ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2007/03/03 22:42:59|遠征記
今日は親子で乗り鉄

今日は、朝から春のような陽気だったので、息子を自転車に乗せて近所を散歩していたところ、伊賀線の踏切で電車を見るなり、“電車に乗せて!今すぐ乗りたい!”とせがまれました。持ちあわせもなかったことから、一旦家に戻り、妻に事情を話したところ、“私も行きたい”という始末。陽気がお出かけ心をくすぐったのか、結局、下の子も連れて4人で乗り鉄をすることになりました。どこまで行こうか検討した結果、以前から、子供と乗り鉄しようと思っていた近鉄〜JRでの一筆書きルートに決定。昼食を食べた後、まずは伊賀線に乗車、暖かかったことから窓を開けて、沿線に咲く満開の梅の花などゆっくり流れる車窓を楽しみました。伊賀神戸で宇治山田行き急行に乗り換えて一路松阪へ、先頭車両の運転士の後ろにかぶりつき、前面展望を堪能。“あっアーバンライナーだっ!伊勢志摩ライナーだっ!”擦れ違う覚えたての列車に歓声が飛びます。英才教育が功を奏しているようで少し嬉しく思いました。松阪ではJRに乗継ぐまでの時間、駅前を散策しました。その後、駅へ戻り、紀勢本線亀山行き普通列車に乗車します。こちらは私好みのディーゼルカー国鉄型キハ40系(4連)でした。近鉄電車とはまた違う趣があり、ディーゼルサウンドも高らかに重厚な走りで伊勢平野を快走します。車窓を良く見れば、伊賀よりも伊勢の方が春の訪れが早いのでしょうか、菜の花が満開だったりと、野原はすっかり春到来という感じです。亀山ではお馴染みの関西本線の列車に乗り換えます。子供達はそろそろ疲れてきたのか、眠ってしまいました。妻はこの区間を乗車するのは初めてだと言います。途中、昨年廃止された中在家信号場のスイッチバックを車窓から見ました。今のところ、線路やその他の設備はそのまま残されているようです。ただ、赤錆びたレールが少し寂しく感じました。加太越えを無事済ました列車は、夕日に照らされた伊賀盆地を快走し伊賀上野に到着。ここからは三重交通バスに乗り換えて家路につきました。
画像は今日のではありませんが、乗車した列車と同じキハ40系ディーゼルカー(松阪、亀山にて)







2007/02/21 16:19:04|関西本線のこと
JR発足20周年に思うこと。
早いものですね。旧国鉄が分割民営化されて今年で20年になるとは。40歳を過ぎるとついこの間のことのように思いますが・・・。昭和62年当時、私は大学生で、鉄道趣味とはほとんど無縁でした。しかし、巨額の赤字を抱えた国鉄再建が急務といわれたころ、時事問題としても関心がありました。国鉄最後の日の夜は、各地の現場でセレモニーが行われている様子がテレビの特集番組として放映され、夜遅くまで見入ったことを思い出します。当時の中曽根内閣の主要施策とも言われたこの改革は、結果的に正解だったのでしょうが、効率優先の会社経営によるひずみが、一昨年の福知山線事故のような悲劇を生んだとも言われています。20年が過ぎて、都市圏や新幹線など利益の上がる線区の整備は飛躍的に進む一方、地方の赤字ローカル線は駅無人化やワンマン運転の実施、ダイヤの間引きなど合理化が徹底し、少子高齢化がさらに進む将来には悲観的な現実が待っていそうな気配があります。20年を契機に、国鉄時代に戻れなどとは決して言いませんが、あの時代のように全国津々浦々で鉄道が生活のインフラ(基盤)として機能していたことや人が見守ることで保たれていた輸送の安全性のことなどを思い起こしてみても良いのでないかと思いますね。鉄道趣味的には、私の鉄道原風景は無駄と非効率と言われた古き良き国鉄時代のままなのですが・・・。画像は、民営化された直後の関西本線の急行「かすが」号です。国鉄時代から使用していた車両はほとんどがその側面に大きなJRのロゴマークを貼っていました。関西本線は、民営化によって亀山を境界にして東海会社と西日本会社に分けられました。「かすが」号は東海会社の列車として運行されましたので、側面のマークの色はオレンジ色だったのです(西日本は白色)。国鉄時代は亀山を跨いで直通する列車は数多くありましたが、民営化後はこの列車のみが直通列車となり、それも昨年3月に廃止されてしまい、今は直通する列車は1本もありません。







2007/02/13 23:05:25|関西本線のこと
クイズ列車出発進行!の話
珍しく2日連続の投稿です。タイトルは何のことだと思いますか?分かった方はかなりの通ですね。これ、昭和55年頃にTBS系列で毎週日曜日のお昼に放送されていたテレビ番組なんですが、実はこの番組で関西本線伊賀上野〜奈良間が舞台になったことがあるのです。番組は視聴者参加型のクイズ番組なんですが、その趣向は、4人1組でいくつかのチームを作って列車に乗り込み、車内で出題されるクイズに回答しながら、勝ち抜いた2チームが終点でゲームをして優勝を争うというものだったと思います。警報機が鳴ると恐怖の落っこちクイズなるものが出題されて、不正解になると途中駅で降ろされるという×ゲームもあり、その人達を救う敗者復活ゲームがホーム上で展開されたり、当時はまだラビット関根と言っていた関根勉さんが何かに扮装して車窓に現れるのを当てるラビットクイズなどなかなか面白い内容でした。司会は渡辺文雄、松宮和彦アナで、関西本線の時は、伊賀上野駅前で忍術音頭が披露される中、松宮アナが、かたやきせんべいをかじって出てくるという演出でした。放送用に定期列車(奈良行き普通列車)に増結したと思われるキハ45(当時の知識でそう思った。)車内でクイズが展開され、先述の落っこちクイズは大河原駅であり、短い停車時間に敗者復活戦も行われ、英語の先生という方が国鉄の英語略称JNRの正式名称が言えず、敢え無く撃沈というシーンもありました。ラビットクイズは、関根勉さんが大河原〜笠置間の橋梁を越えたところにある木の枝に、星(だったかな?)の格好に扮し現れると言うものでした。笠置駅ではホーム上で布団太鼓の演奏あり、加茂駅からはゲストの歌手(誰だったか忘れました!)が乗り込み曲を披露したように思います。最後の決勝は奈良公園の飛火野だったと思います。当時、私は中学生でビデオデッキなどまだ一般家庭に普及しておらず、地元がテレビに紹介される貴重な番組ということでラジカセに音声のみ録音した記憶があります。しかしそのテープも紛失してしまいました。この番組、面白かったのですが、半年くらいで終わってしまいました。おおらかな時の国鉄時代だったからこそ、出来た番組だったのでしょうね。何気なくふと思い出したのでご紹介しました。画像は番組と関係ありませんが、放送に使用された(と思われる)同型式のキハ45型です(奈良にて)。







2007/02/12 19:11:56|関西本線のこと
貨物列車の復権
2月10日からは、世間と同じく私も3連休でした。しかし、お出かけは家族サービスのみ。先週まで趣味活動で毎週毎に出掛けていましたから、ちょっと一休みですね。先述のとおり、北陸本線へSLの乗車&撮影に出掛けたときに思ったのですが、この路線は寝台特急日本海やトワイライトエクスプレス、急行きたぐにをはじめ、特急雷鳥、しらさぎなどの優等列車や貨物列車が頻繁に走る日本でも数少ないJRの大幹線なんですね。今や、東海道、山陽、東北本線など新幹線が並行して走る路線は、区間によってはすっかり鄙びてしまっていますからね。それに比べて日本海縦貫線のメインルートとして、旅客輸送のみならず物流輸送の大動脈として重要な役割を担っているということは素晴らしいことです。特に長大編成の貨物列車が行き交う姿は幹線の象徴とも言えます。高速道路の整備が進んで、日本の物流の殆どをトラック輸送に奪われていますが、環境問題や輸送の安全性等を考えれば鉄道貨物輸送の復権は十分あり得ると思います。最近は、あのトヨタも鉄道による専用貨物列車を仕立てているとか、私の住む伊賀地域でもかつては、関西本線に長編成の貨物列車が走り、伊賀線でも電気機関車が牽引する貨物列車が運転されていたことがあります。名阪国道のトラック輸送が少しでも鉄道にシフトすれば、大渋滞や痛ましい交通事故も減り、環境によく、その上、関西本線など地元鉄道路線の活性化につながる一石二鳥・・・になるんですがね・・・。







2007/02/04 21:41:40|蒸気機関車
蒸気機関車の旅を満喫(その2)
蒸気機関車の旅を楽しんだ後は、昼食をとりに長浜へ戻り、昼食と駅近くの鉄道資料館を見学しました。そのあと雪景色と絡めて午後の便を写真撮影するべく河毛駅へ向いました。午前中はまだ積雪が残るところも多かったのですが、日中の暖かさで、徐々に溶け始めたようです。現地へ向う途中で撮影でよくご一緒するtetuさんもご家族連れで来られているとの連絡をいただき、河毛で落ち合うことにしました。現地では既に多くの人がスタンバイされており、私達もその中で撮影を楽しみました。天気も良く、青空に蒸気機関車の煙が映えて会心のショットになりました。撮影中、子供達は僅かに残る雪で雪合戦をして遊んでいましたが、少々飽きてきたようで、tetuさんご家族とお別れし、再び長浜へ戻り、市内を散策しました。長浜市の中心市街地は黒壁ガラス館や北国街道の歴史的町並みなど見所も多く、今は恒例の盆梅展も開催中で、多くの観光客で賑わっています。およそ10年前に長浜まで直流電化(それまでは交流電化方式)が完成し、京阪神から新快速電車が発着するようになったことと、町おこしが功を奏し、長浜市街地は活気に溢れています。直流電化の実現にも滋賀県、長浜市、地元団体等が尽力したと聞きます。全国的に地方都市の中心市街地が衰退している傾向の中で、鉄道整備と魅力ある町づくりに取り組んだこの町は悩める他の町にとって非常に見習うものがあるでしょう。その直流化も昨年秋に敦賀(福井県)まで伸び、京阪神からの新快速電車が運転さています。これも鉄道整備に熱心な滋賀県、福井両県や沿線自治体の取り組み、地域住民の長年の願いがJRを動かし、実現につながったものです。新しく直流化された区間で快速電車にも乗りましたが、乗車した列車は直流化以前よりも利用客が多くなった感がしました。利便性が向上したのですから当然なのでしょうね。