七月も十日を過ぎてしまった。天の川を観に出ることもしなかったし、今年は螢を観に出る機会もなかった。随分怠惰になったものである。七夕の日の午前中は地元の小学校三年生に俳句指導に出掛け汗だくになったため、夜に車いすに乗る気がしなかった。車いすに三時間も乗っていると、傷が痛いのか冷や汗(脂汗)が出るのだ。「暑いからやな」と誰もが心配してくれるが、発汗神経が麻痺した私は暑くても汗は出ないのだ。子供たちは可愛い、一生懸命に炎天下において俳句を作って見せてくれた。素材がなく困ったが、青田、姫紫苑、捩花、蒲の穂などがあり助かった。そんなに感動させられる句はなかったが、子供たちの懸命さに心惹かれた。「芭蕉さんのふるさと」を子供たちもよく自覚しているようだ。芭蕉祭へ応募する俳句を作りたいと努力する子供たちの輝く眼が印象に残っている。伊賀市は「芭蕉さんのふるさと」ということを、子供たちも誇りに思って俳句作りをしている。私もそう思い俳句指導をさせてもらって来た。それが私に出来る社会への御恩返しと思っている。ところが、先日伊賀市で「のど自慢大会」が開催されたが、伊賀市を紹介するビデオでは「忍者と伊賀牛」が映され、ゲスト歌手も美味しかったと絶賛されていた。幼子と犬が忍者衣装を付けた姿は可愛く、喜ぶ外国人も違和感がなかった。悔しいけれどそれはそれで良いが、芭蕉のバも、俳句のハも出て来なかったのはどういうことだろう。それが情けなくて仕方なかった。こんな機会に全国へ、「芭蕉のふるさと伊賀市」を無料で宣伝してもらえる好機ではなかったか。
夏痩せの子が抱く熊の縫ぐるみ
美しき女の鎖骨夏盛ん
声嗄らし眼血走る盛夏の子
花合歓やいくら老いても母なりし
紫蘇畑を歩くや紫蘇を匂はせて
どくだみのなべて花芯を起ててをり
畑二畳松葉牡丹の真つ盛り
捩花にもうひと捩り欲しきかな
音立てて食むとむらひの胡瓜もみ
七夕の願ひは老いても母のこと
悔しくて情けなくて。俳句に関わり、それを生甲斐にしている私は愕然として絶句してしまった。やはり、俳句は夏炉冬扇、風狂である。そんな無用の長物に関わる私は無言で居る方が良いのだろう。「俳句なんて、芭蕉なんて」と思われる市民がどれほど多くおられるのかと悲しくてならない。そして、こんなことを書いて共鳴してもらおうとは思っていないが、忌憚のない意見を聞かして欲しいものである。あの「のど自慢大会」を観て居た皆様は、自分の住む町を「忍者と牛肉」の町と紹介されるだけで良いのだろうか。「俳句」のユネスコ無形文化遺産登録を目指し、国際俳句交流協会長の有馬氏ら6人で発起人会が設立されることになり、芭蕉の生誕地、三重県伊賀市が発表した。初会合は7月22日、翌日には有馬さんの記念講演会が、ともに同市で開かれるそうである。そんな時期だけに、至極無念である。