛の母摘みくれし花菜漬 
咲くほどに影淡くなり小米花 
六弁を思ひ思ひに白木蓮 
泪もろき九十の婆や木瓜の花 
青柳を掠めし雀機敏なり 
青柳見てゐて眠気さしきたり   
 
  もうすぐ花は散り始める。今年も生きて花に出会うことが叶った喜びに浸っている私である。感謝して花に向かっていると、ひよっとして満開の花の奥に花神が見えるのではないかと思ってしまう。母の腰痛も少しはやわらいできているように思える。その分またまた腰が曲った感じがする。私の親不孝の重みがずっしりと母を抑え込んでは曲げてしまったとつくづく思わずにはおられない。花は潔く散るから美しいと言われるが、私は潔くなくていい、未練たらしいくてもいいから生きることに執着したい。母には惨いこととも思えるが、もうしばらく頑張って欲しい。