2月20日(土)、草津線に開業120周年記念列車が運転されました。
JR草津線(草津〜柘植)は、今から120年前の1890年(明治23年)2月19日に民営の関西鉄道によって全線開通しました(関西本線はこれより7年も後に柘植〜加茂間が開通しています。)。開業の経緯は、官営の東海道本線が旧東海道のルートではない米原経由で敷設されたため、草津から柘植を経て四日市に至る旧東海道ルートの鉄道は民間の手で敷設されたとのことです。このようなことから、かつては、東海道本線のバイパスルートとしても機能し、大雪などで米原経由の東海道本線が不通になった際、かの特急「つばめ」が草津線を迂回することもあったそうです。伊賀市の北東に位置する柘植駅は、草津線開業と同時に設置された三重県内では最も古い鉄道駅であり、東京、名古屋、大阪、奈良、京都、伊勢市、鳥羽、紀伊勝浦方面などを結ぶ多数の列車が行き交う鉄道の要衝でもありました。蒸気機関車隆盛の頃は、加太越えのために使用される補機(山坂区間で後押しする機関車のこと)用に駅構内のはずれに転車台を備えた機関支区も置かれ大勢の鉄道マンが働いていたそうです。電化開業は、今から30年前の1980年(昭和55年)で、三重県内で最初の国鉄(当時)電化駅となりましたが、名阪国道の整備推進などで次第に利用客が減少し、駅は数年前に無人化され、今は委託の駅員のみが常駐するだけになりました。往時の面影をとどめる長いホームと広い構内、開業当時から残るレンガ積みの構造物などはまさに偉大なるローカル駅ともいえる存在感を示しています。 今回の記念列車は、歴史ある草津線の記念日を祝し、沿線の魅力の再発見と同線の活性化に資するため、関係団体が主催して、草津〜柘植間にジョイフルトレイン「あすか」号を仕立てて運行されたものです。私は、この記念すべき列車を油日〜柘植間で走行シーンを、その後は柘植駅に移動し列車の入換え作業などを見ることができました。柘植駅では駅舎が紅白幕で飾られ、訪れた大勢の人たちに、鉄道OB会や地元自治組織が甘酒の振る舞いを行うなど、歓迎と祝賀ムードに包まれていました。
DD51ディーゼル機関車が牽く客車列車が同線に運転されるのも最近はすっかり珍しくなっており、まして機関車のプッシュプル(前牽き後押し)で客車を牽引することも大変珍しいため、大勢のファンが撮影のため沿線に詰め掛けていました。 ところで、1週間前にも関西本線を経由して今回と同じ「あすか」号の運転がありましたが、その際、撮影ポイント近くの線路敷地内に撮影者が侵入し、他の列車の運行を妨げるという信じられないことが起きました。1万人以上の人が影響を受けたとあって大きな社会問題となり憂慮される事態となりましたが、この一件を耳にしたとき、1週間後の草津線の記念列車運行についても影響しないか危惧していたところでした。同じ趣味を持つ者として本当に腹立たしい思いがしましたが、今回の運転が大きな支障なく終えられたことに心底安堵した次第です。
※追伸:後日報道されたところによると、記念列車の運行は問題なかったものの、運行後の回送列車が草津駅に停車中、またも撮影者の線路内侵入があり、列車の運行に影響が出たとの事。先日の一件では、JR西日本側が告発をしないという寛大な対応を示してくれたというのに、一体どういうつもりなのでしょうか?立派な法律違反だということを認識させる必要があるようです。 |