ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2007/10/18 23:17:42|遠征記
鉄道の日“関東遠征”その1
10月14日は鉄道の日でした。私は13日に別の用事で上京することになり、14日はフリーにして関東地区の鉄道を楽しんできました。この日は丁度、埼玉県さいたま市の大宮に鉄道博物館がオープンする日でもあり、そちらに少し心が動いたものの、オープン初日は大混雑が予想されるため、また別の機会に訪れることにし、以前から行ってみたかった、茨城県の茨城交通湊線を訪ねることにしました。この路線はJR常磐線の勝田から延びる全長14キロ程の非電化単線のローカル私鉄です。この路線の魅力は何と言っても、旧国鉄型のディーゼルカーが現役で活躍していることで、国鉄出身で朱色とクリームの国鉄色を纏ったキハ20型、北海道の廃線になった私鉄からやってきた2両のキハ20型が合計3両働いており、後の2両も旧国鉄色、旧国鉄準急色と呼ばれるカラーを纏っています。これらの車両が行き交う路線の風景は緑豊かな田園地帯であり、大正2年開業の鉄道らしく古めかしい駅舎やホームなどかつての国鉄非電化ローカル線を思い起こさせる雰囲気に満ちています。この日、2両の旧国鉄型車両が終日運行されるとの情報を得ていましたので、朝から上野発の常磐線特急「スーパーひたち」号に乗り込み、勝田を目指しました。上野から勝田までは約1時間あまり、東京都心からでも決して遠くはありません。勝田は水戸の一つ隣の駅でJR東日本の車両センターもあり、新しい橋上駅舎を備えています。この地はかつて勝田市を名乗っていましたが、10数年前に隣の那珂湊市と合併し、ひたちなか市となりました。今の市の中心が勝田駅の周辺になっています。茨城交通湊線はこの勝田から旧那珂湊市の中心、那珂湊を通り、海水浴場で有名な阿字ヶ浦を結んでいます。
勝田駅の切り欠きホームである1番線が茨城交通の発着線ですが、JRのホームとは柵で仕切られ、小さな出札口が設けられただけの簡素な佇まいです。私は1日乗り放題のフリー切符を購入し、僅か数人の客と列車を待ちました。待つこと10分、やって来たのは懐かしいツートン色のキハ20型でした。(続く)







2007/10/05 22:27:47|撮影日記
修学旅行臨時列車(秋編)

関西本線を経由し、参宮線の鳥羽まで運行される恒例の修学旅行臨時列車が、この秋も運転が始まりました。このブログでも既に何度かご紹介させていただいておりますが、この列車は春と秋の2度それぞれ約1か月程度、神戸・姫路地区の小学生を乗せ伊勢志摩方面に向けて学校休業日以外の平日に運転されています。春は関西本線の奈良〜亀山間、秋は柘植〜亀山間でその姿を見ることができます。181系特急型ディーゼルカー6両で運転されるようになってから早や6年以上経ちましたが、今も変わることなくその重厚な走りを見せてくれています。この秋の運転は昨日から始まり、今日は復路(帰り)の便が加太峠を越えて戻っていきました。私は、振り替え休日を利用し、午後から関〜加太のポイントで撮影してきました。平日ではありましたが、同好の方が沿線の撮影ポイントに陣取られており、ここでも先客が既にお見えでした。かつての鳥羽・姫路快速を髣髴とさせるこの列車、これからも子供達の思い出を乗せて走り続けて欲しいと思います。







2007/10/01 23:17:28|伊賀線のこと
伊賀鉄道開業!

いよいよ本日、“新生”伊賀鉄道が開業しました。記念式典は午前9時半から上野市駅前にて行われ、伊賀上野白鳳太鼓の演奏とともに賑やかに幕を開けました。セレモニーに続いてホームでは、10時33分上野市駅発伊賀神戸行き記念列車の出発式が行われました。出発式では関係者のテープカットのほか幼稚園児によるくす玉割があり、伊賀鉄道社長の発車合図により、拍手喝采とカメラのフラッシュを浴びながら記念列車が出発しました。記念列車は赤忍者編成が充当され、上野高校鉄道同好会前部長によりデザインされた開業記念のヘッドマークが掲げられました。上野市駅などでは、開業記念のグッズが用意され、中でも伊賀焼で作られた、500個限定の乗車券は早朝からの販売に大勢の人達が列を作り、3時間ほどで完売したそうです。そのほか、キーホルダーやピンバッチなど伊賀線始まって以来の多数の記念品が販売されました。また、近鉄による運行最終日となった昨日の伊賀神戸発最終列車では、ささやかなセレモニーが行われたようで、乗務員への記念品の贈呈やヘッドマークが掲げられたとのことでした。何はともあれ、色々な課題はありますが、本日の無事の船出をお祝いし、市内に出来た唯一の鉄道を皆で応援していこうではありませんか。







2007/09/30 0:00:02|伊賀線のこと
伊賀鉄道へ出発進行!

いよいよ、週明けの10月1日から近鉄伊賀線が新生伊賀鉄道伊賀線として再出発します。伊賀軌道として産声を上げて以来、合併による運営会社の変遷はあったものの、長らく大手鉄道会社による経営にあり、よもや開業91年で存亡の危機に立たされ、再び独立の道を歩み始めるとは思いもよらなかったわけであります。さて、開業前夜となったこの週末、伊賀線の様子を観察していますと、駅には伊賀鉄道○駅の看板が掲げられ、車両には今まで正面についていた行き先表示板がなくなり、忍者のキャラクターが入った小型のものが窓内側に付けられました。上野市駅舎には多数の忍者の人形が配されています。新会社移行後は乗客増に知恵を絞ることになりますが、一つの方向性が観光利用の拡大ということでしょうか。多難な船出が予想される伊賀線ですが、私は新会社に移ることで大きい期待も持っています。それは今まで大手私鉄「近鉄」の路線ではなしえなかった、地域鉄道の魅力創出です。今までの伊賀線は主に近鉄本線にお客を運ぶ支線でしかありませんでしたが、これからはその役割以上に、伊賀線が独自のアイデアで魅力ある鉄道に変貌できる可能性があるということです。これは大手ではできない地元に密着していればこそできることではないでしょうか?伊賀線に乗ること自体が楽しくなる、伊賀線に乗るために人がやってくる。沿線住民も誇りに思える。そんな鉄道に変えていかなくてはなりません。その一つの方向が、忍者の里を走る鉄道であるならば、象徴的存在である、今の忍者電車の魅力をもっと引き出すことも一策ではないでしょうか。例えば、あの外装にあわせて車内の内装を忍者屋敷をイメージさせるデザインに改造するとか、行楽シーズンには、春の忍者フェスタで市中で行っている「忍者を探せウオークラリー」や「忍術道場」的なことを駅施設と車両内で行うとか、忍術博物館を訪れる観光客向けに臨時列車を仕立てて車内で事前学習ができる忍者教室を開講する等々。忍者だけではなく、芭蕉のふるさとらしく、伊賀の自然や景観を車窓に見ながらの車内句会の実施とか、沿線の魅力を感じながら乗ることに魅力を感じる方法を沿線住民や利用者など皆で考えてみてはどうでしょうか。その積み重ねが、伊賀線を将来に引き継いでいく大きな力になるはずです。







2007/09/24 19:12:15|撮影日記
サロンカー「なにわ」が来ました。
今日は、関西本線に団体臨時列車がやって来ましたので、撮影に出かけてきました。この列車はサロンカー「なにわ」というジョイフルトレインで、前後に展望デッキが備えられ、内外装とも高級感が溢れているのが特徴です。また過去に山陰地方で天皇皇后両陛下がご乗用になられたお召し列車としても使用されたことがある車両です。関西本線には数年ぶりの入線で、沿線の撮影ポイントには早くからカメラの砲列が並び、連休中ということもあってか遠方からのファンも数多くお見えになりました。この列車は、朝に山陰本線の豊岡を出発し、京都を経由し、草津線から柘植を経て亀山までの行程で運転されました。私は関〜加太の定番撮影ポイントで、いつもご一緒いただいているtetuさん親子に今回もご同行いただきました。通過1時間前に現地に到着しましたが、既に大勢の人達が陣取っており、最近にない賑わいぶりで、時折、地元住民の方が何が来るのか?といった風で遠巻きに見られており、駐車などをめぐり、撮影者とのトラブルが起きないか少し心配になりましたが、近所の公園で警備をされていた警備員の方が機転を利かせて駐車整理をされたこともあり、何事もなく済みました。撮影者も狭い空間を譲り合うなど行儀良く整然としていたようです。そのような中、機関車の汽笛が聞こえ、列車が現れました。入り乱れるシャッター音が響き、乗客の人たちも手を振って撮影者に応えます。僅か20秒程度、私達の宴の中を主賓が通り過ぎていきました。その後、私達は亀山へ移動し、構内での入換え風景まで見学することができ大変充実した撮影行となりました。今年になって、JR西日本の団体臨時用車両の廃車が相次いでおり、関西本線での運転もすっかり少なくなっています。国鉄型ディーゼル機関車自体も珍しくなってきた中での入線でしたので、久しぶりに関西本線が活況を呈したものと思われます。この列車は明日の午後、亀山から再び加太を越えて帰っていく予定です。