ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2007/08/12 22:54:34|遠征記
大阪アクセス乗り比べ等々
お盆休みが始まった11日、昼食を兼ねた有志の懇親会が大阪道頓堀であったため、猛暑の中、関西本線を乗り継いでミナミへ出掛けてきました。当初は、伊賀線で伊賀神戸へ出て大阪線を利用しようと思いましたが、予定していた時刻の列車(上本町行き急行)がダイヤ改正で接続しなくなったことが分かり、予定を変えてJR利用となりました。伊賀線は3セク化を控え、利便性の向上が課題です。伊賀線列車が伊賀神戸に到着する僅かな差で接続しないのは、いただけません。運営会社が変わるとはいえ、親会社近鉄との連携、調整は不可欠なこと、特に大阪線との連絡を考慮したダイヤ編成や連絡切符の導入は伊賀線利用者の最低限の満足度となるものです。今後の改善を期待したいものです。さて、加茂までの関西本線は2両が程よく混み合う程度でしたが、昨年春のゆとりダイヤ改正以来、加茂での接続時間が伸びたことや、木津での停車時間が長くなったことで、全体として大阪方面への到達時間が長くなってしまったのは残念です。少なくとも大阪外環状線開通の際には、速達化を図って欲しいところです。また、関西本線の車内で気付いたのが、沿線の花火情報を吊り広告にしてあり、開催日には、臨時列車も運転するとのことでした。沿線のイベントに合わせたこういった対応は大変好ましい傾向だと思います。願わくばもう少し告知を徹底すれば需要の掘り起こしが出来ると思いました。それと、島ヶ原と月ヶ瀬口駅のホーム待合室に掲げられていた地元中学生による卒業制作絵画も沿線との連携、協働を象徴する好例として拡がることを期待したいです。帰りは、最近停留所が増えて、利用動向が気になっていた三重交通上野大阪線の高速バスを利用しました。名古屋線の盛況さに比べ、少々利用が寂しいと感じていたのですが、今春から国道山添、針インターにも停車するようになり、需要の掘り起こしを図っています。夕方18時40分に梅田を出発した便にはまずまずの30名程が乗車、うち新大阪からの客は4名でした。注目の途中停留所での降車は針インターで3名、国道山添ではゼロという結果でした。上野地区では既に周知が行き届いた感がありますが、これらの地区ではまだまだこれからというところでしょうか。このバス路線を観察していますと、朝の新大阪行き、夕方の上野行きはまずまずの乗車であるものの昼間の便には空席が目立っていて、6往復体制の維持に苦労があるだろうと推察しています。打開策としては、需要の多い大阪ミナミの経由が利用増の近道だと考えるのですが、認可等の面で困難なのかはたまた鉄道との競合を嫌っているのでしょうか?いずれにせよ、私達利用者サイドからは、選択肢が多いのは歓迎すべきことですから、うまく共存できるよう見守っていきたいと思います。







2007/07/29 22:10:55|撮影日記
天理臨 夏編
毎年、春と夏に名古屋から関西本線を経由して天理まで往復する天理教信者のための臨時列車「天理臨」が、27日(往路)と今日(復路)運転されましたので、今日運転のあった復路(名古屋行き)を伊賀市内で撮影して来ました。今までは運転日が平日に当たっていましたので、往路(天理行き)を昼休み中の僅かな時間を利用して撮影することが多かったのですが、今回は日曜日に復路が運転されることになり、ゆっくりと撮影することができました。編成はいつもと同じ旧国鉄オリジナルと言えるDD51型ディーゼル機関車が牽引する客車編成で、ブルーに白のストライプが入った14系客車4両です。編成はやや短いものの、今や全国的にもなかなかお目にかかれない貴重な列車編成となっています。また、関西本線にとっても、かつての急行「かすが」が辿った同じルートを直通する唯一の列車であり、臨時列車とはいえ名古屋〜奈良〜天理間のアクセスルートとして活用されていることに大きな意義を持つ列車と言えるでしょう。さて、この列車撮影では、今夏も運行があれば、往路も撮影する予定でした。しかし、私の日頃の不摂生が崇り、数日間の検査入院が必要になり、治療が長引けば往路も諦めざるを得ませんでした。幸い結果は大事に至らず、日曜日には復帰することができました。趣味活動も健康であればこそ楽しめることを痛感した次第です。







2007/07/12 22:58:52|伊賀線のこと
伊賀鉄道へGO

近鉄伊賀線が、10月1日から新会社「伊賀鉄道梶vに移管されるのはご承知のとおりですが、先月、国土交通省から第2種鉄道事業者として事業認可が下りました。これは、施設などを保有するだけの第3種鉄道事業者となった近鉄から、施設などを借り受けて鉄道事業を行う事業者のことです。このことを受けて、今月9日に新会社での運行を見据えたダイヤ改正や上野市駅をはじめとする駅舎の改造、老朽施設の撤去などが行われています。その中で、特に広小路駅駅舎の撤去は、旧上野市街地の景観の中に溶け込んだ趣深い駅舎であっただけに、個人的に大変残念なことだと思っています。発足後も厳しい経営環境が予想されているだけに、出来るだけ経費のかからない姿でスタートさせたいのは理解するところですが、経営改善と引きかえに伊賀線の魅力が減っていくのは辛いところです。廃線よりはマシということでしょうか。当面、大きな投資を伴う抜本的な利便性の向上は期待できず、路線維持のための運賃値上げも予想されることから、さらに伊賀線ばなれが進むのではないかと心配されます。伊賀線が市民や訪れる人々に愛されていくには、伊賀線の魅力創出にアイデアを絞るしかないように思います。魅力ある駅、魅力ある車両は勿論、そこに働く人達や利用する私たちも魅力ある存在にならないといけないのでしょう。ともかく、生まれ変わる伊賀線、みんなで応援していきましょう。







2007/06/24 20:46:58|鉄道模型その他
鉄道模型フェスタIN亀山訪問記

今日は、お隣の亀山市にある文化会館で開催された鉄道模型フェスタに子供と一緒に出かけてきました。レイルジョインというクラブが主催されているイベントで、今年で4回目だそうです。前から鉄道模型の専門誌などで告知があり、比較的近いこともあって気軽に行くことができました。朝からときおり強い雨が降っていましたが、午前10時過ぎに行くと、既に親子連れや鉄な御仁の方々で会場は大いに賑わっていました。受付で子供達には新幹線のシールやペーパークラフトをプレゼントして頂き、また抽選でミニプラレールの車両も頂きました。肝心の展示では、国際規格による大きなモジュールレイアウト(各個人が作成したそれぞれの情景を線路でつなぎ合わせ、その中をNゲージの車両が走行するもの)が鎮座しており、これがもう芸術と言ってよいほど細密な出来映えで、その中を列車が走る様は、まさに150分の1の本物といった感じでした。子供達も実物そっくりの情景や迫力ある走行シーンにすっかり感動した様子でした。その隣では一回り大きいHOゲージの車両が実物さながらにサウンドを出しながら走り回り、DCC(デジタルコマンドコントール)という新しいシステムを活用した運転や、パソコン制御で走る車両など、鉄道模型の技術革新をアピールしていました。カメラカーによる映像を見ながらの体験運転やご存知「電車でGO!」の体験も楽しみ、父子とも大変満足した1日でした。また、テレビや雑誌で紹介された作者によるレイアウトも展示されており、中でも円形の情景自体が回転し、その中を列車が走るアメリカンなレイアウトはそのアイデアの斬新さ、面白さゆえに来場者の注目を集めていました。鉄道模型は欧米ではKing of hobby(趣味の王様)と呼ばれ、古い歴史があり、日本でも今後、リタイアする団塊世代が楽しむ趣味として注目されているらしく、ますますその世界が広がるのではないかと思います。







2007/06/17 22:46:08|蒸気機関車
蒸気復活への夢
今日は、父の日だからということでもないのですが、家族の計らいで午後はゆっくり一人で過ごすことができたため、ストックしていたDVDの鑑賞をしていました。その中に「国鉄時代」という年数回発刊されている雑誌に付録していたDVDがあり、それには、蒸気機関車全盛の昭和30年代の関西本線柘植や亀山駅などでの風景が収録されており、思わず釘付けになって見てしまいました。後補機を付けた、かつての鳥羽行き快速(2台の機関車が前牽き、後押しする。)が勢いよく柘植駅を発車していく様や中在家信号場を高速で通過していく様子が迫力ある映像で残されており、当時の関西本線を知る上で大変貴重なものだと感心しました。それと同時に、収録された時から約40年を過ぎているにも関わらず、周辺の様子は今とそれ程変化していないことに驚かされました。以前から、線区の活性化策の一つとして、山口線のように蒸気牽引列車を加茂〜亀山間に復活できないかと思っていましたが、蒸気機関車が活躍した当時の鉄道風景が残るこの路線なら、蒸気牽引列車を復活させるに相応しい路線ではないかと思うのです。亀山には機関車の方向転換に必要な転車台も残り、山岳区間には古いトンネルや鉄橋、山や里の風景などタイムスリップした景色がそこここにあります。勿論、軌道には架線や架線柱はありません、皮肉っぽく言えば、今まで電化などの近代化から取り残されてきたからこそ、出来るのではないかと思うのです。幸いにも生きた蒸気機関車の基地である梅小路蒸気機関車館(京都)に近く、機関車の搬入も山口線の比ではありません。中京、京阪神からも程近く、安定した集客が期待できます。ただし、実現のためにはJRと沿線自治体や住民が協働することが必要でしょうし、運行には多くの経費もさることながら、沿線警備など気を配ることも多いと思いますが、それが叶えば、少なくとも季節臨時列車として復活できるのではないかと思います。電化運動に逆行するのではとも思いますが、現状でできる線区の活性化も大切な事です。西の「やまぐち号」や東の「ばんえつ物語号」のように、沿線の観光地と連携して定着できれば、線区と地域の活性化に多大な寄与をすることでしょう。産業文化遺産である蒸気機関車を後世に、生きた形で残していく、新たな舞台として注目して欲しいものです。それと、機関車は何が似合うでしょうか?JR西日本で本線運転ができる2両の機関車のうち、C57は関西本線でもかつて走っていましたが、既に山口線の顔ですし、C56は少し非力で山坂道での不安がありますね。いっそのこと、梅小路で展示運転されているD51(200号機)を本線復帰させてはどうでしょうか?関西本線にはやっぱりデゴイチが似合いそうですね。想像するだけでワクワクしてきませんか?