ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2008/05/13 23:59:40|遠征記
みまさかスローライフ号の旅(その1)

先日、岡山県の津山から鳥取県の智頭まで、キハ28・58気動車による臨時列車(みまさかスローライフ号)が運転されることを知り、早朝から列車を乗り継ぎ出かけてきました。これは、岡山県美作地方の津山線、因美線に残る扇形庫(蒸気機関車の車庫)や転車台、古い駅舎やホーム、珍しい車両などの鉄道遺産を地域の観光資源として活用し、鉄道及び沿線の活性化を目指すことを目的に実施されるイベントの一環として、それらの鉄道遺産を懐かしい旧国鉄のディーゼルカーに乗車しながら巡ることができる列車として運行されたものです。今回が初回から数えて3回目の運行となりました。
 私は、当日、まずは柘植駅から草津線で京都へ、京都から岡山までは東海道・山陽新幹線(のぞみ号)を利用します。岡山からは津山線の快速(ことぶき号)で津山へ向いました。津山市は岡山県の北部の中心都市で歴史的建造物などが多数残る小京都としても有名です。県庁所在地の岡山市と津山市を結ぶJR津山線は非電化単線ですが、かつて、鳥取と岡山を結ぶ主要ルートとして、急行「砂丘」号などの優等列車が運行されていた路線でもあります。しかし近年、第3セクターの智頭急行線が智頭〜上郡(兵庫県)間に開業したことで、そのルートからははずれ、現在は中長距離の優等列車は運行されていませんが、岡山と県北の中心都市である津山を結ぶ主要路線として同区間に急行(つやま号)1往復と快速列車が6往復運行され、地域間輸送に機能しています。私の乗車した快速列車はキハ47型2両編成のワンマン運転でしたが、終着まで7〜8割の乗車率であり、ビジネスなどの用務客に需要がある印象でした。普通列車で約1時間半の行程を約1時間で中国地方の山間を縫うように走りますと、やがて津山の町並みが見えてきます。しばらくすると車窓右側に、かつて鉄道の結節点であったことを示す機関区の扇形庫が現れます。その前の留置線には現在運行されている多数の新型気動車たちに混じって、あの懐かしいクリームと朱色のディーゼルカーが佇んでいるのが見えました。(つづく)画像上=津山線快速(ことぶき号)、中=津山駅、下=津山駅構内に残る扇形庫とキハ28,58型







2008/05/06 14:53:33|遠征記
大井川鉄道訪問記

大型連休中の4月29日、子供と一緒に静岡県の大井川鉄道を訪ねてきました。ここを訪ねるのは一昨年の夏以来です。もうかれこれ7〜8回は来ているでしょう。何度も来たくなる魅力がここにはいっぱいあります。今回は、タイ国鉄仕様に改められ、現役復帰したC5644号機を見ることと、新緑に映える川根路を蒸気機関車の煙の匂いを嗅ぎながら眺めることが主な目的でした。列車を乗り継いでお昼前に大井川鉄道の始発駅金谷駅に到着。乗車手続きを済まして、千頭行きSL急行川根路号に乗り込みました。古い客車に腰を下ろすと不思議と落ち着きます。大井川に沿ってC108号機が牽く7両編成の列車は大勢のお客さんを乗せて懸命に走ります。のんびりと、煙と油の匂いに包まれながら、山々や茶畑の新緑が美しい車窓を見つつ駅弁を頬張ります。このひと時がなんとも言えず大好きで、日常をつい忘れさせてくれます。向かいに座った若い女性二人組もローカル線の旅が好きで、乗りにきたとのこと。初めてのSL列車に感激した様子でした。最近は確実に“鉄子”さんが増えているようです。子供と私は、終点千頭駅近くの河原で遊び、折り返し金谷行きのSL列車に乗り川根温泉笹間渡駅へ向かいました。この列車の先頭にはタイ仕様C5644号機が連結されています。このC56型は戦時中、日本からタイへ出征していた機関車で、のちに大井川鉄道に復員してきたものです。ここ数年はボイラの具合が悪く休車となっていましたが、大井川鉄道の熱意で現役復帰を果たし、復帰を機にタイ国鉄当時の仕様に戻されたものなのです。大井川鉄道ではC10や11などタンク機関車が殆どですが、このC56型は唯一、炭水車が付いた機関車となっています。このあと、私たちは露天風呂から橋を渡るSL列車が眺められることで有名な川根温泉ふれあいの泉で極上の湯を堪能しました。







2008/05/06 14:16:04|伊賀線のこと
鉄道博覧会in伊賀

先週日曜日(4月26日)、伊賀鉄道上野市駅車庫にて「鉄道博覧会in伊賀」が開催されました。これは、昨年から上野高校鉄道研究会や提携する立命館大学などの大学鉄研、県外の高校鉄研が開催してきた伊賀市でのイベントを伊賀鉄道友の会や大学、高校鉄研で作る実行委員会が中心になって開催したもので、折りしも、伊賀市上野市街地で開催中の伊賀上野忍者フェスタの関連イベントとされていたものです。当日は、絶好の行楽日和となり、大勢の観光客などで賑わいました。博覧会では、伊賀線車両を使用したクイズ列車の運行、車庫見学ツアー、車掌体験、制服を着用しての記念撮影、各大学、高校鉄研の研究展示、鉄道模型運転、ステージイベント、グッズ・廃部品販売、特産品販売など盛り沢山の内容となりました。展示されていた車両には、博覧会開催記念の特製ヘッドマークが掲げられ、普段は入ることが出来ない、構内線路に下りて記念撮影をすることもできました。模型運転会が開催された事務所内には、先代の伊賀線車両のさよなら運転で使用されたヘッドマーク、番号板など貴重な部品が大切に保管されており、少し嬉しい気持ちになりました。伊賀線廃部品のオークションでは、行き先表示板が最高値7万5千円の値を付けており大変驚きました。私は記念入場券などを少し買って帰りました。伊賀線を愛する人たちに支えられ開催された手作りイベント的な雰囲気がとても良かったと感じました。来年も期待したいと思います。







2008/04/19 19:08:00|伊賀線のこと
伊賀路の風景
自宅の物置となっていた部屋を片付けていて見つけた一枚です。いつ撮影したものかは判然としませんが、恐らく高校生の頃に撮ったものと思います。当時、写真部に属していて、既に鉄道趣味からは遠ざかっていましたが、鉄道好きのDNAがこうした写真をときおり撮らせたのか、或いは、伊賀線の電車に上野城という取り合わせは、伊賀路の象徴的なシーンだと思っていましたので、自然とこういうアングルで撮ったのかなと思います。今、同じ場所でこの写真を撮ると、背後に道路の高架橋が写ってしまいます。この写真を撮った数年後に建設されたものと思いますが、後に整備され綺麗になった旧小田小学校や俳聖殿の特徴的な屋根がちらりと見える素晴らしい景観をその無粋な道路は、やはり台無しにしてしまっていて残念です。何年か前に上野の景観を考えるシンポジウムでパネリストが同じ場所の、道路橋が写った写真を見せて、この橋を爆破させたいくらいだと言っていたのを思い出します。しかし今やその道路は、旧市街地と新しく商業地と化した地区を結ぶ大切な生活道路として機能しています。一方で良い景観は私達の心を潤す大切な財産です。当時、もう少し知恵があれば、せめて色彩、デザインだけでも配慮できたことと思いますが、今、問題となっている道路特定財源で建設された道路ならば、全国どこにでもあるような無機質なモノしかできなかったのでしょう。一般財源化され地方が自由に使う財源ならば、地域に相応しいデザインにすることができるのでしょうが、昨今の状況では道路建設そのものができるのかどうか怪しい感じです。伊賀線も大手私鉄の下を離れ、地域密着型の鉄道となりましたが、もっと地域の特色を生かして、地域に合ったデザインを進めて欲しいと願っています。







2008/04/13 14:45:32|関西本線のこと
桜の名所

関西本線の沿線には桜の綺麗なところが結構多いのですが、その中でも笠置駅の周辺は別格です。今年も写真雑誌の表紙を飾ったほどです。特に笠置山からの俯瞰(ふかん)では、山と木津川に挟まれた狭い地形に多くの桜の木々を見ることができ、桜のトンネルの中を走る列車と絡めて撮影することができることから、鉄道写真愛好家のみならず、多くのアマチュアカメラマンの絶好の被写体となってきました。私もここ数年、桜が満開になる頃を見計らって駅周辺に通いましたが、桜、特にソメイヨシノはピンク色よりも白色が勝っているため、花曇では全く冴えないものとなってしまい、思い通りには撮れずなかなか難しいものだと痛感させられてきました。今年は撮影は行きがけの駄賃程度と思って家族と列車で花見メインで出かけてきました。笠置山へも少し登ってきましたが、有名な俯瞰撮影では周りのほかの木々が生い茂り、すっきり桜だけを撮る事はできませんでした。昨年も来たという人によると昨年よりも枝が伸びてしまったらしいです。それでも目で見る限りはなかなか情景的な風景が眼下に広がり気持ちの良いものでした。