ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2007/09/19 23:28:44|伊賀線のこと
伊賀鉄道まであと10日
新会社移行まで、いよいよカウントダウンの段階に入りました。先の日曜日に子供を連れて伊賀線に乗り、線内施設改造の様子を観察してきました。依那古や丸山駅では駅トイレが既に撤去されており更地となっていたほか、伊賀神戸駅では撤去された旧6番線の跡地に、新しく伊賀線ホームにつながるスロープの工事が進められていました。これに伴い近鉄側自動改札機は伊賀線用構内踏切の直近まで移設され、駅舎まで屋根がかけられています。伊賀鉄道用の出札(切符販売)がどこで行われるのかはっきりしませんでしたが、おそらく旧改札口周辺の改造が行われているのを見るとその辺りだと思われます。大阪線からの乗継の場合は一旦、自動改札を出て、伊賀線用スロープの改札を通ることになると思われます。当面は大阪線からは1枚の切符(乗車券)で乗れないのが残念です。それと、駅のポスターに、24日に上野市駅で写真展や記念切符の販売などのイベントを開催する旨の告知がありました。新会社移行を前に謝恩の意味があるのでしょう。また、10月1日から新ダイヤとなるようで、平日昼間に臨時運転となっていた3往復が定期列車になり、7月のダイヤ改正と合わせると計6往復の増便となります。前回の改正で伊賀神戸駅での接続が不便になった点については幾分修正されたようで利便性の向上が期待されます。新会社移行後も車両の更新など目立った変化はないのですが、近鉄最後の姿を見るためか、車内や駅に同好の方の姿が多く見られたのが印象的でした。廃線を控えた路線もこういう感じなのかなと少し複雑な気分でした。願わくば、今回に限らず、新生伊賀鉄道の応援のため、これからも伊賀を訪ねて欲しいと思う次第です。







2007/09/09 17:50:09|伊賀線のこと
伊賀鉄道まであと1カ月
10月1日から第3セクター伊賀鉄道として再出発する近鉄伊賀線ですが、これにあわせた準備が着々と進められています。まず新会社での運賃体系の見直しは国交省の認可が下り、すでに発表されました。予想通り相当な値上げとなっており、一層の客離れが心配されますが、沿線住民のマイレール意識の高揚と新会社によるきめ細かいサービスの向上を期待して、しっかりと経営を支えてほしいと思います。また、老朽駅舎の撤去など環境整備も急ピッチで進められており、新社屋となる上野市駅の改造工事や改札口を新設する伊賀神戸駅の工事も進んでいるようです。伊賀神戸駅では、今までホーム1面に対し2線の線路が敷かれていましたが、駅舎側の線路を撤去し、跡地に新しく伊賀鉄道用の改札口を設けるようです。以前報告しました広小路駅舎は8月末ごろに便所とともに撤去された模様で、跡地は工事用フェンスで仕切られており、ホーム上には新たに片屋根タイプの待合室が設けられています。(画像は現在の同駅)他の駅においても老朽便所の撤去などが進められているようです。このことに関連し、広小路、西大手駅周辺の住民などから、新たに同駅内に観光客などの利便を図る公衆トイレの設置を要望する請願が伊賀市議会に対してなされたとのことで、今後の成り行きが気になるところです。休日には近鉄最後の姿を見届けようと熱心な鉄道ファンが訪れている姿も見かけるようになりました。







2007/09/02 17:38:25|関西本線のこと
悠久の急行列車
先日、書店でレイルウエイライターとして著名な種村直樹氏が書かれた「悠久の急行列車(国鉄からJRへ)SiGnaL刊」という本を手にとった。内容は、今や風前の灯となったJR(国鉄)の急行列車を乗車したルポでしたが、巻頭の1話目が、なんと昨年3月に廃止された我らが関西本線の急行「かすが」号にお別れ乗車した記事でした。早速購入して読み始めたところ、氏は廃止直前の3月15日に奥様と奈良から東京までの帰路に乗車されたとの由、同じダイヤ改正で廃止された寝台特急「出雲」号に東京から鳥取まで乗車され、その帰り道に「かすが」号に乗車されたそうです。もともと、列車の廃止や路線の廃線にあわせてファンが詰め掛ける、お名残乗車には否定的な考え(本文中でも“死期が近そうだからと聞いて駆けつけ、「いい人だったのに」と言いながら酒を飲むような真似はしたくない”と述べられている。全く同感!)の方なのですが、関西出身で「出雲」号や「かすが」号に馴染みがあり、これだけはこだわりがあったからとのことでした。さて、「かすが」号に関わる記事の中では、興味深い点がいくつかありました。たとえば、当初、無名の準急列車であった「かすが」号にはじめて愛称がついた、昭和33年10月改正号の時刻表にその名称がなく、翌月号に初めて記載があったこと(当初から不運な列車だったことを暗示しているとは言い過ぎか。)や、昭和40年、関西本線に登場した特急「あすか」号に乗車した際に、あまりの乗客の少なさに、食堂車の従業員が全員客席に座っており、食事に来た氏を見て、一斉に立ち上がったことなどは、とても笑えない話ではあるが、短命であったこの特急列車の事情を知る上で貴重なエピソードだと思います。また、廃止直前の「かすが」号車内は満席に関わらず、妙に静かで誰も口をきかないのが、まるでお通夜の様だったと言うことでした。そう言えば、私も“最終”「かすが」号に乗車したとき、車内の様子はそんな感じだった気がします。やっぱり楽しい旅とは言い難いものだったのでしょう。かつて、幹線からローカル線まで全国津々浦々に走っていたJR(国鉄)の急行列車、手軽な優等列車として重宝されましたが、今はもう絶滅寸前にまでなってしまいました。本書は、既に廃止になった急行列車の、旅の思い出が詰まった貴重な1冊と言えます。画像は昭和53年頃の上り急行かすが4号(伊賀上野〜佐那具)







2007/08/25 16:22:23|遠征記
はじめて見た紀勢重連貨物、環境問題など
金曜日だった昨日、友人と津市まで暑気払いに出掛けました。鉄道談義から地域経済の話などで大いに盛り上がり、すっかり遅くなってしまいました。実は津市まで出掛けたのは他に目的があり、一度見てみたかった、紀勢本線のコンテナ貨物列車を見学するためでもありました。この貨物列車は、早朝、関西本線〜紀勢本線を経由し新宮まで運行され、新宮の一つ手前、鵜殿にある製紙工場の原材料を輸送する列車で、JR貨物会社のDD51ディーゼル機関車が重連(2台)でコンテナ貨車を牽引するものです。紀勢本線を走行する貨物列車はこの列車のみで、非電化路線では今や全国的にも大変珍しい列車となっています。復路は、夕方に新宮を出発し、深夜にかけて三重県内を縦断します。私達は深夜の亀山駅でこの列車を見学することにし、津から亀山へ移動しました。亀山駅に着くや否やお目当ての貨物列車が、静まり返った構内に大きな音をたてて進入してきました。亀山からは向きを変えて関西本線を東に向いますので、2台の機関車が付け替えを行います。係員の誘導に従い、広い構内を行き来します。機関車は2台とも旧国鉄オリジナルの塗色ではなく、JR貨物の更新色で1台は青、もう1台は赤を基調とした色でした。深夜のホームにディーゼルサウンドと警笛の音が響き、無事付け替え終了。出発まで一旦、エンジンを止め小休止となり、私達の見学もここで終了となりました。貨物列車はかつて、関西、紀勢本線でも多数見ることが出来、小さな駅でも貨車の積み込み作業が見られたものです。ところが、国内の道路整備が進むと物流の多くがトラック輸送にとって代わられてしまいました。鉄道貨物は輸送効率やコストの面で太刀打ちできず衰退し、今や主要幹線以外ではその姿を見ることは殆どありません。しかし、地球温暖化問題をはじめとする環境問題の解決策の一つとして、また、多発する交通事故の抑止のためにも鉄道貨物の復権が注目されようとしています。この紀勢本線に唯一残る貨物列車も紀勢自動車道の延伸が進めば存続が怪しくなることと思います。しかし、上記の社会問題が深刻化することも決して無視することはできないはずです。将来にわたって、この列車が健在であれば、地球と日本の未来はそんなに悲観しなくても良いと言うことになるのでしょう。画像は、夜間のため紀勢重連貨物列車の写真は撮っていませんので、代わりに東海道線で活躍する貨物列車の写真を貼っておきます。







2007/08/12 22:54:34|遠征記
大阪アクセス乗り比べ等々
お盆休みが始まった11日、昼食を兼ねた有志の懇親会が大阪道頓堀であったため、猛暑の中、関西本線を乗り継いでミナミへ出掛けてきました。当初は、伊賀線で伊賀神戸へ出て大阪線を利用しようと思いましたが、予定していた時刻の列車(上本町行き急行)がダイヤ改正で接続しなくなったことが分かり、予定を変えてJR利用となりました。伊賀線は3セク化を控え、利便性の向上が課題です。伊賀線列車が伊賀神戸に到着する僅かな差で接続しないのは、いただけません。運営会社が変わるとはいえ、親会社近鉄との連携、調整は不可欠なこと、特に大阪線との連絡を考慮したダイヤ編成や連絡切符の導入は伊賀線利用者の最低限の満足度となるものです。今後の改善を期待したいものです。さて、加茂までの関西本線は2両が程よく混み合う程度でしたが、昨年春のゆとりダイヤ改正以来、加茂での接続時間が伸びたことや、木津での停車時間が長くなったことで、全体として大阪方面への到達時間が長くなってしまったのは残念です。少なくとも大阪外環状線開通の際には、速達化を図って欲しいところです。また、関西本線の車内で気付いたのが、沿線の花火情報を吊り広告にしてあり、開催日には、臨時列車も運転するとのことでした。沿線のイベントに合わせたこういった対応は大変好ましい傾向だと思います。願わくばもう少し告知を徹底すれば需要の掘り起こしが出来ると思いました。それと、島ヶ原と月ヶ瀬口駅のホーム待合室に掲げられていた地元中学生による卒業制作絵画も沿線との連携、協働を象徴する好例として拡がることを期待したいです。帰りは、最近停留所が増えて、利用動向が気になっていた三重交通上野大阪線の高速バスを利用しました。名古屋線の盛況さに比べ、少々利用が寂しいと感じていたのですが、今春から国道山添、針インターにも停車するようになり、需要の掘り起こしを図っています。夕方18時40分に梅田を出発した便にはまずまずの30名程が乗車、うち新大阪からの客は4名でした。注目の途中停留所での降車は針インターで3名、国道山添ではゼロという結果でした。上野地区では既に周知が行き届いた感がありますが、これらの地区ではまだまだこれからというところでしょうか。このバス路線を観察していますと、朝の新大阪行き、夕方の上野行きはまずまずの乗車であるものの昼間の便には空席が目立っていて、6往復体制の維持に苦労があるだろうと推察しています。打開策としては、需要の多い大阪ミナミの経由が利用増の近道だと考えるのですが、認可等の面で困難なのかはたまた鉄道との競合を嫌っているのでしょうか?いずれにせよ、私達利用者サイドからは、選択肢が多いのは歓迎すべきことですから、うまく共存できるよう見守っていきたいと思います。