テムズの風と銀幕のカフェ
屋根裏部屋のギイギイ鳴る床板を踏み鳴らして、小さな足音が二つ、三つと続く。フェアが歩き始めてから、二人の世界はさらに外へと広がり始めていた。
あの嵐のような訪問者、トムが置いていった木製のトロッコの玩具は、今ではフェアの一番のお気に入りとなり、紐をつけられて彼女の後をトコトコとついて回っている。
ある晴れた日曜日、三人はロンドンの街へ繰り出した。
ダニエルはチェロを背負わず、代わりにフェアを肩車している。メロディは、蚤の市で見つけたお気に入りの、少し色褪せた花柄のワンピースを風になびかせていた。
彼らが向かったのは、テムズ川沿いのプロムナードだ。
川面はロンドンの気難しい太陽を浴びて、銀色にキラキラと輝いている。遠くにはタワーブリッジがそびえ立ち、重厚な石造りの建物が並ぶ。その景色は、かつて二人が大人たちの目を盗んで逃げ出した、あの荒々しい線路沿いの風景とは対照的だが、どこか同じ「自由」の匂いがした。
「パパ、お船!大きいお船がいるわ!」
フェアがダニエルの頭の上で歓声を上げる。ダニエルは彼女が落ちないようにしっかりと小さな足を掴みながら、メロディと視線を交わして笑った。
「あの船に乗ったら、トムおじさんのいる遠くの国まで行けるかもしれないね」
二人は、川沿いの手すりに寄りかかり、しばらくの間、ただ流れる水と行き交う船を眺めていた。
ふと、メロディがハミングを始める。それは、かつてトロッコの上で流れていた、あのクロスビー・スティルス・ナッシャ&ヤングのメロディだった。
ダニエルもそれに合わせて、フェアの体を静かに揺らす。テムズの風が、彼らの静かな合唱を遠くへと運んでいった。
歩き疲れた頃、三人はサウスバンクの裏路地にある、古びたカフェに入った。
そこは、映画に出てくるような、少し薄暗く、壁には古い映画のポスターが所狭しと貼られた、不思議な空間だった。使い古された木製のテーブルと、不揃いな椅子が、かえって居心地の良さを生み出している。
メロディは、フェアを古いキャスター付きの椅子(屋根裏部屋にあるものとよく似ていた)に座らせると、自分はダニエルの隣に腰掛けた。
ダニエルは店主にウィンクをすると、メニューも見ずに「紅茶を三つ。一つはミルクたっぷりでね」と注文した。
運ばれてきた紅茶の湯気の向こうで、メロディはスコーンにジャムをたっぷりと塗りながら、フェアに尋ねた。
「フェア、今日の冒険は楽しかった?」
フェアは、口の周りをクリームだらけにしながら、元気よく頷いた。
「うん!パパの背中から見た世界は、とっても大きかったわ!」
その言葉に、ダニエルはかつて、自分が世界を呪っていたことを思い出していた。大人たちの押し付けるルールや、学校の退屈な授業。けれど、今、目の前にあるのは、愛する妻と、自分たちの愛の結晶である娘、そして温かい紅茶。
世界は、彼が思っていたよりもずっと、優しくて、美しい場所になりつつあった。
カフェを出る頃、夕陽がテムズ川を黄金色に染め始めていた。
三人は手をつなぎ、影を長く伸ばしながら、再び歩き出す。
屋根裏部屋に帰れば、またギイギイと鳴る床板と、二匹の金魚が待っている。
けれど、今日のテムズの風と、カフェでの温かい時間は、彼らの「秘密基地」に新しい、かけがえのない宝物として加えられたのだ。
「明日も、冒険に出ようね」
フェアの小さな声が、夕暮れのロンドンに溶けていく。
ダニエルとメロディは、もう二度と、大人になることを恐れてはいなかった。
なぜなら、彼らには、この小さな「フェア(妖精)」という、終わりのない遊び心を教えてくれる、最高の相棒がいるのだから。