ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2006/06/13 21:46:35|関西本線のこと
関西本線キハ58・28さよなら運転の話

 平成6年4月に、関西本線非電化区間からキハ58・28型という気動車が引退しました。亀山鉄道部が惜別の意味をこめて奈良〜柘植間にさよなら運転の臨時列車を運行した時の話です。現在のキハ120型が導入されるまでは、クリームと朱色の国鉄色を纏った気動車が主力として活躍していました。この車両は本来、急行用の気動車として昭和30年代に開発され、気動車では最多両数を誇ったこともあるほど、全国津々浦々の国鉄路線で見ることができました。関西本線でも昭和40〜50年代頃は急行列車として使用され、長大編成で行く姿も見られました。引退直前には2両の基本編成で、ワンマン運転を行う改造がなされ、かつて優等列車として活躍した姿は見る影もありませんでしたが、国鉄型気動車の標準型であり、扱いやすく保守面でも信頼できる車両であったため長年にわたって使用されていたと言われています。私は当時、今のような趣味活動は行っていませんでしたが、新聞記事でさよなら運転があることを知り、折りしも4月の日曜日で桜が見頃の時期であったため、妻を誘って笠置への花見にこの列車に乗ることにしました。大きなヘッドマークも誇らしげに6両もつないだ臨時さよなら列車は、桜が咲き乱れる沿線風景の中をいつも以上に力走しているように感じました。ちなみにこの後も、関西本線では急行かすが号と団体臨時列車で暫らくその姿を見ることができましたが、今は全国でも急速に廃車が進み、東北や四国などのごく一部でしか見ることが出来なくなっています。







2006/06/08 21:30:08|撮影日記
撮影日記(6/8)
 関西本線非電化区間を走破する、国鉄特急型気動車(181系)による春の修学旅行集約臨時列車ですが、いよいよ運転が終盤になってきました。5月上旬から約1ヶ月間、兵庫県内の小学生を奈良、伊勢志摩へ運んできました。一体、何人の子供達がこの列車で思い出づくりをしたのでしょうか。今日も、そんな列車の姿を追いかけてきました。撮影地では、私以外にも同じ思いでカメラを構える方とよく出会います。何度も一緒に出掛けている方、初めてお会いする方、列車を待つ間、そんな人達と色んな情報を交換しながら談笑するのもまた楽しいものです。
 余談ですが、その昔、姫路と鳥羽を結んだ姫路(鳥羽)快速という列車があったのをご存知でしょうか?山陽、東海道、草津、関西、紀勢、参宮線を経由する蒸気機関車牽引の快速列車です。勿論、難所の加太峠は後ろにも機関車をつけて越えました。その後押しした機関車が休息をとった機関区が柘植駅の構内はずれにあった柘植機関支区です。今は草が生えて当時を偲ぶものはありませんが立派なターンテーブルも備え、柘植駅は大いに活気づいていたそうです。そんな柘植駅を中継点にかつての姫路快速と同じルートをこの列車が辿っていきます。
画像 左上=田植えの終わった田園風景を行く。(新堂〜佐那具)中上=こちらは紀勢本線でのショット。2両目は珍しい国鉄特急色の車両です。(一身田付近)右上=柘植から草津線へ入り帰路につきます。(柘植)左=昔ながらのレンガ積みトンネルを抜ける。(関〜加太)







2006/06/04 20:39:50|関西本線のこと
なつかしの関西本線A
 昭和50年前半頃に撮ったちょっと懐かしい関西本線の画像第2弾です。車両は変わったけど駅の施設や周囲の景色はあまり変わってないと思われるかもしれませんが、変わったところを探してみるのも面白いですね。
画像 左上=国鉄色キハ35と20系による奈良行普通。伊賀上野にて。中上=草津線に残された唯一の客車列車編成です。早朝、亀山から草津線を経由して京都まで運行されていました。この頃、茶色の旧型客車からこの赤い50系客車(レッドトレインと呼ばれていた。)に変わりました。柘植構内にて。右上=DE10型ディーゼル機関車重連(2両)による荷物列車。伊賀上野〜佐那具間にて。現在、ここは工業団地になっています。左下=DD51型ディーゼル機関車牽引の貨物列車。柘植構内にて。当時は関西本線非電化区間、草津線ともに貨物列車が運転されており、柘植駅は双方の列車が行き交うため出会う頻度は高かったと思います。蒸気時代はここから後ろにもう1台補機(後押しする機関車)を連結し、前引き、後押しで加太峠を越える姿が見られたそうです。







2006/06/01 22:58:14|撮影日記
撮影日記(5/31)
 仕事の段取りが一息ついたので、急きょ15時から早退して、関西本線へ181系特急型気動車による修学旅行臨時列車の撮影に行ってきました。5月初旬から走り始めてはいるものの平日ばかりの運用で、今年は初めての撮影となりました。姫路方面から鳥羽への往路は伊賀上野を16時前に通るため、どこで狙おうか迷いましたが、以前から181系の特徴である巨大な通風器を載せた車両の屋根を強調して撮ってみたかったので、月ヶ瀬口〜島ヶ原間にある島ヶ原トンネルの入り口ポータル上でカメラを構えることにしました。現地では、もうお一人、ビデオ撮影の同業の方がお見えになり、情報交換などしながら列車の通過を待ちました。やがて霞のむこうから2個のヘッドライトが見え、列車はゆっくりと峠を登ってこちらに近づいてきました。やはり、低く重厚なディーゼルサウンドを奏でながら、正真正銘の国鉄特急型気動車が私たちの前を通り過ぎていきました。いつもながら、あっという間ですね、と列車を待つ時間に比べ、至極の時間は早く過ぎ去ることを互いの感想として述べ合いながら、その場をあとにしました。







2006/05/29 23:36:02|伊賀線のこと
近鉄伊賀線のはなし
 私にとってもうひとつのホームグラウンドといえるのは近鉄伊賀線です。三重県伊賀地域の鉄道を語るうえでは欠かすことが出来ません。伊賀線も大変歴史が古く、大正5年8月8日に現在の上野市〜伊賀上野間が開業したのがその始まりです。当時は伊賀軌道という地元資本の鉄道会社でした。現在の関西本線(当時は関西鉄道という私鉄)が旧上野町の市街地から離れた旧三田村に開通したことで、これと上野市街地を連絡させることが目的だったようです。ですから、この時から数えても約90年の歴史がある訳です。当初の開通以後は西名張(現在の名張市)まで延伸し、電化もされ、充実が図られました。近鉄に吸収されたのが昭和19年で、昭和39年には近鉄大阪線と競合する伊賀神戸〜西名張間が廃止され現在の形になっています。伊賀の山里をのんびり行く伊賀線は、かつて、“うえのまち”というフォークソングにも歌い込まれるなど私たち伊賀に住む住民にとって、いつもある風景、欠かせない交通機関でありますが、最近はクルマ社会の進展、少子高齢化という社会的実情がその存在を危うくするようになりました。廃線問題です。最近は利用者が減り、年間4億円とも言われる赤字を生んでいることから近鉄が自社での存続は難しいと伝えているのです。地元ではこれに対し、存続に向けた方策を検討しています。近鉄は先日、運行を別会社とする上下分離方式による存続案を伊賀市に示し、その会社に対し市の一定の支援を求めていると報じられました。私たちにとって、伊賀線は後世に残していかなければならない鉄道であると考えます。しかし現状のままであるならば、人々に本当に必要とされる鉄道とはいえなくなるでしょう。存続策を講じながら、同時に将来に向けてより利便性の高い鉄道に変えていくことを進める必要があると考えます。