伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2016/07/11 18:45:00|俳句
夏炉冬扇

  七月も十日を過ぎてしまった。天の川を観に出ることもしなかったし、今年は螢を観に出る機会もなかった。随分怠惰になったものである。七夕の日の午前中は地元の小学校三年生に俳句指導に出掛け汗だくになったため、夜に車いすに乗る気がしなかった。車いすに三時間も乗っていると、傷が痛いのか冷や汗(脂汗)が出るのだ。「暑いからやな」と誰もが心配してくれるが、発汗神経が麻痺した私は暑くても汗は出ないのだ。子供たちは可愛い、一生懸命に炎天下において俳句を作って見せてくれた。素材がなく困ったが、青田、姫紫苑、捩花、蒲の穂などがあり助かった。そんなに感動させられる句はなかったが、子供たちの懸命さに心惹かれた。「芭蕉さんのふるさと」を子供たちもよく自覚しているようだ。芭蕉祭へ応募する俳句を作りたいと努力する子供たちの輝く眼が印象に残っている。伊賀市は「芭蕉さんのふるさと」ということを、子供たちも誇りに思って俳句作りをしている。私もそう思い俳句指導をさせてもらって来た。それが私に出来る社会への御恩返しと思っている。ところが、先日伊賀市で「のど自慢大会」が開催されたが、伊賀市を紹介するビデオでは「忍者と伊賀牛」が映され、ゲスト歌手も美味しかったと絶賛されていた。幼子と犬が忍者衣装を付けた姿は可愛く、喜ぶ外国人も違和感がなかった。悔しいけれどそれはそれで良いが、芭蕉のバも、俳句のハも出て来なかったのはどういうことだろう。それが情けなくて仕方なかった。こんな機会に全国へ、「芭蕉のふるさと伊賀市」を無料で宣伝してもらえる好機ではなかったか。
 
夏痩せの子が抱く熊の縫ぐるみ
 
美しき女の鎖骨夏盛ん 
 
声嗄らし眼血走る盛夏の子 
 
花合歓やいくら老いても母なりし 
 
紫蘇畑を歩くや紫蘇を匂はせて 
 
どくだみのなべて花芯を起ててをり
 
畑二畳松葉牡丹の真つ盛り
 
捩花にもうひと捩り欲しきかな 
 
音立てて食むとむらひの胡瓜もみ
 
七夕の願ひは老いても母のこと 
 
  悔しくて情けなくて。俳句に関わり、それを生甲斐にしている私は愕然として絶句してしまった。やはり、俳句は夏炉冬扇、風狂である。そんな無用の長物に関わる私は無言で居る方が良いのだろう。「俳句なんて、芭蕉なんて」と思われる市民がどれほど多くおられるのかと悲しくてならない。そして、こんなことを書いて共鳴してもらおうとは思っていないが、忌憚のない意見を聞かして欲しいものである。あの「のど自慢大会」を観て居た皆様は、自分の住む町を「忍者と牛肉」の町と紹介されるだけで良いのだろうか。「俳句」のユネスコ無形文化遺産登録を目指し、国際俳句交流協会長の有馬氏ら6人で発起人会が設立されることになり、芭蕉の生誕地、三重県伊賀市が発表した。初会合は7月22日、翌日には有馬さんの記念講演会が、ともに同市で開かれるそうである。そんな時期だけに、至極無念である。







2016/06/18 23:08:08|俳句
梅雨の底
 鬱陶しい梅雨、今年は男型というべきか、降る時はよく降り、晴れる日も交互にあるようだ。降れば梅雨寒、晴れれば真夏日と極端であり体調がおかしくなる。もちろん私は梅雨籠りを決め込んでいる。気分が重く、怠け癖がついて仕方ない。何もせず六月も半ばを過ぎてしまった。どこへ行くこともなく、最近出来た新しい傷に悩まされている。何も変化なく日々を規則正しく過ごしているつもりではあるが、体調と気分は毎日違うものであり、ストレスというものが私にもあるようだ。長く車いすに乗っているから傷が出来るのだと思うけれど、そこがはっきりしない。全く痛くないから、小さい傷の一つや二つどうと言うことはない。しかし、油汗がじっとりと出て、全身がヒヤヒヤするから辛い。この感覚はなかなか健常者には理解してもらえないかもしれない。兎に角、気分が悪いのである。自分のしたことで何も文句は言えない。傷が無く心地よい日々は一年に何日あるだろうか。
 
梅雨深し怠けごころの募りけり
忍冬のすでに黄ばみし誕生日 
梅雨寒の募り老人寡黙かな 
額紫陽花日に泛きあがり沈みをり 
田一枚太古の菖蒲濃むらさき 
万緑の映ゆる赤子の泪粒
荒梅雨やつむじ風追ふつむじ風 
雨の糸からまりゐたり青山椒 
梅雨籠り婆が入れ歯を探しをり 
青梅の葉むらへ茜差してをり
散らばりしちりめんじやこや梅雨の土間
正面に太くはつきり梅雨の虹 
梅雨の底ころころころと団子虫 
地に触れて紫陽花の鞠弾んだり 
東西にまた南北にほととぎす 
笹百合や君の優しさ天与より 
十薬の芯起ててをり昼の闇 
かたつむり休んではまた休んでは 
梅雨深しをんなに白き肘二つ 
癒されしひととの別れ梅雨の底 
 
  しかし、愚痴ばかり言っておられない。大した病気もなく平凡な日々を過ごせることに感謝せねばならないだろう。どこへ行くこともないと書いたが、デイサービスの年寄りと紫陽花を観に出掛けたりしている。有難いことであり喜ばなければならない。先日、長年お世話になった人が退職していった。その送別に駄句を送った。「笹百合や君のやさしさ天与より」解ってもらえるかな。梅雨の底には悲しいこともあるものだ。







2016/05/11 23:09:00|その他
行く春を惜しむ
 友人から『行く春や鳥啼き魚の目は泪』という芭蕉の句の解釈を聞かれた。この句は、「芭蕉は千住で見送りの人々と別れ、草加を経て粕壁(埼玉県春日部市)で宿泊。別れにあたって「前途三千里」の不安と惜別が去来した。長旅には慣れた芭蕉だったが、今回は健康や方角が初めての東北であったことなど、不安材料は多かったであろう。だから、多くの人々に見送られた心境を、人間のみならず鳥や魚までが別れを惜しんでいると描写した。水中の魚の光る泪が芭蕉には見えたのだ。このとき芭蕉四十六歳。江戸を離れ、「奥のほそ道」の旅に向かう。」と簡単に説明した。その後、私は俳句に関わり、やがて四十年経つが芭蕉のことなど何も知らないと言うことを痛感させられ寂しくなった。惜春の情も無きまま、のうのうと初夏を迎えて平凡に生きている自分に満足出来ない。諸々の花は一斉に咲き出した。若葉青葉も激しく萌え立って来た。連休は毎年言っている様に「毎日がゴールデンウィーク」と何も出来ないからの負け惜しみである。こう言っていると楽であった。八日は「余野つつじ祭」に出掛け、沢山の人々に会えて嬉しかった。師ともビールを一緒に飲めて良かった。日頃の厳しい指摘、指導に叱咤して頂いていることへの蟠りも解けて気が楽になった。今年も俳句の選をさせてもらえることは有難い。十一日は「しらふじの里」恒例の「イチゴ狩」に参加、今年の苺は大きくて甘かった。六十粒ほど食べたかな。「腹壊すよ、夜勤の人を困らせたら大変や」なんて誰かに言われると、もう不安で食べられなくなった。なんと気の弱い自分かと思ってしまった。
 
みどり立つ句作りにまた挫折して 
 
背の高き子のよく笑ふみどりの日 
 
もち躑躅乳白色としろ色と 
 
白つつじ日差しを浮かべ雨浮かべ 
 
雷ひとつ夜のみどりを匂はせて 
 
惜春や空箱いくつも積み上げて 
 
ひとつ二つよそ見してゐる葱坊主
 
真つ白な光り筋ひくもちつつじ
 
石畳光りつづくや牡丹まで
 
窓の日に手拭き乾したる五月かな 
 
和太鼓の響き清和の天へ抜け 
 
山の田を植えて青空揺らしたり 
 
年寄りと遊べや痩せし皐月蠅 
 
蠅飛んで来るや一寸戸の隙間 
 
葉桜を伐るごと傘の雫切る
 
草の穂に死ぬまで居たり大毛虫
 
  聖五月、清和、薫風などと五月は爽やかな晴天が多いとされている。気分よく平穏に感謝して生きたいものだ。熊本の被災者を思えば不足は言えない。生きたくても地震の犠牲になる人が居ると思えば、十五歳の女の子が手をつないで電車へ飛び込んだり、同じ十五歳の女の子が母親を殺害したり。命をどう考えているのだろうかと、悲しくなる。命と言えば、母の命、ずーとこのまま生き長らえて欲しい。記憶が徐々(急速ではないが)に無くなって行くようで辛い。最近強く感じられてならない。否定をせず怒らせないように努力しているつもりだが、親子だけに限度もある。息災を喜び母子仲良く生きたい。







2016/04/06 23:37:00|俳句
櫻と相撲
  今日は四月六日。いつの間にか桜が満開で、月日の早さに置いておかれる気がしてしまう私である。今年の桜の開花は全国的に早く、東京で満開と聞いてよりしばらくして伊賀も満開となり驚いた。例年なら伊賀はかなり遅れて咲くのが常だ。そう言えば、こぶしと木蓮が同時期に、染井吉野と山桜が同時に、深山つつじも咲き出した。花の遅速が少なく感じられるこの春である。先日は伊賀場所を観戦出来て良かった。三十九年振りと言われる巡業だけに、いい死に土産になったと喜んでいる。初めて見る実物の関取は、テレビ画面で見るよりはそんなに美しい肌ではなかった。大きいけれど、そんなに驚かされることもなかった。伊賀の前日は伊勢、翌日は大阪と毎日が仕事なのである。贔屓の関取を見られて、やはり感動した。プロ野球も開幕し、わが巨人は開幕ダッシュをしていて気分が良い。いつまで好調が続くだろうか。
 
 笑顔での辛き別れやチユーリップ 
 
 ありがたう贈る言葉や桜添へ 
 
 白魚が嫌ひ目があることをいふ 
 
 春愁を隠す女の髪結び 
 
 外に出よと年寄り誘ふ花の風 
 
 春風が外へ外へと手招きす 
 
 男の子生れ前山呵呵と笑ひけり 
 
 里山の一日煙るや初ざくら 
 
 一分二分力ゆるめず桜咲く 
 
 うつ向きに咲きつづけたる貝母かな 
 
 びん付けの匂ふ力士や花曇り 
 
 横綱の綱の先端春ひかり
 
 紫もくれん花びら折れて白きかな 
 
 はくれんの一弁深く強く折れ 
 
 道に沿ひ川に沿うたり花の雲 
 
 花冷えや石ひとつ抜け野面積 
 
 草引きの婆覗き込むチユーリップ
 
 咲きすすむ桜の幹の黒ずめり
 
 夜桜へ行かなと婆に誘はるる
 
  昨日は母の介護保険の更新に、調査員さんが九時に来てくれたので、その応対に部屋で寝ていた。私は家族として無口でいようと思っていたが、母があまりにも間違ったこと、ウソを言うのには黙っておれず口出ししてしまった。病気がかなり進んでいると思うと虚しくなった。その後、「今から三枚の絵を見てもらいます。ゾウとヤカンとリンゴです。しばらくしたら聞きますから何の絵か覚えておいて下さい」と、絵を見せてから日常のいろんなことを聞くのである。五分もしない内に聞くのだが、母は全くダメだった。ああ、やっぱりかと情けなく、正直悲しくて胸が詰まった。子として母はいつまでもしっかりしていて欲しいのだ。しかし、今のままでも居てくれるから私は元気で居られる。母の介助がなければ恐らく私は生活不活発病に侵されるだろう。もう発病しているかも。







2016/03/06 11:11:02|俳句
初ざくら

  はや弥生三月、三日の桃の節句が済んで今日五日は啓蟄であった。「しらふじの里」の雛飾りは二月になるや床の間に飾られ、毎日その前で年寄りさんは体操などをした。内裏雛だけの雛人形であり、至極地味であるが実に風情がある。近年は雛段を置くスペースがないと内裏雛がよく売れているらしい。若い人らは、内裏雛は天皇と皇后を表わす一対の人形だということを知っているのだろうか。三日が過ぎたらすぐ仕舞わなければと言われるが、米寿卒寿の年寄りばかりの「しらふじの里」では、どんなに遅くまで飾っておいても良いだろう。今日は啓蟄、今年は閏年で一日早かった。あたたかい湿気の多い穏やかな日で、私も車いすで散歩、お年寄りの動きもスムーズだった。風が柔らかく鶯が鳴き、梅が満開、山茱萸(さんしゅゆ)が咲き出した。土筆、蕗の薹が目に入って来た。山は笑っていて薄く霞んでいる。天空には雲雀が鳴き、下萌えには雀がしきりに恋をしていた。
 
 今日雨水まなこ曇りし陶蛙
 
 千切り絵の糊よく伸びむ春二番 
 
 顔の皺伸びたり今日の風は春 
 
 山笑ひ初むるや老いのにこやかに  
 
 雛あられこぼれて風に転がれり
 
 孟宗の竹の切口雛据はる
 
 桃の日の婆ら白髪光らせり
   
 夕風に立櫻揺るる男雛かな 
 
 桃の日の米寿卒寿の薄化粧 
 
 四千の雛飾りたる部屋暗し 
 
 雛飾り婆ら命を惜しみけり 
 
 啓蟄や婆どつこいしよどつこいしよ 
 
 啓蟄や門扉の錆びのこぼれをり 
 
 咲き初むる河津ざくらや伊賀の里
 
 初花に婆らかんばせ赤らめり  
 
  十二日がお水取り本番、まだまだ寒戻りの日が来るだろう。インフルエンザが流行するも母は息災でいてくれた。「しらふじの里」が小規模多機能型として我が母屋を改築したときの記念樹の「河津桜」が咲き初めた。静岡よりは一ヶ月遅れであるが伊賀の染井吉野よりは一ケ月早く、うす紅色の花びらが印象的で香りが濃い。しばらくは咲き進むのを楽しみに出来る。今年も元気で花見が出来そうだ。今年は今年の桜に会えることを喜びたい。周りではいろいろなことが起こり心が痛む。人の役に立てないのが実に情けない。母と子が平穏で過ごせれば良いと言うものではないだろう。