ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2007/11/28 23:30:54|撮影日記
ドクターWEST現る。
今週の日曜日、柘植駅にJR西日本の新型総合検測車キヤ141型が乗り入れました。この車両は、軌道(線路状態)の検測や信号及び通信系設備の検測を行うことをその任務として開発されたもので、今までは、旧国鉄から継承したマヤ34型(客車)、キヤ191(気動車)、クモヤ443型(電車)が使用されてきました。しかし、これらの検測車はいずれも経年劣化が進んでいると言われており、これらの型式との置き換え用並びにそれぞれ別々に行ってきた検測をこのキヤ141型で全て実施できるよう、検測業務の効率化を図ることを主な狙いとしています。車両は、JR西日本のキハ187型をベースとしたディーゼル動車で、電化、非電化区間を問わず乗り入れが可能です。非貫通型の前面デザインなど一見すると特急用車両のような格好よさがあります。現在、京都総合車両所に2編成が配置され、JR西日本のみならず、JR四国やJR九州、その他の私鉄路線にも運用されています。今回は草津線での試運転として運転されたようで、日中に柘植〜草津間を2往復しました。普段見慣れぬ珍客の到来に地元鉄道ファンや駅利用者の熱い視線を浴びていました。







2007/11/14 23:45:51|遠征記
鉄道の日“関東遠征”未来へ走れ!おらが湊線

阿字ヶ浦から、折り返し勝田行きのキハ20に乗り、途中下車をしながら今来た道を戻ります。まずは線内の中核駅である那珂湊駅で下車します。風格のある駅舎と機関区を備えたこの駅は、一昔前の国鉄で良く見られたローカル線の主要駅といった感じです。駅舎内には何人かの駅員の姿も見られます。改札口を抜けると広い待合室があり、その一角に「おらが湊鉄道応援団」のブースがあり、係りの人がチラシの製作に余念がありません。沿線の各駅には「未来へ走れ!おらが湊線」と書かれたのぼりが多数掲げられており、廃線を防ぐために利用促進運動をされているようで、その出張カウンターが駅の中にあり、応援団の団員の受付や沿線案内をしているようなのです。そこでは軽快な音楽が流されており、湊線応援のイメージソングだとのことで、私も楽譜と歌詞が印刷されたチラシを頂いてきました。実はこの湊線は運営する茨城交通が平成20年春を目途に廃線にすることを表明していました。しかし沿線の熱心な利用促進運動などの取り組みが実り、利用者の減少に歯止めをかけることができ、茨城県やひたちなか市の支援も得られる見込みとなったため、廃線の危機という最悪の事態は回避されることになったのです。具体的には、湊線の運営を茨城交通と市が出資する第3セクター方式で設立する新会社が行い、新会社の設備投資や経営に対する補助を県や市が中心となって行うというものです。廃線の危機を乗り越えられた背景には、鉄道事業者や行政の英断もさることながら、危機感を感じた沿線住民が廃線阻止のために自ら立ち上がり、何が出来るかを考え行動したからこそだったのでしょう。しかし、ひとまず廃線を防ぐことができたのは喜ぶべきことですが、これで安心することはできません。事業者や行政にだけ頼ってこの湊線を未来永劫に支えていくことは不可能だと思うからです。これからも沿線住民が中心となって「おらが湊線」を愛し、利用していくことが未来へ走らせる絶対条件だと思います。これは全国で廃線の危機に瀕している地方鉄道すべてに通じる鉄道存続への条件でしょう。そんなことを考えながら、私は那珂湊駅を後にして、再び列車に揺られながら、途中駅で気ままに撮影を楽しみ、終着勝田駅へ戻りました。次回来るときも、さらに魅力的な湊線であり続け、この古いディーゼルカーも元気でいて欲しいと願っています。(完)







2007/11/04 21:33:29|遠征記
鉄道の日“関東遠征”その4

私の乗った1両編成のキハ20型ディーゼルカーは、勝田から約30分足らずで終着駅阿字ヶ浦駅に到着しました。阿字ヶ浦は茨城県でも有数の海水浴場があり、駅からも近いとの事。今回は時間の関係で、すぐ折り返さなければならないので、周辺の散策はまた次回のお楽しみとし、とりあえずは列車を降りて駅の様子を観察することにしました。阿字ヶ浦駅は、今は無人化されており、構内はホームが1面で線路が2線の構造です。2列車を収容することができ、このほかに引込み線がもう1線あります。そこには2両の廃車同然のディーゼルカーが留置されていました。確か、海水浴客向けの脱衣場として使用されている(いた?)とのことを本で読んだことがありましたが、潮風のためか車体の傷みは相当進んでいます。1両は北海道の廃止された私鉄からきたキハ22タイプの車両で塗装は当時のものだと思います。駅周辺は小さな集落の中にありますが、駅前に商店などもなく、ひっそりとしています。有名な海水浴場が近いとはいえ、シーズンにこの駅を利用してくる人が今もどれくらいいるのか推して知るべしといったところでしょうか。かつては、国鉄からの直通列車が運行されていたと何かの記述にありましたが、かつての栄華はどこへやらという感じです。しかし鉄道愛好家的な見方をすれば、古びてはいるがそれなりに立派な駅舎や長いホームなど、古いディーゼルカーとも相まって、かつての国鉄ローカル線の終着駅の雰囲気が充満した佇まいで、これで駅員がホームで直立して列車を迎えてくれたなら映画のセットになるなと思わせる大変渋い駅でありました。私は、再び、今乗ってきたディーゼルカーに乗り込み、折り返し列車の乗客となりました。







2007/10/28 22:47:49|遠征記
鉄道の日“関東遠征”その3
那珂湊駅で出会ったクリーム色に赤帯の旧国鉄準急色のディーゼルカーは、廃線になった北海道の留萌鉄道の車両で、旧国鉄のキハ22に準じています。茨城交通が払い下げを受け、キハ2004という型式番号が付けられました。2年ほど前に塗色変更されましたが、この車両そのものは準急色に塗られたことはなく、折からの国鉄色リバイバルブームに乗った感があります。これもファンサービスの一環なのでしょうか。しかも、意外にもこのカラーが似合っていて、とてもいい感じなのです。昭和30年代頃、当時の国鉄では、高性能ディーゼルカーの実用化にメドが立ち、全国の主要な非電化路線にキハ10系や20系、55系などの型式が投入され、特にキハ55系は都市間連絡用や観光用に設定された準急列車に使用され、このクリーム色に赤帯の準急色で活躍したとのことです。関西本線でも「かすが」の準急時代は、準急色のキハ55系や10系が名古屋〜湊町(現JR難波)間を疾走していたとの記録があります。
この茨城交通キハ2004は、ヘッドライトの両側にタイフォン(警笛)が付いているなど、外見的にキハ55に似ていることからこのカラーが選ばれたとも言われています。恐らく、全国に残る旧型ディーゼルカーで準急色を纏った車両は、これ1両のみではないかと思います。さて、私の乗った旧国鉄一般色のキハ205は那珂湊駅を発車し、のどかな田園風景を車窓に映しながら、海辺の終着駅阿字ヶ浦に到着します。(つづく)







2007/10/19 23:58:49|遠征記
鉄道の日“関東遠征”その2
到着したキハ20は折り返し阿字ヶ浦行きとなる列車で、単行(1両編成)列車でした。その昔、関西本線でも走っていたこの車両、車内の雰囲気は当時とほぼ同じで簡易型のクーラーが目立つもののJNR(国鉄)の扇風機も栓抜きも健在です。DMH17型と呼ばれるエンジンの懐かしいサウンドを少し窓を開けて聞いていました。やがて車内はほど良く席が埋まり発車となりました。近在の人、観光客、私と同じ鉄な人などを乗せてエンジン音を高らかに響かせゆっくりと動き出しました。暫らく常磐線と併走したあと、左にカーブし、住宅や工場のある市街地の中を走り抜けます。片側ホームの小さな駅をいくつか過ぎて、やがて田園地帯や森の中に進みます。このあたりは海に近く、平坦なところが多いため、軽快に走ります。非電化単線のローカル私鉄とはいえ、線路など軌道はしっかりしているようで、コンクリート枕木も多く使用されています。お陰で不快な揺れもなく快適な乗り心地でした。高速道路の高架をくぐると湊線の拠点駅である那珂湊に到着します。ここには車両基地が置かれ、全ての車両が集結しています。また線内唯ひとつの列車交換可能駅で、ホームは2面あります。張り出しの大きな風格のある駅舎と構内踏切、駅前には古い日通の事務所があるなど一昔前の地方駅の雰囲気そのままと言った感じです。ここで勝田行きの上り列車と行き違い待ちをします。ホームに待っていたのは旧国鉄の準急色に塗られたディーゼルカーでした。つづく