ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2008/04/19 19:08:00|伊賀線のこと
伊賀路の風景
自宅の物置となっていた部屋を片付けていて見つけた一枚です。いつ撮影したものかは判然としませんが、恐らく高校生の頃に撮ったものと思います。当時、写真部に属していて、既に鉄道趣味からは遠ざかっていましたが、鉄道好きのDNAがこうした写真をときおり撮らせたのか、或いは、伊賀線の電車に上野城という取り合わせは、伊賀路の象徴的なシーンだと思っていましたので、自然とこういうアングルで撮ったのかなと思います。今、同じ場所でこの写真を撮ると、背後に道路の高架橋が写ってしまいます。この写真を撮った数年後に建設されたものと思いますが、後に整備され綺麗になった旧小田小学校や俳聖殿の特徴的な屋根がちらりと見える素晴らしい景観をその無粋な道路は、やはり台無しにしてしまっていて残念です。何年か前に上野の景観を考えるシンポジウムでパネリストが同じ場所の、道路橋が写った写真を見せて、この橋を爆破させたいくらいだと言っていたのを思い出します。しかし今やその道路は、旧市街地と新しく商業地と化した地区を結ぶ大切な生活道路として機能しています。一方で良い景観は私達の心を潤す大切な財産です。当時、もう少し知恵があれば、せめて色彩、デザインだけでも配慮できたことと思いますが、今、問題となっている道路特定財源で建設された道路ならば、全国どこにでもあるような無機質なモノしかできなかったのでしょう。一般財源化され地方が自由に使う財源ならば、地域に相応しいデザインにすることができるのでしょうが、昨今の状況では道路建設そのものができるのかどうか怪しい感じです。伊賀線も大手私鉄の下を離れ、地域密着型の鉄道となりましたが、もっと地域の特色を生かして、地域に合ったデザインを進めて欲しいと願っています。







2008/04/13 14:45:32|関西本線のこと
桜の名所

関西本線の沿線には桜の綺麗なところが結構多いのですが、その中でも笠置駅の周辺は別格です。今年も写真雑誌の表紙を飾ったほどです。特に笠置山からの俯瞰(ふかん)では、山と木津川に挟まれた狭い地形に多くの桜の木々を見ることができ、桜のトンネルの中を走る列車と絡めて撮影することができることから、鉄道写真愛好家のみならず、多くのアマチュアカメラマンの絶好の被写体となってきました。私もここ数年、桜が満開になる頃を見計らって駅周辺に通いましたが、桜、特にソメイヨシノはピンク色よりも白色が勝っているため、花曇では全く冴えないものとなってしまい、思い通りには撮れずなかなか難しいものだと痛感させられてきました。今年は撮影は行きがけの駄賃程度と思って家族と列車で花見メインで出かけてきました。笠置山へも少し登ってきましたが、有名な俯瞰撮影では周りのほかの木々が生い茂り、すっきり桜だけを撮る事はできませんでした。昨年も来たという人によると昨年よりも枝が伸びてしまったらしいです。それでも目で見る限りはなかなか情景的な風景が眼下に広がり気持ちの良いものでした。







2008/04/13 14:20:58|伊賀線のこと
忍者フェスタは伊賀鉄道で!
今月からゴールデンウイークまで、恒例の忍者フェスタが伊賀市上野市街地一帯で開催されています。この時期、休日ともなると市街地のあちこちで忍者衣装を着込んだ観光客で溢れかえり、最近では犬まで忍者衣装を着てかっ歩しています。この賑わいに伊賀鉄道も遅れてはならじと、ついに駅員や運転士まで忍者衣装を纏うようになりました。忍者衣装に制帽はちょっとアンバランスとは思いますが、意気込みは大変結構なことです。休日は、忍者列車に地元女子高生ボランティアの車掌が乗り込み、案内放送があります。“伊賀鉄道にご乗車いただき、かたじけのうござる”などの楽しいアナウンスが聞けます。また忍者衣装を着ていれば茅町〜西大手間が無料で乗車できるという出血大サービス付き。4月27日(日)には高校、大学生が中心に開催する鉄道博覧会in伊賀も上野市駅周辺で予定されています。3セク化半年を経てまだまだ苦戦が続いていると言われる伊賀鉄道、忍者にあやかって乗客増の術を編み出して欲しいものです。







2008/03/16 16:10:28|撮影日記
団体臨時列車「ほのぼのSUN−IN」

昨日の土曜日、関西本線柘植駅に団体臨時列車「ほのぼのSUN−IN」号の撮影に行ってきました。この列車は、金曜日に福知山線の谷川から山陰、東海道、草津線を経由し亀山まで運転され、翌土曜日に同ルートの逆を戻る行程で運転されたものです。伊勢志摩方面への団体客のようですが、亀山から紀勢、参宮線に直通せず、バスを利用されたと思われます。車両はかつて急行用で活躍したキハ58・28型をお座敷列車として改造したキロ59・29型で、塗装は変わっていますが、種車の面影をそのまま残しています。国鉄時代から絶大な信頼があり、国鉄のディーゼルカーの殆どが搭載していたDMH17型と言われるディーゼルエンジンを搭載しており(今では車両の更新が進み稀少となっています。)、久しぶりにカランカランカランという特徴のあるサウンドが柘植駅の構内に響きました。

ところで、この日はJRのダイヤ改正初日でした。前日には、寝台急行「銀河」や寝台特急「なは・あかつき」の引退で各始発駅は大勢のファンが見送ったと多くのニュース番組取り上げていました。特に銀河は団塊世代の思い出列車として紹介されていましたが、TBS系の「ブロードキャスター」ではコメンテイターの一人が、昔は急行「銀河」は料金が高くて、代わりに急行「大和」を使いましたと言っていました。「大和」とは東京〜湊町(現JR難波)を関西本線経由で結んだ寝台急行です。正に今回廃止された急行「銀河」など東海道本線の列車を補完する列車として設定されていた列車で、昭和47年まで運転されました。私の住む伊賀地域からも東京へ向う唯一の直通列車であり、年配の方には思い出深い懐かしい列車だと聞きます。「銀河」や「あかつき」それに「大和」など名列車の愛称名はなんとも言えない良い響きのものが多いなとつくづく感じさせられます。







2008/03/10 21:45:32|遠征記
山陰、但馬乗り鉄の旅(その4)

(つづき)帰路は、大阪まで特急「はまかぜ」6号に乗車するため、再び城崎温泉駅まで戻ってきました。時間が経つにつれ、時折風雪が強くなります。気温も下がっており、暖房の効いた待合室は列車を待つ乗客たちで立錐の余地もないほどになっていました。悪天候のため京都、大阪方面からの特急列車に遅れがでており、折り返し列車に乗車する乗客が待たされているためでした。乗車予定の「はまかぜ」6号は香住からやってきますが、意外にもほぼ定刻に到着し、遅れを覚悟していた乗客は到着のアナウンスを聞いて足早にホームに向います。私達も駆け足でホームに辿り着くと、着くや否や列車が到着しました。指定された席に落ち着くと轟々というディーゼル音を響かせて重々しく発車しました。はまかぜ号は、山陰本線を和田山まで進み、播但線を経由して姫路から山陽、東海道本線にて大阪へ向います。大阪〜香住・浜坂・鳥取を1日3往復しており、国鉄時代から使用される古いディーゼルカー(181系)を使用しています。昭和43年に山岳線区向け強馬力の特急用車両として誕生した車両で、中央本線の特急「しなの」号や東北本線の特急「つばさ」号に使用されました。しかし、主要線区の電化の進展で追われると、非電化路線の多い四国や山陰地方に活躍の場を移し、近年は長らく山陰本線の特急「おき」、「あさしお」、「はくと」号などで活躍しました。その列車たちもすでに新型車両に置き換えられ、今日、この「はまかぜ」号のみが181系使用の定期特急列車となっています。私は、この車両に初めて乗車しましたが、最近のJR車両にはない、重厚な作りです。走行中はエンジンの音は殆ど聞こえず、意外に静かな車内です。普通車のシートは登場当時のものから座面の肉厚が豊かなシートに交換されていて、全体として午前中乗車した183系電車よりも快適な乗り心地です。単線の播但線では、その昔C57型蒸気機関車3重連で名を馳せた有名な生野峠越えがありますが、強力エンジンを唸らせ軽々と越えていきます。かつて、この「はまかぜ」号は播但線内の途中駅は全て通過していたのですが、今は寺前など線内の主要駅に停車するようになっています。それもそのはず、運転区間は大阪始発となっていますが、今や大阪と但馬、鳥取方面を結ぶ主要ルートはすでに福知山線経由や智頭急行線経由に奪われており、「はまかぜ」号の主な役割は、神戸三ノ宮や姫路方面と兵庫県中北部の都市間連絡、城崎温泉、香住・浜坂などへの観光輸送がメインになってきているからです。その証拠に城崎温泉発車時にほぼ満席だった車内は姫路を過ぎると次第に寂しくなってきました。姫路からの山陽本線では、複々線の外側つまり新快速電車の走行する線路を走ります。俊足さでは負けていない181系ですが、ここでは過密ダイヤの上に130キロで追いかける新快速電車から逃げるように懸命の走りを見せます。明石海峡大橋の灯りを右に見て、夜のネオンが眩しいばかりの三ノ宮を過ぎると車内は回送列車同然となってしまいました。冬の繁忙期で6両に増結されているため余計に寂しく感じます。やがて改造工事の進む大阪駅に滑り込みました。餘部鉄橋のハプニングは残念でしたが、温泉三昧やJR未乗区間の乗車、この「はまかぜ」号の乗車など収穫の多い1日となりました。(完)