東の果ての黄金色
数年越しの約束だった「新婚旅行」。二人が選んだのは、霧の街ロンドンとは対照的な、光に満ちた春の日本でした。
フェアを連れての長旅。飛行機を降りた三人を迎えたのは、柔らかな薄紅色の桜吹雪でした。「見て、ダニエル! ロンドンのバラとは違う、優しいピンク色だわ!」メロディは少女のような声を上げ、舞い散る花びらを掌で受け止めます
旅の始まりは京都でした。 ダニエルは、寺院の庭園に流れる「静寂」という名の音楽に衝撃を受けます。
詩仙堂の庭で、コン、と響く鹿おどしの音。ダニエルはその音の余韻を聴きながら、メロディに言いました。「この音の間隔……僕たちのトロッコがレールの継ぎ目を越える時のリズムに似ているね」。
二人は鴨川のほとりに座り、沈む夕陽を眺めました。メロディは、着物姿の女性たちの美しさに目を輝かせ、「いつか、あんな風に背筋を伸ばして歩ける大人になりたいわ」と、ダニエルの肩に頭を預けました。
静かな京都から一転、大阪の街は二人を圧倒しました。
ネオンサインの光、呼び込みの声。道頓堀の喧噪にダニエルとメロディは、まるであの日逃げ込んだカーニバルの会場に迷い込んだような高揚感を覚えます。
屋台で買った熱々のたこ焼きを、二人でふうふう言いながら頬張りました。「熱い!でも美味しい!」と笑い合う二人の姿は、どこからどう見ても、あの頃の無邪気な少年少女のままでした。
そして旅の後半、二人は導かれるように三重県へと足を踏み入れました。
最初に訪れたのは、名張市の赤目四十八滝でした。
深い緑と、絶え間なく響く滝の音。ダニエルは、岩場に座り、目を閉じてその音を心に刻みました。「メロディ、聴いてごらん。何重にも重なる水の音が、オーケストラのようだ」。
「生きた化石」と呼ばれるサンショウウオを見た二人は、その不思議な姿に驚きました。「何百年も姿を変えずにここにいるなんて……。僕たちの愛も、この生き物みたいに、時間が止まったみたいにずっと変わらないでいられるかな」。 メロディは優しくダニエルの手を握り、「ええ、きっと」と答えました。フェアは不思議そうにサンショウウオを見つめています。
次に訪れたのは、豊かな歴史が息づく三重県の中西部にある静かな城下町、伊賀市です。ここは、伊賀忍者の里として有名です。
この場所を訪れた二人は、時の重みを感じ時代を超えてつながっている感覚を覚えました。
石垣の迷路のような路地を歩きながら、ダニエルはフェアを肩車し、メロディはその横で上野城や古い街並みを熱心に眺めています。「ダニエル、この街の瓦屋根は、少しだけあのアパートの屋根裏部屋の色に似ているわね」
そして、1881年明治に建てられた旧小田小学校を訪れ ました。ダニエルは、古い教室の椅子に座り、ギヤマンの色ガラスから差し込む光を眺めました。「メロディ、見て。イギリスの古い学校とは違うけれど、ここにも確かな『教え』の息吹がある。僕たちが反抗した教育じゃなくて、もっと深い、人間としての誇りのようなものが」。
町を散歩していると、ふと見つけた歴史ある重厚な木造の建物。それはかつての藩校、「国史跡 旧崇広堂」でした。1821年江戸時代に建てられたと書いてあります。
その重厚な「赤門」の前に立ったとき、二人は思わず足を止めました。門は、かつて描いたような鳥居ではなく、力強く歴史を刻んだ木製の観音開き。その堂々たる佇まいに、ダニエルは背筋が伸びるような思いがしました。
鮮やかな朱色の門を見上げたメロディは、その色に目を奪われました。「ダニエル、あの門の色を見て。情熱的だけど、どこか温かい。私たちの恋も、あんな風にずっと色褪せないようにしたいわ」。
「ここで昔の子供たちは、一生懸命お勉強をしていたのよ」
メロディがフェアに教えると、フェアは不思議そうに門を見上げ、小さな手で古い木肌に触れました。その瞬間、時を超えて、かつての少年たちの笑い声が風に乗って聞こえてきたような気がしました。
二人は赤門の前で、通りかかった親切な地元の男性、はまさんに写真を撮ってもらいました。その写真にはちゃっかり、はまさんも写っていました。後にロンドンの彼らの部屋に、一番大切な思い出として飾られることになります。
その夜、三人は近くの古民家を改装した宿に泊まりました。
畳の上で、フェアはトムからもらったあの木のトロッコを走らせています。ダニエルは、地元の蚤の市で見つけたという、小さな「ブリキのおもちゃ」をフェアに差し出しました。それは、かつて彼らが夢中になった昭和の香りがする、どこか懐かしい色彩の金魚の玩具でした。
「日本にも、僕たちの『宝物』と同じ匂いのする場所があるんだね」
ダニエルが呟くと、メロディは金魚の玩具を月明かりにかざしました。
「ええ。言葉は違っても、子供たちが大切にするものや、大人が守りたいと思う景色は、世界中どこへ行っても変わらないのかも」
三人は、縁側に座って夜空を見上げました。
伊賀の夜空には、ロンドンの屋根裏部屋から見たのと同じ、凛とした星が瞬いています。
翌朝、二人はフェアの手を引き、再び旧崇広堂へと歩き出しました。
それは新婚旅行という名の、終わりのない「家出」の続き。
「若葉のころ」に始まった二人の冒険は、今や新しい命とともに、国境さえも超えて、鮮やかな彩りの中に溶け込んでいくのでした。
伊賀の古い町並みに、どこからか懐かしい蓄音機の音が流れてくるような、穏やかな早朝なのです。