ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2006/08/24 23:07:22|関西本線のこと
急行しらはま号の話

 昭和55年まで関西本線に紀勢本線の新宮から和歌山、高田、奈良を経由し名古屋を結んだ急行列車「しらはま」号があったのをご存知でしょうか?この列車、晩年は、新宮発名古屋行きの上りのみの設定という珍しい列車で、紀勢本線を天王寺行きの急行「きのくに」号や関西本線では急行「紀州」号などと分割併合をする多層建て列車でもありました。前身は奈良、和歌山経由で名古屋〜白浜間を結んだ急行「はまゆう」号で、後年、愛称名が「しらはま」号に改められたものです。この列車、当時、多数設定された南紀方面への観光列車の一翼を担った列車で、名古屋と京都発着の両方がありました。当時は上り下り往復の設定でしたが、昭和47年に白浜発着の名古屋行き編成が廃止されると、新宮発名古屋行きの上り列車のみの設定となり、紀伊半島をほぼ2/3周するロングラン運転となりました。新宮からは紀勢本線を熊野、松阪経由で名古屋まで結ぶ特急「くろしお」号や急行「紀州」号もあり、「しらはま」号を全区間乗り通す乗客はどれほど居たのか定かではありません。しかも片道だけの設定で、まるでミステリー列車のような迷走をする、現代では定期列車では勿論、臨時列車でも、到底実現しそうもない列車設定だったということが、今にして思えば大変興味深い列車であったと言えます。画像上=「しらはま」号伊賀上野駅にて、下=行き先表示板







2006/08/13 21:25:42|鉄道模型その他
国際鉄道模型コンベンション大阪へ行きました。(その2)
続きです。画像=左上 実物のようにカーブの線路にカント(傾き)を設けて、実感的に疾走するHOゲージの181系ディーゼル特急。中上 路面電車のジオラマです。車両は昔の東京都電で、架線から電気を集めて走っています。電飾がきれいな花電車の模型もありました。右上 大きな扇形の機関庫とターンテーブルを備えた蒸気機関車の機関区のジオラマ(Nゲージ)です。左 屋外では煤煙の香りがする空間です。実際に石炭と水を燃料とするライブスチームと呼ばれる蒸気機関車の模型が人を乗せて走っていました。沢山の車両が整備を受けていました。







2006/08/13 16:21:56|鉄道模型その他
国際鉄道模型コンベンション大阪へ行きました。
8月12日、大阪南港のインテックス大阪で開催されている、国際鉄道模型コンベンション大阪に行ってきました。これは、NPO法人日本鉄道模型の会(JAM)が、年1回主催する国内最大のイベントで、今回で7回目となりますが、前回までは全て東京で開催されており西日本では始めてです。鉄道模型といっても、最も普及しているNゲージやHOゲージだけではなく、実際に石炭と水で走る大型SL模型(ライブスチーム)からG、0ゲージ、世界最小のZゲージ(線路幅6.5ミリ)のものまで多彩にあり、日本型だけではなく様々な外国のものもあります。会場では、メーカー、クラブ、個人などが一同に会して、いくつもの大きなジオラマで数え切れないくらいの車両が走行し展示されていました。会場の広さもあって、一つ一つゆっくり回りきれないくらいでしたが、あらためて趣味の王様といわれるゆえんを実感しました。画像=左上 会場メインゲート、中上 ずらりと並んだ寝台特急群(HO)。実物では廃止が相次ぎますが、模型では健在です。右上 ドイツ型鉄道模型の老舗であるメルクリン社製の機関庫と機関車達(HO)。精密なつくりで実際に架線から電気を供給しています。左下 個人製作の山陰本線餘部鉄橋(N)です。表と裏で夏と冬の景色を作り分けていて、迫力の景色を再現しています。







2006/08/10 22:34:27|その他
高速バスの話
今回は、鉄道から少し離れ、高速バスの話です。近年、伊賀から主要都市を結ぶ高速バスが多数運行されるようになりました。東京(品川)、横浜を結ぶ夜行高速バス、名古屋、大阪(梅田・新大阪)を結ぶ高速バスがそれです。これらは地元の三重交通が主に運行しています(大阪便は一部近鉄バスが運行)が、バス路線も少子高齢化、クルマ社会の進展によって、最近は郊外、地方を結ぶ路線が苦戦を強いられ、次々に廃線や減便、行政などの補助路線化などがなされてきました。バス事業者として、こうした状況を打開するべく、目を付けたのが都市間輸送である高速バスであったと言えます。かつて、伊賀を拠点とした都市間バス路線は津や名張、天理といったところが関の山でしたが、今から10数年前に運行を始めた東京便、名古屋便がそのきっかけを作ったと言えます。これらは、鉄道利用に比べて料金が割安で、所要時間も短く、乗り換えなしとあって利用者の好評を博し、特に名古屋便は当初3往復が今や9往復に成長、停留所は増えたものの、パークアンドライド用の駐車場を整備するなどの事業者の努力も功を奏し、観光、ビジネスに多くの利用があるようです。昨年、3月から運行を始めた大阪便もトイレ付きの新車を投入し、今は6往復に成長、認知度は高まっているように思います。ただ同時期に運行を始めた中部国際空港への直通バスは期待どおりの利用が見込めず半年ちょっとで廃止されたのは残念でありました。高速バスの充実で利便性が向上しているのは良いことではありますが、一方で鉄道利用を圧迫することが気になります。近鉄線もJR線も料金、利便性で太刀打ちできそうにありません。バスが鉄道を凌駕することは、決して私たち住民の本意ではなく、双方が共存共栄できるような役割分担を期待したいものです。三重交通がとった積極策を少しでも鉄道事業者が見習って欲しいと思わざるを得ません。“鉄道はバスのようにはいきませんよ”、と、ある鉄道関係者から聞いたことがありますが、確かに鉄道は維持に経費のかかる輸送機関です。しかし、定時性と大量輸送と言う長所を生かせるのが鉄道です。高速バスの成長ぶりと線区の維持だけに囚われて、積極策を打ち出さない地元の鉄道、これを好対照と言わずして何と言うのでしょうか?(画像=新規開拓を狙ったものの期待通りとはいかなかった中部国際空港直行バス。しかし積極的なバス事業者の取り組みは評価されるべきだろう。ちなみに、この車両は名古屋便や大阪便に転用された様です。)







2006/08/06 15:47:24|伊賀線のこと
上野市駅開業90周年記念イベント(8/6)

今日は近鉄伊賀線上野市駅の開業90周年イベントが同駅でありました。大正5年8月8日に上野市〜伊賀上野間が開業し、同時に上野市駅(当時は上野町)が開業したのを記念して実施されました。イベントは駅舎内で開業時から現在に至るまでの写真の展示、先代車両の5000系が活躍していた頃のビデオ映像の上映や沿線の“いま”と“むかし”を比べる写真パネルなどが展示されていました。検車区のある構内では忍者列車(青)が開放され、グッズの販売、制服の試着や車内放送の体験がされ、家族連れや鉄道ファンらで賑わっていました。イベントそのものは手づくりのささやかな印象でした。欲を言えば、色んな団体や個人と協働してもう少しメニューを増やせたらもっと良いイベントになったかなと言うのが感想です。普段見られない検車庫内の見学とか、運転体験、記念のヘッドマーク取り付けなどなど・・・。しかし、存続問題も起きている伊賀線の誕生日をこうやってお祝いすること自体に意義がありますので結構なことだったと思います。普段から伊賀線の現状を見るにつけ、非常に厳しいものを感じますが、単に存続だけを考えるのではなく、将来を見据えた施策を考える必要があります。当然それには投資も必要になるでしょう。沿線の人達や市外から訪れる人達にもっと必要とされる鉄道、乗ること自体も楽しい鉄道に変えていくことが次世代に伊賀線を残す手だてになると思います。そういうアイデアを考えて提言していきたいと思います。何はともあれ“Happy birthday いがせん”。