「暑さ寒さも彼岸まで」と先人は上手く言い得たとつくづく感心させられる今年である。こう急に涼しくなると、なんとなく拍子抜けした気がしてくる。なんやこんなもんか、どこまでこの残暑が続くのかと思って頑張って耐えてきた者には、スーと力が抜けてゆくような脱力感を感じる。これは私だけかもしれないが。仲秋の月見ることも十六夜の月見ることも、そして立待月をも見ることが出来なかった虚しさを感じている。昨年も、おととしも名月を見ていない。見ようと努力しないようだ。怠惰な気持ち、面倒くささが先行してしまうようで情けない。せめて、栗、芋を食べたいと思うが、老いた母には無理であり諦めざるを得ない。先日隣の空き家の裏より栗を拾ってきた母であり、栗ご飯を炊いてほしいと頼んだが、未だに頂けない。 例年のように彼岸花が咲くだろうかと思っていたが、極めて少なくなったものの昨年と同じところで僅かだが咲いているのを見かけてホッと嬉しくなった。あれほどの異常な残暑にもさほど狂わずに彼岸に咲いたことに感心している。彼岸花は曼珠沙華とも言われるが、捨子花、幽霊花、死人花、地獄花、狐花などの異名もある。手くさり花と呼ぶ所もあり、あまり人に好かれる花ではなさそうである。昔はどこにでも咲きあふれ、棚田の畦や畷には赤い絨毯を敷いたみたいに咲き満ちていたものである。
急に風変はりて彼岸花咲けり
藪すそに稲荷と烏と彼岸花
彼岸花一本だけが離れけり
薙ぐほどに咲きしは昭和彼岸花
雨後の嶺雲湧いてをり曼珠沙華
十六夜も雲の中なり酒すごす
十六夜のほのかに雲を火照らせり
十六夜の雲厚きかな寝べきころ
加齢なり無月の酒を過ごしたる
名月や外に出よと母そそのかす
見てくれと母に頼むや今日の月
曼珠沙華うすきみどりの茎痩せて
まんじゆさげ夜は闇深く蕊張りぬ
母と子にことば少なき月今宵
青空と烏とわれと曼珠沙華
われひとり止まりて見入るまんじゆさげ
病む人の噂尽きぬや曼珠沙華
彼岸花手折りさまよふ母のこと
ひがん花見たさに母の出歩きぬ
大相撲は白鵬の優勝、日本人力士の不甲斐なさが嫌になる。プロ野球も中日のほぼ優勝が決まりそうである。尖閣諸島で事故を起こした中国の船長をもあっさりと釈放し、中国の圧力に屈した日本の弱さが歴然とした。わが身の回りにおいても、長年身体のケアをしてくれていた看護師さんが移動して行く。自分の意ではどうすることも出来ない話だが、思い通りにならないことばかり。それは、日々の生活においても今に始まったことではないにしろ、ほとんどが思い通りにはならない。ガマンガマン、足るを知れ、耐えて耐えてと己に言い聞かしてはいる。しかしながら、なんで母には優しいもの言いが出来ないのかな。物忘れを進ませているのは、この馬鹿息子なのだ。