伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2011/10/10 18:33:48|その他
秋冷

  今日は体育の日、昨日の日曜はわが在所の秋祭であった。私が育ったこの里は戸数150戸の小さな山間の村である。その150戸で氏神の一社を守り続け、その秋祭りの踊りが無形文化財に指定されてより長い。しかし、最近は少子化などで祭の奉納踊りをする若者も少なくなった。また、文化財を守るとか、一社を持つ誇り、一社を守る意識も年々薄れていっている。そんな中の里祭りも好天に恵まれ無事に終わった。私には祭り気分など微塵もなく過ごしたが。昨日今日と私の日々は何も変わらない。ただ一つ、鹿児島より会いたかった人が訪ねてくれて嬉しかった。九月の末に家屋改修工事のため、住む所を無くした母と子はデイサービスが行われている部屋の一角に泊まっている。十日経って少しは慣れてきた気がするが、まだまだ不安である。まあなんとか生きていられることを喜びたい。関係者の人々が何かと心配し、気を遣ってくれて心より感謝している。これも試練、年老いた母には大変申し訳ないが。「なんでこんなことするんや、ご先祖さんが泣いてるぞ、私の物何もかも捨てられた。わしも一緒に捨ててしまえばええ」などと、時々訳の解らないことを言う。しかし、最近は諦めてくれたらしく随分おとなしくなった。「断捨離」とは言え絶対に母を捨てるわけには行かない。まして頼りの母、介護されている私であるのだ。それにしても何もかも捨てた。見ていて、「これもあれも、捨てて」と確認、納得、了解するのは私なのであり、涙が込み上げてきたが仕方ない。置いておく場所が無い、母子が寝る所もないのだから。それにしても捨てる人らもよくぞ思い切ってくれたことであろう。私の為の処置と心底感謝している。一週間ほど肩や腕が痛んだと聞く、本当に申し訳ないの一語である。誰がこんなにしてくれよう、母の眼を逃れて。親戚の人々もホッとしているだろうと推測している。改修は私の部屋が優先だがそれまで、どのくらいデイサービスを稼働しながら私と母の退避生活は続くのだろう。利用者さんにご迷惑をかけることを何よりも申し訳なく思う私である。母のもっとも苦手な後片付け、ごみを散らかさないようにするのに連日気を遣う私である。猫と一緒に寝られない母、母と一緒に居られない猫、どちらも可愛そうであるが仕方ない。利用者さんに猫の毛が付くと大変であることは母も十分納得したようだ。
 
  人はみな優し夕べの柿甘し 
  わが思ひ叶ひしと鵙猛りけり   
     知人の結婚を祝う二句
    花野飛ぶ蝶の睦みのいつまでも 
 言祝ぎに添へむ千草のひと抱へ
 車いす軽きこのみち赤のまま 
  秋冷の伊賀谷に濃き棒けむり 
  柿を見て父と祖父母を語る母 
  耳朶が大きな母と温め酒 
  コスモスの遠目に揺れて浮き浮きす 
  水澄んで木々の匂ひの激しかり 
  きのこ飯食ひこぼしては食ひちらし 
  鶏頭に色の薄れしひとところ 
  建具みな外され秋の夕日さす 
  家壊す音秋天へ抜けてをり 
  性根抜きし佛壇暗し秋の暮 
  秋冷や母呼ぶ猫のこゑ嗄れて
  渡御を待つ女高きに登りけり 
  御旅所の欠けし瓦を木の実打つ 
  祭りの夜母子諍ひ温め酒 
 
  更新もなかなかできず、俳句作りも疎かになっている。心から秋冷を感じる昨今である。不自由は覚悟していたことだが、なかなか厳しい。まあなんとかなるだろうと楽観的に思ってはいたが………。しかし、いろんな人が情をかけてくれる。ありがとう、私の周りの人。感謝してその恩に報いねばと思っている。







2011/09/20 22:27:22|その他
台風前夜
 台風15号が接近しているが、今夜は実に静かである。名古屋などでは豪雨のために避難勧告が発令されている。台風12号の被害地の人々の不安を思うと本当に気の毒である。この15号も豪雨が心配されているが、伊賀は雨の被害が割合少なくて有難い。随分長く更新していなかった。自分の怠惰癖をお詫びしたい。その間何も変化はなかったようだ。ただ、八月末に自宅改修工事の本契約を済まし、前金を支払った。それ以来改修のことで私なりに大変悩み不安になっていた。何もできないけれど何かと考え決めることが多いのだ。母を説得することが至極難儀であり、口論が絶えない日々が続いている。話をしたときは納得、というより「仕方ないやないか、お前がしょうと思ったのやから。私はもう死ぬのやから何も言わへん」と一端その場は諦めたようであるが、またあくる日になれば、「なんでこの部屋まで壊すんや、タンスや布団は捨てんでもええやないか、ご先祖さまがおこってるぞ」などと次から次へと。解らないこともないがいい加減私も疲れる。いよいよ月末には工事が始まる。それまでには一切を捨て、最低限度の必要品を残し、生活の場を変えねばならない。それまでのことを、その後のことを考えると益々不安になる。どうなることだろう。
 
  颱風一過体重計に載るをんな 
 
  厄介なこと多くなり今日白露 
 
  窓開くと嶺近くなり綾子の忌 
 
  風船葛けふの怠惰を嘆くなり  
 
  くちびるの乾く日暮れや灸花 
 
  南瓜蔓どこまで伸びむ母の畑 
 
  月ゆふべ暮るる際まで帰燕とぶ 
 
  鶏頭の頂きを掃く白き雲 
 
  人に七つ糸瓜に一つ曲がり癖
 
  熟睡して小昼に飢えし厄日かな
 
  へちま垂れこの里色を濃くしたり
 
  耳ほりの綿毛吹かるる涼あらた 
 
  けふ白露細見綾子をおもふべし 
 
  耳朶の火照るゆふべの法師蟬
 
  蓑虫の枝を大きく揺らしたり
 
  木の上の子が手を振るや天高し
 
  鶏頭に降り出して雨大粒に 
 
  母が居るだけで安堵や花みようが 
 
  雨徐々に徐々に音増し秋彼岸 
 
  ころげ落つ秋の彼岸のかたつむり 
 
  秋彼岸隣の猫の遠出かな 
 
  地に尻を降ろしてしやがむ大蟷螂 
 
  毎月の原稿も一応書き終えホッとしている。三日後にはデイサービスのスタッフが何人か出て片づけをしてくれることになっている。どうにかなるやろうと思いながら、母に観念してもらえるように努めたい。自分や母の為でもあるが、地域の人々の為にもなること、喜んでもらえることと信じている。母にいくら文句や御託を並べられても、自分の育った地域の人々の役に立てることを解ってもらいたい。強いてはお世話になっている人への恩返し、もちろん母への恩返しと感謝の気持の表れと解して欲しい。







2011/08/14 17:14:49|その他
盆三日

  仏より早き夕餉や盆三日 その昔、母が元気な時は略式ながら盆には仏を祀ったものである。そんな頃を懐かしく思いながら、盆の行事、しきたり風習などを考えるだけになってしまった。母にはもう無理である。先祖もよく分かってくれているだろう。今日は14日、今年の棚経は明日になっている。僧が来てくれるまでに掃除ぐらいは母にも出来るだろうと思っているが大丈夫かな。供え物は何もない。ないないづくし、出来ないづくしである。昨日は初盆の家五軒に参った。暑い中頑張って自分に出来る唯一のことを成したつもりだ。盆三日はデイサービスは休み、その代わりにヘルパーさんが入ってくれる。近頃、暑さのせいか尻に傷が出来やすく周囲の人が気を遣ってくれ、細心の注意を払ってくれている。感謝せねばならない。母のヘルパーさん、私のヘルパーさんと盆三日は私もそれなりに気を遣っている。なんとなく慌ただしくて俳句作りなどしておられない。
 
  よろづ屋に母の服選る盆用意
 
  不甲斐なさを仏に詫びて盆三日 
 
  仏には詫びてばかりの盆夕餉 
 
  忘れても気にせずにゐる生身魂 
 
  生身魂忘るることの得意なり
 
  新盆の家の門畑草匂ふ
 
  生身魂にまた口ごたへしてしまふ 
 
  生身魂怒ればすぐに死ぬといふ 
 
  死にたいともらす友なり盆休み 
 
  仏より母が頼りや盆の内 
 
  もう何も出来ぬ母なり盆用意 
 
  盆の句を詠めば何かと愚痴になる 
 
  暮れてより風が戸を打つ終戦忌 
 
  地にこぼる火の見の錆びや終戦日
 
  言い過ぎし後味悪しきや灸花 
 
  おしろいの花の匂ひと土の香と  
 
  愚か者盆の日差しが眩しくて
 
  母は短期記憶障害、ふーと出て行き帰って来ない。「草が目についたので引いていたんや、誰もひいてくれへんから」「私のことだけしてくれればそれで十分、草なんていくら引いても追いつかへんわ」と言い聞かして、またまた常のバトルが始まる。無駄である。愚かな自分であると解っていながら今日もまた苛立ってしまった。生身魂と言う語、好きな季語であり、多くの駄句を作ってきた。その意味をよく理解していながら、母には悪たれ口をついてしまう。どう足掻いてもやっぱり母が頼りなのだ。冷静になれば真実母は生身魂なのだ。







2011/07/18 22:39:55|その他
心の夏バテ

  暑中お見舞い申し上げます。今日は海の日である。デイサービスは休みで、母と二人静かに寂しく二日間を過ごした。世間はなでしこジャパンの優勝に沸いている。苦戦を強いられ凌ぎ凌ぎ勝ち取った勝利、日本の誉である。日本女性の強靭さには大いに感服させられた。最優秀選手の澤さんの名が穂希とは、実にいい名前である。そんな喜び事に反して、大きな台風6号がこちらに向かっている。まだ種子島の南東にあるのに、今朝からもう大雨、ときどき強い風も吹き母と二人不安で仕方なかった。やはり、夜間は別にして、デイサービスの稼働している日は本当に安心であると感じられた。今日も責任者から心配の電話があり、雨戸を閉めるのは明日で良いだろうということになった。今夜中何もないことを祈る気持ちである。七月も半ば過ぎ、梅雨があっけなく明けてより猛暑が続いている。そんなに無理しなくなった私、暑さに向かうような無茶はしないでいる。母のことがいつまでも気になるが、私の力ではどうにもならない。これ以上悪くならないことを祈るしかない。日々なんやかやでケンカは絶えないが、私もあまり反発せずにやり過ごすようになった。しかし、日々何かと私なりに悩み苦しんでいる。俳句どころではない。俳句がこんなに疎かになったことは今までにないかもしれない。
 
  あつけなく梅雨明き母の物忘れ 
 
  梅雨明けの深き土の香草木の香 
 
  かき氷の山の裾より崩したり 
 
  熊蜂の尻振つてをり花かぼちや 
 
  青田見るそのひと隅に濃きところ 
 
  網戸越し猫にもの言ふ男かな 
 
  網戸越し水中を見るごとくなり 
 
  よれよれの縁風にゆれ夏帽子 
 
  採血の結果を聴くや半夏生 
 
  雨雲の起ちて走るやほととぎす
 
  てつぺんに小豆のりたるかき氷
 
  花合歓やけぶりて雨の降り始め 
 
  蟻ひとつ走り出て来し落し文 
 
  山に入れば音立ててゐる夏落葉
 
  読経に葉のふるへをり蓮の花 
 
  散蓮華みなもの光り集めをり
 
  海の日や山に雨風大荒れて
 
  当然にして駄句ばかり、一句も気に入ったものがない。俳句を作ろうとしても意欲が湧かない。ただのうのうとデイサービスを母と受けて居られればどんなに楽だろうか。何も思わずに気楽に居たいとつくづく思ってしまう。台風6号が大した被害もなく過ぎ、涼しさをもたらしてくれるかと期待している。自分には不服だが、ここ一月ほど怠惰な日々になってしまっている。体より心が夏ばて気味であるが、焦らずに今は猛暑をやり過ごすことにしたい。もうすぐ大暑である。友人から綺麗な写メールが届いた。優しくて情の深い人だ。







2011/07/03 18:47:47|その他
梅雨ごころ
  気が付けば七月に入ってしまった。前回の更新が六月の二十日過ぎであったから五十日が経ってしまったのである。このブログのアクセス数もいつの間にか二万を越えた。読んでくれている人が居てくれることを喜びたい。そして、なかなか更新できない自分の怠慢をお詫びしたい。その間私は何をして来たのだろうか、すっかり忘れてしまった。怠惰にだらだらと時間に流されてしまったようだ。季節の移り変わりにも疎く、自然と語り合うゆとりもなく、母と二人でデイサービスを受ける日々に甘んじてしまった。母はようやくデイにも慣れ、デイを少しは楽しむ気分になってきたようだ。身近にデイサービスがあって本当に良かったと感謝している。手術より三か月経った母、もう私の衣服の着脱、車いすの乗せ下ろしが解禁になっても良いのではないだろうかと思う私であるが、もう無理なのであろうか。思った時に車いすに乗れない辛さを味わってきた。もうまともにハ何もできないのだろうか。「完全な認知症やでー、いつまで母親に頼っているのや。あれだけ忘れが酷いと何も出来ないで。いくら言って聞かしても無理や。台所の掃除、片付けなどほとんど無理、この暑い時期コバエが飛ぶし、物を腐らせて食中毒にでもなったら大変なことやで」とデイの関係者は厳しい。私もよく理解しているものの、「何も私にさせんと、私をアホにしてばかりなら死んだ方がましや、何もかもヘルパーさんや誰かにしてもらえばええ」とすぐ怒り何かにつけ無茶を言う。相手にならなければ良いのだが、そこはダメな私、言い聞かそう、理解させようとするから喧嘩になるのだ。しかし、何もかも母から取り上げると認知症が進むのではと懸念する私、出来ることはやらせてやりたい。まだまだ母に頼りたい思う馬鹿な私である。そんなこんなで、毎日イライラして来た私の日々だったように思える。俳句も殆ど作れず、六月の句会では師に叱られ、後日手紙にて文章の誤りと俳句の読みの浅さ、そして評の拙さを厳しく叱咤された。ありがたいことと感謝する反面、いつまでもダメな自分が情けなくてならなかった。いくら忘れてもいい、母は元気で私の傍に居てくれるだけで有難いと思わなくてはと自分に言い聞かせている。六月の終わりに、世話になっている「しらふじの里」が小規模多機能型居宅介護事業所としての許可申請が通った。来年の四月から夜間の泊まりも出来るようになる予定で、私には何も出来ないが、今後何かと大変である。本屋の宿泊施設の工事も行われるだろう。かねてからの私の念願であったこと、地域の人々に喜んでもらえればこんなに嬉しいことはない。
 
  鹿除けの襤褸布揺るる梅雨の闇 
 
  でで虫に声あげてをり女の子 
 
  蠅ひとつ五人の婆を巡るなり
 
  葵咲きのぼり遠嶺の晴れにけり
 
  ずぶ濡れの雀見てゐる梅雨籠
 
  大伽藍越えて蝶くる立葵 
 
  梅雨暗しもつるる蝶の音すなり 
 
  猫の手に押さへられたる蜥蜴の尾 
 
  雨蛙しきりにまなこ拭ひけり 
 
  首を振る夕日まともの蝸牛 
 
  螢火に鎮もるときのありにけり 
 
  恋ぼたる疲れて水に落ちにけり  
 
  口中にころころ五つ枇杷の種 
 
  さくらんぼ一つ抓んで揺らしたり
 
  降りだしは霧雨なるやほととぎす
 
  汝にも心の梅雨のあると言ふ
 
  きつい事言ひし女や梅雨の果て
 
  願ひすぐ忘れし母や星まつり
 
   これ以上母の認知症が進まないようにと七夕飾りに願いを書きたかったが、恥ずかしくてやめた。母は「私の世話ができますように」と書いたらしい。ワーカーさんがそっと教えてくれた。それには思わず目頭が熱くなった。私は、「ありがたいとおもふ心が今日のしあはせ」とどこかに書かれていた文句を自分が考えたような顔して書いてもらった。ついつい不足に思うが、今後はありがたいと感謝して生きたい。早く入った梅雨だが割合雨の少ない梅雨であった。梅雨の末期は大雨になる場合が多いが、今年はどうなるだろう。そして、今年の暑さはどうだろう。私の心も梅雨に入って久しいが、間もなく梅雨も明けよう。