伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2010/09/26 11:12:08|その他
曼珠沙華
  「暑さ寒さも彼岸まで」と先人は上手く言い得たとつくづく感心させられる今年である。こう急に涼しくなると、なんとなく拍子抜けした気がしてくる。なんやこんなもんか、どこまでこの残暑が続くのかと思って頑張って耐えてきた者には、スーと力が抜けてゆくような脱力感を感じる。これは私だけかもしれないが。仲秋の月見ることも十六夜の月見ることも、そして立待月をも見ることが出来なかった虚しさを感じている。昨年も、おととしも名月を見ていない。見ようと努力しないようだ。怠惰な気持ち、面倒くささが先行してしまうようで情けない。せめて、栗、芋を食べたいと思うが、老いた母には無理であり諦めざるを得ない。先日隣の空き家の裏より栗を拾ってきた母であり、栗ご飯を炊いてほしいと頼んだが、未だに頂けない。 例年のように彼岸花が咲くだろうかと思っていたが、極めて少なくなったものの昨年と同じところで僅かだが咲いているのを見かけてホッと嬉しくなった。あれほどの異常な残暑にもさほど狂わずに彼岸に咲いたことに感心している。彼岸花は曼珠沙華とも言われるが、捨子花、幽霊花、死人花、地獄花、狐花などの異名もある。手くさり花と呼ぶ所もあり、あまり人に好かれる花ではなさそうである。昔はどこにでも咲きあふれ、棚田の畦や畷には赤い絨毯を敷いたみたいに咲き満ちていたものである。 
 
  急に風変はりて彼岸花咲けり 
 
  藪すそに稲荷と烏と彼岸花
 
  彼岸花一本だけが離れけり  
 
  薙ぐほどに咲きしは昭和彼岸花 
 
  雨後の嶺雲湧いてをり曼珠沙華 
 
  十六夜も雲の中なり酒すごす 
 
  十六夜のほのかに雲を火照らせり 
 
  十六夜の雲厚きかな寝べきころ 
 
  加齢なり無月の酒を過ごしたる  
 
  名月や外に出よと母そそのかす  
 
  見てくれと母に頼むや今日の月  
 
  曼珠沙華うすきみどりの茎痩せて 
 
  まんじゆさげ夜は闇深く蕊張りぬ 
 
  母と子にことば少なき月今宵 
 
  青空と烏とわれと曼珠沙華
 
  われひとり止まりて見入るまんじゆさげ
 
  病む人の噂尽きぬや曼珠沙華
 
  彼岸花手折りさまよふ母のこと
 
 ひがん花見たさに母の出歩きぬ
 
  大相撲は白鵬の優勝、日本人力士の不甲斐なさが嫌になる。プロ野球も中日のほぼ優勝が決まりそうである。尖閣諸島で事故を起こした中国の船長をもあっさりと釈放し、中国の圧力に屈した日本の弱さが歴然とした。わが身の回りにおいても、長年身体のケアをしてくれていた看護師さんが移動して行く。自分の意ではどうすることも出来ない話だが、思い通りにならないことばかり。それは、日々の生活においても今に始まったことではないにしろ、ほとんどが思い通りにはならない。ガマンガマン、足るを知れ、耐えて耐えてと己に言い聞かしてはいる。しかしながら、なんで母には優しいもの言いが出来ないのかな。物忘れを進ませているのは、この馬鹿息子なのだ。 







2010/09/12 23:28:13|その他
人恋しい
 
  九月も半ば、ようやく暑さも少し弱まった気がする。先週の日曜日には、町の更生保護女性の会の研修会の講演を仰せつかって行ってきた。「障がいと共に生きて」と題して一時間話をさせてもらった。私の貧しい体験を聞いて涙してくれる人がいて感謝している。それから一週間、今日は伊賀市芭蕉祭顕詠句学童の部の選考に行ってきた。五人の選者の共選であり。今年は中学生、高校生の選句を八時半から五時まで缶詰状態になり頑張ってきた。毎年感じることであるが、中学生の俳句にもあまり心惹かれる句がなく残念でならなかった。学年ごとに特選三句、入選五十句を選ぶのであるが、国語力が低下しているのは明らかであり悲しくなった。中学生にとって俳句なんて何の意味もないものかもしれない。「それがどうした」という声が返ってくるであろう。
 
 山鳩の籠り鳴きせり風は秋
 
 ひとそばへ過ぎて秋蟬落ちにけり
 
 鶏頭に朝より疲れ見えてをり  
 
 粉灰立つ鶏の足掻きや秋暑し
 
 にはとりの背に構へたり大蟷螂
 
 がちやがちやの鳴くや沓脱石の下
 
 こほろぎの貌恐ろしや壜の裏
 
 西よりも東に粗きいわし雲
 
 花蕎麦や杣の日暮れのおつとりと
 
 初嵐迎へて伊賀の奥澄めり 
 
 蓑虫の蓑を大きく揺らしたり 
 
 みの虫のもの言ふ大きく揺れにけり 
 
 ひと房の葡萄ひとつぶに口づけむ 
 
 三つ四つむひてくれたり黒葡萄 
 
 母のごと葡萄をむいてくれしこと 
 
 嶺の風畝に来てをり貝割菜
 
 黄昏をたれと歩かむそばの花
 
 君が傍離れ難くて蕎麦咲けり
    
  残暑も、もうそういつまでも続くものではない。なんとなく疲れているような最近の私、果てようとしている残暑の予測を聞くとホッとする。母のもの忘れは酷くなっている。同じことを何度も何度も聞くし、同じことを繰り返し言う。それでも私の介護はこなしてくれる。ヨッコイショ、ドッコイショと声を発しながら。頼りの母のことが毎日気がかりで俳句など全く作れない。虫の声も虚しく聞こえてならない。しかし、今日の中学生の俳句に恋の句が沢山あり驚かされた。虚勢でもいいから、願望でいいから私も叶わぬ恋の句でも作ることにしたい。何の秋かと聞かれたら、人恋しい秋と答えたい。我が家の近くの棚田にそばの花が盛りである。







2010/09/03 9:00:44|その他
秋愁
 
  九月に入ってもまだ残暑厳しい。残暑の厳しい年といえば、平成十五年のことを私は思い出す。九月四日から二か月ほど、床ずれの手術を受けるために名古屋の中部労災病院に入院したときの残暑の厳しさと、付添いの無き苦しさを今も鮮明に思い出す。冷房設備のないボロボロの病棟が目に浮かび、家に残して来た母のことも気がかりだった。すべてを看護師さんの介護になる不自由さを初めて経験した。あれから七年、母は随分弱った。九月に入って薬がまた一つ増えた。認知症の薬であり、あきらかに症状がすすんでいるとの医師の判断、ああー、悲しいが認識せざるを得ない。副作用なく薬が効いて欲しいと念じつつ、母が飲み忘れているその薬を複雑な気持ちですすめている。おそらく私が言わなければ飲まないだろう。 秋はもの悲しい。母のことが常に気になり日々落ち着かない。俳句作りの気力も薄れてゆく自分が情けない。残暑にもめげず鳴く虫の声が無情に聞こえる。
 
  竹皮を脱ぎて篁ゆらぎをり 
 
  にはとりの遠を見てをり風は秋
 
  とんぼ群れ風にすれ合ふ草の音 
 
  うつかりとしてゐて頭上初の鵙 
 
  蛇穴に入るやこの世を振り返り 
 
  芥場に電池ひとつとちちろ虫 
 
  いつ見ても喜んでをり猫じやらし  
 
  熟睡して小昼に飢えし厄日かな 
 
  嘴鳴らす二百十日の大鴉 
 
  きのふよりけふ大胆な鰯雲 
 
  三時四時いよいよ増えし鰯雲 
 
  階段を跳んで上る子鰯雲 
 
  九月来る爺婆暑きことを言ふ 
 
  居眠りの爺によだれや震災忌 
 
  三年ゐる石の下なりきりぎりす 
 
  大いなるゆふ月弾みきりぎりす 
 
  彼岸には待つ人居るや赤蜻蛉 
 
  迷ひたるあげくに轢かる秋の蛇 
 
  風にのり風に沈めり赤蜻蛉 
  
  太平洋高気圧の勢力が強いので台風が日本へ近づきにくいのは有難い。一日は二百十日、厄日とも言い、震災忌でもあった。大正十二年の関東大震災から八十七年経ってしまったのだ。ここらで大きな地震が伊賀にも起こるかもしれないと思うと恐ろしくなる。残暑がいくら厳しくても確実に秋は進んでいく。日と風の他は秋の季語があふれている。恃みの母に気丈さが衰えないことを願いながら生きたい。今回の俳句、まったく褒められたものではない。だれか、思い切った批判をして活を入れて欲しいと切に思う。世の中では与党民主党の代表選挙が話題になっている。「腐っても鯛」だと未だに思っている私には、とどちらが勝とうと関心は少ない。田中角栄、金丸信の時代から名を馳せておられる小沢氏、総理大臣になれば日本が良くなると思う人もいるだろう。「一度やらせてみれば面白いぞ」と思う人もいるだろう。だが、時代背景と政治環境が違うことを思うと、そんな期待もすぐ消える。世の中のことを、人間のことにも無関心であるかのように蟋蟀(コオロギ)が鳴いている。昼も夜もひたすらに。秋愁を誘われることしきりである。







2010/08/19 9:42:49|その他
残暑
 
  残暑お見舞い申し上げます。盆が過ぎての残暑はかなりのものであり、依然熱中症で亡くなる人の報道が聞かれる。先日も収入がなく電気料が払えなくて、電気が切られていた為に冷房が無く熱中症で死亡した例があった。気の毒な話である。この暑さ、いつまで続くのであろうか。とは言うもののその内に朝夕涼しくなるだろうと思っていたら今日は朝方小雨が降った。わが家の盆、仏を祀ることは極めて簡素に終わってしまった。十五日には菩提寺の僧が棚経に来てくれた。老いた母、昔は盆にはこんなこと、あんなことをして仏様を祀ったものだと言いながら、年々何も出来なくなってしまった。今年なんかは特に何一つしてくれなかった。それでも盆は無事済んでホットしている私です。仏様には申し訳ないと悲しくなり、よく罰があたらんもんやと思ってしまう。親戚の人が仏壇の掃除をしてやろうかと電話をくれたが、「ボチボチ出来るやろう」と母はきっぱり断ってしまったのであった。まあいいやろう。仏様は何もかも見通しだろう。堪忍してもらえるだろうと思うことにした。昨日、盆が過ぎて何日も経った昨日、ようやく仏壇の前まで行った私でした。
 
  ゆふべには水鎮もるやさるすべり 
 
  百日草母がよろこぶ干菓子買ふ 
 
  立秋の日は立秋の雲を見て
 
  われを見る鶏の目やさし今朝の秋
 
  夕月に星夏萩に風添へり  
 
  朝顔に屈む小さき膝四つ 
 
  婆の折る黒き金魚や原爆忌 
 
  仏間まで婆の転がす西瓜かな 
 
  熊蟬の庭に来てをり盆三日 
 
  めつきりと弱りし母や盆用意 
 
  乗るのなら茄子の馬がよろしかろ 
 
  背戸口に草の匂ひの盆の家 
 
  ペンギンのやうな歩みの生身魂 
 
  燃えさしを石垣に挿す魂迎へ 
 
  仏より下げしもの食む盆の夜 
 
  盆用意なにもできずに母とゐる 
 
 膝に猫乗せて黙祷敗戦忌 
 
 釘のごと乾く蚯蚓や終戦忌 
 
 足の爪染めし小学生敗戦忌 
 
 黙祷のあとの白雲見てゐたり 
 
 暮れてより風が戸を打つ終戦忌 
 
 地を染めむ火の見の錆びや終戦日 
 
 もの言ひの幼き婆や花茗荷 
 
 終戦日黙祷のあとコーヒー飲む 
 
 雲起ちて流れて行くや法師蟬 
 
 白猫の胴伸びきるや法師蟬 
 
  暑くて俳句作りも出来ない。気力と集中力が欠乏してしまい情けない。新しいパソコンにも少しは慣れたが、メールアドレスが消滅してしまったのでメールが少なくて退屈している。届くのは商品販売のメールばかりである。八月ももう終盤、その内に必ず涼しくなるでしょう。頼りの母は物忘れを当たり前のことのように、自信をもって忘れたと言っている。もう厭きれてしまって何も言えない。言ってもあほらしいだけである。しかし、この母だけしかないのである、私が頼れるのは。「元気だしと言ひに来たような塩辛蜻蛉」という句を送ってくれた人がいる。私が落ち込んでいるのを知ってのことで嬉しい。残暑厳しいけれど、もうすっかり秋である。自然は実に優しい、存門できることに感謝したい。「夏の疲れが出ずに元気でいてくれよ。今以上悪くならないでくれよ。俺は認知症なんて認めへんからな」と母には聞こえぬように呟くのです。







2010/08/07 21:39:41|その他
立秋
 
  今日から暦の上では秋になりました。皆様、残暑お見舞い申し上げます。最近の猛暑続きで、もう熱中症でもなんでもなりやがれとヤケクソになっている私でした。そんな投げやりな心根でいるからいけなかったのか、頼りのパソコンが故障してしまいました。電気屋さん、こんな故障は初めて、データの取り出しも全く出来なかったと。機械を過信せずにバックアップしておかねばならないことをつくづく感じました。気短な私は修理せずに新しいのを購入、その使い方に四苦八苦しているここ数日です。メールアドレスもすべて消失してしまいました。よろしければメール下さい。住所録もパアー、今年の年賀状はどうなることでしょう。もう懲り懲りです。今後はなんでも保存したいと思っています。慣れないパソコンに早く慣れるよう頑張りたいと思っています。
 
 木魚の音洩る門や百日紅   
 
 百日草母がよろこぶ干菓子買ふ 
 
 胸の内覗かれゐるや夏痩女 
 
 この径を泣いて帰りしと赤のまま 
 
 朝顔に屈む小さき膝四つ  
 
 風の先にまさぐられをり酔芙蓉 
 
 青空とひとつ青嶺とひとつ河 
 
 あとじさることを楽しむ幹の蟬  
 
 朝より窓磨きゐる大暑かな 
 
 くちびるに桃のうぶ毛のやはらかし
 
 ゆふべには水鎮もるやさるすべり
 
 熱風と土のかほりのさるすべり
 
 ゆふ月に星夏萩に風添へり 
 
 少女らにへくそかづらの話など 
 
 そのひ草てふ花咲けり大土用  
 
 胸の内覗かれゐるや夏痩女
 
 亭主早よ迎えに来いと生身魂 
 
 父に似しうしろすがたの生身魂 
 
 転びたる子より転がる亀の子よ 
 
 そのふたつ暗さ違へり蟬の穴 
 
 ねこじやらしの穂のたくましき母の畑 
 
 魚屋の立秋と告げ来たりけり 
 
 婆の折る黒き金魚や秋の立つ 
 
 立秋の日は立秋の雲を見て 
 
 風水に秋立つ音のありにけり 
 
 われを見る烏の目優し秋立つ日 
 
 秋立つと折鶴に風生まれたり 
 
 しなやかな看護師の腰秋立ちぬ 
 
 秋立つや項に風を受くる子よ 
 
 秋立つや遠目利くなり爺にして 
 
  俳句は作れるけれど駄句ばかり、その駄句に決して満足はできないけれど、焦っても仕方ない。こんな俳句は自分の慰めにもならないけれど、作らないよりましだ。保存してあった俳句も消えてしまった。それが惜しくて実に悔しい。立秋を迎えても気分は重い。母も目に見えて弱ってゆくようだ。もの忘れも驚くほどであり、不安で仕方ない。しかし、不足には思わない、今の日々に感謝したい。このままの平穏が続いてくれることを念じています。