ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2008/06/03 22:18:28|関西本線のこと
修学旅行臨時列車(春編)
毎年春と秋に運転されているキハ181系特急型ディーゼルカーによる修学旅行臨時列車が、今年も伊賀路の関西本線を疾走しています。これは奈良、伊勢方面に修学旅行に出かける兵庫県姫路方面の小学生が利用しており、5月中旬頃から運転が始まりました。春の運転では、往路は奈良〜亀山間を、復路は亀山〜柘植間(草津線経由)でその姿を見ることができます。ちなみに秋の運転は往路、復路とも亀山〜柘植間(草津線経由)で見ることが出できます。普段は1〜2両の小さなディーゼルカーが行き来するだけのこの区間を、長編成の特急型車両が走る姿は、往年の関西本線の特急「あすか」号を髣髴とさせるものがあります。







2008/06/03 21:56:28|撮影日記
珍客登場
先週の日曜日、JR西日本の検測車「キヤ141系」が草津線に入線しましたので、早速、柘植駅で観察&撮影してきました。当日は草津〜柘植間を2往復し、設備の点検を行ったと思われます。昨年の秋にも同様に柘植でこの車両を観察&撮影しましたが、今回は比較的間近に観察することが出来ました。
一般乗客には縁のない業務用車両ですが、デザイン、スタイル共に優れカッコよさが際立っています。同じような車両(ドクターカー)は近鉄など他社にも存在しますが、今のところこのキヤ141系が一番カッコいいのではないでしょうか。







2008/05/25 23:02:46|遠征記
みまさかスローライフ号の旅(その4)

(つづき)因美線はその名の通り、因幡(鳥取県)と美作(岡山県)を結ぶ路線として、かつては山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡の主要ルートでありましたが、1994年の智頭急行線の開業により、鳥取〜智頭間と智頭〜東津山間で運行系統が分離され、前者は智頭急行線とともに新たな陰陽連絡ルートとしての役割が与えられ、後者は、1〜3時間に1本程度の普通列車(一部快速)による線内のローカル輸送のみの役割分担となりました。特に、1997年に鳥取〜岡山を津山経由で結んだ急行「砂丘」号が廃止されてからは、軽快気動車が1両で行き来するだけの山間の閑散線区となってしまいました。しかし、この区間の沿線には、古き良き日本の風景と懐かしい鉄道遺産が残されている大変魅力ある路線であることから、岡山県を中心にこの路線を観光の目玉として見直そうという機運が高まり、昨年から、懐かしい列車に乗って訪ねるというユニークな趣向のイベントが開催されるようになったのです。主要ルートという役割を終えた今、少子高齢化の進む山間の鉄道であれば乗客増もままならない状況に変わりはなく、合理化の末に廃線という運命も考えられるのですが、廃れ行く鉄路を逆手にとって、鉄道遺産と懐かしさを売りにしようという試みは、同じような悩みを持つ全国のどこかの鉄道にとって大変参考になる事例ではないかと思いました。そんなことなど考えているうちに、私の乗った“スローライフ号”は因幡と美作の県境で分水嶺となる物見峠を越え、鳥取県側に入りました。車窓右手から高規格の新しい線路が見えてくると終着駅智頭です。2時間あまりの正にスローな旅はここで終わりです。懐かしいキハ28,58型にもっと揺られていたい気持ちを抑えながら、列車を後にしました。私はここで乗り換え、新しい主要ルートとなった智頭急行線の看板列車、特急「スーパーはくと」に乗車し、最高速度130キロのハイスピードな旅で一気に京都を目指し帰路につきました。画像上から、美作滝尾駅駅舎、美作河井駅停車中のスローライフ号、智頭駅に進入する鳥取からの特急スーパーはくと号、智頭駅到着直前に擦れ違った鳥取~岡山間を結ぶ特急スーパーいなば号







2008/05/18 14:49:15|遠征記
みまさかスローライフ号の旅(その3)
(つづき)満員の乗客を乗せ、津山を定時に発車した「スローライフ号」はその名の通り、ゆっくりとした速度で新緑の美作(みまさか)路を走ります。外に目をやれば、植えたての田圃、緑の濃淡が美しい山々、長閑な日本の農村風景が車窓に広がります。日本の至るところで、長い間、このような景色の中を走り続けてきたこの古いディーゼルカーにとっては、美作地方のこの素晴らしい風景はとてもお似合いの風景といえるでしょう。そのような列車と風景の写真をカメラに収めようと、沿線には多くの人達が繰り出しています。その人達に乗客は笑顔で手を振ります。そして列車はひと駅ひと駅丁寧に停まっていきます。因美線の駅はどれも風格のある懐かしい雰囲気の駅舎が多く、特に特徴的な駅では停車時間を長く取って、この列車の運転に合わせて開催されるイベントなどに乗客が参加できるように配慮されています。最初の長時間停車駅は美作滝尾で、ここでは地元の人達などが協力して駅前に出店を構え、ホルモンうどんや特産品の販売などが行われていました。この駅は映画「男はつらいよ」の最終シリーズで渥美清さんが来てロケが行われたそうで、駅舎内にその時の写真などが飾られていました。イベントに協力している人達は乗客をもてなそうと一生懸命働いておられ、発車の際もみんなで手を振って見送ってくれたのが印象的でした。車内は冷房が入っていましたが、私は窓を開けて初夏の心地よい風と床下で唸るディーゼルサウンドを楽しみました。窓を開けていて気付きましたが、今やJRのどの列車も駅を発車する際に汽笛を鳴らすことは無くなりましたが、かつての国鉄の列車がそうであったように、この列車は駅の発車の際に汽笛を鳴らします。その音も最近の車両のように電気的な音ではなく、いかにもアナログ的な音でとても雰囲気があります。美作加茂駅の停車では、なんと、かつてこの線を走った急行砂丘号のヘッドマークなどを掲げて記念撮影をするサービスもありました。それに加えて、この駅で10年くらい前まで行われていたタブレット(簡単に言うと楕円形の通行手形)の交換風景を乗務員の方が実演して見せてくれました。この因美線は、自動信号機になるのが遅く、手動の腕木式信号機が遅くまで残るなど、全国で最後まで人の手によって列車運行の作業が行われていたことで有名でした。そうした国鉄時代の旧システムが最後まで息づいていた路線でもあったのです。(続く)画像左=急行砂丘号のヘッドマークを付けて記念撮影 中央=かつて行われていタブレット交換風景を再現 右=砂丘号の愛称板や行き先板、タブレットを入れて記念撮影







2008/05/15 23:37:58|遠征記
みまさかスローライフ号の旅(その2)

(つづき)津山駅構内の扇形庫では、構内の見学会が開かれており、事前に予約した人たちが大勢たむろしているのが見えました。ここでは、1両しか製造されなかった貴重なディーゼル機関車DE50型や鉄道資料が公開されていて、イベントの期間中それらを見ることができるのです。みまさかスローライフ号に使用されるキハ28,58型の2両は、この扇形庫の外で出発準備をしており、その周りも人だかりができており、皆思い思いにカメラを向けていました。このキハ28,58型は1961年から製造され、約1500両が日本中の国鉄線上で主に急行列車として活躍しました。国鉄からJRに移行してからは徐々にその数を減らし、今は殆ど見ることができません。数年前までは数多く所有していたJR西日本でも、現役は僅か数両のみとなっている上、国鉄時代の塗装を纏っているのはこの2両のみなのです。私の地元関西本線でも10数年前までは当たり前に見ることが出来、紀勢本線では数年前までその姿をみることができました。しかし経年が進んだ結果、急速にその数を減らしていったのです。津山駅のホームで待つことしばし、やがてその2両のディーゼルカーは駅構内を移動し、乗客たちの待つホームに据え付けられました。ドアが開いて車内に乗り込むと、あの独特の匂いがします。改造された車両も多いのですが、昨年まで広島県の芸備線で急行列車(みよし号)として使用されていただけあって、昔と変わらない車内の雰囲気があります。エンジンも換装されていないオリジナルなので、あの特徴的なディーゼルサウンドと心地よい振動が懐かしさを増幅させます。座席もほぼ埋まったところで出発の時間がきました。汽笛を一声し“国鉄”列車が発車しました。(つづく)