若葉から青葉へ、伊賀の山々は今が最も美しく目に優しい季節である。日々見る嶺、晴れた日はぐーんと近づいてくるように見える。しかし、ここ数日は冷めたい風が吹き、暖房を付けねばならなかった。田植寒、青葉寒であり、五月初めの薄暑の日と比べると、季節が後戻りしているようだ。母の日は、市の「つつじ祭」と毎年重なる。昨年までは母に付いて行ってもらっていたが、今年は母がデイサービスを受けることにした。「しらふじの里」は土曜日に泊りの人が居れば日曜日もデイサービスを稼働せねばならない。母は日曜日もデイを受けられるのだ。料金も相当な負担になるが、私は安心である。母は畑の草も引きたいだろうし、私に付いて行きたいだろうが我慢してもらうことに。私はこれも一つの親孝行だとひとり勝手に思っている。「しらふじの里」は小規模多機能型となり一か月半、やはり泊りに対応した夜勤勤務の可能な人の不足が問題であるらしく、過度の負担が今後なんらかの歪みをもたらさないかと一人心配している。
白牡丹崩れる刻の風絶へて
八十八夜鮎の形の菓子もらふ
白藤のゆれ散らしたる日の光り
卓上に緋のアネモネと炒りたまご
窓に貼り布巾を干すや春の暮
老人のここはたまり場若葉晴れ
頬骨の高き女と牡丹見る
婆はみな耳遠きかなみどりの日
両の手に掬うて牡丹覗き込む
けふの嶺あをあをとして余花白し
水引いて走る田びとや山帰来
竹の箕と箒と崩れ緋牡丹と
風に揺る子の前髪や白あやめ
いつぽんの道一匹の大毛虫
芍薬の香に覚めてより喉渇く
赤錆びの門扉に凭れ青嶺見む
ほととぎす土匂はせて畦削る
躑躅濃し女の紅の少し濃し
白つつじ芯の辺りの萌葱色
母の日の母を残してつつじ野へ
俎板を買ひしヘルパーもみじ祭
母のため地の茶を買ふや母の日に
つつじ祭師と酒を呑むうれしさよ
母のことたれかれ問へり母の日に
昨日の寒さに比べ今日はいい天気であり、つつじ祭の人出も多かったようだ。母を連れてくれば良かったかなと少し思った。なぜなら、今年の俳句の兼題は、「躑躅」と「母の日」であり、私も母の日の句を作りたかった。さあ、どんな母の日の句が投句されたかと楽しみだ。人出の多い割には投句する人が少なかった気がしてならない。人々は買い物に懸命で俳句などには興味ない様子、それが当たり前かなと淋しくなった。多くの人に会うことが出来、俳句仲間にも会えて充実したひと時を過ごすことが出来た。今日は母の日、母には何もしてやれなかったし、感謝のことば一つかけられなかったけれど、草餅など食べるものは買って来た。それから、昨日は近くの雑貨屋で服を一着買って渡した。「母の日のプレゼントやで、少し派手に思える大きな柄やけど、今はこんなもんや」と言って渡した。母には感謝している。心より有難うと言いたい。でも、恥ずかしくて面と向かっては言えない。言ったとしても母はすぐ忘れるだろう。私を忘れなければ有難い、「貴男は誰ですか」と言う、そんな日が来ないことを祈りたい。