誕生日より早くも二十日以上が経ってしまった。六月も平穏に過ごすことができたことを感謝せねばならない。母の腰痛は依然治ることなく、「痛い痛い、どっこいしょ、よいしょ」と言いながら歩いている。そして、「ああ、えらい、えらい」と言いながらソファーに寝転ぶこが多くなった。何も言うまい。居てくれる事を喜ぼう。悲しくて空しくなるが不足は言うまい。一週間前になるか、朝見ると燕の巣が何者かに半分ほど壊されてしまった。親燕が夜明けとともに騒がしく鳴いていたかと思ったら、五匹育っていた子燕が消えていたのだ。蛇の仕業だろうか。日毎大きくなっていくのを楽しみにしていたのに、悔しくて仕方ない。何年振りかで燕がわが家の玄関に孵ったことを何かの吉兆とわずかでも希望を持っていたが、一時にして消えてしまった。可哀想なことだが諦めようと思った。崩れ落ちた巣が無残に残っている。
昨日、名古屋の友人が訪ねてくれた。彼とはもう六年ほどの付き合いで、ギターを持って歌ってくれた。聴くたびに上手くなっているし、声も良くなっていると素人の耳で感じられた。夜は螢を見に彼の彼女と三人で見に出かけた。梅雨晴間の夜、月も出て居て辺りが明るいし街燈も多い。川面の闇も薄く感じられ、風も少し冷たかったので螢の数も少なかった。それでも名古屋の客人は「螢、螢」と声を上げて喜んでいた。ああ、今日は満ち足りた一日と感謝する自分であったが、螢火の眀滅を見ていると無性に淋しくなった。ふと儚い螢の命の火、消えかかるその光りに自分自身を重ねてしまった。しかし、私は螢の短い命を精一杯燃やし恋をする螢に強く励まされた。どんなことがこの先にあろうとも、たとえ将来はこの闇のようであったとしても、月も星も照らしてくれることを思うことにした。螢のような恋をしたい。螢火のような夢を持とう。周りの人々に小さくてもいいから命の光で照らしたいと 思った。
口あけて子燕に顔無くなれり
世を拗ねし子燕の口への字なり
舌打ちをすれば貌出す燕の子
母と子の家に子燕五羽生まる
子燕のこぼれんばかりの眼かな
雷光を掠めて飛べり親つばめ
雨音に子燕のこゑ消されたり
親燕わが表札を汚したり
居眠りをしてゐる昼の燕の子
小柄なるヘルパーの大き夏帽子
いかる聞きさうかさうかと頷けり
油性ペンキュキュと鳴るや行々子
螢火の向かふところのありにけり
螢とぶ不意に速さを増しにけり
螢火のふたつ寄りては弾き合ふ
螢火の明滅にわが息合はす
姫ぼたる部屋に放ちし隣の子
看護師の首の細さよ夏あざみ
絨毯にやすでの這うて梅雨の底
湯あがりの少女と会へり螢狩
夏痩せて胸乳乏しとかこちをり
糠雨にをしべの張りや金糸梅
そばへ過ぐ峠を来しと小鯵売
かたつむり殻を鳴らしてつるみたり
かたつむり殻赤らめて塀登る
かたつむり夕日に首をふりにけり
螢火のひとつになりし刹那あり
螢狩嫁せしころ言ふ女ゐて
流されてばかりの螢ひとつゐて
もつれつつ草間へ沈む恋螢
梅雨はまだまだ続く、じめじめとした気分にならずに平凡を拠り所にして生きたい。今朝は四時に目が覚めてサッカーのデンマーク戦を見た。見ようと思っていなかったのに目が覚めたのはなぜか。梅雨の最も激しい頃を梅雨の底と言う。梅雨、紫陽花、蝸牛と言えばこの時期を代表する季語だが、最近かたつむりを見ることが少なくなった気がする。私だけかな。