ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2008/02/24 16:59:48|遠征記
山陰、但馬乗り鉄の旅(その1)

昨日の土曜日、趣味仲間のtetuさんと架け替え工事の始まった山陰本線の餘部鉄橋を目指して出かけてきました。ルートは、関西地方のJR線で未乗区間を解消する目的もあるため、まず近鉄で京都まで出て、山陰本線を乗り通すことにし、帰りは最後の181系ディーゼルカーによる特急「はまかぜ」号で播但線を完乗し大阪まで戻ることにしました。京都からは特急「たんば」で終点の城崎温泉まで乗車します。車両は旧国鉄時代から使用される485系特急電車を改造した183系電車です。山陰本線は京都市から兵庫県の但馬地方、鳥取、島根、山口県と山陰地方を横断する長大幹線ですが、電化や複線化など近代化の進捗は遅く、まだ一部区間しか整備されていません。電化区間も京都から城崎温泉までと米子や出雲市の一部区間だけです。殆どの区間が本線とは名ばかりローカル線然となっています。かつては全線を直通する列車もありましたが、現在は京阪神と北近畿地方の都市や観光地を結ぶ特急や岡山などの新幹線接続駅と中国地方の主要都市を結ぶ特急の経由路線として機能しており、それ以外は山陰地方の中小都市を結ぶローカル輸送に徹しています。私達の乗った特急「たんば」は園部、綾部、福知山など京都府北部の主要都市、但馬地方の中心都市である豊岡などを結び温泉地で有名な城崎温泉を目指します。都市部以外は山村の長閑な車窓を眺めながらゆっくりと進みます。電化はされているものの単線区間が多いため行き違いも多く、カーブが多い線形のため速度は上がりません。昭和47年製の国鉄型車両を使用していることもあり、懐かしい汽車旅の雰囲気です。この列車には舞鶴線へ直通する特急「まいづる」を併結していて、綾部駅で分割併合します。少し前まで京都府内の山陰本線に接続する支線区は殆どが非電化路線でしたが、平成に入ってから山陰本線、舞鶴線、第3セクターの北近畿タンゴ鉄道宮津線、小浜線が相次いで電化され、電車運転によるネットワークが完成しています。これは京都府はじめ沿線自治体が京都府北部地域の振興のため、鉄道の電化推進に積極的で、公的支援がなされたことが大きかったためと聞いています。京都から2時間あまり、列車は終点の城崎温泉駅へ到着しました。私達はここで衝撃的な情報に接することになりました。(つづく)







2008/02/19 22:10:15|撮影日記
消え行くもの

来る3月15日、JR各社などの大幅なダイヤ改正が予定されています。近年、大きなダイヤ改正の度に長年親しまれた名列車が廃止される傾向が続いています。今回も関西〜九州間寝台特急(ブルートレイン)の「なは」「あかつき」や東京〜大阪間寝台急行「銀河」が廃止されます。また、列車廃止は免れたものの大阪〜青森間寝台特急「日本海」や東京〜札幌間寝台特急「北斗星」も1往復運転に減便されることが決まっています。夜行寝台列車はかつては動くホテルと呼ばれ、時間を効率的に使い快適に移動出来る交通手段として人気を博し、私達の世代では少年時代にブルトレブームというものも起こり、多くの少年ファンが駅のホームでカメラを構えたものでした。しかし最近では、航空路線や新幹線、格安の夜行高速バスなどの利便性が高まり、所要時間や運賃面、車両設備の陳腐化等により次第に競争力を失っていきました。最近は利用者の減少に伴って、かつてはどの列車にも連結されていた食堂車も消え、車内販売も行われないなど列車自体の魅力も薄れていました。名列車が消えるのも寂しいですが、もっと寂しいのは、これらの列車の後をうけて、夜行寝台列車に何らのテコ入がなされないということです。改善することなくただ廃止するだけということが何とも寂しい話です。また、この他にも経営難に喘いだローカル私鉄も消えていきます。兵庫県の三木鉄道、雲仙普賢岳の噴火被害から復活を遂げたばかりの島原鉄道の一部です。ダイヤ改正での話題はどうも暗い話が多い感じがします。ダイヤ改正が近づくと、今度はどの列車が消えるのかな?あの路線は大丈夫かな?と言った、期待よりも心配が勝ってしまうのが昨今の傾向です。そしていつも心配するのが、消え行く列車、路線を追いかけて撮影などにヒートアップする熱心なファンの人たちです。列車の安全運行を阻害しかねない行動が目立ちます。私もファンの一人、気持ちはよく分かるのですが、安全運行に協力することがファンとして最も大切なことだと思います。何はともあれ、あと一月弱、最終日まで有終の美を飾ってほしいものです。







2008/02/05 23:41:28|鉄道模型その他
世界の車窓からー憧れの鉄道模型ー
今日は、外国の鉄道模型のお話です。私、外国の鉄道にも興味がありまして、中でもドイツやスイスなどヨーロッパで鉄道王国と言われる国の車両に大変惹かれます。そんな訳で所有している鉄道模型にもヨーロッパ型の車両が幾つかあります。掲載した画像の車両もその一つで、これはドイツ国鉄の01型と呼ばれる蒸気機関車のHO鉄道模型です。かつて急行列車を牽引した名機で、非常に人気のある機関車と言われています。日本で言うとC62型のような存在でしょうか。実物は残念ながら見たことがありませんが、大きなボイラーに赤く塗られた下回り、スポーク形状の大きな動輪など、その迫力は模型でも伝わってきます。この模型はドイツのフライシュマンというメーカーの製品で、結構古い製品と思われますが、とても良く出来ています。実は、今年の正月明けに大阪の専門店でジャンク(がらくた)同然に売られていたものを買ったものです。相当汚れていたのですが、テストではまあまあ動いたのと、ライトもきちんと点灯したので、そのまま引き取り、自分で少し整備したところ見映えも良くなり、調子よく走行するようになりました。この機関車の後ろにちょっと顔が見えるのは、同じドイツの103型電気機関車で、かつてTEE(TransEuropeExpress)と呼ばれた国際特急を牽いた機関車です。こちらは東京の専門店で中古で買いました。私が、外国型車両に興味を抱いたのは、今思えば小学生の頃、近所の玩具店がドイツの模型メーカーメルクリン社の取り扱いをしていたことがあって、ショウケースに入ったジオラマを毎日のように見に行っていたことがきっかけだったように思います。メルクリンと言えばドイツでは最も有名なメーカーで、鉄道模型に興味がなくてもその名前は知っていると言われるくらいメジャーなのです。日本でも大都市のデパートや専門店しか扱わないそのメーカーの製品を伊賀の片田舎のお店が取り扱っていたこと自体が凄いことなのですが、当時の自分の小遣いではまともに買えるはずもなく、指をくわえて見ているだけでした(でも、貨車を1両だけ買った覚えがあります。失くしてしまいましたが。)。見たこともない外国の鉄道の精巧な模型を目の当たりにしてしまった感動が40歳を過ぎた今になって再燃しているということでしょうか。







2008/02/03 20:53:20|伊賀線のこと
伊賀神戸へ子守鉄
昨日の土曜日、家族の都合で昼間1日子守をすることになりました。6歳と3歳のわんぱく坊主を相手にどうやり過ごすか、思案した結果、いつものように伊賀線に乗って伊賀神戸駅に電車見物に行くことにしました。冬の寒い日は、以前ならよくクルマに乗せて車内から行き交う列車を眺めていたのですが、伊賀線の利用促進と、子供達はやはり電車で行くことを喜ぶこと、それに伊賀神戸駅の改造工事で外からは少し見通しが悪くなったことで最近は伊賀線で行くことが多くなりました。この日も少し肌寒い天候でしたが、車内は暖房がよく効き、行き違い駅では乗降が終わると発車までドアを締めていてくれたので快適でした。私は、最近発売になった1日フリー切符で乗車しましたが、以前の開業記念のオフピークチケットと異なり、ラッシュ時も使えるようになり、使い易くなりました。お値段は600円になったものの、普通に乗車券を買って上野市〜伊賀神戸間を往復するよりもお得ですし、近鉄線に乗り換えて出かけるなら、上野市駅の窓口でフリー切符と往復の近鉄線の切符を同時に買えば、伊賀神戸で切符を買う手間も省けます。まあ以前のように直通切符を発売していただけるのが一番良いのですが、今のところ、この乗り方が最も便利なようです(出来れば駅員配置の茅町駅も近鉄線の切符を売って欲しいところなのですが)。子供達とは小一時間、近鉄特急をはじめ沢山の電車を見学したのですが、伊賀鉄道へ移管後は入場券を買わないと近鉄側ホームへ行けなくなったこと、加えて売店も完全閉店してしまったのは少し残念です。ただ、トイレの使用だけは近鉄側ホームにしか無いため、駅員に声をかければ自動改札を開けてくれる配慮があるのは有難いことです。また、この日から上野高校鉄道同好会など友好のある他県の高校生徒らによる鉄道写真を飾ったギャラリー列車(赤忍者編成)が運転されるとの広告がありました。残念ながら、この日は乗車することはできませんでしたので、また日をあらためて乗車したいと思います。画像は、6歳の息子が家に戻ってから描いた伊賀線の絵です。伊賀線らしからぬ長編成ですが、前面窓の行先板もしっかり表現されているのが少しリアルに描けており、どうして、電車はカーブで傾くの?とか、どうして引込み線と本線は線路の色が違うの?とか、私に質問してくるので、なかなか鉄の素質があるなと思わずニンマリしてしまいました。







2008/01/19 19:56:13|撮影日記
伊賀発!伊勢初詣団体臨時列車

今日は、団体臨時列車が、関西本線〜紀勢本線〜参宮線を経由し伊勢市まで運転されましたので、撮影に行ってきました。この列車は、厄落としのため伊勢神宮へ参拝する伊賀地方北部の神社関係の団体さんで、毎年この時期に運転されています。島ヶ原を起点に、夜も明け切らない早朝に出発し、夕方戻ってくる行程です。関西本線での撮影には少し太陽光線が足りないので走行写真は難しいのですが、今回は思い切って、参宮線まで足を延ばし帰りの便を撮影しました。今や全国的にも大変貴重となった、DD51ディーセル機関車が青い12系客車6両を牽引するという旧国鉄のスタイルで運転されるため、沿線の有名撮影地には多くのファンが詰め掛けます。迷った挙句、今日は、列車を乗り継いで初めて宮川鉄橋に行きました。ここも沢山のファンがカメラを構えていました。そんな中、なんと偶然にも先週、柘植で出会ったあの礼儀正しい大阪の中学生に再会し、一緒に撮影することになりました。彼もたまたま車窓から見つけたこの場所が気に入って決めたそうです。まさか、ここで出会うとは、とお互い驚きましたが、こういうこともあるからこの趣味はやはり楽しいのです。撮影後は大阪へ帰る彼と一緒に戻ってきました。勿論、鉄道談義に大いに花を咲かせ話が尽きることはありませんでした。