伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2012/02/14 23:38:03|その他
春が来た

 春隣りが好きと書いて何日も経つ。デイサービスではお年寄りと「春が来た、春が来た」を歌っている。今年は立春後も余寒が厳しく春の動きが鈍い。早く春めくことを願う日々である。五日には厄年の祈願を産土神、菩提寺にて受けて来た。還暦は厄年ではなく祝であり、神主から「おめでとう」と言われ嬉しかった。事故以来四十年、よくぞここまで生かされたことよ。先日、家の改修工事が終了した。いよいよ新居へ帰らねばならないが、私の無力では僅かな家具やカーテンすら買えない。デイのスタッフさんらに世話になろうとしている私、甘える癖がついてしまったようだ。困ったものであるが、何かで恩返しをせねばならないと思っている。住み慣れると何処でも良い。「何もさせてくれへん。ひとをアホ扱いして」と怒っていた母も随分おとなしくなった。新居へ帰るにも何もかも買わねばならない。小さい仏壇も買わねばならないし、この際、ついでにしておこうと当初予定していない工事もあり、このままなら恐らく借金をせねばならないだろう。母をまた怒らせるかもしれない。だが、怒る元気がある方が良い気もする。何も反発してこなくなる方が心配である。今日は雨のバレンタインデーであった。チョコレートも一つ二つは届いた。仮寓での日々も早くも五か月を費やしてしまったようだ。二月の二十八日には新居へ移ることを決めた。
 
  朝日受け机上の水仙傾けり
  回りながら煮ゆる根深や耳順なる
  麦の芽に日矢さして土いきいきと
  寒明けやうがひ楽しきこゑの出て  
  寒晴れや男に尖る喉仏 
  ごみ箱を覗き込む猫余寒かな 
  婆回る回転椅子や春近し
  頬きて春の動きを見てゐたり
  羽ばたけば黄粉飛ぶなり鶯餅 
  改修の済みし玄関冴え返る 
  くちびるを尖らせ話すや春寒し  
  杭の根を泡のめぐるや春めきて 
  菓子届くバレンタインの雨の中 
  無口なるバレンタインの日のをんな 
  仏壇屋来しバレンタインの日 
  春めくと雨の中来る仏壇屋
 
 さあ、もういい加減に春らしくなって欲しい。母の記億障害については何も改善しないけれど、進行が徐々にであって欲しいと日々祈っている。十畳一間が母と子の城、何もかも無くなってしまったが、その反面、利用してくれた人々が喜んでくれれば母も私も嬉しい。小規模多機能型の事業所として四月からスタートするわけだが、その行く末が心配であり、まだまだ残る寒さが身に応える。







2012/01/29 17:27:04|その他
春隣
  春隣という季語が好きな私である。待つ気持ちを大切にしたいからかな。新年を迎えたと思っていたらもう一月も終わろうとしている。つくづく時の流れを感じて虚しくなる私である。これが常の感慨、まあ良しとしよう。こうして一か月ぶりに更新出来たことに感謝せねばならない。それにしても最悪の一月だった。仮寓にすっかり慣れての新年、気の弛みがそうさせたのか、油断か、十日ごろ左右の鼠蹊部に傷が出来てしまい一週間をほとんど寝て治す。使命感から今年初めての「土芳を偲ぶ俳句会」には出席出来てホッとしたことを覚えている。服部土芳は芭蕉の弟子で「三冊子」の編者であり一月十八日が命日である。ところが、明くる十九日の朝に突然母が下痢嘔吐、救急車で搬送されたが、点滴治療を受け帰宅。その後、四日ほどで良くなり有難かった。だが、二十三日に私が下痢、感染するものかと耐えてはいたが終に移ったのか、胃腸風邪と診断される。嘔吐はなかったが気分が実に悪かった。やはり、厄年であると思った。仮住まいの為、利用者さんに感染させられないと気が引ける十日間であった。母と子の事で関係者に多大なご迷惑とご心配をかけしてしまったことをお詫びしたい。そんなこんなで精神的に辛い一月だった。しかし、胃腸風邪で本当に良かった。そして、救急車を初めて頼んだ母ではあるが、これぐらいで済んで喜んでいる。これは書かないでおこうと思っていたが、あの時の不安と焦燥を思い出すと誰かに聞いてもらいたいのだ。実は母が救急病院で「ノロウイルスの疑いあり」と診断されていたのだ。これによってどれだけの迷惑と不安、営業停止などが関係者の頭を駆け巡ったことか。「疑いありでは、隔離的入院は出来ません」と病院は入院させてくれない。仕方なく帰宅、本当に戸惑った。医師の無責任な一言、「疑いあり」にはかつてない憤りを覚えた。
 
 仮寓にて耳順の年を迎へたり
 土芳恋ふ春待つこころつのらせて
 寒林の一樹気高き土芳の忌
 寒行の僧の頬骨尖りけり 
 宣徳の火鉢と聞くや冬座敷 
 寒鯉のみな底にゐて起きてをり 
 酢の物が欲しくなりたる骨正月  
 寝て起きて耳のうしろの余寒かな 
 寒晴や反り返り泣く赤ん坊 
 春隣り箪笥の向きを変へてみむ 
 寒月下仮寓の窓の汚れかな 
 風花に木々がうきうきして来る 
 旧正や雪花菜料理を食ひたくて 
 横柄な口聞く奴とおでん酒 
 じよじよ履きしと婆が話すや春隣
 
 そんな訳で不満な一月であった。もちろん俳句作りは疎か、提出せねばならない句稿も出さずに終わり実に悔しい。情けないが、ついでにもう一つガックリしていたことがあった。それは、私が書いた今年の賀状の一文の中に次の一節がある。「今年は還暦、耳順の年である。素直に人の話を聞きたいと思う」と書いた。この一節の「人の話を素直に聞きたいと思う」が小学一年生の書く文章であると笑われた(叱られた)ことである。正しくは、「………を聞こうと思っている。………を聞かねばならないと思う」であると指摘された。こう言われてもピンと来ず、間違いか、そんなに拙いのかも解らないのだ。「したい」ではダメなのか。是非とも読者のご意見をお聞きしたい。兎に角、わが母のごとく辛かったこと、叱られたことを忘れることにして過ごすことにする。万事塞翁が馬、春はそこまで来ています。母と子に春が喜びを運んでくれることを願って止まない。 家の改修(内装)も進んでいる。







2012/01/01 15:28:55|その他
去年今年
  新年おめでとうございます。このブログの更新を大晦日に試みましたが、酔っていたからか、歳の所為でしょうか手順を忘れてしまい往生しました。仮住のままに年を越してしまったのは予定通りでした。私と母の部屋はほとんど出来ていますが、屋移りのための家具、カーテン、電化製品の購入もせねばなりませんし、母子では何も出来ず、数多の物品を廃棄してくれスタッフさんに何もかもご厄介にならねば納まりがつきません。三か月の仮寓生活、いろんな人のお世話になり不自由なく過ごせて感謝しています。大晦日に母は門畑から葱を一握り摘んで来ました。「明日の朝、雑煮炊くのに」と。ああ、困ったものである。そこでまたひと悶着、口喧嘩は尽きません。今までして来たことであり、それが出来ないという思い、それは本人にしか解らない事だろう。母には本当に済まないと思っています。しかし、三か月の仮住に風邪もひかず元気で居てくれて何より感謝しています。家を改修工事する意味をもだんだん解ってくれているようで有難い。一年、あれよあれよと思う間に過ぎてしまったようですが、振りかえれば、やはり老いた母を頼りにして来た自分がいます。
 
 初雀影を大きくとびにけり 
 
  隙間より月光漏れて風漏れて 
 
 正月の月光もるる仮寓かな 
 
 数へ日となりて母と子睦みけり 
 
 仮住のまま年を越す母子かな 
 
 逝く年の母を労ふ寸暇かな 
 
 老い母の風に押さるる掃き納め 
 
 うぶすなの除夜の花火の腸に染む 
 
 年詰り母拭きくれし車いす 
 
 訪ふ人の無き仮寓なる三ヶ日 
 
 食積のいずれ冷たき仮寓かな 
 
 犬吠えて仮寓に淑気満ちにけり 
 
 仮住の破れ障子に初日さす 
 
 仮寓より臥して覗きぬ初御空 
 
 怒りより嘆きと聞こゆ初鴉 
 
 粥腹を言ひ人日の男くる 
 
 山くつきり晴れ双六の休みなり 
 
 正月のすずめ嬉しとも悲しとも 
 
 魔王よし森伊蔵よし年の酒  
 
 嶺澄んで雲白きかな初御空 
 
 初空へ腰を伸ばすや母老いて 
 
 元朝の火の無き仮寓の暗さかな 
 
 老松の臥龍のごとし初明り   
 
  元日は寝正月、寒い寒いと母はなかなか起きられない。雑煮を祝うことも、産土神への初詣も断念、仮寓にて母子静かにしていました。餅の欠片をレンジで温め、インスタントの味噌汁に入れて食べました。こんな時、何も欲しくはない、ただ熱い雑煮が欲しいなと思った。ある人から、「どうや、何かと届いてるか」と心配して電話を頂いた。なかなか上手くいかないものである。親戚の人も戸惑っているのだろう。いろいろ持って行っても重なれば……、瓦斯も使えないのなら仕方ないなと諦めているのだろうと私は思っている。何も不足はない。観念していたこと、想定内のことであるから。愚痴を言えば自分が惨めになるだけです。今年は還暦、年男の私ですが果たしてどんな年になるでしょうか。龍は天を自由に駆ける逞しい生物と言われていますが、私は何も出来ない臥龍です。四月からの新事業が、私の出資して改修した施設にて上手く行くことを願うのみです。そして、母と子がなんとか元気で生きて行けることをひたすら祈りたいです。句集上梓を昨年は考えていましたが、資金のことから少し延期することにしました。還暦は厄年のひとつ、母が息災でいてくれるのはむろんですが、私も平穏に一年を過ごせるように願いたい。世の中の変化には疎く、俳句作りにも怠惰な自分。私的な見解の狭い、自分勝手のブログですが我慢して読んでもらえれば嬉しいです。







2011/11/28 22:22:35|その他
十一月尽

  昨日は小春日和、今日はどんよりとした曇りの一日であった。11月も終わりになり小春日と言えるのもあと僅かである。師走に入れば冬日和と言うと私は思っている。家の改修も進みサッシが入れられ、家らしくなってきた。退避して二か月、不自由にもすっかり慣れてしまった。もうそれが普通に思えるから恐ろしい。なんとも思わずに日が過ぎて行くのである。食にしても慣れれば不足はない。味噌汁ぐらいは炊きたいだろう母だが、今はもうなにも言わない。「おふくろよ、もう十二分にしてくれた。もうゆっくり休んでおくれ」と頼んでいる。猫のシロも餌を食べに何ども帰り元気な声で鳴いている。噂では隣の農舎の二階で寝ているらしい。寒さにも野良猫のいじめにも耐えているシロに負けていられないと思う昨今だ。日の暮れるのが早くなり車いすにて散歩することも極めて少なくなった。当然にして俳句も作れない。しかし、怠惰には慣れてはならないと己に言い聞かしている。
 
  うたた寝もあるなり山の眠りけり 
 
  母子してなぐさめ合へば散る柊 
 
  枯菊を焚くや遠嶺はむらさきに 
 
  菊枯れて日々に苛立ち増しにけり 
 
  園枯れてひきしまりけり石の相  
 
  枯蘆の中を風過ぎひかり過ぐ 
 
  芦枯れて蛇籠のどこもかも錆びる 
 
  鉄屑の投げ込まれあり枯むぐら 
 
  火照る身や枯鶏頭を前にして 
 
  飛び石と靴脱ぎ石と花石蕗と 
 
  いちまいの柿の落葉の中空へ 
 
  綿虫や低くゆく雲青帯びて 
 
  とうがらしどこから見ても真赤なり
 
  干大根夜は着せらるる緋の毛布 
 
  大豆打つ婆に問はるる母のこと  
 
  綿虫のうすむらさきにみづいろに
 
  やたら煙上がりし小春日和かな  
 
  日に日に造作が進んで行くのは嬉しいものである。母子して不足を言わずに師走を迎えたい。私の部屋を一番先に作ってくれる予定、周りの人々の温情に包まれて感謝の気持を持って生かされたい。先日、次の短文を我らの機関誌に投稿した。私も随分年老いたなと思ってしまう。
 
                        愚感
 
「いかに死ぬか」を考えることは、
「いかに生きるか」を考えることでもあります。
人生の終りには、感謝で締めくくりたい。
そのためにも、日々感謝の気持ちをもって
生きることが大切なのです。
「ありがとう」というひと言は、
決して言いすぎることはありません。
毎日、「ありがとう」と言えることに出会っているのです。
これまでのすべてのことに、すべての人に、
「ありがとう」と言える生涯を送りたいものです。      
              日野原重明 『生きかた上手』より   
 
  これは百歳の現役医師の日野原重明さんの言葉である。先日テレビで日野原さんの特集を見て至極心を動かされた。私は一日に何度「ありがとう」を言うだろうか。何から何までお世話にならねばならない私には「ありがとう」は日常茶半時のことであり、心から素直に当たり前のように出て来るようになった。病んで四十年近くなり、ようやくのことである。今まではまだまだ不足があり、「ありがとう」にも不自然さがあった気がする。時には、「申し訳ない」「お世話になります」「すみません」「悪いな」などとも言うけれど、「ありがとう」が一番多い。最近、歳とともに言い過ぎる気がしていたが、決して言い過ぎることはない「ありがとう」である。お世話になることに感謝し、心が安らかになる言葉、これからも「ありがとう」を誰よりも沢山言って生かねばならない。 そんな私が最近強く思うことがある。それは、世話になることに感謝しながら、少しでも誰かにそのお返しをしていかねばならないと言うことである。「ありがとう」さえ言っておればいいと言うものではない。世話に成りっ放しでは実につまらない。地位、名誉は死ねばなくなる。お金を残したところで持っては逝けない。そこで、将来において「ありがとう」と周囲の人に言ってもらえるようになりたい。そうすれば、お世話になった人も祖父母も父も喜んでくれるのではないだろうか。妻も子も居ないから何も残すものはいらないが、「ありがとう」のひと言は、何よりの私の遺産になれば有難い。今、母子してお世話になっている「あなた」に心の底より感謝を込めて「ありがとう」と言いたい。これからも「ありがとう」。死ぬまで………。







2011/11/13 21:46:15|その他
しぐれ心地
  昨日はしぐれ忌であり、わが町のしぐれ忌俳句大会に選者として行って来た。一年に一度会う人も居て有意義な日であった。ひとり二句出句で240句の中から特選一句と入選十句を選ぶのであるが、これがなかなか難儀なこと。責任を感じながら選んだ。毎年参加することが出来て有難い。母が「誰か行ってくれるんか、わしゃ行かんでええんか」と昨夜から幾度となく聞いた。今回はヘルーパーさんが引き継ぎとかで二人が付き添ってくれた。なんとなく大層らしく、母が来てくれた時の方が良かったなと思った。 家の改修は進んでいるが、もっと捗って欲しいと思わずにおられない。母はもうすっかり諦めたようだ。諦めて何も言わなくなるのも寂しいものである。自分が嫁入りに持ってきた物、何もかも無用と思われる物は処分、私の俳句の賞状、額なども大半を処分した。置く所が無く仕方ないと観念した。蔵の二階もデイサービス関係の物置として利用してもらうことにした。ああ、何も未練はない。残して置いても再び見ることはないだろうと思えば惜しくもない。退避生活46日、慣れれば不自由も不自由でなくなる。と言えるのは、周囲の人々が温情をかけてくれるからであり、感謝している。猫も餌だけは食べに帰ってくるが、どこで寝ているのであろうか。入れて欲しいと鳴く声は悲しく聞こえるが、諦めた感じもしてならない。母にも猫にも悪いことをしたなと申し訳なくなる私である。ストレスの所為か尻の傷にも気を付けねばならず、パソコンに向かう時間も控え目にしている。やっと更新することが出来て嬉しい。
 つるむ蠅見てゐて秋思つのりけり
 柿を剝く百寿包丁光らせて 
 老人の弱音聞くなり石蕗の花
 冬あけび鳥の産毛を噛んでをり
 中天に十一月の月浮けり
 空箱のひとつ置かるる神の留守 
 大鯉に婆もの言へり神の旅
 いちまいの柿の落葉に雀のる
 草の葉をゆすりてゐたり残る虫
 伊賀のことしぐれ忌のこと問はれけり 
 冬蠅の鼻にくるなり仏の間 
 爪噛んでしぐれ見てゐるをとこかな 
 先逝くと侘る母なり花ひらぎ
 初しぐれ縄の結び目光らせて 
 しぐれ忌やからすと鳶の睦ましく 
 珠のごと小春日に照る翁塚 
 芭蕉さんと呼んで伊賀の子忌を修す
 しぐれ忌のすずめ零れて弾んだり 
 汲みたての井水の匂ひ冬ざくら 
 月満ちて伊賀はしぐれ忌待つ夕べ
 しぐるるとしぐれ心地の草の揺れ
 猫の声しぐれの奥へ消えにけり
 
  立冬も過ぎ本格的な寒さがやってくる。しぐれ忌の過ぎた伊賀に煤けた感じのする時雨の季節がやってくる。芭蕉が好きであった時雨、なぜ寒くて冷たい時雨を好んだその精神を学びたいものである。今年の風邪はどうだろう。風邪がもとで亡くなる場合もあるから、母には気を付けて元気で居て欲しい。たとえ物忘れが酷くてもいい、私ももう諦めた。とは言うものの、幾度も同じこと聞かれると、デイにて同じことばかり言っていると、人の名前を忘れていると、まだまだイライラしてキツイことを言ってしまう。