ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2006/05/27 13:44:35|関西本線のこと
特急「あすか」号の幻影・・・修学旅行臨時列車その2
 数年前から、関西本線非電化区間に走り始めた国鉄特急型気動車による修学旅行臨時列車の画像を紹介します。
画像 左上=運行開始前の乗務員訓練が終了し借入先の後藤総合車両所(米子市)へ返却回送されるキハ181系、6両全てが国鉄特急色です。(柘植駅にて) 右上=伊賀上野駅に入線する列車、これが定期の特急列車であったなら、もっと関西本線は活性化していたはず・・・。左下=蒸気機関車の時代から難所である加太峠の築堤を駆け上る同列車。急勾配に強いキハ181なら朝飯前です。右下=今はJR西日本オリジナルの色に変わったが、旧国鉄譲りの特急型車両らしく迫力の走行が見られる。(佐那具〜新堂にて)







2006/05/27 12:41:26|関西本線のこと
特急「あすか」号の幻影・・・修学旅行臨時列車
 関西本線非電化区間には毎年5〜6月と10月前後に姫路地区などの小学生を乗せた修学旅行臨時列車が運転されています。往路は姫路地区から奈良、奈良から関西、紀勢、参宮線を通って鳥羽まで、復路は鳥羽から柘植、草津を経由して戻ると言うものです。この列車自体は以前から運転されているようですが、特筆すべきは、数年前から特急型気動車のキハ181系が使用されていることです。この車両、かつては中央本線の特急「しなの」などに使用された高馬力の高性能気動車で現在も特急「はまかぜ」に使用されています。関西本線非電化区間にはこのような特急型の車両が走ることは過去にもほとんど例がなく、昭和40年頃、関西本線を経由して名古屋〜東和歌山(現和歌山)間に設定された特急「あすか」号がキハ181系の先輩格であるキハ80系で運転されたことがありますが(この列車、誕生からわずか2年あまりで廃止になってしまい、幻の特急列車と言われています。)、ほぼそれ以来となる特急型車両なのです。昨年まではなつかしい3本ヒゲのある国鉄特急色の車両も見られました。今はJR西日本のオリジナル色に塗り替えられていますが、関西本線の軽快気動車キハ120型とは違うフルサイズの車両が、しかも6両編成で重厚なディーゼルサウンドを響かせて走行する姿は、かつての「あすか」号を彷彿とさせる迫力があります。







2006/05/25 23:01:42|関西本線のこと
なつかしの関西本線
 懐かしい関西本線なら蒸気機関車の写真が一番良いのですが、私がカメラを持てるようになった頃には既にその姿はありませんでした。昭和48年に全廃されたそうです。かろうじて見た記憶はあるのですが・・・。ここでご紹介するのは国鉄時代の昭和50年代前半に少し撮りためたものです。もう懐かしいと言えるかも知れませんね。今と比べてみてどうでしょうか?駅構内の様子は草津線の電化で今は架線がある柘植駅は随分違いますね。伊賀上野駅はどうでしょうか?上下線のホームにはさまれた真ん中に今はない待避線があったり、上り(名古屋方面)へのホームの屋根は短かったのですね。うしろの伊奈製陶(現INAX)の工場は今の姿ではありません。かつて工場側に貨車を据え付けて製品を出荷していたのを覚えています。車両は古き良き時代の国鉄型です。これらの気動車(ディーゼルカー)はもう関西本線では走っていませんし、キハ40型以外は全国でも今は貴重な存在です。荷物列車も貨物列車も運転されなくなって久しいです。機関車のDD51はたまに団体の臨時列車を牽いて走ることがあります。(画像 左上=電化前の柘植駅構内に進入するキハ30系普通列車、中上=伊賀上野駅に進入するキハ20系普通列車、右上=伊賀上野駅停車中のDD51牽引荷物列車、左=電化工事中の柘植駅に停車中の当時は新車!だったキハ40系による普通列車)







2006/05/23 23:54:59|関西本線のこと
急行「かすが」号の話A〜つづき〜

(つづき)利用者が減少したから廃止したというJRの説明も少し納得がいかない部分が正直言ってあります。なぜなら、全体として利用が多くないのは今に始まったことではありませんし、最近の利用者数は横ばい、昨年(平成17年)ではむしろ微増という報告もされていたからです(鉄道ジャーナル誌)。本当の理由は輸送の効率化なのです。運行するJR東海サイドは車両の運用が限定的な列車よりも、同じ資源をより効率的で採算性の高い方へ振り向けたい。乗り入れさせているJR西日本サイドは列車種別の違う急行列車が乗り入れることで、ダイヤ編成が複雑化する、要員の確保や交換施設の維持が必要になるなどといった要因を除きたいことの利害が一致したからではないでしょうか。また、「かすが」が廃止されること以上に残念に思ったことは沿線地域が殆ど反対しなかったことでした。これは同じ時に廃止された寝台特急「出雲」号の廃止に反応した鳥取県などとは大きな違いでした。いずれも線区の象徴的な列車が消えると言うことでは同じでありましたが、「かすが」廃止の後には特に非電化区間には何ら積極的な代替策が示されませんでした。潜在需要があるこの路線を鉄道事業者と沿線地域が協力して、より真剣に活性化策を考えなければ、もっと残念なことが起こりかねないと思わざるを得ません。(画像 上=廃止直前、4連で力走。下=通い慣れた加太峠を行く。)







2006/05/23 23:42:11|関西本線のこと
急行「かすが」号の話A
 「かすが」号の話の続編です。ここでは少し私見を述べてみたいと思います。ご存知のとおりJRに移行してからの「かすが」号は1日1往復、しかも通常は2両編成と言うミニ急行でした。優等列車というには寂しい姿ではありましたが、この列車こそ、関西本線がその名の通り“本線”であることを象徴する列車であったと思います。関西本線が既に名阪間を結ぶ路線としての役割を他に譲り、亀山、加茂を境として事実上3つの別の路線と化しているのは紛れもないことです。しかし、「かすが」号はこの境を越えて、大阪(JR難波)までは届かないものの、路線の約3分の2を直通し、沿線の主要都市を結んでいたということは、関西本線がそういった役割を歴史的にも果たしてきたという“生き証人”であったと言えるからです。また、そういう役割をこれからも背負わせることが可能な、潜在能力のある路線であることを示す存在であったと言えるからなのです。「かすが」号の廃止は、単に1往復の急行列車がなくなったということ以上に、関西本線の存在意義を問う大きな意味を持つと思います。(続く)
(画像 左=「かすが」の愛称板、中=桜満開の笠置駅を通過、右=「かすが」孤高の旅路