ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2006/06/04 20:39:50|関西本線のこと
なつかしの関西本線A
 昭和50年前半頃に撮ったちょっと懐かしい関西本線の画像第2弾です。車両は変わったけど駅の施設や周囲の景色はあまり変わってないと思われるかもしれませんが、変わったところを探してみるのも面白いですね。
画像 左上=国鉄色キハ35と20系による奈良行普通。伊賀上野にて。中上=草津線に残された唯一の客車列車編成です。早朝、亀山から草津線を経由して京都まで運行されていました。この頃、茶色の旧型客車からこの赤い50系客車(レッドトレインと呼ばれていた。)に変わりました。柘植構内にて。右上=DE10型ディーゼル機関車重連(2両)による荷物列車。伊賀上野〜佐那具間にて。現在、ここは工業団地になっています。左下=DD51型ディーゼル機関車牽引の貨物列車。柘植構内にて。当時は関西本線非電化区間、草津線ともに貨物列車が運転されており、柘植駅は双方の列車が行き交うため出会う頻度は高かったと思います。蒸気時代はここから後ろにもう1台補機(後押しする機関車)を連結し、前引き、後押しで加太峠を越える姿が見られたそうです。







2006/06/01 22:58:14|撮影日記
撮影日記(5/31)
 仕事の段取りが一息ついたので、急きょ15時から早退して、関西本線へ181系特急型気動車による修学旅行臨時列車の撮影に行ってきました。5月初旬から走り始めてはいるものの平日ばかりの運用で、今年は初めての撮影となりました。姫路方面から鳥羽への往路は伊賀上野を16時前に通るため、どこで狙おうか迷いましたが、以前から181系の特徴である巨大な通風器を載せた車両の屋根を強調して撮ってみたかったので、月ヶ瀬口〜島ヶ原間にある島ヶ原トンネルの入り口ポータル上でカメラを構えることにしました。現地では、もうお一人、ビデオ撮影の同業の方がお見えになり、情報交換などしながら列車の通過を待ちました。やがて霞のむこうから2個のヘッドライトが見え、列車はゆっくりと峠を登ってこちらに近づいてきました。やはり、低く重厚なディーゼルサウンドを奏でながら、正真正銘の国鉄特急型気動車が私たちの前を通り過ぎていきました。いつもながら、あっという間ですね、と列車を待つ時間に比べ、至極の時間は早く過ぎ去ることを互いの感想として述べ合いながら、その場をあとにしました。







2006/05/29 23:36:02|伊賀線のこと
近鉄伊賀線のはなし
 私にとってもうひとつのホームグラウンドといえるのは近鉄伊賀線です。三重県伊賀地域の鉄道を語るうえでは欠かすことが出来ません。伊賀線も大変歴史が古く、大正5年8月8日に現在の上野市〜伊賀上野間が開業したのがその始まりです。当時は伊賀軌道という地元資本の鉄道会社でした。現在の関西本線(当時は関西鉄道という私鉄)が旧上野町の市街地から離れた旧三田村に開通したことで、これと上野市街地を連絡させることが目的だったようです。ですから、この時から数えても約90年の歴史がある訳です。当初の開通以後は西名張(現在の名張市)まで延伸し、電化もされ、充実が図られました。近鉄に吸収されたのが昭和19年で、昭和39年には近鉄大阪線と競合する伊賀神戸〜西名張間が廃止され現在の形になっています。伊賀の山里をのんびり行く伊賀線は、かつて、“うえのまち”というフォークソングにも歌い込まれるなど私たち伊賀に住む住民にとって、いつもある風景、欠かせない交通機関でありますが、最近はクルマ社会の進展、少子高齢化という社会的実情がその存在を危うくするようになりました。廃線問題です。最近は利用者が減り、年間4億円とも言われる赤字を生んでいることから近鉄が自社での存続は難しいと伝えているのです。地元ではこれに対し、存続に向けた方策を検討しています。近鉄は先日、運行を別会社とする上下分離方式による存続案を伊賀市に示し、その会社に対し市の一定の支援を求めていると報じられました。私たちにとって、伊賀線は後世に残していかなければならない鉄道であると考えます。しかし現状のままであるならば、人々に本当に必要とされる鉄道とはいえなくなるでしょう。存続策を講じながら、同時に将来に向けてより利便性の高い鉄道に変えていくことを進める必要があると考えます。







2006/05/27 20:44:00|関西本線のこと
春の日に「ラスト・ラン」A
(続き)亀山駅でも大勢の人達に見送られ発車。四日市や桑名からも惜別乗車の方々が乗り込まれ車内はほぼ満席になりました。桑名発車後、JR東海車掌による惜別の案内放送がなされ、いよいよラストスパート。そしてついに、さらに大勢のファンが待ち受ける名古屋駅11番ホームに定刻どおり滑り込みました。車両基地へ回送されるまでの時間は「かすが」の表示幕を変えることなく、最後の撮影会となりました。タイフォン一声とともに発車する際はどこからともなく惜別の言葉がかけられ、拍手が沸き起こりました。私は走り去る「かすが」の姿をテールライトが見えなくなるまで見届けました。正直に言って、今回の改正で「かすが」が廃止されるという報に接した時は大変な衝撃でした。以来、どうやって記録し記憶に留めようかと思案する日々でした。「かすが」が廃止されたことは大変残念ですが、最終列車を見届けられたことは良かったと思っています。いつの日かまた、「かすが」のような優等列車が関西本線を走る日が来ることを心から願っています。ちなみにJR東海車掌による惜別放送の内容は次のとおり(おおよその内容ですが)でした。「〜ただいまご利用いただいております急行「かすが」号は本日をもちまして運転を終了させていただきます。昭和34年、準急「かすが」として運行開始以来、48年間の歴史に幕を下ろします。今日まで多くの皆様にご愛顧いただきました。ここに厚く御礼申し上げます。〜」。







2006/05/27 20:37:37|関西本線のこと
春の日に「ラスト・ラン」@
 私は今年(平成18年)3月17日に廃止された、関西本線の急行「かすが」号の上り最終列車に惜別乗車しました。その様子を少しレポートさせていただきます。当日は伊賀上野から名古屋までの乗車でした。「かすが」号到着を待つ伊賀上野駅には沢山のファンが集まり最後の雄姿を収めようとカメラを向けておりました。やがて17時58分、列車は日没前の夕日を浴びて、いつものように3番線に滑り込みました。先週末と同じく4連に増結されていましたが、ラスト・ランによくある惜別のヘッドマークなどの飾り付けもなく「かすが」らしい控えめな最後となりました。唯一、車掌室に誰かが送ったと思われる花束が置かれていたことが最終運転であることを伝えていて、少し嬉しい気持ちになりました。車内の様子は、自由席は立ち客もおられましたが、指定席は満席というほどではなく、惜別乗車と思しき乗客による静かな車内でありました。途中、JR西日本車掌による最後の運転であることの案内放送がありました。次の停車駅の柘植駅でも見送りのファンが駆けつけておられ、見送られながら最後の加太越えに向かいました。夕暮れの山中、「かすが」は通い慣れた鉄路をしっかりと確かめるように走り続け、亀山駅に到着。ここで行われるJR東海乗務員への引継ぎも厳粛な雰囲気にて行われました。(続く)