梅雨入りしてより未だ降らない伊賀である。雨なら三日も続けばもううんざりで、人はやかましく言うだろうが、晴れが続いても人は何も言わない。水不足が起こらないかぎり空梅雨を嘆く人は少ないかもしれない。そんなに蒸し暑くなく爽やかな日が続くことを喜ばずにはおられない。デイの利用者さんらはまだ長袖を着ておられる。私も傷があるため冷や汗なるものが出て寒くてならない。困ったものだ。しかし、この裏が来るかもしれない。今週は梅雨らしくなるとの予報、大雨にならないことを願う。ブログ更新もなかなか出来ずに恥ずかしい。思い切ってパソコンを新しくしたので使いにくくて困るが、日々慣れて行くだろ。日々平穏で有り難いが、贔屓の巨人が弱いのが気に入らない。俳句関係で外出する機会もなく寂しい。政界では誰かの意向とか、忖度が問題になって久しいが、それを認めさせて内閣総理大臣を失脚させることは無理だろう。そんな無駄なことをしていないで、もっともっと政治家は国のことを考えて欲しいいものだ。紫陽花も日照りで花が遅れ、そんなに美しくない気がする。あやめ、花菖蒲などは縋り卯の花や花茨が盛りである。先日、野花菖蒲を観に行って来た。伊賀市西の沢、県の天然記念物とか。花菖蒲の原種でありもっとも滋味、私の好きな花である。三重県で二か所が指定、もう一か所はどこか。
じやがたらのこぞり咲くなり誕生日
三昧に匂ふ墓標や青嶺晴れ
葛饅頭部屋通り抜く嶺の風
ちぢれ毛を嘆くをんなや梅雨の底
卯の花の垣をくぐりしあらい熊
てふてふのもつれもつれて立葵
白雲の瀬に砕けたる青嶺村
真乙女の足裏美し螢の夜
紫の風起こる野や花しようぶ
転がりて梅雨を喜ぶだんご虫
降り出しは霧雨けぶる青山椒
この四葩隅田の花火と呼ばれけり
十薬や雨粒溜めるだけ溜めて
どくだみの咲くや真昼の闇深し
膝抱いて無言の幼子梅雨の底
空梅雨の嶺の大きく羽ばたけり
母は元気でいてくれるが、やはり記憶は徐々にというより、最近頓に酷く、忘れ易くなった気がする。デイサービスを受ける人の中でもトップクラス、一緒に居て「おいおい、今さっき言うたやないか、同じこと聞くな」と怒ってしまう。傍に居たワーカーが「それが一番ダメなのですよ!保さん」と注意をしてくれた。私も引かない「ケンカして怒らすのも刺激になっていいのや」と言ってしまう、なんとなく虚しくなりながら。考えてみれば悲しい、これ以上母は悪くならない、そう念じながらの話である。ワーカーは学んだことを言うが、それが正しいとは思っていないだろう。私はやがて93歳になる母にまだまだ世話になろうと思っている。よくよく考えてみるに、母がもし居なくなれば、母がしてくれていたことを即ワーカーがしてくれるとは思えない。今でも医療行為の導尿についてはグレードゾーンであって、はっきりは言えない。だから母が居てくれねばならない。私には誰より居て欲しい母なのだ。