昨日は小春日和、今日はどんよりとした曇りの一日であった。11月も終わりになり小春日と言えるのもあと僅かである。師走に入れば冬日和と言うと私は思っている。家の改修も進みサッシが入れられ、家らしくなってきた。退避して二か月、不自由にもすっかり慣れてしまった。もうそれが普通に思えるから恐ろしい。なんとも思わずに日が過ぎて行くのである。食にしても慣れれば不足はない。味噌汁ぐらいは炊きたいだろう母だが、今はもうなにも言わない。「おふくろよ、もう十二分にしてくれた。もうゆっくり休んでおくれ」と頼んでいる。猫のシロも餌を食べに何ども帰り元気な声で鳴いている。噂では隣の農舎の二階で寝ているらしい。寒さにも野良猫のいじめにも耐えているシロに負けていられないと思う昨今だ。日の暮れるのが早くなり車いすにて散歩することも極めて少なくなった。当然にして俳句も作れない。しかし、怠惰には慣れてはならないと己に言い聞かしている。
うたた寝もあるなり山の眠りけり
母子してなぐさめ合へば散る柊
枯菊を焚くや遠嶺はむらさきに
菊枯れて日々に苛立ち増しにけり
園枯れてひきしまりけり石の相
枯蘆の中を風過ぎひかり過ぐ
芦枯れて蛇籠のどこもかも錆びる
鉄屑の投げ込まれあり枯むぐら
火照る身や枯鶏頭を前にして
飛び石と靴脱ぎ石と花石蕗と
いちまいの柿の落葉の中空へ
綿虫や低くゆく雲青帯びて
とうがらしどこから見ても真赤なり
干大根夜は着せらるる緋の毛布
大豆打つ婆に問はるる母のこと
綿虫のうすむらさきにみづいろに
やたら煙上がりし小春日和かな
日に日に造作が進んで行くのは嬉しいものである。母子して不足を言わずに師走を迎えたい。私の部屋を一番先に作ってくれる予定、周りの人々の温情に包まれて感謝の気持を持って生かされたい。先日、次の短文を我らの機関誌に投稿した。私も随分年老いたなと思ってしまう。
愚感
「いかに死ぬか」を考えることは、
「いかに生きるか」を考えることでもあります。
人生の終りには、感謝で締めくくりたい。
そのためにも、日々感謝の気持ちをもって
生きることが大切なのです。
「ありがとう」というひと言は、
決して言いすぎることはありません。
毎日、「ありがとう」と言えることに出会っているのです。
これまでのすべてのことに、すべての人に、
「ありがとう」と言える生涯を送りたいものです。
日野原重明 『生きかた上手』より
これは百歳の現役医師の日野原重明さんの言葉である。先日テレビで日野原さんの特集を見て至極心を動かされた。私は一日に何度「ありがとう」を言うだろうか。何から何までお世話にならねばならない私には「ありがとう」は日常茶半時のことであり、心から素直に当たり前のように出て来るようになった。病んで四十年近くなり、ようやくのことである。今まではまだまだ不足があり、「ありがとう」にも不自然さがあった気がする。時には、「申し訳ない」「お世話になります」「すみません」「悪いな」などとも言うけれど、「ありがとう」が一番多い。最近、歳とともに言い過ぎる気がしていたが、決して言い過ぎることはない「ありがとう」である。お世話になることに感謝し、心が安らかになる言葉、これからも「ありがとう」を誰よりも沢山言って生かねばならない。 そんな私が最近強く思うことがある。それは、世話になることに感謝しながら、少しでも誰かにそのお返しをしていかねばならないと言うことである。「ありがとう」さえ言っておればいいと言うものではない。世話に成りっ放しでは実につまらない。地位、名誉は死ねばなくなる。お金を残したところで持っては逝けない。そこで、将来において「ありがとう」と周囲の人に言ってもらえるようになりたい。そうすれば、お世話になった人も祖父母も父も喜んでくれるのではないだろうか。妻も子も居ないから何も残すものはいらないが、「ありがとう」のひと言は、何よりの私の遺産になれば有難い。今、母子してお世話になっている「あなた」に心の底より感謝を込めて「ありがとう」と言いたい。これからも「ありがとう」。死ぬまで………。