ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2006/11/23 23:10:29|遠征記
国鉄型三昧!大糸線訪問記D    
小滝駅はその昔、大糸線が全通するまでは糸魚川方面からの終着駅だったことから、山間の小駅でありながら、瀟洒な駅舎を持ち、交換設備や貨物側線の跡を見ることが出来ます。駅の壁に貼られた「熊出没注意」の貼紙に恐れおののきながら、駅前の国道を進み、姫川に架かる橋梁で上下列車を撮影することにしました。早朝の小雨もようやく上がり、青空も見え、列車の通過する頃には絶好の光線状態となり、紅葉の山々を背景に気持ちよく撮影することができました。駅へ戻ると神戸から撮影に来たという方とお会いし、しばし鉄談義に花を咲かせた後、私達は再びキハ52に乗り、色づく山々と清流が織り成す素晴らしい景観を堪能しながら糸魚川に戻りました。糸魚川では少し駅前を散策し、有名なレンガ車庫とキハ58・28などを撮影。ラッセルヘッドを付けたディーゼル機関車も庫から顔を出していました。そういえば昨冬、大糸線は大雪に見舞われ約1ヶ月も運休になった苦い経験があります。平成7年には水害で未曾有の被害を受け奇跡の復旧を遂げるなど、常に自然災害と向き合いながら、厳しい経営を続けていると言われています。古いディーゼルカーを国鉄色に戻したり、これらを使ったリバイバル列車を運行するなど、全国の鉄道ファンに注目される路線の一つではありますが、それらがこの路線の経営安定化により寄与するためには、私達ファンも撮影だけでなく出来るだけ乗車して収入増に貢献し、路線の魅力を発信していくなどの支援が必要だと思います。また、タレントを使ったTVCMで宣伝していた、京阪神から白馬方面へのスキー列車「シュプール号」も大糸線の冬の常連でありましたが、長野五輪にあわせて整備された道路網の充実により、スキー客の鉄道離れが進んだのか、最近は全く聞かなくなってしまいました。この日も学校休校日であるためか午前中に乗車した列車は全て乗客10数名程度と寂しい状況でした。私達は、帰路もう一度キハ52に乗り込み、途中、早朝に降り立った平岩で途中下車し、駅近くの姫川温泉というところで日帰り入浴を楽しみました。湯量の多い硫黄の香りのするいいお湯の温泉でしたが、紅葉シーズンの土曜日であるにもかかわらず、旅館街はひっそりとしており、立ち寄った旅館も私達以外にお客さんは居ませんでした。大糸線非電化区間の沿線は自然のパノラマが堪能できる素晴らしい車窓風景と、温泉など沿線の魅力は十分あると思います。鉄道と沿線地域が活性化するにはどうすればよいか、ここでもまた同じ課題が頭をよぎりました。そんな難しい命題と温泉でありつけなかった昼飯のことを心配しながら、私達は南小谷から新宿直通の特急あずさに乗車。非電化区間との落差に驚きながら松本へ向い、中央線の特急しなので木曽路を抜けて戻ってきました。







2006/11/22 23:22:12|遠征記
国鉄型三昧!大糸線訪問記C    

 夜明け前の糸魚川駅構内留置線に佇んでいたのは、こちらもすでに稀少価値となった国鉄急行色のキハ58・28型でした。関西本線でもかつて長年にわたり活躍したあのクリームと赤色の車両です。普段は金沢の車両所で臨時用に配置されているだけのものなのですが、実はこの旅行の前に、この車両が大糸線のキハ52の予備車として4日だけ運用に入ることが分かっていました。ところが、それが私達が訪れる日の翌日(19日)からということで、既に18日で予定を組んでいた私達とは1日違いで出会うことはないだろうと思っていたのです。本当は走行する19日まで滞在して恐らく最後となるだろうキハ58・29の勇姿を拝みたかったのですが、私達が訪れた日に既に金沢から出張してきていたということです。日が高くなった時間に、もう一度会うことにして、私達は、始発キハ52(朱色)の南小谷行きで最初の撮影地、平岩へ向いました。キハ52は、ワンマン改造や冷房装置の取り付けなどが実施されているものの、そのほかは国鉄時代の雰囲気そのままで、懐かしいディーゼルサウンドを奏でながら、ようやく白みかけた風景を車窓に写しつつ晩秋の鉄路を力強く走ります。昭和40年製造とあれば私と同世代、鉄道車両としてはそろそろ引退の時期ではありますが、最近はプロ野球選手でも40歳を越えて活躍する人達が増えています。これからも働くオジさんの輝く星としてもっと頑張って欲しいと思います。列車は約40分ほどで平岩に到着。ここで7分間停車します。撮影のため駅で待機していた人達と撮影会と相成りました。南小谷行きが発車した数分後、今度はツートンのキハ52がやってきて、ここで折り返し糸魚川行きとなります。私達はこれに乗車して一つとなりの小滝駅へ行くことにしました。(続く)







2006/11/21 23:21:35|遠征記
国鉄型三昧!大糸線訪問記B    

夜が明けきらない糸魚川駅の大糸線用ホームには、始発と2番列車に充当される2両のディーゼルカーがエンジン音を響かせながら停車していました。いずれも型式はキハ52型で、数年前に派手なJRの専用色だったものをファンの強い要望を受けて、同線を管理するJR西日本糸魚川鉄道部が赤と黄色のツートン、朱色一色の国鉄時代の色に塗り替えた車両達です。大糸線にはこのキハ52型が3両活躍しており、塗り替えられていなかった1両もこの11月下旬に、紺とクリームのツートンという昭和30年代前半に見られた国鉄色に変身して登場するとのことらしく、糸魚川鉄道部の粋な計らいに大いに感服する次第となりました。この2両のキハ52型は昭和40年に製造された車両で、山岳線区に対応した2個のエンジンを持ち、主に北陸地方の非電化路線で活躍しました。JR西日本には、今や大糸線で活躍するこの3両しか在籍していません。同型式のグループにあった1個エンジンのキハ20型などは早くに廃車され、もう同社には存在しませんが、強力な2個エンジン車であることが幸いして、長く使用されてきたと言われています。私達は始発の大糸線南小谷行きに乗車するまでの間、カランカランというあの懐かしいディーゼルサウンドを聞きながら色んな角度でバルブ撮影を試みました。そしてふと駅構内の留置線に目をやると、なんとそこには私達ファンの心を揺さぶる車両が暗闇の中に佇んでいたのです。(続く)







2006/11/20 21:27:17|遠征記
国鉄型三昧!大糸線訪問記A
 定刻23時27分、発車ベルもなく静かに大阪駅を離れた「きたぐに」号は一路北陸路を目指します。草津までの複々線区間では、併走する電車の乗客からの視線を浴び続け少々気恥ずかしい気持ちになります。我々が今宵の宿に指定したのは、3段式寝台の下段(B寝台)です。客車寝台車のように窓側の片側を通路とし枕木方向にベッドが配されたものとは違い、この電車寝台車は中央の通路を挟んで列車の進行方向にベッドを並べるレイアウトです。指定されたベッドに入り込むと、足方向は長さに余裕があるものの、高さ方向はさすがに窮屈で、足を延ばして半身を起こす態勢をとるのがやっとです。よくぞ、3段もベッドを並べたものだと感心しましたが、現在の生活様式に慣れた身には少々辛いものがあります。車内設備もリニューアルが施されているものの、全体として、古きよき懐かしい国鉄のもので、香りも国鉄時代のそれでありました。「きたぐに」は寝台車のほかに座席グリーン車と固定式の座席車が連結されていますが、狭くても横になれる寝台車はありがたい存在です。週末である本日の乗車状況は、各車両をくまなく見ていないので判然としませんが、寝台車にも少々空きがあり、満席とまではいかなかったようです。客層は老若男女、北陸方面へ帰る用務客などが中心と見てとれ、中にはお遍路姿の乗客も見えました。列車は、いよいよ米原から北陸本線に入り、快調にきたぐにを目指します。寝過ごすのを心配して車掌に起こしてくれるように頼んでありましたが、車両の振動やモーターの唸る音、レールを刻むジョイント音など、さすがに賑やかな音たちに熟睡は叶う筈もなく、まどろみながら居ると早くも
下車予定の糸魚川が近づいてきました。外はまだ真っ暗、眠い目をこすりながら、小雨の降る駅のホームに降り立ちました。そしてそこで出会ったのが、これまた懐かしいエンジン音を奏でている国鉄色を纏った2両のディーゼルカーだったのです。(続く)







2006/11/19 19:32:03|遠征記
国鉄型三昧!大糸線訪問記@
17日の夜から、残り少なくなった国鉄型車両を求めて新潟、長野県へ鉄道旅行をしてきました。「鉄道写真館1972〜」を主宰されているtetuさんにご同行いただき、乗り鉄&撮り鉄を楽しんできました。まずは1日目、大阪駅10番ホームから発車する夜行寝台急行列車「きたぐに」号で、最初の目的地糸魚川へ向けて出発です。急行「きたぐに」号はかつて東海道、山陽本線や東北本線の特急列車で活躍した583(581)系電車です。登場当時は青とクリームの塗り分けで新大阪〜博多間の特急「月光」号でデビューしたことから月光型とも呼ばれています。世界ではじめての座席車と寝台車の両方を兼ねられる車両であるため、昼夜兼行の働き者として重宝されました。現在はこの「きたぐに」号だけが唯一の定期列車となっており、ほかにJR東日本で臨時用に使用される2編成があり、JR西日本の「きたぐに」用6編成とあわせ8編成のみが活躍しています。「きたぐに」号は北陸、信越本線などを経由し大阪〜新潟間を約9時間かけて結んでいます。1日1往復、今やJRで急行と名の付く列車はごく少数ですが、その中でも夜行寝台急行は東京〜大阪間の「銀河」とこの「きたぐに」だけです。私としては、希少な列車が齢約40年の583系で運転されているとあって、乗車体験しない訳にはいかなかったという訳です。23時過ぎ、金曜日の大阪駅は勤め帰りのサラリーマン達でまだまだ混雑しています。大阪環状線や京都、姫路方面へのホームには満員の列車がひっきりなしに発着しています。そんな喧騒をよそに北陸方面への優等列車が発車する10番線はひっそりとしており、「きたぐに」は少々くたびれた車体を横たえていました。編成は10両、塗装こそJRオリジナル色に変わっているものの国鉄の匂いがプンプンする姿で優等列車としては十分な貫禄です。記念撮影もそこそこに発車時刻の23時27分が近づいてきました(続く)。