ふとしたきっかけで鉄道趣味の面白さに再び目覚めた。楽しみ方は色々鉄道趣味は奥が深い。私の趣味活動をほんの少し披露し、併せて伊賀地域の鉄道の将来について考えます。
 
2010/02/21 21:43:48|撮影日記
草津線開業120周年記念列車 
 2月20日(土)、草津線に開業120周年記念列車が運転されました。

 JR草津線(草津〜柘植)は、今から120年前の1890年(明治23年)2月19日に民営の関西鉄道によって全線開通しました(関西本線はこれより7年も後に柘植〜加茂間が開通しています。)。開業の経緯は、官営の東海道本線が旧東海道のルートではない米原経由で敷設されたため、草津から柘植を経て四日市に至る旧東海道ルートの鉄道は民間の手で敷設されたとのことです。このようなことから、かつては、東海道本線のバイパスルートとしても機能し、大雪などで米原経由の東海道本線が不通になった際、かの特急「つばめ」が草津線を迂回することもあったそうです。伊賀市の北東に位置する柘植駅は、草津線開業と同時に設置された三重県内では最も古い鉄道駅であり、東京、名古屋、大阪、奈良、京都、伊勢市、鳥羽、紀伊勝浦方面などを結ぶ多数の列車が行き交う鉄道の要衝でもありました。蒸気機関車隆盛の頃は、加太越えのために使用される補機(山坂区間で後押しする機関車のこと)用に駅構内のはずれに転車台を備えた機関支区も置かれ大勢の鉄道マンが働いていたそうです。電化開業は、今から30年前の1980年(昭和55年)で、三重県内で最初の国鉄(当時)電化駅となりましたが、名阪国道の整備推進などで次第に利用客が減少し、駅は数年前に無人化され、今は委託の駅員のみが常駐するだけになりました。往時の面影をとどめる長いホームと広い構内、開業当時から残るレンガ積みの構造物などはまさに偉大なるローカル駅ともいえる存在感を示しています。
 
 今回の記念列車は、歴史ある草津線の記念日を祝し、沿線の魅力の再発見と同線の活性化に資するため、関係団体が主催して、草津〜柘植間にジョイフルトレイン「あすか」号を仕立てて運行されたものです。私は、この記念すべき列車を油日〜柘植間で走行シーンを、その後は柘植駅に移動し列車の入換え作業などを見ることができました。柘植駅では駅舎が紅白幕で飾られ、訪れた大勢の人たちに、鉄道OB会や地元自治組織が甘酒の振る舞いを行うなど、歓迎と祝賀ムードに包まれていました。

 DD51ディーゼル機関車が牽く客車列車が同線に運転されるのも最近はすっかり珍しくなっており、まして機関車のプッシュプル(前牽き後押し)で客車を牽引することも大変珍しいため、大勢のファンが撮影のため沿線に詰め掛けていました。
 ところで、1週間前にも関西本線を経由して今回と同じ「あすか」号の運転がありましたが、その際、撮影ポイント近くの線路敷地内に撮影者が侵入し、他の列車の運行を妨げるという信じられないことが起きました。1万人以上の人が影響を受けたとあって大きな社会問題となり憂慮される事態となりましたが、この一件を耳にしたとき、1週間後の草津線の記念列車運行についても影響しないか危惧していたところでした。同じ趣味を持つ者として本当に腹立たしい思いがしましたが、今回の運転が大きな支障なく終えられたことに心底安堵した次第です。

※追伸:後日報道されたところによると、記念列車の運行は問題なかったものの、運行後の回送列車が草津駅に停車中、またも撮影者の線路内侵入があり、列車の運行に影響が出たとの事。先日の一件では、JR西日本側が告発をしないという寛大な対応を示してくれたというのに、一体どういうつもりなのでしょうか?立派な法律違反だということを認識させる必要があるようです。







2010/02/11 23:19:59|伊賀線のこと
くのいち号さよなら運転(その2)

日曜日に催された“くのいち号”の引退記念イベントには、私も子供を連れて参加しました。上野市車庫の側線に置かれた車両は車内開放され、写真パネルの展示やグッズ販売などが行われ、多くの人達で賑わっていました。行き先板受けには惜別の板がはめられており、私達も皆に混じって思い思いにカメラを向けました。
 午後は、伊賀鉄道友の会の総会を兼ねたさよなら運転が上野市〜伊賀神戸間を1往復するとのことから、沿線での走行写真を撮るべく上林〜比土間のお気に入りの撮影ポイントで列車を待ちました。線路を見下ろす橋梁上で往路を撮ったあと、丸山駅の南側で復路を撮り帰路につきましたが、列車交換待ちのため停車していた猪田道で追いついてしまい、駅北側の踏切から近鉄カラーの編成との並びを撮影することができました。
 近鉄奈良線、生駒線を経て昭和59年に伊賀線に入線して以来早や26年、晩年はピンクの忍者塗装となり、相棒の青忍者編成とともに一躍人気者になり伊賀線のシンボル的存在となりました。私達家族にとっても、ギャラリー列車で子供の絵を飾ってもらったり、子守を兼ねて乗車したりと大変思い出深い車両でありました。
 私達は、慣れ親しんだ鉄路を走り去る“くのいち号”の姿を感謝と惜別の思いで見送りました。







2010/02/07 19:37:51|伊賀線のこと
“くのいち号”さよなら運転
 伊賀線のシンボル的存在として人気のあったピンクの忍者列車“くのいち号”が、さよなら運転を行い引退しました。
 くのいち号は、200系新車両の投入に伴う旧型860系車両の置き換え対象第1編成となり、最近は運用から外れ車庫内で留置されている姿が見られましたが、先週末に新車両の第2編成が搬入されたことから、いよいよ現役を退くことになったものです。
 今日は、午前中に上野市車庫で伊賀鉄道友の会が主催する撮影会などのさよならイベントが催され、多くのファンや家族連れがくのいち号への別れを惜しみました。
 その後、同友の会の年次総会を兼ねた「さよなら運転」が行われ、くのいち号の最後の力走を見ることが出来ました。







2010/02/03 18:31:25|伊賀線のこと
雪の日の市駅にて

 今季初めての本格的な雪降りとなった1日夜、伊賀線上野市駅を訪れると、珍しいものを見つけました。駅舎内に入ると何かを燃やす匂いがしており、ストーブの不完全燃焼かと思い周囲を見ると駅構内にあるレールのポイントが凍結して動かなくなるのを防ぐため、装置に直接、カンテラの火を当てているのです。雪国の鉄道ならば、この季節にはよく見ることができるのでしょうが、意外に降雪の無い伊賀では珍しい光景ではないでしょうか?
 私自身も大変久しぶりに見た気がします。数十年前、私がまだ高校生の頃、伊賀線を使って通学していた経験がありますが、あの頃は、今よりも降雪が多かったのか、雪の日になれば良く伊賀神戸駅構内のポイントを同じようにカンテラで暖めているのを見たものです。夜遅くの帰途には幾つものカンテラの炎が幻想的にゆらめいているのが印象的で、立ち止まって見入っていたこともありました。そう言えばその頃の同級生がその様子を俳句にして褒められたこともありました。
 カンテラを見ていると高校時代の思い出が思わず甦ってきましたが、滅多に雪による運行障害が起きないこの鉄道でも安全運行のための備えがきちんとされていることに安心感を覚えました。
 実はこの日の昼間、横浜から陸送されてきた伊賀線新車両の第2編成が、クレーンを使って比土駅の側線に載せられ、最終列車の運行が終わった深夜に860系車両を使って牽引され上野市車庫に搬入されたようです。私は友人とその様子を見学に行く予定でしたが、折からの雪降りとなり残念ながら断念しました。しかし、あの降雪の中、社員の皆さん等の手によってきちんと搬入作業が行なわれていたということは、どのような状況でも安全確実に鉄道の業務をこなす鉄道員の誇りを感じずにはいられない思いがしました。







2010/01/30 15:52:21|伊賀線のこと
伊賀線の新車がやって来た!(その7)   
 伊賀線の新車両(元東急1000系)第2編成が、先の第1編成(新忍者列車)に続いて伊賀にやって来ました。

 第2編成は今月25日に改造元の東急テクノシステムズ長津田工場(横浜市)を2台のトレーラーに載せられ出発、28日に伊賀サービスエリアに到着し、線路上への搬入までの間、同所に待機しています。

 私は早速、28日にその様子を見に行きましたが、今回は前回と違って、車両前面が隠されておらず、車両の顔を見ることが出来ました。既に情報を聞きつけたファン数人が深夜にも関わらずカメラを向けていました。その日のうちに比土駅の搬入場所へと移動するものと思われましたが、30日土曜日の昼間もそのまま同所に待機していました。しかし、近いうちには搬入場所に移動し大型クレーンを使って線路上に載せられると思われます。

 今年度の計画では2編成4両が導入されると聞いておりますので、導入済みの第1編成とともに、今年度はこれで計画完了ということになります。第2編成は恐らく春までには営業運転に就くものと思われますが、どのような姿で登場するのか楽しみです。