伊賀の奥

「伊賀の奥」は私の処女句集の名であり、「不治人」は私の仮名である。読んで判るだろうが、私はきわめて重度の障害者だ。そんな私の生きる糧にしているものが俳句である。伊賀の奥に隠遁してより三十二年が経とうとしている。不治の身になってより三十七年、なんと長い年月であろう。否それが、過ぎてしまえば凄く早く感じられるから不思議である。そんな私の存在をサイトとして誇示したい。
 
2017/03/01 23:29:38|その他
弥生

  弥生三月、日差しが柔らかく風の尖も丸くなってきた。もう春本番かと思われるが、伊賀では「お水取り」が済まなければ、ほんまに春とはならないと言われている。逃げる二月と言われる通り過ぎ、このブログも更新できずに日だけが過ぎてしまった。開いてくれる人も殆どなく、一日一人か二人であり情けなく思っていた。興味がなく、珍しい事がないのであるから仕方ない。体調もあまり良くないし、外へ出ることも少なくなってしまった。愚痴が多くなり自ら心を暗くしていたようだが、反省して気分を変えようと思った。まだまだ怠け癖は治らず、いまだに宝くじを調べる事が無く夢を持っている。暖かくなり春の花が咲き出して、猫や鳥が恋をする時期、先日もパンダが交尾したと報道されていた。さあ、パンダが妊娠する日も近い、ここらで宝くじの番号を調べてみることにしょう。
 
 どつこいしよ婆の起ち居や二月尽
 
 鳥鳴いて雲やはらかき弥生入り
 
 しだれ梅雀しきりに跳びはねて
 
 春寒や息吹きつけてはんこ押す
 
 春なれや歩け歩けと年寄りに
 
 名を知って好きになりたるサイネリア  
 
  友達から頂いた鉢植えの花が卓上で咲き満ちている。名前をやっと知り、その可愛さに心が癒されている。サイネリアという花で桜草に似ている。頂いた時から満開で花期は長いようだ。母子二人、花を見て平穏な日々を喜んでいる。母にはまだまだ介護されている私、母がいるから助かった。母が居なかったらどうなっていただろう。もし母が死んでしまったら俺は………。夜中三時に母を起こし小便を採ってもらう時、年老いて動きにくいのにすまない、申し訳ないと思って泣けてくる。九十二歳の母にいつまでも世話にならなければならない自分が情けなくなる。母には感謝の念で一杯でありながら母を怒らせてしまうことがある。大分心が穏やかになったと思って居るがまだまだダメである。デイサービスの利用者の一人として、忘れられたり、待つ辛抱を余儀なくされることがあっても我慢でき、随分心が丸くなった気がする。しかし、まだまだチョッとしたことで腹を立て、大声を発することもある。声を荒げることをしないよう気を付けなければ丸くなったとは言えないだろう。65歳とは言え、社会へ出たことがない私は人として成長していないようだ。







2017/02/02 19:48:03|その他
春到来
 正月を何も感じないまま、なんとなく過ごしてしまった。惜しい気がして仕方ない。世の中はトランプ大統領の話題ばかりで、あまりいい気がしないのだ。どこまでも我を通すのだろうか。メキシコ国境に壁を建設することを命令したが、万が一何かあって米国民がアメリカから避難することになったとき困るのではないか、などと思うが、これも公約であり当選した以上は実行せねばならない。大統領令は限りなく出されるのだろうか。選挙で勝った以上いくら反対しても駄目なのか。今後どうなることか目が離せない。 そんな一月も早や過ぎ、二月に入ってしまった。春はそこまで来ている。そう思うと怠けてはいられないぞと思う。ブログの更新もやっとする気になったが何も変化はない。怠けていた一月、賀状整理もしていないし、お年玉ハガキの抽選も調べていないのだ。年末買った宝くじも………。俳句作りも怠惰、なんとなく腐った芋みたいだ。無理しないから尻の傷は治っているかと言うとそうではない。仲良く付き合っている。毎年の行事は一応無事に済ました。有難いと感謝すべきなのだ。
 
 金色の鯉に吞まれし獏枕 
 
 山赤く塗りし四日の媼かな
 
 老い母の達者と言へるお年玉
 
 松過ぎのめし炊き上がる香りかな 
 
 うろ覚えの母には母の手毬唄
 
 人日の玉子の黄味の盛り上がる 
 
 炭の色火の色沁みる初茶会
 
 頬骨の尖りし僧や寒の行 
 
 寒僧のうしろすがたに一礼す 
 
 訪ひくれし母校の子等と春を待つ 
 
 音立てて大寒の雨降りにけり
 
 大寒の柱に猫の爪のあと 
 
 頬杖にひびく雨音春隣 
 
 不機嫌な女看護士二月入り 
 
 来る春と峠の上ですれちがふ 
 
 心中の鬼打つ豆を買ひにけり  
 
  酉年の今年、抱負はと聞かれたら「鶏口となるも牛後となるなかれ」と小さな声でいうことにした。諦めかけていた夢をもう少し追い続けてみようと思い直した。さあ春到来、今の平凡を大切にして生きよう。感謝して生きよう。先日、母校の小学校三年生が訪問してくれ、いろんな質問を受けた。「保さんは今はどんなことが嬉しいですか」と聞かれ、「周りの人々がいい人ばかで嬉しく感謝しています」と答えた。母も健勝であり、改めて日々の幸せに感謝の情を強くしている。節分には恵方巻きは食べられないだろうが、「鬼やらい」だけはしたい。おのれの心に住む鬼を追い出さなければならないから。







2016/12/31 18:52:22|その他
去年今年
 今年も終わろうとしています。何も変りません。窓外の景もベッドの私も、そして私の情も身体も。この平穏が何よりも有難く感謝の気持ちで一杯です。デイサービス(しらふじの里)は二十九日から三日まで休みです。しかし、二〜三人はデイサービスを受け、泊られる人もいます。そこで準夜勤と深夜勤は平常通り勤められています。正月も変りません。私は何の不足もなく過ごせます。大晦日となってやっとこのブログを更新出来ました。風邪を引いたぐらいで体調は良かったのですが、なぜか更新出来ませんでした。その間いろんなことがありました。一年を顧みれば平穏な一年でした。何より母が息災で居てくれたことが喜びです。親子ケンカは絶えませんでした。怒った母は何度死ぬと言ったことでしょう。寸暇の記憶を素早く忘れる母、それが進行していくのではないかと案じていますが、今のところ安定しています。
 
 一束の喪中葉書や賀状書く
 
 朔日に会ふ人に書く賀状かな
 
 われひとり風を見てゐる大晦日
 
 足るを知ること思ひつつ年守る
 
 年逝くや弱者は何をするでなく
 
 うたた寝の母の寝息や去年今年
 
 正月の鶏天空を駈けにけり
 
 初夢に鶏口牛後のこころざし
 
 初明り窓に手垢の付きしまま  
 
  去年今年と言う季語があります。大晦日一日で去年と今年が変ります。一秒の違いで。去年今年(こぞことし)は新年の季語です。わが在所の産土神ではカウントダウンの花火が揚げられます。150戸の氏子が一社を守ることは大変なこと、誇りに思いたいです。あっと言う間、花火の音とともに新年がやって来ます。昨年は「明鏡止水」の心境で生きようという抱負を掲げました。所詮無理でした。今年は酉年だけに「鶏口となるも牛後となるなかれ」の志を捨てずに生きたいと思います。そして、これもすぐ怠ることかもしれませんが「足るを知る」を心に銘じて生きたいと思います。母の認知症が進まないよう、母を大事に、周りの人々にひたすら感謝して生きていきいと願っています。







2016/10/12 0:10:39|その他
深秋、秋冷
 暑さに耐えて来た疲れが出るかと思っているうちに、いつの間にか深秋、秋冷の頃となってしまった。何もしていなかったのになかなか更新出来なかったのはなぜだろうか。その間、「俳句の日」で子供俳句教室に参加、芭蕉祭顕詠句児童の部選考会、障害者スポーツ大会、小学校へ話に行くなど外出した。予定していたことが無事済んで安堵、日々の平凡を喜ばずにはおられない。尻の傷は外出の度に悪化するのは仕方ないとせねばならない。九日はわが在所の里祭だった。訪れる人はないが、デイサービスは稼働しており六〜七名の利用者と三名のスタッフが居た。そこへ子供神輿が回って来て、「しらふじの里」で休憩し利用者さんらと写真を撮っていた。私はベッド、賽銭だけは用意してスタッフに託けておいたから安心していた。十日は体育の日、デイの利用者さんと柘植で行われた「斎王群行」を観に連れて行ってもらった。昔、明和町の斎宮歴史博物館へ行ったことがあるから、少しはその知識はあったが、利用者さんらは何の祭やと行列を観てただ喜んでいた。平安の衣装が美しく伊賀の鄙びた里にもマッチしており、秋風に揺れて格別の風情があった。喜んで手を振っているお年寄りを見て何か嬉しくなった私、反面、平均九十歳を越えている利用者さんらの仲間に入れてもらって喜んでいる私を周りの人々はなんと思っいるだろうかと空しくもなった。
 
 戸袋に爪とぐ猫や秋深む
 
 寝かされて雲を見てゐる大案山子 
 
 冬瓜に婆が何かを書いてをり 
 
 径に沿ひ溝に沿ひたり赤まんま
 
 茸汁すすればなめこ滑り込む
 
 真菰筍馳走に里の祭かな
 
 楢山の枯れし話やきのこ汁
 
 黒塀に沿ひたる百の曼珠沙華  
 
 穭穂にすずめ跳びつく夕まぐれ 
 
 蔓たぐり揺らす暮色と山の風
 
 柿三つ入れし小縁の野球帽
 
 天高し地に貼り付きぬ車いす 
 
 木の実落つ鞨鼓踊りの足元に
 
 斎宮の幼き頬に秋の風
 
 柿実る下に斎王の輿待てり 
 
  明日は伊賀市芭蕉祭である。顕詠句に特選、入選された方に敬意を表したい。盛大に開催され芭蕉を偲ぶ市民で溢れるであろう。ところで十月の二日に放送された「高島玲子の遠くへ行きたい」の番組を見て、またまた落胆させられた。三十分もあるのに私が崇拝する芭蕉に関わることが一度も出て来なかったのである。「忍者の隠れ里、暮らしの知恵」と言うことで忍者ばっかりであった。俳句作りは暮らしの知恵にならないのだろうか。外国人に人気沸騰の忍者を悪く言わないが、芭蕉が一回でも出て来ないのはどうしてか。お茶屋のおっちゃんが忍者衣装で出て来られ、飼い猫も忍者衣装で刀を背負っていた。番組内容は誰が決めるのだろうか。面白くないことが何かにつけて多いが、毎日お年寄りと一緒に生活していると、嫌なことも解消されこんな不自由な身体でも楽しい心になれる。日々可愛いくて純心なお年寄りを大切にしたい。もちろん母を。







2016/08/16 23:11:38|その他
同窓会

「盆三日婆らと同じもの食みて」という駄句を作った。仏と同じものを食べた昔が懐かしい。朝から僧が来てくれて一応盆が終わった。人にお世話になり仏壇へのお供えはなんとか出来て喜んでいるが、ご先祖を祀ることもせず、今年は僧と同席出来ずベッドに居た不甲斐無い私、母が僧の応対をしてくれた。それを母に頼むのに同じことを繰り返し何度説明したことか、思えば悲しい。普段から仏壇の掃除などあまりしない母、デイサービス利用者さんが毎日仏壇に参ってくれて居ても母は気にならないらしく一緒に参ることもしないのである。ああ、盆も過ぎてしまった。日々と全く変りはない。それを喜び感謝することが平穏というものであろうか。どこの誰が初盆だとか、そんなことは忘れてしまう母であり、盆僧が帰られて一時間もすれば僧が来てくれたことをもすっかり忘れているのだ。飽きれると言うより、笑っているしかないようだ。本人にとってはこれも幸せかな。先日の山の日には高校の同窓会に出席して来た。二十年振りだろうか、七十数名と出会って来た。先ず名簿を貰ったが名前と顔が合わないし、知らない人がなんと多い事か。はじめに物故者への黙祷、結構多くて驚嘆させられた。「物故者として真っ先に呼ばれても仕方なかった自分であるが、生きて居られて皆さんに会えて嬉しいと」一言、事故の事を知らない人は居ないようであった。会費一万円、印象に残る料理は無かった。
 
 塀越へて婆に叱らる南瓜蔓 
 
 包丁が刺さつたままの大南瓜
 
 暁の風朝顔だけの揺れてをり 
 
 ひと雨を託ちて盆の僧来たり
 
 仏壇の暗がりに黒き大西瓜
 
 酒汲むや茗荷の花のてんぷらで
 
 母惚けてけふも採り来し花茗荷 
 
 けふは髪垂らせし女秋日傘
 
 山の日や同窓会の末席に
 
 踊子に母の恙を聞かれたり 
 
 星払ひ落とすごとくに踊りけり
 
 盆三日変はらぬ母のもの忘れ  
 
  オリンピックも終盤であり、あといくつ金メダルが獲れるだろうかと楽しみである。日本人選手の活躍に気分が晴れる。みんな頑張っている。金と銀が良くて銅は今イチ、金が欲しかったと悔しがるアスリートがおられるが、世界で三番目とは凄い。金銀銅の差は極少であると私は思う。しかし、上げようと言われれば金をもらうだろうが。やっと更新出来た。前回は少し極論を書いたためか、読んでくれる人が少なかった気がする。俳句を市民すべてが好きではない。芭蕉を市民すべてが尊敬していることもないのだ。日毎秋めいていく、いろんな草花が咲き出すだろう。