気が付けば七月に入ってしまった。前回の更新が六月の二十日過ぎであったから五十日が経ってしまったのである。このブログのアクセス数もいつの間にか二万を越えた。読んでくれている人が居てくれることを喜びたい。そして、なかなか更新できない自分の怠慢をお詫びしたい。その間私は何をして来たのだろうか、すっかり忘れてしまった。怠惰にだらだらと時間に流されてしまったようだ。季節の移り変わりにも疎く、自然と語り合うゆとりもなく、母と二人でデイサービスを受ける日々に甘んじてしまった。母はようやくデイにも慣れ、デイを少しは楽しむ気分になってきたようだ。身近にデイサービスがあって本当に良かったと感謝している。手術より三か月経った母、もう私の衣服の着脱、車いすの乗せ下ろしが解禁になっても良いのではないだろうかと思う私であるが、もう無理なのであろうか。思った時に車いすに乗れない辛さを味わってきた。もうまともにハ何もできないのだろうか。「完全な認知症やでー、いつまで母親に頼っているのや。あれだけ忘れが酷いと何も出来ないで。いくら言って聞かしても無理や。台所の掃除、片付けなどほとんど無理、この暑い時期コバエが飛ぶし、物を腐らせて食中毒にでもなったら大変なことやで」とデイの関係者は厳しい。私もよく理解しているものの、「何も私にさせんと、私をアホにしてばかりなら死んだ方がましや、何もかもヘルパーさんや誰かにしてもらえばええ」とすぐ怒り何かにつけ無茶を言う。相手にならなければ良いのだが、そこはダメな私、言い聞かそう、理解させようとするから喧嘩になるのだ。しかし、何もかも母から取り上げると認知症が進むのではと懸念する私、出来ることはやらせてやりたい。まだまだ母に頼りたい思う馬鹿な私である。そんなこんなで、毎日イライラして来た私の日々だったように思える。俳句も殆ど作れず、六月の句会では師に叱られ、後日手紙にて文章の誤りと俳句の読みの浅さ、そして評の拙さを厳しく叱咤された。ありがたいことと感謝する反面、いつまでもダメな自分が情けなくてならなかった。いくら忘れてもいい、母は元気で私の傍に居てくれるだけで有難いと思わなくてはと自分に言い聞かせている。六月の終わりに、世話になっている「しらふじの里」が小規模多機能型居宅介護事業所としての許可申請が通った。来年の四月から夜間の泊まりも出来るようになる予定で、私には何も出来ないが、今後何かと大変である。本屋の宿泊施設の工事も行われるだろう。かねてからの私の念願であったこと、地域の人々に喜んでもらえればこんなに嬉しいことはない。
鹿除けの襤褸布揺るる梅雨の闇
でで虫に声あげてをり女の子
蠅ひとつ五人の婆を巡るなり
葵咲きのぼり遠嶺の晴れにけり
ずぶ濡れの雀見てゐる梅雨籠
大伽藍越えて蝶くる立葵
梅雨暗しもつるる蝶の音すなり
猫の手に押さへられたる蜥蜴の尾
雨蛙しきりにまなこ拭ひけり
首を振る夕日まともの蝸牛
螢火に鎮もるときのありにけり
恋ぼたる疲れて水に落ちにけり
口中にころころ五つ枇杷の種
さくらんぼ一つ抓んで揺らしたり
降りだしは霧雨なるやほととぎす
汝にも心の梅雨のあると言ふ
きつい事言ひし女や梅雨の果て
願ひすぐ忘れし母や星まつり
これ以上母の認知症が進まないようにと七夕飾りに願いを書きたかったが、恥ずかしくてやめた。母は「私の世話ができますように」と書いたらしい。ワーカーさんがそっと教えてくれた。それには思わず目頭が熱くなった。私は、「ありがたいとおもふ心が今日のしあはせ」とどこかに書かれていた文句を自分が考えたような顔して書いてもらった。ついつい不足に思うが、今後はありがたいと感謝して生きたい。早く入った梅雨だが割合雨の少ない梅雨であった。梅雨の末期は大雨になる場合が多いが、今年はどうなるだろう。そして、今年の暑さはどうだろう。私の心も梅雨に入って久しいが、間もなく梅雨も明けよう。