ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2008/01/12 23:54:07|撮影日記
新春初撮り
今日は、正月恒例の伊勢詣り臨時列車が関西本線に運転されましたので、柘植の採石場ポイントへ出向き撮影してきました。列車はディーゼル機関車が牽く団体臨時用客車列車「あすか」号です。昨日に伊勢市まで運転され、今日はその帰りの便でした。数年前までは、この時期になると多数の臨時列車が運転されていましたが、今は使用される車両が次々に廃車されてしまい、かなり本数を減らしてしまいました。それ故に、少ない機会を記録しようと遠方からも撮影に来られる方が多くなってきた気がします。今回もtetuさん親子とご一緒させていただきましたが、もう一人、大阪から来たという中学生も加わりました。聞くと、今日が関西本線の保守運休日であったことを加茂駅の乗り換えの時に知り、タクシーで柘植駅まで来たとのこと、当初、歩いて柘植駅から加太築堤まで行こうとして、私達に道を尋ねてきたのですが、峠道が危険な上、時間的にも無理であることから私達と一緒に撮影することになったのです。帰りは彼を柘植駅まで送り、列車を待つ間、駅前の中村屋さんで趣味談義に花を咲かせ別れました。礼儀正しく好感の持てる少年でした。こういう趣味をやっていると、結構色んな出会いがあったりします。そういう一期一会の楽しみも良いものだなと思います。ちなみに今日の牽引機だったDD51型1043号機は元亀山機関区所属の機関車でかつて関西、紀勢本線で活躍していたカマです。久しぶりの帰省となりました。







2008/01/05 16:34:40|伊賀線のこと
新春雑感

正月も気がつけばもう5日になっていました。遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願い申し上げます。最近は少し多忙を極めておりましたので、更新が滞りがちでありますことをお詫び申し上げます。さて、昨年は、伊賀地方の鉄道における、最大の出来事でありました新生伊賀鉄道が無事に出発し、順調に推移しております。年末にはクリスマスイベントも開催され、伊賀線始まって以来と思われる車内ライブの開催や伊賀線応援団の発足。イルミネーション列車の運行などが行われました。雨模様だったことが少し残念でしたが、今後も楽しいイベントが継続されることを期待したいと思います。新しい2008年は、伊賀鉄道の実力が試される1年とも言えます。開業のお祝いムードも一段落し、事業者、地域、沿線住民も伊賀線を将来に繋げる知恵を絞っていかなければなりません。課題は相変わらず山積していると思いますから、それらをいかに解決していくか、良いアイデアがあればどんどん提言していくことが肝要かと思います。そうしたことに少しでもこのブログが役に立つことができれば嬉しく思います。関西本線の活性化も昨年はこれと言った進展は見られず残念でありましたが、行政サイドで初めてJR東海との交渉の場を持ったとの話を聞きました。電化については直接の事業者ではありませんが、ダイヤや列車設定について今後の展開に期待を寄せたいと思います。JR全体では3月にダイヤ改正が行われ、多くの寝台列車が廃止されるとの報を聞きました。時代の流れとはいえかつての名列車が消えるのは寂しいことです。鉄道の復権が叫ばれて久しいですが、近くでは新名神高速道路が開業することもあり、鉄道利用者の減少が懸念されます。道路と鉄道が決して競合するのではなく互いの長所を生かして共存共栄できるシステムづくりを目指して欲しいものです。







2007/12/24 13:40:26|遠征記
和歌山電鉄訪問記(その3)
和歌山駅から乗車したおもちゃ電車は、家族連れなどでほぼ満員で、立ち客の殆どは、おもちゃの展示スペースや車両の製造工程を映すテレビモニターがある車両中央部に集中しているようでした。車内にはベビーベッドや木の温もりが感じられる座席、木馬風の座席など随所に乗って楽しい工夫が見られます。外観の奇抜さに加えて車内の作りこみも徹底した感じでした。終点の貴志までは、全部で14駅、距離が14キロ程ですから凡そ1キロに1駅という計算になります。線形は直線区間が多く、路盤状態が良いのか不快な揺れはあまり感じず、1駅ずつ丁寧に停まりながら快調に走ります。途中、交通公園が駅前にある交通センター駅で家族連れが多く下車しました。気軽におもちゃ電車に乗って、交通公園で家族サービスするのが定着しつつあるのでしょうか、子供達に人気の車両はこういう利用者を狙ったものと言えそうです。伊太祈曽駅は検修施設なども備えている線内の中核駅で、駅員配置駅でもあります。ここでは鉄道愛好家の方々が多く下車されていきました。みかん畑を左右に見ながら、少し勾配区間を走るとやがて終点の貴志駅です。和歌山駅から約30分程のミニトリップもここで終了ですが、ここにも今話題の駅長さんが居られて、大変な人気とか、駅前へ出てみると、黒山の人だかりが出来ていて、その中心に帽子をちょんと被った猫駅長のタマが2匹の猫助役と一緒にひなたぼっこをしていました。その姿をカメラに収めようとする人たちに取り囲まれてなんだか気の毒そうですが、せっかくなので、私達も1枚撮らせてもらいました。この猫は、駅舎内に店を構える雑貨店の飼い猫だそうで、今や貴志川線のアイドル的存在です。終点まで乗ってきた乗客の大半がこの駅長目当てだったようですから、貴志川線活性化の立役者とも言えそうです。こんなちょっとしたアイデアが、大きな話題になって集客につながるとは、鉄道の活性化も知恵次第だなとつくづく感じさせられました。乗客減をクルマ社会のせいにして嘆くより、ちょっと知恵を出してみる、何気ないことが不振を打開する策になることをあらためて思い知りました。私達は1時間ほど滞在して、もう一つの魅力ある電車となったいちご電車に乗って和歌山駅に戻りました。







2007/12/09 17:47:58|遠征記
和歌山電鉄訪問記(その2)

JR和歌山駅の最も東に隣接する和歌山電鉄貴志川線のホームは、JRのホームと地下道で結ばれており、引き込み線1線を備えた1面1線行き止まり式の構造。出札窓口のある小さな駅事務所には2名の女性駅員がおり、数多く並べられた和歌山電鉄オリジナルグッズの販売にも余念がない。“最近は遠方から来られるファンの方も多いんですよ”とこちらの記念撮影の依頼にもにこやかに応じてくれました。貴志川線は和歌山(和歌山市)〜貴志(紀ノ川市)間14.3キロを結ぶ電化単線の路線で、平成16年3月まで南海電鉄の支線であったのですが、近年の乗客減と収益悪化で廃線問題が浮上、南海の撤退表明で、沿線自治体や住民が奮起し、存続に向けた取り組みを展開、貴志川線を引き受ける企業などを公募した結果、岡山電気軌道が引き受けることになり、同社全額出資の和歌山電鉄が誕生し、同年4月1日から運営をしている路線なのです。実は和歌山電鉄の鉄の字は、金を失うというのを嫌って正式には難しい字を充てます。そういったこだわりも持ち合わせ、最近では、南海から引き継いだ車両のうち2編成に、有名デザイナーによる「いちご電車」や「おもちゃ電車」といった乗って楽しくなる改造を加えるなど乗客増に向けた面白い取り組みや、終点駅である貴志駅に入居する商店では飼い猫を駅長に仕立てた「ネコ駅長」が誕生するなど、沿線住民のユニークなアイデアが、路線存続の成功事例として全国的にも注目されている路線なのです。私達は、1本目の電車を見送り、噂の「おもちゃ電車」に乗車することにしました。「おもちゃ電車」の到着時刻が近づくと、ホームには子供連れの家族が続々とやって来ます。どうやら、この車両をお目当てにした人達のようで、この作戦も今のところ成功しているようでした。(つづく)







2007/12/02 14:12:15|遠征記
和歌山電鉄訪問記(その1)
11月三連休の初日である勤労感謝の日、昨年4月1日に南海電鉄から経営移管された和歌山電鉄貴志川線を訪問してきました。今回の遠征も鉄道写真館@1972主宰のtetuさんにご同行いただき、地方鉄道活性化の取り組みを視察してきました。
まず、和歌山までの行程ですが、通常ですと大阪・天王寺を経由して阪和線、又は南海本線を利用して和歌山入りするのが常識的といえるのですが、以前から一度乗車してみたかったJR和歌山線を利用して、同線の状況も確認しながら行くこととしました。
当日は、近鉄大阪線大和高田から乗り換え、JR高田から五条行き普通列車で五条へ、五条から和歌山行き普通列車で和歌山へと向いました。JR和歌山線は奈良県の王寺から和歌山市を結び、大阪近郊区間の中にあり、JR西日本のアーバンネットワークの最も南に位置しますが、様相は必ずしも一様ではありません。関西本線(大和路線)と連携して、近鉄大阪線と競合する王寺〜高田間はJR難波直通の区間快速が、大和路快速と同じ221系電車で日中20分毎に運転されるなど大阪近郊路線として機能しており、対する高田〜五条〜橋本〜粉河間では沿線の中小都市を結ぶローカル輸送を中心に115系電車2両を用いて、30〜60分毎に運転されています。粉河〜和歌山間では和歌山市近郊区間として30分毎の運転となっています。全線を直通する列車は数少なく、高田、五条、粉河を中心とした区間運転が多いのは線内の旅客流動に合わせた結果といえます。かつて、急行しらはま号や紀ノ川号、東京〜和歌山間の大和号などの南紀方面などへの直通列車が運転されていた時代もあり、JR化直後には京都発紀勢本線直通の臨時特急も運転されたことがありました。近年はそうした役割もなくなり、寂しい感がありますが、国鉄時代末期の財政厳しい時期であるにもかかわらず電化(昭和55、59年)がなされたことは、同線の将来に期待を抱いていたことを伺い知ることができます。計画中の京奈和道路の延伸等、並行する道路の改良があまり進んでいないこともあって、依然、奈良、和歌山両県の中小都市を繋ぐ重要な路線であることには違いなく、実際に乗車した感想としても、途切れなく車内の座席が埋まっていたことから、地域の移動手段として十分活用されていることを実感することができました。さて、私達の乗った列車は、紀ノ川沿いの田園地帯を走りぬけ、終着駅和歌山駅へ到着しました。ここで和歌山電鉄貴志川線に乗り換えることにします。(つづく)/画像左はJR和歌山線五条駅の様子。構内は広く、昔ながらの風格ある駅です。画像右は和歌山電鉄貴志川線の和歌山駅の様子。JRと隣接し地下道で結ばれています。車両は南海時代からの電車。